2024年

11月

21日

本巣市文殊 文殊山善永寺 本願寺派

当家ネット回線の不通は昨日の昼前には復旧しました。

午前の早い時間は叔母の施設退所と入院の付き添い。

一応は一日だけの検査入院ということでそれで退院できれば再入所ができるとのこと。手続き上その段取りとなるそうです。

 

そもそもそのネット不通に慌てさせられたのは以前に会館工事の足場設置業者から「電話線が今後の工事の際に邪魔になる」との指摘を受け来月初旬に配線を移す工事予約をしていましたことがありました。

よってブレーカーが落ちていた時間が長かったことに加えてそのケーブル切断の件が頭によぎったからです。

どちらかといえばそちらの方を疑って懐中電灯を持ち出したくらいでした。

しかし電話機の受話器をあげてみれば・・・問題なし。断線していないということですからね。早く気づけば良かった。

 

まぁ暗闇ではどうにも確認は難しく諦めるが肝要、ブログの更新はサラッと携帯端末で行った次第。奥方からは「そんなもの放っとけ」と嫌味をいただきましたが。

プロバイダー側での信号チェックと指示された通りにルーターの電源抜き差し(一昨日も行ったが改善されず)により復旧しました。

「最悪復旧まで1日くらいかかるかも」と言われましたが、1分後には接続できました。最初からプロに聞けばカンタンなものをいじくり回すから迷宮に入るのですね。まぁ夜間は営業していませんでしたから。

 

扨、先日の産業祭にて多くの地域からの参加があったわけですが、私が唯一購入したのがお米。

岐阜県本巣市のみなさんが何故にしてこちらに・・・とは思ったものの、狙っていた柿は売り切れ、「さて・・・」と選んだのがあのおコメでした。

裏側の表示にある販売者の名が「もとすファーム」。

「本巣市文殊」の番地名がありました。

その地名は文殊山なる山の名からですね。

私があの時のブログで「本巣は比較的身近な地」と記した理由は山号が文殊山の善永寺があるからです。

本願寺派で「南無阿弥陀仏」のお寺であることは勿論、その云われは門前の掲示板の通り大坂(石山)本願寺で信長と交戦していたこと。拙寺開祖と「同じ釜の飯」の時期があったことが推察されるからですね。顕如への帰依の件も同じ。

天正八年(1580)の寺の創建とありますから顕如が本願寺を放棄したタイミングで大坂から離れていたということでしょう。

 

私はそのタイミングこそ何かの画策に走ったのでは・・・と自分なりに感じたものです。

私の思い入れのあるお寺の所在地ということ、あのブースに引き寄せられたのでした。

①背後が文殊山。

奥方と放っつき歩いた山周辺。いいお天気でした。

 

 

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2024年

11月

20日

ネット回線不通につきスマホで

昨晩、気がつけばネット回線不通。                そういうこともあらぁなってことで手出し無用之介。                     この不便さを感じるに日頃いかにそれをズブズブに頼っているということか!                             奥方がNTT やらプロバイダーに問い合わせを試みていましたがプロバイダーの営業時間は既に終了。明日以降ですね。               NTT (光)には連絡がつきましたので-電話はok-おそらくプロバイダー側かも。           拙寺に入っている工事業者が誤ってブレーカーを落としたために途絶したおそれあり。

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2024年

11月

19日

相良のお気軽土産 立候補 意次せんべい 500えん

多少の気温低下は実感しましたがまだラクな朝。

朝一、奥方から境内の車を外の駐車場に出しておけとのお達しがありエンジンをかけました。

イキナリ強めの冷房の風が顔に当たり慌ててスイッチをオフ。

車は奥方が使用していましたが、前日がいかに暖かかったかがわかります。

 

そして昨日法務は境内でのお内仏閉扉式から。

ご門徒さん宅の小型の古いお内仏を処分して、新しい「もっと小型の家具調」のそれを調達するとのことでした。

よってお内仏は両手で持てるほどのもので本堂にお持ちいただいての閉扉式となりました。

本尊のいなくなった「木の箱」はお焚きあげに。午後は報恩講の片付け。地頭方処理場へ。

 

扨、ここのところ「意次せんべい」の件を記していました。

先日の報恩講での御門徒さんへのお披露目では「新 相良のお土産」として田沼意次のさらなる大きな告知に一役買いたいとデビューしたようなことを境内に設置した棚店に記していました。

勿論、来年の大河ドラマに便乗しようという心根もありますね。

 

これは「相良史蹟調査会」による製作になりますが、当初は南鐐二朱銀(またはこちら こちら こちら )を強くアピールしよういう案がありました。

ところがあの図案を焼印にしたとしても「何だかわからない」ことになることは必定のこと。

それもウラ・オモテがありますからね。

何しろ通貨についての説明も長文になりがちになります。

 

ということで私から会員皆さんに「コレならシンプルです・・・」という具合で提案したのが太鼓。

おかげさまで了承を得てこの度の拙寺の太鼓が広くお披露目いただく運びとなりました。

産業祭出店の際の接客でも「田沼意次の広きに渡る認知紹介のついでに大澤寺の太鼓もちょっぴり・・・」と私の身勝手な下心を展開していました。

 

「ああ、あの陣太鼓ね・・・」などいう方がいらっしゃいました。「陣太鼓じゃねぇよ 時(刻)太鼓だよ~」風の反論はしませんでしたがその件をサラッと説明してもチンプンカンプンの様。

 

二ノ丸の太鼓櫓(矢倉)が「今の相良小学校グラウンドの真ん中より少々東側にありまして・・・」などと解説用の図画を用意してはいましたが口で解説するよりも紹介文を用意した方がベストだったと反省した次第。

興味のある方に「こちらをお持ちください」。

 

あの喧噪と人の流れの中で歴史の話を一からするなどそもそもムリでした。

大澤寺の出店につき「歴史や仏教、いろいろ・・・」などその問い合わせを気軽に受けるの如きことを記していましたが、やはり最近頼ることの多くなった名刺をサラッと机上に置いて・・・など

それが一番でしたね。

反省点いろいろ、成長させていただいています。

尚、太鼓の件、拙ブログではこちら こちら こちら に。

 

画像①はイベント出店用に製作したのぼり旗。

棚店にはコレがあるかないかではアピール度が雲泥の差。

せんべいのパッケージには黄色と赤の二種がありその裏側には大澤寺と太鼓のアピールさせていただいています。

 

もしかして・・・田沼意次にスポットが当たって・・・大澤寺の太鼓にも、もっともっと、もしかして・・・明かりが・・・

その手の空想も悪くない。

 

光が当たれば影ができる・・・その光の限界について超越しているのが阿弥陀如来の光。

阿弥陀如来には「無碍光如来」の別名がありますね。

一応念のため・・・

正信偈では「天親菩薩造論説 帰命無碍光如来」とあります。

 

やはりこのほど拙寺の土産品としてデビューした「無碍一道」のバックに通じるところですが。

 

 

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2024年

11月

18日

GasOneアリーナ牧之原 ひょんなことから観劇に

数日前の予報は大ハズレ。

朝から穏やかで暖かな晴れ間が広がりました。

週明けから「寒くなる(今度はホントに・・・) 」とはいいますが・・・まったくピンとこない11月中旬。

よって昨日は一日中半袖で過ごせました。

とはいいつつも一枚衣を引っかけての室内の仕事。

おそらく外は暑かったのでは・・・

 

8時30分から15時まで私はGasOneアリーナ牧之原の産業祭に詰めていました。

その催しは例年榛原地区と相良地区交互で行われるもので、本年にこのアリーナがオープンしたということからこちらでの開催となったそう。また来年は相良小学校のグラウンドになるとのこと。

本来は榛原地区というのが順番ですが、大河ドラマ「べらぼう」の紹介コーナーが史料館2階に開設される(2月ごろオープン)ということで「続けて(2年連続)相良で・・・」になったようです。

 

初見参の私は申請名として「意次せんべい」 (相良史蹟調査会)でしたが、「本日の担当」として現場に拙寺の名を掲示しました。よってポロシャツ、トレパンの上に間衣・輪袈裟を纏う装いとなりました。

要は「大澤寺」のブースということになってその「意次せんべい」他、昨日記したバックやお茶などを並べたのでした。

 

結果、意次せんべいは43個、バックが7枚の売り上げとかなりの善戦。

もっとも奥方+婦人部長+私の3名の「出仕」ですからコスト的には見合いませんね。息子には寺の留守番と撤収の軽トラ配車を依頼しました。

 

販売方法の妙・・・

坊さんスタイルの場合はあまり声掛けせずに後方でもじもじしていた方が案外イイ・・・を感じました。

当初椅子に座ってテーブルを前にして「読書しつつのウェイティング」を決め込んでいましたが、やはりそれはマズイ!!と反省、後方に隠れるように立って来客を待ちました。

怪しい坊さんがいれば敬遠されかねない・・・。しかし寺を名のるからには私がそのスタイルで居なくては・・・とジレンマもありましたが。

 

そもそも「お寺の出店」に驚かれる方が多々あったようでしたが私に言わせれば「そんなの関係ない」でしょう。

県議の方が見えて「寺は1件だけだね」の言葉にニヤニヤしていました・・・御判断はおまかせします・・・

 

せんべいやバックの紹介が主たる目的でしたが、寺として宗旨特有の文字を並べたり仏教感を大いに漂わせるグッズも。

産業祭という名称ではありますが、拙寺の紹介ということでは悪くない機縁だっかと。

 

バックの販売は「ゼロ~」も覚悟していましたが、7個の売り上げには感謝したいところ。

押し売りに近いものがあって申し訳なかった感も少々ありますが。

特に前述の県議の方にもそれをせんべいとセットでおつきあいいただいたのでしたが、金額はさりげなく昨日記した通り800円でお願いしました。

 

議員さんはバックに色々と買ったものを詰め込んで「これは便利。大澤寺のブースで購入した・・・」などと宣伝を兼ねて自慢げにある方に見せびらかしたそう。

するとその方は「それなら昨日境内で700円で売ってたよ、明日は800円になるとは言っていたが・・・」と説かれたそうで再びブースに舞い戻って「なんだよぉ~」と爆笑していました。

地団太を踏んだといった感じにはありませんでしたが、私はひたすら「もろバレでしたね~スミマセ~ン」。

あと市長が通りかかったため、ご挨拶。やはりせんべいとバックをお買い上げいただきました。

「宣伝します・・・」と。これも有り難い。

「無碍一道バック」を購入いただいた方はすべて私の存じ上げる方たちでした。ありがとうございました。

 

両隣が教育委員会と大河ドラマの紹介ブースでした。

大河のブースの皆さんが昼食に出た際、代わりにそちらに立った方が着物を着た役者さんでした。

それが2025年1月19日の「田沼意次物語」の出演者。

一橋治済役の藤森美香氏でした。

その方にも「意次せんべい」を購入いただきましたが、「ひょっとして 酷え悪役じゃん・・・」などと会話が進むと「意次をいじめまくりますぅ・・・絶対に観に来て・・・」となって「ハイ、ハイ」。

空返事ではなく前売りを史料館で購入する段にまで発展。

 

その役者の着物姿を見た方(やはり市議会議員)が御門徒さんとともに当ブースに来られました。

するとその方は私に「この方は?」。

「大澤寺の住職ですよぉ」と御門徒の方のフォローが入ったのでしたが、お隣の演劇役者を見た流れでやはりその出演者とまちがったとのこと。

隣にいた奥方が「とんだコスプレ野郎で・・・」

 

そしてまた何かの「購買」というカタチにはならなくとも「大澤寺って何て読むの?」「このお寺はどこにあるの?」「あなたは住職なの?」なる問いがありました。

私の井の中の蛙ぶりをあらためて認識した次第。

 

特に色々な地域からの産品紹介ブースが並びましたが私は「千葉県の山武市って・・・」と無知ぶりを露呈。

そちらの担当者に「そこって何処?」と失礼なインタビューをして一つ地理のお勉強をしたところ。

 

相馬からのブースがその隣にありましたが、14時には荷物をまとめだして15時前には宅配便の宛名を記して会場を後にしていました。電車の時間が迫っていたのかもしれませんね。

いずれにしろ皆さん、かなりの遠方からの来訪でおそれいります。

「目と鼻の先」に住まう私など不平不満の一つでも漏らしたとしたら罰が当たるというものでしょうね。

 

私は柿の一つでも・・・と目をつけていましたがどちらのブースでもそれはあっという間に売り切れていました。

よって私は本巣のハツシモなる米を購入。本巣は私にとって比較的身近なところです。

 

こういったイベントにはできるだけ出るべきであると認識しました。

しかし日曜朝から奥方と二人で寺を空けることになりますので息子の留守番が不可欠。

彼の帰り際に留守番賃を請求されましたので高い勉強代になりました。

購入した米も持って行かれて楽しみも喪失。

 

ただ坊さんの「閑」は御門徒さんの仕合わせ。

法務に関してはそうであってもこのイベントの準備と参加に疲労度は5倍はあったかも知れません。

 

継続は力・・・とはいいますが体力が持つのだろうか・・・皆さん頑張っていますから・・・やれるところまで何とか気張っていこう。

特に来年は・・・

 

 

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2024年

11月

17日

「無碍一道バック」新参 GasOneアリーナ牧之原前日

報恩講寺楽市開催中は曇天ながら雨はナシ。

そこのところ一番に気にかけていたところでしたので、ただただありがたし。

おかげさまです。

テント撤収の際に倒れた支柱が大腿部に直撃した方がいらっしゃって一瞬ヒヤリとさせられましたが、何とか無事。打ち身程度とのことでした。頭や関節系への打撃でしたらタダでは済みませんからね。

大人数でアレをやることはそういうことが起こりがち。

「わ~ッ」という感じでそれぞれが解体を始めるのは具合が悪いことでした。コントローラーが必要か・・・

 

まずは今年の報恩講の終了で一息入れたいところですが、続けてアリーナでの産業祭が控えていますので、のんびり感はまだまだです。

 

そしてお天気の次に気がかりだった無碍一道バックの皆さんの反応は・・・。拙寺の名称をさらっと入れましたが今回の報恩講棚店が初お目見えでした。

 

果たして1つも売れずに「しょぼ~ん」・・・などと頭をよぎりましたが終わってみれば16個の品が・・・これも嬉しい。

定価を800円に設定し今回は報恩講価格として700円にしました。

700円という価格の件、「主婦のご意見」を伺ったところ『飛びついて買いたい』と思う値ではない」との評価。

その方からは有難くもご購入いただきましたが、色々な色があるとイイなどの意見も。

それはバリエーションを増やすことになりますので、お遊びレベルの話ではなくなりますね。

 

アリーナでは800円という設定になりますが、まぁ今度こそゼロになる可能性があるかも・・・境内での気軽さはなく知らない方ばかりのはずですからね。

私の座するテーブルには無量寿茶と意次せんべい等が並べられて販売する予定です。

 

画像①②が昨日の様子。

③は池田屋さんの飲み屋の銘柄。

基本一杯200円(相良城酒)ですが、「田沼意次」は300円とのこと。純米酒と大吟醸の違いとか。元々の値が違うのでした。

 

④はアリーナの図。催し物も各あるようです。

⑤⑥は次回大河ドラマ「べらぼう」で唯一オープンされる「大河ドラマ館」。「べらぼう江戸たいとう大河ドラマ館」なるポスター。

それができるということは大層なおカネがあるということでしょうね。

勿論、私たちは田沼一本、わくわくしながら番組の放映をただ待つのみですね。

 

 

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2024年

11月

16日

報恩講前日 報恩講にネコが・・・家猫化のパターン

拙寺の報恩講は寺楽市が開催されますので結構にその用意に、あたふたしながらすごすというのが常。

その分本来の法要の手抜きが出てしまいますのでこれはやはり本末転倒のご指摘を受けても仕方ないでしょうね。

反省はしていますがね。

まぁ②画像の如くの重量と容積のある代物(不要品)を運び込むのですから。

尚、それらの価格は大概が200えん~500えん。

「買った~」の声がかかれば自宅まで配達するという妙ちくりんな企画。人件費など野暮な話は無視。

すべてお遊びの範疇ですね。

ディスプレーするたびにその声がかかってしまい、本番の時は品物薄になるやも知れず。

殆ど「押し売り」に近いものがありますがね。

その程度の金額ならばたとえ無理に押し付けられたとしても許容範囲のレベルでしょうね。

 

③はご本尊前の図。打敷と五具足の荘厳です。

親鸞聖人御絵伝を掛けて準備完了。

 

④の棚店準備の下の生命体の存在に気づきました。

最近境内に生息する「キイロ」(私はそう呼びます)が。

これまで報恩講に(準備を含めて)姿を現したネコは彼女で3匹目(すべて雌猫です)。前2匹は野良から家ネコに昇格しています。

というジンクスがあるとすればじきに奥方の布団の上に寝ることになるのでしょうね。

春先までに確保して手術しないともっと煩わしいことになりますからね。

 

手術したあとはやはり1週間ほどのフォローが必要になりますのでそういう時間を共にすることによって家族の一員になるということになります。

 

 

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2024年

11月

15日

忙々流転 海を見たい 女墓場より

昨日も報恩講の準備。

婦人部の皆さんは午前中にお集まりいただき棚店に並べる品の仕分けをしていました。

私は庫裏でポップや品物の袋詰め作業に励みました。

御門徒の青果店から焼き芋用の芋が届いたとの連絡がありましたが、「その他いろいろ・・・雨予想だが・・・」と寺楽市の催行の判断について問われました。

私は「テント内で」と雨の心配不要である旨、軽口を叩いていました。

天気の事はおまかせする他はありませんし、いつも楽観。

特に苦境の時はそれですね。天気予報もアテになりません。

 

大概の予想を裏切ってのアメリカ第一主義の旦那のブッチギリ復活。

各方面来年の正式就任以降の変化について戦々恐々の躰が見受けられます。。

当家で喜んでいるのは息子だけ。

ビッドコインが破格の値上がりをしているようですが、数カ月前に彼はトランプ勝利を見越して少々の小遣いで買い増しをしていたとのこと。

売却しなければ利益は確定しませんが、先般「何かご馳走して~」と振ると一休さんのlineスタンプで「あ・き・れ・た・~」と応答がありました。

奥方に「自分の息子に呆れられるとは・・・」と再び呆れられていたのでした。

 

トランプの今後の差配で一番に気になるのは再びの「パリ協定」の離脱ですね。

脱炭素の世界的な旗頭ですが彼はその脱退を口にしつつ「掘って掘って掘りまくれ」とまで御吹聴。

要は規制の類を一切排し二酸化炭素排出の元凶ともいわれる国内の石油系資源を掘りまくって売りまくれということ。

 

排出国トップレベルの(世界2位)米国はパリ協定や気候変動枠組み条約から抜けるだけでも途上国への資金支援の義務が無くなります。

それはあのイーロン・マスクの就任するという「政府効率化省」とやらの仕事になりそう。

決められていた温室効果ガスの排出量の報告義務は無くなりますのでアメリカは国も企業も人も・・・やりたい放題。

 

おそらく私が死ぬまで今年の如く、いや今年以上の暑い夏を味わうことになるのでしょうから、仕方ないのでいっそのこと楽しむよう心をむけることにしましょう。

アメリカさえ良ければ世界のことなんてどうでもイイというメッセージが大ウケして「大親方」になったということはハッキリ言ってアメリカ人はバカ? 

日産自動車のボロボロ決算の躰には驚かされましたが、私は電気自動車、特にテスラなんて買おうと思いませんね。Xなんても・・・

「あっしには関りがございません」。

猛暑と暖冬を開き直って楽しむしかないようで。

 

 

本日も友人の「女墓場」からの画像。

昨日同様、四国香川の海のようですが、アレも相当なる海好きです。いや私以上に。

やはり意味なく海の画像を送ってきます。

 

最後の2枚は数日前に行ったディズニーとその対岸の羽田空港とのこと。

「いい歳こいて・・・」ではなく学生の引率だったそう。

書生さんたちも息抜きが必要ですね。それにしても遠足がそことは・・・

私は最近と言えば御前崎からの日没を久々に見ましたがやはりスバシイの一言。

「山越」の西方浄土というワケにはいきませんが。

海の中にちゃぽんという具合です。

まぁご自身の眼でご確認を。

 

 

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2024年

11月

14日

女墓場「池田の桟敷」の石積み 17日産業フェア

昨日は報恩講前の「おみがき」の日。

先般の世話人会にてその担当区域を発表したこともあって(告知期間短し)今回は5~6人程度の参加と見ていましたが本堂に集まった皆さんは12名。

一昨日の叔母の救急ドタバタによって用意の時間が無かったためお願いする什物を少なめになりました。

よって皆さんの仕事の効率も良く10時過ぎにはすべて終了してしまいました。

昼食は11時の到着予定でしたのでそれまで私のおしゃべり時間となりました。つまらない時間、失礼いたしました。

とにもかくにも多くの方々が各自の大切な時間を拙寺の「おみがき」イベントに参加振り分けて頂いたこと感動ものです。

 

先般も「月間住職」にて拙寺婦人部の活動状況が掲載されていました。

他の真宗寺院においてもかつてはその活動形態ついてどちらも同様のものでしたが、今となっては継承がうまくいかずに「断絶してしまっている」といったことを聞くようになりました。

当然に拙寺においても今後の事などはわかりませんが、今その組織が動いていること、これは奇特なことです。

寺の活動が衰微減少していく中、これまで通りの活動ができていることはとてもありがたい。

 

午後は寺楽市の準備。

そして客用トイレの引戸戸車破損パーツ購入のため榛原まで。

既に真っ暗。

最近1日フルに休み時間殆どなしで動いています。

 

叔母の体調について再発のおそれあり、との脅かしを受けていますので、その件「来週まで待って・・・」と願うばかりです。

救急外来待合のあの時間、呼び出されてから開放されるまで、アレは苦痛中の苦痛ですからね。

 

画像は久々舞い込んだ「女墓場放浪」からのもの。

親戚一同と四国放浪へのドライブの際のもの。

石垣が壮観です。祭り観覧用の桟敷席といいます。

そして昨朝は言っていた17日の産業祭の広告。

こちらで16日の報恩講寺楽市に次いで「意次せんべい」を販売することになります。

 

 

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2024年

11月

13日

萩間川護岸近く 石材9個救済 早朝の榛原病院の件

昨日午前一時に叔母の入所する施設から連絡がありました。

「血を吐いてベッドの上で悶絶しているのでスグ来てくれ」というものでした。

90歳という高齢で何があっても驚くつもりはありませんが、それにしても「派手な最期・・・」と思いつつ、今後の私のスケジュール表をチェックしてから榛原病院へ。

 

そもそもそのような症状といえぱ「毒でも盛られたか・・・」と連想するところで高齢者にありがちな最期(老衰・・・)とは違います。普通の死とは思えませんでした。

 

救急外来の待合からは4時過ぎで開放されました。

息子と同じくらいの女医さんの見立てによるとCT等での検査一連を行ったが正確な診断には限界ありとのこと。

「緊急的、今スグにといった所見にはないが胃カメラで確認したい」ということで10時30分にそれを予約し、施設に叔母を一旦回収していただいてから帰宅睡眠。

 

私は10時からのお内仏閉扉式の依頼が入っていましたので奥方に病院の立ち合いへ行ってもらいました。

法縁が済んで11時30分に内科の待合で合流、診察後に次のステップ、胃カメラ画像撮影の許諾書への記入をしているところでした。

叔母の様子は数時間前の姿とはうって変わって車椅子に座りピンピンシャキシャキのダイハード振り。

早朝の救急外来では私の持った洗面器に苦しみながらドス黒い血の混ざった胃液を数度にわたって吐いていましたから。

痛み止めが効いているとのことでしたがその際は「これから鰻を喰いに行く」と言い出すくらい。まったく不思議。

胃の撮影が終わってから奥方に託して病院を後にしましたがその結果は胃については問題なしという評価でした。奥方が完全開放されたのは15時すぎでしたから頭があがりません。

報恩講の準備も進捗していませんからね。

 

その原因はわからずじまいということですが、さらなる探求をするとなると胃以外の各臓器たちのチェックになり、施設からは「そうなれば退所が必至」と。

精密検査による処断が必要かどうかという判断というレベルになりましたが、私としては「そこまで調べ上げて対処するべき年齢だろうか・・・」。

医療の力で僅かな期間、存命することに果たして意義があるのか・・・という疑問。

昨日も叔母は「100まで生きる」とは言っていましたが体そのもの各部位の老朽化にも限界があるわけで・・・

私も「ガンガン長生きして国から取れるだけ取ってやれ」とはいうもののこちらの身体の方がもちませんね。

 

扨、私が叔母の胃カメラ撮影と診断立ち合いを奥方を残してパスした理由は突如たまたま見かけた堀りたてホヤホヤの残土石の様子とその行方について気がかりになって工事現場に立ち止まったからです。

大江地区のご門徒さんの転居にあたってのお内仏閉扉式でしたが、その行き帰りに目に入った工事の様。植栽の伐採と整地が主たる工事だったよう。

その現場こそ萩間川に沿った市道脇の家で私がかつて勝手に

古相良城や武田水軍の駿河湾活動拠点と推測している場所でした。

そちらを掘り返した土砂の中にかつて石垣石積みとして使用されたであろう「あのカタチ」が目に入ったのでした。

時代的にこの手の加工は江戸期あるいは室町期でも後期のものなのでしょうが、こちらは川淵でもあり石を積んで擁壁として利用するという発想はあったはず。

そもそも旧相良町内はこの手の石垣用石材が「掘れば出てくる」というのはずっと言われてきたことでそれは相良城廃却の際に市中に払い下げされたからですね。

 

石たちは出てきたらそのまま砕石処分場行という流れになることも最近ではお決まりのパターンです。

 

私がこの石たちを見かけたということは一つの縁であり、石たちが私に「たすけて~」と訴えているように感じました。

よって榛原病院に行く前にそのお宅に寄り道。

その時は「通りがかりの者ですが~」と怪しさを醸し出しながら第一声。にもかかわらず私の希望を快く受け入れていただきました。

「では必ず取りに来てください 回収を断っておく」と本日中の再訪を促されました。

やはり信頼性をあげるに一役買ってくれるのは名刺でした。

その時も例の名刺をお渡しして一旦別れました。

そういうわけで石との出会いの件を奥方に了解いただいてそのお宅へ再び向かったのでした。

全部で9個の石を軽トラに積み込みましたが、「お経だけでなくこんなこともするんだね~」と。

やはり拙寺についてググっていただいたようでした。

 

「来年には積み上げる予定ですから散歩がてらに見に来てくださいね」と別れました。

その方は神奈川県から縁あって奥さんとそちらに転居してきたとのこと。私が東急ハンズ町田店のオープンからいて、彫金コーナーのピンセット売場で100以上(1800ショーケースいっぱい)のそれをディスプレーしたとかつての自慢話をぶち上げるとその方は七宝焼きが趣味でその隣のコーナーによく通ったと。

私がまさに奇遇、「いらっしゃいませ~」と接触していたかも・・・などと思わず昔話に花が咲きました。

 

石と閉扉式が合わせてくれたこのご縁、面白いことがあるものです。

奥方にその件を話すと大晦日の除夕鐘にお誘いすればよかったのに・・・と。神奈川県から牧之原市に移住されたということ奥方にとってもそれは殆ど同じですからね。

 

①はそのお宅の石たち。

②それを積み込み軽トラを拙寺墓地横に付けてから各石ゴロリと仮置きです。

③は早朝の救急外来、あまりにも暇すぎてパシっと撮ったポスター。まぁそういうことです。

 

病院で縁者の救急処置を待つ・・・もうコレで最後にしたいとは思うものの・・・あまりにも長すぎるその時間、いろいろと考えさせられました。

人生というスパンで考えれば「短い」を感じてしまうこと多々あるのに・・・その感覚もまたイイ加減。

 

 

 

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2024年

11月

12日

拙寺報恩講寺楽市は16日 翌17日は産業祭 S宗の危惧

昨日午前も法要がありましたが、お内陣でのお勤めは「暑い」を感じるほど。

朝のうちは深夜の雨の残りがありましたが暫くして青空が広がって「夏」のイメージが復活していました。

まぁラクだからいいか・・・

 

残念な件を。

本堂北側、拙寺では「坪ノ内」と呼んでいる場所のカキの木。

正体不明生物が屋根裏に上がる足場となっていたため、かなり枝払いをし、柿の実の成りは減少していました。

しかし今年は5~6個の大きめに実ったそれがありましたので一応は楽しみにしていました。

数日前、法事が終わったあと、収穫にと裏へ廻ると・・・一つも残っていませんでした。

以前もそちらに入り込んだ人が勝手に柿の実を取り去る現場を本堂から目撃したことがありましたが、再びヤラれましたね。

それへの執着はあまりなく、どうでもイイとは思いましたが人家敷地に入ってまで「よくやるよ・・・」。

まぁお気軽の心境でそれをやらかす人はこの地にもフツーにいるということで、やはり闇バイトに召集される短絡などが居たとしても不思議ではありませんね。

まぁ若い者はカキなどに興味はないでしょうが・・・

 

先日、某葬儀社の方としばし時間を持ちました。

この業界についてのいろいろ、聞きだして私の反省点を見出そうという機会ですが、「ほお・・・」という具合に考えさせられるところがありました。

その方は遠州ではなく駿州エリアの浄土真宗系寺院が殆ど無い地域が主たる活動域ですが、その区域のS宗を統括している法人代表名で、ある協力要請の文書が届いたとのこと。

S宗といえば静岡県内では檀家さん総数も寺院数もトップというのは承知している所ですが、その方が言うにはあきらかに「危機感を醸し出している」現れと。

 

先日来拙寺の「墓じまい」ラッシュの件を記していますがそれは何も拙寺だけのことではなく各宗派の寺院もその傾向にあることがわかります。

特にS宗は全体総数が多いだけに拙寺の将来的危うさ以上の焦燥感があるのではないでしょうか。

推測するにそれはただの墓じまいだけでなく+宗旨替えが絡んでいるとのこと。葬儀という一大イベントの前に・・・

 

その文書の内容を要約すれば、「S宗派寺院を離檀される家が増加している」が「是非とも最寄りのS宗派寺院を紹介して欲しい」といったもののようでした。

それは今、葬儀式を機会に檀家としてあった寺を離れる施主が増えているとのことでその傾向を少しでも制御し、できれば別の寺院への変更があったとしてもS宗にキープしておきたいとの趣旨のようです。

 

その方が仰るには「ことにコロナ禍以降その傾向は強く、施主家族から『どちらかいいとこ紹介してください』」的相談を受けることが多くなったと。

仕事上多方面多様のおつきあいがあるために軽々に「そのような紹介はできない」と断っているそうですが・・・暗に「拙寺での受け入れ」の可否について触れられていました。

その方は最大で拙寺の「4倍以上の費用」を覚悟しなくてはならない場合もあるとのことで不満の噴出が少なからずあると・・・

 

私は、既に檀家制度の崩壊は始まっていると常々思っています。そしてもうこの流れは止まらないような。

みなさん宗教においても「自由」であることを大いに認識しそれがいよいよ社会に浸透してきたということでしょうね。

またそれに伴い、主導は個人の意志ではあるものの、「よくわからない世界」というのが実情でとにかく「そのときの」手短なプロ、葬儀社の担当に相談をするといったところなのでしょう。

 

そのS宗の危惧は他宗へ檀家さんが流出するところだけは避けたいという意図があるのでしょうが、私はそこに違う業界の仁義なき戦いを連想しました。

携帯電話会社の顧客の取り合いです。

ドコモ、AU、ソフトバンク・・・などなど、「乗り換えキャンペーン」「今なら〇〇キャッシュバック」等ありとあらゆる手を変え品を変えの戦略と応戦。これからそのようなえげつない殴り合いにも似た闘争が始まるのか・・・生き残りのために・・・

 

その方が言っていました。

S宗のその書面にはその本質の無理解が漂ってくると。

何もしないで手をこまねいているよりいいというくらいの書面なのでしょうが、その本質とは葬儀の僧侶への謝礼についての疑問というのは言うまでもないと。

そして本音として「安ければ取りあえずどこでもイイ」の感覚が広がっているのだそう。宗旨など二の次三の次・・・

ということは「顧客」としては同じ宗派の選択など論外だということでしょうね。

よってその文書は的を射ていないということ。

 

首都圏ではS宗であっても価格破壊が始まっているそうですが

やはりその手の突飛な運営を手掛けようとすれば周囲の同宗派関係者との軋轢は深まりますね。生きづらくなります。

そして、他宗もここをチャンスとばかりに携帯電話会社ばりに「乗り換え」を助長するようなことはなかなか言いだせませんからね。

 

また先般、都内某社から「墓じまいの要望が多いので御遺骨の受け入れができないか?」との問い合わせがありました。

私自身仕事を控えていたことと、面倒なお話の様でしたので一旦お断りして「またね~」と電話を切らせていただきましたが・・・

 

その際、先方はまず「宗旨替えしなくちゃダメですか?」と仰っていました。

どちらかでも受けておられるような遺骨を宅配便で受け入れるなどは論外ですが納骨法要で宗旨に沿った経典を同座拝読していただきますから真宗門徒として受け入れすることは可能だとは言っておきました。

 

他宗のことはわかりませんし当流もあたふたすることばかりですが、S宗の大多数安泰の雰囲気が今揺らいでいるということなのでしょうね。

仏教界全体、先が見えません。淘汰の嵐が吹き荒れつつあるような感。

 

さぁどう生き残るか・・・まず私のこと拙寺の事を考えることにしましょう。

それが元からいらっしゃる檀家さんたちへの報恩。

 

画像は16日の拙寺報恩講寺楽市の案内。15日夕が逮夜。

そして17日が産業祭の出店。

この1週間もやたらと忙しい。

こちらは本山の報恩講

 

①は昨日の「坪ノ内」の外観。

あの木戸がネックですね。何か対応策を練らねばなりません。

以前庫裏を闊歩した賊もおそらくこちらからの侵入でした。

 

 

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2024年

11月

11日

石山寺本堂 本尊如意輪観音前立と紫式部の間

今朝の本堂は暖かめでしたが一応石油温風器のスイッチはON。まだ1基だけ小型のストーブの導入ですが念のためということで。ご年配の方の参列もあることですし。

私は特に寒さは感じませんでした。

最近は日に何度もテラス2階の植木たちの様子(特に室温)を見に行きますが昼間は20℃以上をキープしていました。

夜間も10℃を割るような予想は出ていませんのでここ少しの間はノーケアでいいかと。

 

夜間は日曜美術館(再)正倉院展について。

訪れたい場所ではありますが、この時期はまったく身動きが付きませんからね。

奈良博の館長さんが「展示物は一旦展示されるとまず10年は出て来ない」とのことでしたが、そうなれば真っ当に正倉院御物をこの目で網羅して「わかった」と言えるのは少なくとも「10年連続での拝観」が必要になるということか。

それでも100%とは言えないでしょうが次々と忘れ去ることの多い私としては記憶の片隅に置くことさえもおぼつきません。

時間ができたらその10年連続にチャレンジ開始したいとは思いますが・・・チラっと館内の様を映像で見ましたが「人多し」。

展示会の暗さと紹介文字の見づらさ(これは私の年齢的問題)もあります。

特に人混みの中に身を投じること、やはりそれはネック、閉口させられます。

何より「10年欠かさず」ということも必須になりますが、その間をまずは私自身が生き続けることが肝要になりますね。

奥方に「そりゃ、死んでまう」。

 

扨、先日は石山寺本堂をさらっと記しました。

またこちらに鎮座する33年に一度開扉されて姿を現す本尊如意輪観音像についてもどちらかブログで記していました。

やはり現状、次の開扉まで20年以上のインターバルがあり、その際も「死んでまう・・・」と爆笑していました。

 

秘匿、秘仏化し、珍重度をアップさせようとの目論見みがあるのか・・・などと下賤なる私は卑しい考えに落ち着いてしまうわけですが、それはやはりまた庶民レベルの発想にそぐわないかと思われますし、その33年という時間はあまりにも人命の与えられた時間というものを無視していようにも。

拙寺の阿弥陀さんは365日、3代目釋祐傳―成瀬伝助時代から400年の間、人々の前に姿を現し続けていますからね。

まぁそちらの観音さんのオープンスタートとは相当なる時代差があります。

まぁ比較することが無意味ですがね。

 

本尊の丈六如意輪観音像(平安後期の作)は大きな厨子(左右3間、奥行き2間)のなかに両脇侍とともに納まっているとのこと。

「丈六」とは仏像のサイズを一般的にそのような語で記しますが大まかに、だいたい5m程度、ひょっとしてそれ以上の仏もそのように表現されることが。

要は半端ナシに大きいということ。

あの南円堂の不空羂索観音も3m超えでしたが、さらに巨大な如意輪観音がお出ましされるということですね。

 

そういう場合は往々にして前立て本尊と呼ばれるコピー(失礼!!)

―こちらは江戸期の作―があるものですが、それが画像②。

いずれにせよ本堂に入りそちらの厨子周りを拝観するには別料金が必要かつ写真撮影は禁止。

前立ち仏の画像もまた最後のホンモノの図も転載になります。

 

確りと複製されているところがわかりますね。

33年に一度の開扉の際も堂内は薄暗く、他の仏たち(胎内仏等)含めてうまく見ることは難しいでしょうね。

 

また今回の石山寺本堂の第一のウリは何と言っても「紫式部の間」でしょうか。

皆さん中にいらっしゃるキレイなお人形さんにカメラを向けてパチパチ。そちらは撮影可です。

 

私は奥方と前立ち限定でしかお逢いできなかった如意輪観音のイメージを思いながらしぶしぶとあの文句(「死んでまう」)を吐きながらそちらを後にしたのでした。

 

⑥図は最も古い(室町時代との推測)「紫式部図」。

相当の痛みがあって判読も難しいとのことですが賛の最初に「源氏水想観之図」とありそれは彼女が湖面を眺めながら物語の発想を得たのだとのこと。

またこちらでは紫式部は観音の化身とも言われていたと。

 

⑦は石灯籠のバック、本堂へ上がる階段と蓮如堂

 

 

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2024年

11月

10日

気候変動もここまでとは スズメバチ意気軒高

朝の本堂の気温は14℃だったと。

1週間前に扇風機を本堂から引き上げたばかりでしたが朝本堂を見廻すと奥方が石油温風器を1台設置しその前で一休みの様。

それほどか・・・と呆気に取られていましたが午前も午後の法事の参加者はそのストーブの周辺に固まっていました。

午前の法事が終わって庫裏に戻ると、電気ストーブが出されていていよいよの冬の到来を感じた次第。

夕刻に奥方の付き合いで浜岡方面に行きましたが私は半袖OKでした。

 

先日はチェーンソーを持ち出して枝払いをしたことを記しましたがそれを片づけた後、奥方から「あの垂れ下がった枝木を何とかしろ」との指示。

地植えのブーゲンの徒長枝が垂れ下がっていました。

報恩講前には何とかするつもりでしたが、それじゃあ・・・ということで脚立を出して紐を掛けて裏側から引っ張り上げる作戦を実行。

 

奥方が足を引きづっての作業は先般届いた本願寺系の書店「法蔵館」が発行する来年のカレンダーの箱(強烈に重たい)に蹴躓いて転んだからですが、口では色々指示が飛んできます。

私がその裏側墓地に投げた紐を引いていると通路側に居た奥方は「ギャー」といった奇声をあげて脱兎のごとく門の外まで走って行きました。それまで足を引きづっていたのにも関わらず。

その奇声第一声のあとに走りながら連呼したのが「ハチハチハチ~」でした。

 

私には心当たりがありました。

脚立に上がった際に一匹のスズメバチが私の顔の前を往復していたからですが、私は「元気そうだなぁ」などと声掛けしていたからです。

その時はまさかこちらに巣があるなどとは思いもしませんでしたからね。

 

スズメバチの一斉攻撃は「攻撃された(と思った)時」ですから私の枝先での遭遇は無視のレベルだったよう。

ところが枝を紐を引かれてその根元付近の巣にいるスズメバチは巣が襲われたとばかりに一斉に飛び出して最寄りにいて加害者たる者と認識した奥方に向かったようです。

 

まだ本当の怒りのピークには達していなかったようで門から外の道路まで逃げた奥方までは追ってきませんでしたので被害はありませんでした。

私がいる墓地側は巣からはウラにあたりますのでその緊急事態にはどこ吹く風の躰でしたが。

 

それにしても11月に入って彼らが元気に活動しているとは・・・

植木屋泣かせというか、真夏の酷暑を避けてこれからの植栽剪定に力が入る頃に彼らの存在はとても厄介ですね。

チェーンソーで作業した場所とは5mほど離れていましたが、私はその木々の中に潜り込んでの仕事でしたからね。

まったくもって幸運でした。

 

沖縄ではこの時節前例のない大雨によって被害が広がっていましたが、毎度毎度色々と異常な天気の報が伝わります。

地球は絶対におかしくなっている。

 

奥方がこの巣を放置していて大丈夫かよ・・・と私に投げかけてきましたが、いくら何でもこれからの冷え込みに彼らは消え去る運命でしょう。巣はじきに空になる・・・と説得しました。

それにしても盛夏の頃に何も人的被害が無かったのは良かった。

 

蜂は放置しておくのが一番。

世に刺されるなどの人があるのは間違って巣を叩いたり踏んづけるなどして結果彼らが「敵」と認識してしまった時。

駆除などの積極対応は勿論、基本手出し無用です。

大金をかけて蜂の駆除を依頼することなどは意味ないのでは。

蜂の子狙いならまだしも。

本堂含め、庫裏には毎度スズメバチがやってきて巣を作っています。自然の事は放っておくしか。

 

 

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2024年

11月

09日

息子と別々出仕 石山寺硅灰石 本堂も懸造

一旦浜松に帰った息子は再び前夜相良にて一泊。

そして昨日は親子ともに別々の葬儀に出仕しました。

彼がお世話になっている某所からの依頼が同時に2件入ったからです。

異例中の異例というか偶然のこと。

そちらからの依頼は無い時は1カ月以上まるまる無いようで彼は仕分けのバイトに出向いていたくらいですから・・・

二人そろって5時起き、彼が6時30分、私がその15分遅れの出立。

何とかこなして行かないとどちら様にも、寺にも大恥をかかせることになりますから、特に遠方の出仕には緊張感が伴います。

何せ初めての会場というのが常で、案の定私は会場前を何度も通り過ぎてしまってあたふたする始末。

 

新しく出来た会場とのことで私の車載ナビには登録がなく「パッドのヤフーナビをもってくれば」と現場付近で地団太。

事前にグーグールマップでも場所だけは確認していましたが無意味。20分ほど到着予定時間をオーバーし開式予定の15分前という失態。

 

奥方に逐一状況を説明し、自宅からのナビゲーションを依頼していましたので息子にもその醜態はモロばれで叱られました。

近くのコンビニに車を停車、降りて足で走って探しましたので現場に当たった時は待ち構える担当者の前で「ハーハーぜいぜい」。「車を取ってきます~」

何のことはない、通り沿い、そのコンビニの隣が会場でした。

嘘のよう、まったく気が付きませんでしたね・・・人はそれを阿呆と呼ぶでしょう。

 

何故焦るか・・・それを分析すれば・・・

「新しい建屋」「ナビに載っていない」の情報が頭に摺りこまれている中

①もしかして知らされた住所情報に誤りがあるのでは・・・の心。

となればまったく違う場所を探しているのではないか・・・の疑念

そして「遅刻してしまう・・・」の焦燥

②住所情報に入れたこのナビはまともに示しているのか・・・

③間違ってナビ入力をしてしまったのでは・・・

すべて「疑心暗鬼」と見落とし、勘違いが原因ですね。

はじめての場所に向かう時、もう30分早めに到着を心がける・・・肝に銘じるべき。

 

不安が解消してハイテンションの坊主が「どーもどーもどーも~」の軽々しい躰で飛び込んできて、「さぁ開式」となってもねぇ。ご遺族にも斎場担当者にも申し訳がつきません。

ご主人を亡くされた奥様(施主)のご挨拶での第一声は「髪の毛があるんですねぇ」。

「そこか・・・」と思いつつ、伺えばご主人の出身が尾張のご門徒の家から出た方で、ご家族の住まう地域では殆ど関りが無かったよう。

故人は洋画好きと伺っていましたのでその手の話になれば・・・と期待していましたが・・・棺の中には故人の愛好品の数々(模型等)のほかWOWOWの冊子が。なるほど。

 

まぁその質問が出る時はまた、「ホントにこいつは坊さんでイイのか?」の重大疑義の存在が無いとはいえません(否 絶対にあります)。

こういう時にはと小山紙店で作って頂いた「まともな名刺」を出して信用確立を促します。

「まとも」とは以前の私のそれ、パソコンで作った和紙製のものではないぶ厚い名刺だということ。

そして真宗の大抵の坊さんというものについて「髪有り〼」を力説するばかり。

また、こういう初対面の会場には進行責任者との打ち合わせがありますがまず「最後に御法話はありますか?」と聞かれます。

しかしまた「法話ナシもアリなのかよ・・・」とも思いますがね。

 

真宗で最後の導師の挨拶(いわゆる法話)がナイというのは聞いたことがありませんが(お隣の真宗のお寺さんからは「1時間話せ!!~ムリです・・・」とも聞かされたことが・・・) 、もし、そちらで私が「法話はナシです」など言ったとしたらその疑念は相当深まったのかも知れませんね。

 

その名刺の存在は大きいですよ。

与えられた少ない時間で「私」を表現してくれるのですから。

また皆さんは100%所在をググりますからね。

 

最近ではお話の際にちょいと一般的には難解な仏教用語などを示したりすると手元のスマホをいじくる姿を見ることが多くなりました。

デタラメを吹聴したらスグ、バレる・・・。

 

扨、石山寺本堂は蓮如堂のスグ上。

やはり懸造です。

天然記念物に指定されている珪灰石の岩の上にあるから石山寺というようですが、堂内は撮影禁止。

 

 

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2024年

11月

08日

石山寺蓮如堂といえば吉崎岩崎観音を思いだす

朝はそれなりの秋の朝の空気でしたが、空は晴れ渡って気温はぐんぐん上昇。

朝のうちに着ていたトレーナーは脱ぎ捨て以降ずっと半袖ですごせました。トーキョーは木枯らしが吹いたとのことでしたがまさにどこ吹く風の躰。

 

午後からは、たまりにたまった花ガラ(4袋)を地頭方処理場に向かいました。

そのついでにということで、数日前の足場設置の際に門前の木が伐採されていましたがその山積みを軽トラに積み込みました。するとスグ、奥方からマキの木の枝払いのあれもこれもを指示を受けました。

チェーンソーを久々振り回したのでしたが、先日手入れをしたばかりとあってスパスパ。気持ちよく仕事が進みました。

 

しかし、Myチェーンソーが瞬時にエンジン始動するというのは非常に満足です。そして想像。

就寝時物音がしたら、むんずとばかりコレを握りしめ一発始動。闇雲にぶん回してやれば闇バイトレベルの小僧ならば一目散で逃げ去るでしょうね。

何しろあの張り裂けるが如く大音量は威圧感があります。

おまわりさんには「たまたま居間に置いてあったので・・・」。

そういう家もある・・・こういうご時節がら、枕を高くして寝れませんのでこれも一考。

 

扨、昨日は石山寺蓮如堂を記しましたが、私は風光明媚な吉崎御坊を思い出します。

御坊にはやはりお東とお西の建屋が隣接していますがお西の方の下の崖に岩崎観音なる石仏がありました。

ご門徒の多い地で、阿弥陀仏一仏とはいいますが、観音信仰も根強く並列してあったのでしょう。

やはり縁日は18日でした。

 

しかし石山寺の如意輪観音は今や「33年に一度」の如くその開扉について言われていますが当時はちょいと行ってちょいとその顔を写してくるなどができたのでしょうね。

 

 

 

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2024年

11月

07日

懸造の重文蓮如堂 石山寺 

アメリカ第一と他を罵倒する大統領殿の復活、私の勝手な予想は大外しでした。

米国人がそれを選んだということで文句など言えませんが、今後世界中がそれでギクシャクすると思うとこれから4年間は忍辱の時間。

それにしても移民としての先取特権を得た者たちがさらなる移民を排除する構図、それこそが人間、それを思います。

まぁ、その4年、私は勿論、大統領殿の命が続くものですかね。

私は最近よく聞く「人生100年時代」について「真っ赤なウソ」と心得ていますので。

私であっても健康維持というものにに自信が失せているのに。

そしてやはり女性大統領はまだ早いというのがその流れにあるのでしょうね。結構にアメリカ民意は保守的でした。

 

息子は早くからトランプ勝利を予測していたよう。

ビットコインでの貯蓄をしているとのことで、その結果を受けての高値にニヤニヤしていました。

私はその件チンプンカンプン、この世の流れにはもはやついていけません。

 

昨日は久し振りに息子と二人で葬儀式に出仕。

前夜の通夜での正信偈について、それぞれの音程の違いが著しく、参列者からすれば「相当聞き苦しい」だろうとの息子からの指摘。

私の高音と息子の低音、そして音響を重視して設計したであろうホールでのその響きの違いは相当の違和感があることは私も承知していましたが・・・。

 

そこで昨日は前夜の反省から朝からずっと彼の低音を主体にした読経を試みました。私が沈黙していればそれでいいのですがそういうワケにもいかず、できるだけ低音を心がけました。

御文の拝読と最後の締めのご挨拶は私が行いましたが、慣れない抑えた低音発声に音程を外しまた、声がすれが発生。

まぁ彼が機嫌よく出仕してくれるならそれでOK。

彼も御門徒さんから、お褒めの言葉を戴いていました。

彼の成長の件もありますが誠に有難いことです。

私が老いぼれてへこたれて倒れたとしても・・・彼がいる。

そしてそれを御門徒さんが喜んでくれる・・・

 

画像は昨日記した「大坂」(階段)周辺の堂に上がり切ったところにある「蓮如堂」。

近江といえば蓮如さんの活動域でしたから、当然に何かの痕跡があるはずですが、御堂にまでその名が付けられて・・・真宗門徒にとっては嬉しいところです。

崖にせり出す御堂。

いわゆる懸造という建築様式になりますね。

 

それにしても京都奈良近江には懸造の堂が多く見られますが、それらが崩れたなどあまり聞きません。

地震が少ないということ?それとも耐震建築であるということ?

一見していかにも脆そうに感じますが。

 

 

 

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2024年

11月

06日

石山寺「大坂」を登りきると・・ 朗澄律師大徳遊鬼境

先日の法要前のこと。

庫裏男子トイレ前に掲げる名号の軸が少し傾いていたため、修正を試みると、フックから外れ落ちました。

掛軸が頭の上に落ちてくること自体が「ムッと」する出来事。

尚、時間が迫って「イラっ」としつつ掛軸掛け用の竹竿を取りに行きましたがそれが梁の金物に付ける仕様でしたので壁フックには口が深すぎて掛けることはできませんでした。

 

それでは脚立をとそれを取りに行きかけた時、法要参加の年配者が登場。

「トイレを」ということでしたので「(女性用は)こちらです」と手でサラッと案内してその場を離れました。

脚立を持って戻ると男子トイレ前の床にあった軸が乱れていて「なんだこりゃあ」と思っているとその方は男子トイレに入っていることがわかりました。もしかするとその軸を踏みつけて入ったのかも・・・男子トイレに入るならどかして置いたものを・・・

 

しっかりした案内をしなかったことを悔やみましたが、気を取り直してそれを掛け直し、脚立を片づけてからトイレ前に戻ると、奥から「今の方は土足で出てきたよ」。

朝からショック3倍のダメージ。

庫裏の中は土足はダメ・・・と記さなくてはイケなかったのだ・・・と早速奥方は外側の扉にその旨記していました。

外トイレの完成が待ち遠しい。

 

扨、石山寺の大河ドラマ館の入口で忙しくしている担当者を一瞥して前方右の「大坂」と呼ばれる階段を進みました。

ご一緒したご門徒さんから「コレがきついんだ・・・」と膝の痛みについて。

山寺につきものの階段、堪忍ください。

どこもかしこも階段―大坂―だらけ。

 

それを登りきると、何かのイベントの撮影があって賑わっていました。

やはり大河ドラマのスポットとなれば各イベントが催されて賑やかになるのでしょうね。

 

④⑤は朗澄律師大徳遊鬼境なる池のある庭。

これは東大門の外側の道路沿いにあります。

鬼となって守護する・・・勇ましいことですが柔和にあってもその目的は達せられる・・・などと思ったものです。

まぁ人それぞれ「道」というものがありますからね。

 

夕刻は拙寺にとって数少なくなった「有徳なる人」の通夜式へお参り。当然の事ですが、長きに渡って法務にあたれば、この寂しきことの数多は避けられません。

生きていれば生きているほどに。

 

 

 

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2024年

11月

05日

空しい修行 芭蕉句碑に石山貝塚 石山寺観光バスP

闇バイトの勧誘の口上が報道されていました。

「ホワイト案件でノーリスク」との大風呂敷、そんなわけあるわけがない。大嘘もいいところでその出鱈目いろいろにのる方ものる方ですね。

「 (より多くの~For a Few Dollars More~)カネが稼ぎたいなら・・・」と「空き巣」に誘導する作戦ですね。

そこで出てくる語が「独り暮らしのババァ」(しかいないので)との楽勝ムードを漂わせる台詞でした。

実際は屈強の男が出てきて日本刀を振り回されたり、大騒ぎされての退散など耳にすること。

 

どうでもいいからどちらでもテキトーに襲わせてうまく大金がゲットできたら大成功。失敗したとしてもリスクの殆どは実行犯のみが捕まるだけですから本当に安全でラクなのはそれを企図セッティングした者のみですね。

勧誘にのって、のせられした雑魚どもが捕まったとしても、再びまた集めれば「イイじゃん」といった感覚でしょう。

よって「本尊」を捕獲しないとこの流行は終わらないのかも。

 

しかし政治家の「真摯に」を信じないのは最近の雰囲気ですが、悪党どものホワイトだとかノーリスクの御説に「ハイそうですか」とばかりに信じ込むなんて・・・どうかしているというか「道化」している・・・。

 

先般、12000円余を奪ったという実行犯が逮捕されていました。

強盗傷害罪で起訴されるのでしょうがその前にタイホされていた強盗殺人罪の無期懲役よりはまぁマシ。

しかしながらその果実として得た物が15年の懲役(18年かも)というのでは如何にも空しい。

 

昨日記した石山寺本尊ご開扉の33年には至りませんが、15年~振りの娑婆世界など殆ど仏の世界ですよ。

長期に渡る「修行」の時間があるのでしょうが時間の無駄使いなのかも。無意味な時間。

 

ポイントは「空き巣」程度で入ったつもりがそこに住人がいたら話は飛躍的に変わってきます。縛りあげた口を封じたとしましょう。

抵抗されたらぶん殴るでしょうし、力任せに縛れば打ち身擦り傷は当たり前。

よってまずはただの空き巣では済みません。

人がいれば窃盗ではなくて強盗に瞬時に変わります。

かすり傷を負わせれば強盗傷害、何かの拍子で命を奪えば強盗殺人。とんとん拍子で罪は重くなる・・・バカはやめることですね。長期間自由を奪われるというペナルティ、代償もデカイ。生きて出られないことも多し。監獄で死ぬ・・・どうよ。

 

扨、画像は石山寺の東大門の外の様。

観光バスの駐車場降りての図です。

芭蕉の句碑に貝塚の標そしてありがちな三鈷の松が。

芭蕉はこの辺りへは何度か訪れていますね。

 

 

 

 

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2024年

11月

04日

石山秋月の地は大河ドラマフィーバー 石山寺

晴れの予報でしたが、なぜか9時前の小雨には驚きました。

まぁ、大したことなくその後は晴れ間ものぞきましたのでOK

OK。

子供たちの多い法要でした。

終盤暴走ギミになりつつありましたので例によって棒切れを取り出して「コレはお尻を叩くもの・・・ではない」などといいながら年長の男の子にそれを渡すと、何故か私かそれで叩かれそうになったような・・・

慌てて「あの太鼓を打ってね~」。

子供たちは我も我もと交代でハチャメチャにそれを打っていました。

 

相良城二の丸にあった太鼓櫓の刻(時)太鼓と言われていますので気の利いた自治体であれば文化財の指定があってもいいような代物かも。

それを子供たちに「どうぞ~」という具合に自由に打たせること、人によっては違和感があるかもしれませんが、そもそも太鼓は打ってナンボのもの。

皮はとっくに張替えの限度を過ぎているでしょうから、破れたとしたら張替えればイイだけ。

実はその機会に内側に記された出自文言記述を見てみたい・・・という魂胆も。側の木の部分に穴をあけてファイバースコープを入れれば・・・といった意見もありますが、それまでして中を覗きたくもなく。

子供たちには年末は「もっと大きい鐘がつけるよ~」というとお母さんたちも含めて「衝きに来たい~」と。

 

扨、石山寺の山門をくぐります。

それほどの長さを感じませんが平たんな参道が続きます。

その途中に現在NHKで放映中の大河ドラマ館に各拝観のためのチケット売り場が待ち受けています。

シンプルといえ難い、そして瞬時にどれをと思いつかないその「セット」とかいう内容各々を見てまずは唖然。

後ろから次々と観光客が並んできますので、その選択にはかなり慌てさせられました。

 

ここぞとばかりに・・・といったところでしょうが当地相良の場合(次回大河ドラマ「べらぼう」)は予算的都合で「大河ドラマ館」級の施設ではなく入館無料の大河ドラマ紹介コーナーを併設した売店。

相良史料館の使用ですが、いよいよ1階と2階のトイレの改修工事が始まるようです。

 

こちらでの私はドラマ館はパスしましたが入館された方たちの意見は「・・・」でした。

こちらは近江八景のうち「石山秋月」で名高い場所。

それを実際に見ることは本尊如意輪観音の御開帳(33年に一度 次は20数年後)同様ご対面することはないでしょうね。

 

まぁ石山寺ホームページにしろ大津市歴史博物館など歌川広重の石山秋月など見ることができます。

 

 

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2024年

11月

03日

岡部氏と朝比奈氏 藤枝郷土博物館 バックに寺名

午前の法要終了後「さぁお墓参りに」と私が軽やかに発すると「墓地迄の道はぬかるんでドロドロだけどいいんですか」と

施主ご家族からの問いあわせ。

小雨ながら傘も必要でしたからね。

鬼女原の墓地は駐車場から農道を突っ切る茶畑の中ですが勿論私は「問題なし」と。

とはいっても年配者も多い中それは皆さんでご判断を・・・と付け加えました。本堂での追加読経によって墓参の代わりにしようというものです。

 

すると雨の勢いは少しばかり衰えたようで皆さんより「GO」のサインが出ました。

午後からも同じ鬼女のお宅でお取り越がありましたが午後は雨はやんでいました。

それから夕刻になって雨量は強め。

風も吹きまくって遠州から伊豆にかけて大雨と竜巻注意報が出たほどでした。

被害状況に関してはまだわかりませんが、台風21号崩れの低気圧の通過、当地に限ってはそれほど大したことが無かったと軽口を叩かせていただきます。

驚いたのは庫裏の室温は25℃程度でしたが外気はおそらく27~8℃はあったでしょうね。さすが台風崩れ、熱帯の暖気をもたらしました。雨がやんだあとは室内も暖気が入ってきたため扇風機をオン。11月に扇風機、記憶にありません。

ここ数日は好天の予報が出ていますが、ようやく秋晴れが続くような・・・

 

昨日は静波体育館の文化祭で、史跡調査会の「意次せんべい」とお酒「田沼意次」を並べていましたが、せんべいの販売は14個、お酒はゼロだったそう。

この文化祭について私はまったくイメージがわきませんが、昨日記したちらしによれば、意次関係のショップの展開には無理があったのかも知れませんね。

他に物品コーナーが設けられていなかったことと、出店場所の立地もあまりヨシとはいえない場所だったかも。

 

私はそれでもせんべいの14個の販売は「善戦」と思いましたね。

店に出たご担当が、榛原地区の人たちは・・・来年の大河ドラマ「べらぼう」について知っている人は「殆どいなかった」と。

まぁ放送が始まってからでしょうね。

そういうところからして掛川あたりから来訪者が多く来られるというところと比べて当地域の歴史への理解度が低めなのかも。外部の方ほど「いいね」と言ってくれるているのに・・・

 

画像①②は藤枝郷土博物館の特別企画「岡部氏と朝比奈氏」。

現状のんびり博物館参りはできませんが、12月までには顔を出したいと思っています。

 

③④は先般ご紹介した拙寺オリジナルエコバック。

当初は息子から「ゴチャゴチャ記しすぎ」の指摘を受けていたことと、宗旨的な文言に拙寺の名を入れることなど図々しい・・・などと考えていましたが、最終サンプルが出ていざ「大量印刷に入ります」の段になってから奥方から「ちょっと待て」のストップがかかりました。

 

以前小山氏からご指摘があった通りで、何か記さなければ「拙寺のお土産にならない」ということでした。

ということで小さく小さく文字が潰れない程度の大きさで「道」の上に「daitakuji」と入れさせていただきました。

 

16日の報恩講と17日の産業祭で販売することになりそう。

まだ完成品は届いていませんが。

 

 

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2024年

11月

02日

文化祭と産業フェア2024 GasOneアリーナ牧之原

午後からの雨予想のため早めに境内に出て動きだしました。

テラス1階の作業場で電気配線の工作をしていると急な法務関係の連絡があって一瞬間右往左往しつつも何とか対応させていただきました。

 

その後も先日承った墓じまいに伴う、お内仏閉扉に墓前法要の日取り等々その流れについての詰めのための来訪がありました。

この日は11/2~4日に催される文化祭へ史跡調査会が製作した「意次せんべい」の出店がありますのでその準備のため備品等を納めに静波の市の体育館に向かうことになっていました。

 

その予定が15時過ぎでしたが、雨に降られると備品の販促用の旗が濡れてしまうため、時間を一気に早めて午前中に。

現着してみると旗竿が長すぎて入口周辺(そちらで販売するとのこと)の低い天井ではムリと判明、急きょ鋸をお借りして対策するなどちょっとしたトラブルが発生しましたが、難なく改善。

 

当日は私以外の会員さんがそちらの販売員のお役目となりますが、それはここ連日に私が法務のために自由にならないからです。

そして午後2時からは「GasOneアリーナ牧之原」の会議室で催される「まきのはら産業フェア2024」の出店者説明会に。

その開催日は11月17日(日)9時~15時ですが、史跡調査会の出店があります。勿論、私がそのイベントに関わることは初めてのことです。

今回は以前よりそのイベントへの参加を意識していましたのでその日には法務は入れていません。

またその新たにできた「GasOneアリーナ牧之原」の内部に入る

こともお初の事。

このイベントはこれまで相良庁舎周辺の駐車場等で展開されていたそうで今年から開催場所の移転がなされそれが第一回目とのことでした。

昨年は60件程度の出店だったそうですが今年は100件弱。

相当拡大しているよう。

 

箱はデカくてキレイで驚かされましたが「きっと維持費も法外だろうな・・・」というのが第一印象でした。

おっちょこちょいの私は土足で入ってしまい、ご指摘を受ける始末。注意力散漫は齢のせいではありませんね。

 

今私が検討していることは「意次せんべい」だけでは寂しすぎるということ。

このほど寺で作ったエコバックや無量寿茶、これまでご門徒さんに配布した手ぬぐい等を並べてみようかと・・・

一応その件、事務局に確認すれば「何を販売しようが自由」(各責任をもって)とのこと。

それなら婦人部の皆さんにも声をかけようかと思いついた次第です。

 

食べ物屋さんも多く入りますが、ちなみに私の入るブースのお隣さんたち3件づつを羅列すると真面目一本やり。

 

83 牧之原市社会福祉協議会

84 リサイクル本販売まきのはらし図書館友の会

85 ようこそ!新しい学校へ 牧之原市教育委員会

86 意次せんべい

87 牧之原市大河ドラマ「べらぼう」活用推進協議会

88 和紅茶、茶染め、シーグラス、相良高校I-Bizビジネス部

89 榛原高校

 

奥方のその感想は・・・「暴走坊主を監視するため」だそう。

バリエーション豊かでお楽しみ満載の予感がします。

 

アピールが肝心、よって衣を来て行こうか・・・コレは「奥の墓道」氏に言わせれば「コスプレ野郎」。

 

①は文化祭の案内 ②~はGasOneアリーナ牧之原。

 

 

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2024年

11月

01日

気が咎めるが野盗・盗賊には無慈悲に 石山寺東大門

少々の晴れの時間はありましたが、雲が多くスカッとしませんね。

鉢植替えの作業とテラス2階への植木の受け入れ準備を。

ハイビスカスの小鉢が増えましたのでそれらの越冬の準備もあります。

これは成り行きで挿木を増やしたため。

いくらでも増やすことは可能ですが、彼らを生かそうとすればつまるところ自分自身の首を絞めることになります。

 

台風21号崩れの低気圧が西から列島を東進するようですが、彼ら熱帯性植物たちには冷たい雨の試練が。

今回はその台風は台湾に向かいましたがそれは運不運。

あの手の強烈台風が私ども東海地区に襲来するとなれば、ここ数日ののんびりは無かったでしょうね。海からは波濤の不気味が聞こえていました。

 

相も変わらず闇バイトの召集に応じてバカバカしいほどの犯罪にGOする若者たちの存在、自業自得とはいえ気の毒のような気もします。京都の大学生が出頭、逮捕されていましたね。

ただし「独り暮らしの年配者」というソフトターゲットに狙いをつけるという卑怯道にはやはり同情の余地なし。

 

先般、カッターナイフをちらつかせて強盗に入った若者に、自宅に居た方が日本刀を抜いて対抗した方の話を耳にしましたが、天晴れですね。

あの長刀を目前にスパッと抜かれて突き付けられれば大抵の「大口叩きの輩」は「ハイごめんなさい」となるのは必定。

家人がその姿勢を以って「大人しくしろ!!」などドスの効いた音声を吐けば大抵の者は硬直して戦意喪失するのは当たり前ですね。その際も鎮圧に成功したといいます。

 

私の思うところ。

一昔前は、自宅に居る者が突然強盗に強襲されたとして、刃物を持ち出して強盗に傷を負わせ、また死に至らしめたとしたら「過剰防衛」にて御咎めを受けることに。

面倒に巻き込まれた挙句にですからね。

しかし今はどうでしょう、闇バイト強盗と言えば殺人に至るケースも普通になりました。

 

いよいよ末世としか言いようがありませんが、腕に覚えのある方血の気の多い方もいるでしょう、ここは一つ対抗手段のあれこれについて検討すべきですね。

もし強盗犯を傷つけてしまったとしたら・・・「殺されると思って咄嗟にそれを振り回していた」「家族を思いつつ抵抗せざるを得なかった」「必死で我を忘れていた」を理由にすればいいのです。

 

凶器について台所以外の場合「何故に」と問われるでしょうからその時は「先日果物をここで切って片づけるのを忘れていた」など適当な事でゴマ化しましょう。

日本刀の場合は寝床に飾っていたとしても不思議はありません。刃物・バール・バットの類は「片づけるのを忘れていた」「たまたまそこにあったそれを振り回したのは恐怖のどん底に陥って殺されると思った」・・・それしかないでしょう。

 

それらは通常の思考でしたら誰でも考えつくところですが、それでもこれから強盗に入るの?  

そして強盗殺人罪で逮捕された者たちは先日も記しましたが最低でも無期懲役というところ。

 

最近の場合、特に模範囚でもなかなか仮釈放のハードルは高くなっています。要は寿命が尽きるまで転々と刑務所を渡り歩く人生。

むしろ強盗未遂で反撃されて痛い目にあうことの方が断然お得です。相手にケガを負わさずそれだけで済めば7年程度で出所できますから。

 

しかし、遮二無二それら凶器でぶん殴られ、斬られたとすれば死ぬかもね。

過剰防衛として強盗犯の弁護士に攻め立てられましょうが今の時代は情状酌量で罪となっても収監にまでは至らないかも。

やっちまったらゴメンね。

 

私がそれをやらかせば一応本山は僧籍をはく奪するでしょうがそれは息子に譲る機会が来たと受け入れます。 

強盗犯には徹底抗戦。寺を専門に襲う輩もあるそうで。

まぁ相手次第で話は聞きますがね。

 

「自警」「夜景」が必要な世なのか・・・

私は現状の闇バイトの醜悪どものお気楽おバカ振りに鉄槌を下して目を覚まさせてやりたいと仁王の風の心持ちで願っています。坊さん失格です。

 

扨、昨日も記しました石山寺東大門。

淀殿の力で再建されたと・・・

 

 

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2024年

10月

31日

石山寺の18日は市が立つ 観音さんの日 

午前の雨はやんで、少しばかり庭仕事をと表に出ていると例の叔父の教務所への提出書面が届きました。

私の署名捺印をし、組長さんの署名捺印を依頼するために掛川まで急きょ走りました。

 

しかし「これで岡崎教務所まで・・・」という風にはなりませんでした。

貴重な晴れの予想がありますが「そこで」と奥方に伺いをたてるも「ちょっと待て!!」。

高速代+ガス代使うのもアレだが「お前の事だからついでに寄る場所を決めているだろう・・・」とのご指摘を受けてしまいました。まったく図星。

 

その奥方の主張は岡崎まで行くなどもってのほか、書類を送って指示通りに入金すればOKなのでは・・・というところでした。

その件、電話で問い合わせたところ問題なしでした。

見破られていた岡崎行脚。

帰りに法蔵寺あたりに寄って正義の五輪塔に挨拶しようと思っていましたが・・・。

まぁこちらに行ったら行ったで奥方の文句は尽きませんが。

 

扨、先日の拙寺バス遠足は10/17・18でしたが、オオタニサンの背番号17と大谷祖廟と大谷大学博物館に向かいますので「オオタニの日」などと車内吹聴していました。

しかしその10月17日の年一回の南円堂不空羂索観音、18日の石山寺の本尊如意輪観音・三井寺の観音堂その他観音づくしということで「観音の日」でもありました。

六角堂本尊も如意輪観音でしたね(昨日)。

 

石山寺では18日は毎月その観音の日ということで市が立つことになっています。

石山寺東大門周辺にはそもそも既存の土産屋さんがありますが、それらに混ざって簡易店舗が並びます。

私どもは石山寺門前の店で昼食をとったばかりでしたので特に何も口にすることはありませんでしたが。

 

昼食は旅行会社にまかせていたため、その流れになったのでしたが、むしろ駐車場で解散してそれぞれが好きな物を選択した方が良かったと反省しきり。

 

 

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2024年

10月

30日

叔父たちに本堂床材について伺う 六角堂の親鸞堂 

一日中雨。天候不順が続きますね。

10月といえば晴れが続くイメージでしたが・・・まったく梅雨空の如くで・・・やりたい外仕事がどっさり残っていますのでコレは焦ります。

一昨日はブラジルの自宅に帰る叔父夫婦と昼食後に分かれたのでしたが僧籍の除却もありましたが、心に秘めた何かがあったような気がします。

そう簡単には行ったり来たりができない距離であり「もしかすると・・・」といった気持ちもあっのでしょうね。

「またね~」と言うと「今度はそちらがサンパウロへ来て」

私は苦笑いするだけ。

日用品を買いに出るのに50㎞車で・・・想像を絶するスケールです。名古屋往復が平チャラのワケです。

 

その雰囲気を察していた兄弟たちが・・・やはり私の叔父叔母になります・・・2週間程前に墓参と本堂にお参りのために集まりました。

 

私はこの際、以前から疑問のあった本堂床下のほぞ穴について知っていたどうかを聞いてみました。

数年前に田沼関係の見学者多数に対応するために照明器具を設置していました。

実はその相良城解体後の中古材として推測できる木材について父も祖父もその件、私に語ったことはありませんでした。

まぁ父も祖父も本堂の内部についての詳細は熟知していても床下のことまでは知らないだろうと思いましたが(二人とも床下に入って仕事をするような人ではありませんでした)。

 

そこで私より古い時代、父や祖父健在の頃、その件知らされたことがあったか、そしてそれぞれ床下に潜る遊びの中でそれに気づいていたかについて聞いてみたのでした。

すると父も祖父も叔父叔母たちも「知らない」「気づかなかった」でした。

 

予想通りのなるほど。

松平定信のお触れの通りに大澤寺の建設を遂行すれば相良城破却材の使用は咎をうけることになります。

ところが何と言っても建築費については幕府系の資金が入っていることは違いないところです。

当時の拙寺ご門徒の件数では絶対に不可能な額だからですね。

それは現在でもムリと思えるものです。

現在の価格で6~7億円との指摘がありますから1戸あたり600~700万円の寄進依頼ということになります。

その時代の経済状況から考えてもそれをやり遂げることなど天と地がひっくり返っても無理な話です。

 

そこに幕府からの資金と後押しがあり材料の調達が容易く行われたというのは三代目祐傳の父(成瀬藤蔵正義)が三方ヶ原で戦死したからです。

江戸期に東照宮(徳川家康)の最大の危機といわれる三方ヶ原の戦で死したという事実は畏敬の念で讃えられたのでした。

まぁそのことだけ、三方ヶ原戦死者の菩提を弔う寺という旗印だけで江戸時代を安楽に過ごさせていただいたというのが拙寺だったということ。

 

その大澤寺建築材は以前相良城建築の際に余分に確保した、いわゆる余剰材の使用があったのでしたが、同時期にたまたま有り余る相良城廃却材も溢れ出てきて、それをご法度ながらどこかに残そうという意図が働いたということでしょう。

 

それは本堂内部の外陣と内陣を隔てる結界の柵にさりげなく相良城で使用されていた旗差し―竹竿―が転用されているのと同じです。真宗寺院にその手の結界柵の例はありませんので。

こっそり遺そうという意図が働いたかと。

厳密には色々な場所を迂回して拙寺の材として使用されたのでしょうね。近すぎて直接搬入したらモロバレですからね。

 

ということであの明らかに「大型建築物の梁などの中古材」を相良城破却材の証として皆さんに見ていただくようになったのは2019年頃ということになります。

それまでずっと伝承のみだったということですね。

 

扨、本日も六角堂(昨日)。

そちらへのお参りといえばまずは親鸞さんのところへ・・・と門を入って右方向に。

そちらには親鸞さんの銅像が立っていますが、今回気づいたのは親鸞堂の存在です。

以前は気づきませんでしたから新しく建てられたのでしょう。看板にもその存在についての記述はありません。

 

100日の参籠に観音さんの夢告。

こちらのご本尊は如意輪観音ですから、よりキラキラの女性を連想してしまいます。親鸞さんも隅に置けないねぇ。

 

 

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2024年

10月

29日

赤い布を纏った石仏たち(閉口) 六角堂

午前は約束の時間10時に3名の方々がお越しになり本堂にて談合。

これもキャリアハイでした、

今月4件目の墓じまいの件での来訪です。各遠方からお集まりになっていましたが、代表の方は九州在住でしたのでその話になるであろうことは覚悟していました。

 

もう止まりませんね、この流れは・・・。

暑い夏が終わって「動くにはちょうどイイ」といったところでしょう。まとまってきました。

私?・・・すべておまかせ、「OK  OK」で。

それに抗う術はナシ。

 

午後からはブラジルから来日している叔父夫婦が再び。

そろそろ80歳ということで僧籍を返上するための手続き書面を持参されました。

添付する準備書面と教務所提出の書面二通の「願事礼金」が何と金5万円。書面に記されたその額を見て唖然呆然。 

坊さんをヤメる(還俗)手続きに大層なおカネが必要になるとは知りませんでした。

 

書面が揃い次第、私が組長(掛川のお寺)に承認印をいただいて岡崎教務所に出向く事になります。

しかし疑問に思うのは、これまで(宗旨教義に沿っての活動)「ご苦労さん」ではなくて逆に礼金を納めるとは・・・いやはや。

数日中に名古屋空港―羽田―フランクフルト―サンパウロと乗り継いで帰宅するとのこと。

時間も要しますが、運賃もかなり嵩むでしょうに。

夫妻の娘の運転で当地までやってきましたが、彼女は名古屋の領事館の仕事。名古屋往復など平チャラと言っていましたがまったく忍耐強い。居眠りしないでね・・・と別れました。

その叔父の奥さんの旧姓は広島出の「能島」氏。

「村上海賊の血が流れている(吉祥寺の叔父の談)・・・」間違いない・・・

 

扨、六角堂

堂の脇には例のありがちな衣を着せられた石仏たちが並べられています。私はコレ、どうしても嫌悪感しかありません。

本来の石仏の雰囲気を壊しますし着眼すへきところを隠してしまいます。

後世の人為整列となりますが、直近の作も見えますが案外と古め(室町期)を惟うものも。

 

 

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2024年

10月

28日

池坊の太子堂の池 白鳥は噛むの? 六角堂

昨日の世話人会の欠席者はなんと一人だけ。

これもキャリアハイ。何より有難いことです。

日曜日の午後、各大切な時間をお寺の寄り合いに集まってくださる・・・感謝しかありません。

それもこれもすべてご開祖親鸞さんと阿弥陀さんのおかげ。

おしゃべりしている背後に控える諸仏から「お前、しっかりしろよ~」の声が聞こえてくるよう。

 

午前は法要+お昼にお斎そして午後からの世話人会のためにこの日のお弔いは息子がピンチヒッターとして向かいました。

いずれは正副逆転のタイミングが訪れますので、そのときは私が代打出場させていただくことになります。

これで私の代務としての彼の法要は3回目。

いよいよ彼に一所懸命に気張って向かっていただきたい。

20、30代はまだまだガキと同じ。それは私が未だ「そんなもの」だからわかること。

 

扨、このほどのバス遠足での京都のホテル絶賛の件、記しましたがそちらの画像の②③が六角堂方向の図でしたが③図に六角堂太子堂と池坊の池に浮かぶ白鳥が見えました。

朝6時前のそれは首を体の上に載せて池の上にプカプカ浮いている様でしたが、しばらくして首が戻っていました。

それは六角堂の開門時間で内部で人が動き出すからでしょうね。

 

私どもは前日の閉門直前にそちらにご挨拶して尚翌朝食事前にもお参り。

そういったお気軽さがこのホテルの良さでもあります。

こちらはハトをウリにしているようで、ハトがやたらと飛び交っています。

ちなみに拙寺に来るハトは山鳩オンリーですが。

 

ニヤリとさせられたのは「白鳥が噛む」の件。

「ホントかよ 何かくれてみろ」と奥方の背中を押すも「お前がヤレ」。

しかし何処かに飛んで行ったりしないものか・・・それも不思議。

④は池から見たホテル。

 

 

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2024年

10月

27日

美と用の煌めき 大谷大学博物館 集合写真はこちら

この土日には予定が詰まっていて御訃報の対応ができず、息子を呼び寄せることを提案しました。

勿論先方の了解を得てのことですが、先延べになるよりもできるだけ早くというのは施主の心情、すんなりとその運びになりました。

今回はどちらの家族葬専門のホールも先約があり、新しく煌びやかで大きな施設での法縁ということになりました。それでいて「家族葬」といいますからよくわかりません。

彼はその施設でのデビュー戦ですので一応、場所やら控室やら入退室の進路の件いろいろを伝えました。

 

「家族葬」なる括りが最近妙に増えましたが、式の進行において特段これといった違いを設けていません。

要はすべて同じということですが、それでいて私と彼ではその内容と進行がまったく違います。

それはそれでよろしいのですが、ハッキリ言って彼の通夜の読経時間は私の2.5倍?といった感じ。そして葬儀式は意外と短いということ。要は葬儀式と初七日法要で拝読する経典を通夜に持ってきているということか・・・

 

彼には彼のやり方というものがありますのでそれはそれで尊重しなくてはなりません。

その一連の流れと私との違いについて少々戸惑いましたが、まぁうまいことやっていただければそれでヨシ。

そうあればいよいよ安心しておさらばすることができるというもの。ジジイはすっこんでろ(自虐)~その通りです。

 

扨、表記は大谷大学博物館の特別展「美と用の煌めき」。

拙寺のバス遠足初日17日のラストの行程でした。

烏丸通の六角通交差点近くのホテルを脇に見て直進、北大路通を左折してスグにある大谷大学の正門。

この路上④でバス遠足参加者に整列いただき門柱をバックに集合写真をパチリ。

他のお寺の門前等、その手のものはどちらでも良かったのですが、変人の坊主の企画らしくこちらで。

 

しかし計画性のない私はカメラをバスに忘れてしまい同乗の御門徒さんに撮影いただくほどのいい加減さ。

恥じ入るも笑って開き直るその厚顔ぶり。

そういう性分、お許しいただくのみ。

 

 

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2024年

10月

26日

興福寺駐車場「何人?」の語彙 中金堂

夕刻の庫裏の室温は28℃。やはり扇風機のスイッチをオンにしました。

太平洋上には新たに台風が発生したそうで依然空気は夏の様ですね。

あと少しで報恩講だというのに・・・

 

この時期周辺自治体の地区公民館クラスのくくりで集まった皆さんが拙寺の門を潜ります。

昨日は掛川の土井酒造周辺に住まわれる皆さん、20人以上の方々が本堂に。

この手の会の受け入れは史料館長谷川氏経由で承っていますが、各各よくこれだけの皆さんを集めらるものだと感心します。

 

皆さんのお帰りの際、「いつでもお気軽にどうぞ~暇にしている坊さん(私)を見つけたら声をかけて~」と。

お気軽お参り大歓迎ということで周辺地域からの皆さんを「どうぞ~」という感覚でお参りいただくというものですが、不思議なところといえば、地元牧之原市のその手のグループからあまり声がかからないところ。

先般は大沢地区の皆さんがご門徒さんの引率で来られましたがそれ以外の地区は今のところありません。

旧榛原地区の皆さんなどやはり相良という地にクールなのか、そういったツアーはありませんね。

今の私の感覚では牧之原市民の燃焼度が一段低いような・・・

 

扨、今年の拙寺のバス遠足は興福寺南円堂からのスタートだったわけですが、添乗員の私が心配したのはそこの駐車場にバスが駐車できるかできないかでした。

もしバスがとめられなかったら・・・イキナリ迷宮に入ります。

興福寺へのピンポイント拝観ならばその駐車場にバスを入れられさえすればあとのことはどうにでもなりますからね。

気がかりなのは南円堂の行列ですね。遅くなればなるほど行列は伸びそうであとに続く時間が押してくる可能性が。

一方通行の道をグルっと廻ってその駐車場へ。

ハラハラドキドキでしたが、さすが9時、まだまだ空きがあって一安心。修学旅行生の集団が見えなかったことは幸いでした。

 

バス用駐車場の料金所の方・・・作務衣のような着衣を付けてお寺の係員らしき様でしたが。

私は運転手の後ろでその「駐車できる」という事実に安堵してその係員との会話を傍観していると、その方は私の方に一声かけてきました。

それが「ナニジン」といった発音。

私は意味不明ですので「え?」と怪訝な顔をすると「だから、な何人?」と半ばキレぎみに聞いてきました。

ひっくり返りそうになって爆笑しながら「失礼過ぎる質問をされました~」と。

隣にいた奥方はじめ車中大爆笑になりましたがその当人はバツが悪かったかそそくさとその場を立ち去りました。

ちなみにバス正面には拙寺の名が掲げられていました。

 

運転手さんがその事情を解説してくれましたが、海外から来訪される人たちの人種・国名のデータを取っているとのことです。

それならそれで声掛けの仕方には注文したいところ。

「ナニジン?」なる質問を受けることなど私も初めての事ですが、その質問はあまりにも不躾、唐突、失礼千万です。

インバウンドの大挙に辟易している様はわかりますがそれではあまりにも情けない。

中学校の英語でいいので「興福寺にようこそ どちらからお越しですか?」を笑顔でできないものか。

この国を代表する奈良観光トップレベルのお寺の歓迎の詞、それが今度の奈良・京都ツアーのスタートでした。

 

①②バス駐車場料金所とバス停車エリアの間に国宝館。

④⑤⑥バスを降りて正面が中金堂。

左には改装中、覆いのかかった五重塔が。

五重塔を背にして少々、③⑥南円堂にあたります。

 

こちらの駐車場に入れるかどうか、それにかかっている興福寺。結構コンパクトです。

平地にあるところ、階段嫌いの人にはイイ。

 

 

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2024年

10月

25日

今年のお寺のバス遠足 「ホテルまた来たい」の声

おそらく今年これが最後とは思いますが、昨晩の扇風機に昼前からエアコンのスイッチをオンにしました。境内でお会いする方からは「暑いですね」の声が。

心地よき夏・・・という感じの10月24日でした。

私は朝から境内作業に役場関係などいろいろ動きまくっていました。

 

奥方は旅行会社への支払いに。

100万超えの請求でしたので集金していた参加費を搔き集めて入金です。当家の銀行関係、出納仕事は奥方専門。私はほとんど関知せず、「おまかせ」を決め込んでいます。

 

すると奥方から今回の遠足については8万円の赤字の現実を告げられました。

だいたいそれは出発の1カ月程度前に「今年はヤバイ?」の雰囲気を察していましたので「それだけで済んで良かったかも・・・」というのが私の第一印象でした。

前年のそれはコロナ禍明けで私の親戚筋の参加(母の納骨)もあって48人の参加者がありましたが今年は38名と10名の減。

出発1カ月前といえば35人で大型バス、ガラガラの感じでしたので2週間前にギリで3名の申し込みがあったことは仕合わせでした。

 

事前に総代にその件、ボヤいたところ、「後から参加者から回収すればイイ」とのことでしたが、それでは如何にも詐欺的です。あとから値上げというのでは後味が悪すぎですからね。怒られそうで・・・

昨年の場合は各3000円の返金が出来たくらいでしたが、全ての行程は私の企画でした。

岩船寺→わらい仏→浄瑠璃寺のルートがこたえたか「歩かせすぎ」のクレームが出たために今年は初日冒頭の興福寺南円堂以外はすべてツアー会社に投げてしまいました。

それが原因かもしれませんね。

もっとも「歩かせすぎ」と言っても寺を巡れば大抵はどこもかしこも古刹となれば山寺というのが常、「歩き」ということに関してはどうにもなりませんね。

わらい仏の野原や山道とは違って階段となりますが・・・

その階段を辛がる方も多くいらしたことは今後の課題。

しかし長谷寺だ談山神社だ室生寺だとどちらも階段だらけですからね。どこも行けやしませんね。

 

10名の参加者減によりその「▲」が出てしまったのですがこれはご納骨の参加者が少なかったというのも一つの要因。

バスのチャーターは1台単位ですので参加者の多少にかかわらず値段は変わりませんから。

ツアー募集の際に予め金額を提示しなくてはなりませんので要は蓋を開けて見なくてはわからないというのが常。

また最近はお寺のバス遠足ではなく自家用車等で向かう方が増えていますからそれも致し方なきこと。

 

今回はこれまでの最高額28500円で募集をしました。それは「今年は全てが値上がりしてます」とのことでしたので去年よりも5000円程度の値上げしてのこと。

そのせいで毎年3名で参加されているご家族が「金額的にちょと・・・」とのことで参加をパスされていました。やはり人によっては値上がりしたバスツアーに手が届かなくなっていることもあるようです。

できるだけ格安でお気軽ツアーを催行しようと添乗員、ガイドをお断りして(5万円以上の節約)廻していましたが、今回はこれまでとは相当違ってしまいました。

世の値上げラッシュにはまったくついて行けません。

 

ただし毎度「クラブツーリズム」等の高級ツアーを使用している方は「格安」と言ってくれますのでその価格の件はやはり人によって違うことでしょう。

大勢はまだまだ「適切」との評価はいただいていますし。

 

念のため、ホテル宿泊費だけですがその推移を記します。

 

昨年 シングル 10650円 ツイン 8550円 (1名)

今年 シングル 16300円 ツイン11900円  ( 同 )

                       +5650円     +3450円 

                                                                      

そもそもツアー募集の際、ツインもシングルも同額で承っていたことも▲の要因です。今年はやたらとシングルが多かったことも。

よって次回からはシングルの価格をツインに近づけるための差額についてご了解いただかなくてはなりませんね。

それは以前から「不思議・・・」の指摘はありました。

来年はご納骨参加者が少ないようですから、無理をすることなくここは一旦遠足中止も念頭に・・・ 

 

扨、毎度関西の薄味に苦虫というのが常ですが、朝のホテルバイキングに関しては去年も今年も好評でした。

特に今年のホテルの朝食はこれまで経験したところのベストでしょう。

は何度かこのホテルのお世話になっていますが、朝食を付けないというのが常でした。朝起きてすっ飛んで出かけていましたので。

単品オプション4000円という朝食バイキングですが、ツアーセットに入っていますので、その価格は宿泊費の中に薄まっているでしょう。

今回ツアー主催者の私は朝7時からの「開店」前に並んで1番に会場に入りましたが5分後には長蛇の列になっていました。

品数が多く、何しろ「目が食べたい」という感覚で「そんなに食べて大丈夫か」の自問と何度も並ぶ私への他者の目につい遠慮ぎみに・・・。

どの品も美味しくてあれもこれもと強欲に走りたくなりましたね。

特におにぎりのコーナーは絶品。調理人が立ち、並べられた多くの具材を指定、これまでにない美味しい握り飯を堪能させていただきました。何しろお米がおいしいのです。

 

こちらのホテルを京都の定宿にしたいというのが皆さんの声でした。私もこちらに限定するつもりです。

四条河原町の大丸、錦市場まで7~8分という好立地もベストですね。

 

一番のお気に入りはやはり親鸞さんが参籠した六角堂(頂法寺)が烏丸通を渡って30秒というところも。

朝6時から開門していますからお参りもしやすいですね。勿論無料です。

 

①は烏丸通に面したホテル全景。②は東側に面した部屋から見た六角堂方向。真下が烏丸通、奥が比叡の山並み。③池の左側が池坊。④は西山方向、京町家の風情も。

⑤はホテル側から見た烏丸通の向こう。スタバのガラス越しに六角堂が。⑥~は早朝から食欲旺盛となる場。

 

 

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2024年

10月

24日

「破局案件」

朝から雨の昨日、半ば強制的に神奈川県東部の義母の元へ。

降雨予報が少しでもあればまず遠乗りはしないというのが私の性分ですが、奥方から「何とかしてくれ」とのことで、尻を叩かれました。

半年ほど前に購入したテレビが映らなくなりそのうえ、寝室のテレビ迄故障したとのことでした。

神奈川県内の仕事の際にそこを根城としている息子に聞けば「相手にするな」と言っていましたが、奥方に「改善せよ」の指令を受ければ拒むわけにもいかず、一つ条件を告げてGOしました。

到着後1時間程度ですべてが改善したら・・・上野の東博へ・・・ということで。埴輪と運慶(北円堂)に逢うためにでした。

 

私の見立てでは祖母がリモコンの突拍子もないボタンを押しての迷宮ドハマリの様を予想していましたが案の定テレビ2台ともまさにそれでした。

齢をかさねると機械の自分の意に反する動きに「壊れちゃった」というのは父の件で承知しています。

きっと私もそうなるのでしょうね。

 

一応勝ち誇りながら「さぁ上野へ」と主張するも掌を返すが如く却下されました。

そもそも上野行きについて承諾していないとのことでしたが、私の方もそこからさらに都内の混雑の現場に向かうこと、気持ちが失せていました。

よって天気の具合も悪そうでしたので14時前に帰路につきました。

まぁ明るいうちに帰宅できたことは有難いことです。往復路、土砂降りの時間帯がありましたので。

 

勿論、そちらに向かうついでに小田原の祖母の系が眠る菩提寺にご挨拶に。久しぶりのことでした。

そしてそのまたついでに祖母の出た今はなき「みのや吉兵衛商店」の廃業の代の一つ前に嫁入りした方の実家となる「美の政(みのまさ)」で何か購入しようと思いそちらへ向かいました。

するとその店も無くなっていて今はネイルサロンと化していました。

案内所に伺うと「1年ほど前に」とのことでした。2階には同経営の喫茶店があり、母とも行った記憶があります。

何から何まで私どもの思う古き良き小田原の面影は消えてしまったよう。

 

①は母方祖母の系の菩提寺本堂。

戸は毎度ピシっと閉まっていて焼香もできず。

法要以外でこちらの本尊にお目にかかったことはありません。その法要があったのも私の大学生の頃でした。

 

②は以前「美の政(みのまさ)」店舗の地。もっと以前(昭和初期)は昔の箱根登山ビルの敷地の場所に料亭としてあったよう。

この小路の突き当りを左に進めば鈴がたくさんフラ下がっている北条氏政と氏照の墓所になります。

 

③の古びたビルにはひと昔前に「〇I〇I」がありました。

うっすらとかつての名称が見えますがそういった「遺構」が見られるのもいまのうちか。

 

④は伊勢屋の豆大福。

「味が落ちた」と妹が言いますが、それは添加物が入ったからでしょう。1日経っても硬くならないので。

店としては日持ちの良さが肝心なのでしょう。

硬くなったそれを焼いてふーふー言いながら食すのが絶妙でした。勿論5つばかり購入しました。

 

 

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2024年

10月

23日

「破局案件」追記「高額案件」 南円堂パンフから

 

昨日ブログでは「イキナリ冬の気配」とは記しましたが外へ出て境内作業にかかれば、スグにホットになりました。

よってトレーナーを脱ぎ捨てていました。

しかしこの時期の作業は気持ちよく、またサクサク捗りますね。

夜間はお取り越しに向かいました。

仏間にはエアコンが付いていてあらためて気候の異常さを。

10月下旬に・・・ですからね。

 

昨日はまた強盗殺人によるその「果実」(因果の果)・・・無期懲役刑中40年経過した方の儚き人生について記させていただきましたが、現状ネットには闇バイトの勧誘の言葉に「高額案件」の

4文字が踊っているとのこと。

 

なるほど人生と自らの未来価値を無価値以上、巨額負債を負うことになるのですからまさに高額案件。

まぁ「破局案件」たる由縁ですが。

昨日はたまたま27歳・28歳・33歳の3名が地裁で無期懲役の判決があったとのニュースが。

 

2019年に電話で資産状況を尋ねてから(アポ電)押し入る手口ですが、住人のお婆さんの命を奪ったという強盗事件。

罪状は「強盗致死」になっていました。

強盗殺人も強盗致死も罪の深さというところ大差ないということですね。

そして自己の人生を投げすてると同等の高額度の償い。70歳になる前に仮出所ができるかどうか・・・

 

また昨日も中学生が闇バイトに招集されて、その着手前に逮捕されていましたが「凶器準備」したものの未遂に終わったこと逮捕されたことは良かった。

しかしまた、その低年齢化はショッキングでした。

 

溢れる物品への所有欲、誘惑が深まる年頃です。

やはり家や学校でその対価と代償、割に合わない冒険、法治国家の制度云々、早いうちに教示する必要があるのかも。

 

そんな小僧どもが蔓延る社会、たまったものではありません。

ヤルなら「永田町へ行け!!」(年寄り・・・弱い者を安直にターゲーットにすることなかれ)です。

 

扨、年に一度(10月17日のみ)にお目にかかれる南円堂、不空羂索観音と諸仏たち。

勿論内部は撮影禁止です。

しかし手元に入堂の際のパンフがありました・・・

ご興味のある方は来年の10月17日にどうぞ・・・

 

 

 

 

 

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2024年

10月

22日

「破局案件」FOR A FEW DOLLARS MORE 月下美人

朝の庫裏の気温は21℃。昨日とは真逆の体感、庫裏は「放熱」に転じた感。慌てて長袖トレーナーを着込みました。

ネコセンサーもそれを受けて布団の中に潜り込む者などがいたくらい。

イキナリ冬の気配。

私としては熱帯系植物への対応が遅れているためその傾向には少々焦りぎみ。

週末の世話人会等、他に向けたい時間が多くありますので。

 

10時からは墓じまい、墓前にて工事開始のご挨拶。

そのお宅には息子さんがいらっしゃいますが、墓地継承の意志がないとのことで、その運びとなりました。

墓じまいには遠隔地、継承者不在という理由が殆どでしたが、墓地そのものの存在意義について問われるのはこれまでなかったことですから、新たなタイプ。

仏教の教えと寺の存在意義についていよいよ腹をくくらなくてはならないでしょうね。

まぁ、そういう場合、宗旨替えということもありますが。

他流宗旨(仏教)に変更するためにリセットされる場合もありますので、それはそれで悪くないことです。

拙寺にも他流からの流れが無いことはないので。

 

扨、ニュース系レポートにて無期懲役刑を執行されての模範囚、数度の仮出所も却下されて40年収監されている方の件、知りました。

罪状は強盗殺人。20歳代で罪を犯して早70歳手前といいます。

当初は死刑も考慮されていたそうですが結局は無期刑となったと。

 

先日の闇バイトでの強盗殺人の犯人が逮捕・・・やはりスグに確保されていましたね。当然のことです。

自業自得で同情の余地はありませんが、それにしてもそのきっかけは短慮というかバカですよね。

私はいつもそういった時にこの語が思い浮かびます。

「FOR A FEW DOLLARS MORE」

C・イーストウッドのウェスタン、日本名「夕陽のガンマン」のタイトルです。

如何にも虚しさを漂わせる言葉で、半世紀も私の頭から離れることはありません。

きっとその言葉が当てはまりそうな無駄で愚かな人間の行動を見続けてきたからでしょうね。

 

私は懲役40年なる執行を受けた経験がありませんのでその実情は知る由もなく、また知りたいとも思いませんが、さぞかし不自由で時間は有り余るほどあるでしょうね。

懲役ですから生産性もあって多少の給金は出るのでしょうが娑婆世界とは雲泥、かなりの低賃金のはず。

袴田さんが当初捜査機関の証拠捏造により死刑判決を受けて収監、先般晴れて無罪になりましたが、損害賠償・慰謝料とは別に正規に支払われる金額が2億円といいます。

 

年収を500万円平均として40年ですからやはり2億円。だいたいそのようなものかも知れません。

真っ当にこつこつ文句を言いながらも働いていれば、多少の差はあるでしょうが生涯そのくらいの働きはありましょう。

 

目先の僅かなカネ(FOR A FEW DOLLARS MORE)欲しさに自身 

の自由と将来・・・人生を無駄にするという現実とそのことが理解できていないことの哀れをあの若者たちに感じます。

それによって親が、兄弟姉妹縁者が悲しむことになることもわかっちゃいない。

強盗も殺人も結果それぞれ重大な刑罰が待っていますがその二つが同時進行した場合はもはや酌量の余地がない断罪というのが日本の法。最大なる刑罰が待っています。もはや高校時代に憲法・刑法・民法のさわりだけでも子供たちに伝えるべきですね。

 

人生に計算などできるものではありませんが、これほど単純明快な損得勘定があるということ。気軽に人生を棒に振ることの浅はか。教えてあげて・・・

当人たちは別に自暴自棄になっているワケではないはずです。

バカですね、とか若気の~の語・・では済まされない、いわゆる破局案件(「ホワイト案件」なる詞に勧誘されて・・・)なのですよ。

それも他人に踊らされての無駄働き・・・

 

その手の短慮の者たちの「自分らしく自由に生きたい」・・・があるとして、その大義はあきらかに虚構、詭弁、物真似としか取れませんね。

まずは自身の身の振り方(仮出所)を思考するよりも奪った命と縁者への配慮が必要。それは生涯付いてまわります。

 

画像は昨晩咲いた月下美人。

大量の蕾ができたことを先日記しましたが13個のうち開花したのは8つ。これまでとはかなり遅れた開花でした。

私はスーパームーン(17日)に合わせるよう咲くのではと思いましたが。予想は大外れ。

まぁ彼らにもいろいろあるのでしょう。

 

8つの同時開花はキャリアハイ。

香りも玄関に充満していました。

今ある蕾も明日明後日には開花するでしょう。

 

 

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2024年

10月

21日

10月17日は年に一度の不空羂索観音 興福寺南円堂 

拙寺の庫裏には蓄熱効果があるのか、朝の寒暖計の数値は28℃。

外は風が比較的強く、奥方は「寒い」と騒いでいましたが、庫裏の中はまだ夏ですね。

猛暑高温の蓄積保温が庫裏にあるのかは知りませんが、本堂内陣での読経の際も「暑い」を感じました。

外気温度は下がっていてもちょいと体を動かせば半袖ぜんぜんOKといった感じ。

また少しして30℃近い気温も予想させるところ、まだ本格的「寒くなる」予想は先になるでしょうね。もうしばらく扇風機は置いておきます。

さすがに本堂参拝者用のそれは片付けましたがね。

 

扨、画像は10月17日、29℃の奈良興福寺の図。

拙寺大谷祖廟納骨バス遠足は「大谷の日」とは「彼」の背番号とその名をかけて、シャレて吹聴していましたが、実はその17日18日は観音さんの日なのでした。

大抵、観音の縁日などが設定され市が立ったり御開帳があったり特別な法要があったりするわけですが、その17日の方で興福寺南円堂の年に1度の御開帳がありました。毎年10月17日。

 

その堂の主が高さ3mの不空羂索観音。

運慶の父、康慶の作になります。

前年のバスツアーで運慶の大日如来(円成寺)を拝観していますのでまぁその流れといったところでしょうか。

年に一度だけのチャンスということで私もそちらへは初めて。

どうなる事か多少の心配はありましたが、何とか30分程度の行列で済むことができました。拝観料は300円。

拝観に関しては各自由というのが拙寺のツアーの決まりですが私が見た限り全員がその行列に並んでいたよう。

まず最初に御朱印の行列に並んでから・・・という方たちもいらっしゃしましたが・・・勿論2回の行列に並ぶことになります。

 

面白いと思ったのは外国人だらけの奈良公園にあってこの行列に並ぶその方たちは殆どまばら。

御朱印の列に並んでいる方に「コレナンデスカ?」と問われて英訳音声ソフトで訳そうとしたものの「ゴシュイン」だったとか。

その詳細についてさらに説明してくれ・・・と言われても「知らねぇよ」と言いたくなりますね。

 

南円堂の列に外国人と修学旅行者の列ができなかったことはありがたいことでした。

おかげさまでこのような深い情報までは彼らのツアーガイドや修学旅行企画者にまで届かなかったということでしょう。

 

話変わって来年の大河ドラマの件、相良、田沼の名称が世に出て、インバウンドがもしも増加したら・・・とせめて英語の解説パンフレットの製作について市に打診したことがあります。

まぁ予算的都合ということで「ムリ」との結論でしたが、そもそも歴史的用語を理解できるよう解説、翻訳するのは相当難しいことです。

エミー賞の「将軍」でも「ハラキリ」一つ注釈することでも難しかったことを吐露していました。

たとえば・・・拙寺では時太鼓(刻太鼓の名で)を紹介していますが、「相良城二の丸にあった太鼓櫓(矢倉)の太鼓で相良城が破却された時にそれに携わった横須賀藩の西尾忠移(妻は田沼意次の娘)が数年後寄進したものです」を英文で訳したとしてどちらの言葉も深い理解をしていただくためにはより深く詳細を記す必要があるでしょうね。

 

老中、失脚、失脚理由、時太鼓、陣太鼓の比較、太鼓矢倉・・・櫓、横須賀藩、藩、幕府・・・何をとっても難しい。

 

④⑤は右近の橘。実が落ちていましたので「持ち帰って植えてみれば・・・」の意見がありました。

➆南円堂回廊から見下ろす三重塔

⑨石灯籠の左側建屋に御朱印の行列。

石灯籠は各建っていますが、江戸期のもの多し。

こちらは寛政十年と。

興福寺南円堂についてはWikipediaでどうぞ。堂内は勿論撮影禁止です。

 

 

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2024年

10月

20日

角があってもなくても・・・猿沢池トイレ出入り口

清水で30℃超え。庫裏も午後には29℃でたまらずエアコンをオン。昨晩も扇風機を一晩中廻していました。

午前10時から回忌法要が入っていましたが奥方はそのスケジュールに腹立たしさを表わしていました。

「なにも遠足翌日に・・・」ですが、それはごもっともなことです。堂内生花の状況がわからない(枯れかかって貧相な様になっていないか)ということと、交換が必要な場合、御門徒の生花店の開店が9時ですから、セッティングに慌てなくてはならないからですね。

それはスケジュール管理者としての、反省点でした。

生花は何とかキレイを維持できていましたので慌てず淡々と法要は勤修できました。

 

反省点は各あります。

昨日の大谷祖廟への納骨ですが、初日朝一から二日目朝一に変更したことは良かったものの、納骨の法縁に関係ない方たちを

「9時前に東大谷に放り投げる」(奥方)のはあまりにも酷だとのこと。

その理由は、散策のみを楽しむ方々にはいいのですが各店舗の開店時間はまず11時ということ、「それじゃあ 面白くない」(同)と。

11時といえばバスの出発時間ですからね。

「お土産が買えない・・・」。

 

初日に直行したのが奈良公園。

先般、農家の方が鹿の突進の角によって命を落としたというニュースを聞いていましたので、降車前に車中で鹿への厳重注意の件を。

特に秋ごろの雄鹿は気がたっているといいます。

よって私は「鹿に近づくな!!」です。大きい個体に後ろからドンとやられたら想像するだけで怖ろしい。角があればなおさらです。バスに乗車ではなく救急車で・・・というのはシャレになりません。

添乗員の身としてそこは一番に注意していただきたいところでした。尚、17日の奈良は29℃。

当初「上着を着て行こうか・・・」などいう言葉を耳にしていましたが、まったく夏の装いでOKでした。

 

画像は猿沢池(こちらにも)。

興福寺五重塔は120年ぶりの修理工事中。5~7年はあのままでしょう。

 

池の畔の公共トイレには出入り口に木の柵が。

あの場で鹿に後ろから「ドン・・・」ということ思い浮かぶ恐怖。

それへの対策でしょう。

あの塔はお馴染み奈良観光のステータスと作られた「なんちゃって層塔。コンクリリート製です。

 

 

 

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2024年

10月

19日

大谷の日 祖廟御納骨 祖廟参道

昨日は拙寺のバス遠足、大谷祖廟御納骨の日。

これまでその遠足といえば一泊二日の日程で初日朝一番に御納

骨、スッキリとした気分で各目的地に向かうというパターンでしたが、それをヤメて、2日目の朝一番、9時20分の本堂読経、納骨という形に変更しました。

そのメリットは初日、当地からのスタートで大谷祖廟を目指すというのは到着時間が読めない(事故渋滞もあれば朝の出勤時間の渋滞)ということがありますが京都市内に宿を取れば朝食後、余裕をもってチェックアウト、それで30分程度での到着はまず間違いないですからね。

ちなみに昨日朝は烏丸通の六角通交差点近くのホテル出立でした。

 

その選択は渋滞のバスの中でやきもきしないでいいというところです。時間が確りと読み切れるところがイイ。

今のところそれへのクレームは出ていませんので、次回の遠足もまたその作戦でやりたいと思います。

 

御納骨は9件でした。

考え方ですが、慌てて祖廟に走って納めるよりも前日にともに十分に楽しんでから・・・の方が、いいような気がしますね。

 

御納骨の無い方はフリータイムですが叔父たちは青龍殿大舞台(またはこちら)に向かっていました。

参加してくれた叔父たち(3名)に知恩院方向か白河かはたまた清水かと悩んでいましたので「青蓮院の上に絶景の場所があるよ」と紹介したからです。

当初青蓮院に向かっていましたが、その登りを再検討、不安になって近くにいたタクシードライバーにその旨聞いたところ「青蓮院から青龍殿など厳しいよ」と指摘されて、急きょそのタクシーに乗り込んでそちらに向かったとのこと。

 

車中、「青龍殿の穴場を知っているとは通だね」と褒められたと

といいますが、叔父たちは私に「いいところを教わった」と喜んでいました。

今は「外国人がいない」というのが最近の京都ツアーのポイントになっているようですが、別のタクシーを利用したご門徒さんが「運転手が本日初めて日本語を聞いた」との件。

今はスマホの翻訳機能にて対応しているとのことですが京都の街は外国人だらけ。

 

また永観堂までレンタサイクルで往復した方、清水の殺人的雑踏に揉まれた人などさまざま。各皆さんなりの時間を過ごしていました。

清水寺は+修学旅行生の大挙によって無茶な状況が起こっているよう。

 

車中ではニューヨークの大谷さんの活躍もありますが「17日と18日は大谷の日」などとわけのわからない事を私は吐いていました。

みなさんスマホにて随時そちらの戦況をチェックしていますので。

 

何はともあれ、無事に何事もなく大事な仕事を完了出来た事、すべてに感謝いたします。ありがとうございました。

合掌。

 

 

 

 

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2024年

10月

18日

男性本意の女性観 女人禁制

昨日は朝から奥方と寺を留守にしていました。

息子の対応を期待して予定の通りの行動でしたがやはりそういう時に限っていろいろなお客さんが来られるものです。

彼がどう対応していいかわからないというのは無理もないことです。

その度ごとに奥方に電話を入れてきました。

3件のご門徒さんの来訪とメディア取材があったようでさすがに後者は史料館の長谷川氏が対応していたとのこと。

 

私どもが一日中在宅していたとしても、人っ子一人来方がないことなどしはしばでそれが4件もあるということは如来さんが仕向け??。

私としてはこれも良き機縁として受け留め感謝しました。

「(私が)いなければ自身がすべてやる」それは当然の事ですからね。

 

扨、昨日は「男らしい」なる少々時代錯誤的語彙を記しましたがもっともっと陰湿で恥ずかしい語「女人禁制」について。

相撲世界では昔からよくそのナンセンスについて語られる事が多いそれですが、それはまず大抵の理由として「神聖な場所であるから」などと言いますね。

それは修行道場だとか古い寺院によくありますが、そもそもけがれあると言うよりも、男社会に女性が入れば心がときめいてしまい修行に専念できないからなのでは・・・

けがれなど後付けの理由のような気がして。

 

画像は妙楽寺西大門跡にある女人禁制の標。

 

 

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2024年

10月

17日

鎌倉中期の弥勒石仏坐像 西大門跡 旧妙楽寺参道

年配者をターゲットにした闇バイト流行りの世、それをやらかす人間の短慮と怒りが増すばかり、この世はまさに闇夜です。

昨日の横浜青葉の事件・・・

昔、「男らしい」という言葉がありましたが、今はそれを使うと叱られます。その男らしさとは「弱き者を踏ん掴まえててブン殴って金を奪う」などは真逆の性質。

「弱気をたすけ強気を挫く」(目前の利は得ず)は基本男の子のあるべき姿でした。

そういった語彙にケチをつけることがイケなかったのか・・・

まったくもって暗い・・・

 

そしてあぶく銭をゲットできる楽で甘い仕事などは絶対にありません。

「バカなの?」の女墓場の声が聞こえてきます(彼女の常套句)。逃げ切れるワケがないのに。

強盗殺人・・・警察は血眼で追いかけますね。数日中に結論が出るでしょう。

 

昨日は庫裏の、依然続く夏状態について記しましたが就寝時においても盛夏の候ほどではありませんがまだまだ秋冬のイメージは湧いてきません。

しかしながら今年の冬は毎年脱落者を出している熱帯性植物たちを守ってやりたい思いから棚を二つ用意しました。

それらに既成の温室用ビニールまたは梱包用フィルムで覆って小空間を区切り保温効果を高めようという算段です。

発芽させたマンゴーと挿木パイナップルを何とか越年させたいのですが、かつてそのチャレンジは失敗に終わっています。

特に彼らはハイビスカスやブーゲン以上に耐寒性がないようで

今回は植物用の保温器具を導入しようかとも検討しています。

棚の一つは無理やり収めていた物を整理して浮かせたスチール製の既製品ですがあと一つは今有る物を適当に日曜大工して仕上げた木製品。

あと冬場の日照不足への解消のために植物用の照明も・・・

自分も人も動物も植物も「生かす」「生かされる」ことは難しい。

それぞれの性質と適応しやすい環境というものがあるからです。

 

扨、昨日記した妙楽寺(談山神社)の結界、西大門の石垣の山側に石仏たち、そして仏の由緒を示す掲示板があります。

 

こちらの石仏への川勝政太郎氏の評価があります。

面白いことにそちらの記述では作者について不詳とのことでしたが桜井市教育委員会の看板にはしっかりと作者の名が記されていました。

 

「談山神社 弥勒石仏

複弁反花座とその上の複弁蓮座、光背形から厚肉彫する石仏のすべてを一石で構成している。右手をあげて与願印、左手を伏せて膝の上にのべる降魔印とみられるので、伝承のように弥勒像としてよい。

衣文の表現も、顔の作りもおおらかで鎌倉時代中期の様式をよく示している。像の両脇の光背面に各一行の刻字があり

『文永三年(1266)八月八日奉造立、大勧進正延 大工藤井□□』と読まれる。石大工の名が読めないが、大和の石大工に藤井を称する一派のあったことは確かである。しかし詳しいことはまだわかっていない」。

尚川勝氏の日本石造美術辞典は昭和53年に発行されています。

 

 

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2024年

10月

16日

西大門跡の食い違い 妙楽寺談山神社

夕食時の庫裏の気温は28℃、ちょこまかと動いていたせいもあってToo Hot 「かまうことはない・・・」とばかりにエアコンを稼働。

するとスグ26℃、25℃となって今度は「冷える・・・」。

ONしたからには、しばらくクールな時間を継続しました。

暑いだか寒いだかよくわからない時節、何とか付いて行こうと・・・。

 

DMというかまんざらデタラメではない題材で私をターゲットにして送り付けてきたと思える郵便物について。

呆気にとられましたので記します。

一丁カモってやろうか・・・との悪意は見えませんが、相手を何とかその商売に引き釣りこまんとばかりの勧誘でしょうね。

しかし的を射ていない。

 

その郵便物のタイトルが「静波の物件を探しています」でした。

静波とは牧之原市の旧榛原町の中心地域。

先ごろは相良の波津の土地について坪1000円の物件(100坪の更地)について話題になっていましたが、静波の方では土地が「動いて(売買)いるのか・・・」と驚きつつ「ひれが何故に私に・・・」でした。

 

しばらくして、「テキトーなことをやってやがる」とその書面を放り投げましたが・・・

事実、拙寺名義の土地は静波に2カ所あります。しかしそれは売買できる土地ではありません。

どちらも拙寺が引き継いだ墓地だからです。

要はランダムに土地所有者をあたって手あたり次第書面を送り付けたのでしょうね。

精査よりよりランダム一斉の高効率を・・・でしょう。

そんな波に揉まれたくない。関わりたくない。

 

扨、先日の増賀さんの庵の先をさらに西へ進むと旧妙楽寺の西大門の跡に。

石垣のその門は寺のそれとは言い難い形状になっています。

まさに城郭建築の一、食い違い虎口を思います。

多武峰と言われる地ですから各時代で多くの外部勢力の侵入の歴史が。武力圧力への防衛機能として効果をあげたのかも知れません。

昔からこちらには番兵(僧兵)が立ったのでしょうね。

 

 

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2024年

10月

15日

グレーチングと焼香トレー泥棒 障がいヤマバト2羽

昨日午前は地代の山の墓地で施主と石屋さんと待ち合わせ。

今年何度目になったか墓じまいのお勤めです。

石屋さんは言います

墓石撤去の仕事が激増(新築激減)と。そしてどちらでも坊さんのボヤキの声が聞こえてくるそうです。

 

当流では親鸞さんの師匠、法然さんが自らを「愚痴の法然坊」と名のったこともあり、坊さんといえども煩悩熾盛の凡夫、ボヤキ三昧の如くの私であったとしても見捨てられることはないと踏んでいますのでその件、残念無念と大きくため息を吐くこともなく、その依頼を受けて、もはやニッコリ笑うだけ。

まぁ以前からそのスタンスは変わりませんが。

 

事情各ある中その方向性の変更について検討していただくことなど詮無き事です。

境内墓域が足りないなどと心配していたのは父親の時代まで。

今あるご門徒さんとただ、末永くやっていければと思うばかりですね。

いずれにせよ未来永劫などあり得ないのですから(昨日)。

 

かなり前に(夫が亡くなったあと)宗旨替えして拙寺の境内墓地を他の寺に移すという事案が立て続けにありましたが、それは奥さんの実家の墓も継承しなくてはならない事情があってのこと。いわゆる墓地の統合でした。

夫に先立たれたら仕方ない・・・ただそれだけでしたが、現状の墓石撤去は「墓じまい」・・・墓碑を撤去して遺骨を海洋散骨するかお寺の永代墓に納めるというものです。

そして他のお寺さんの檀家さんから「檀家として受け入れて欲しい」の声がありましたが私は「面倒だからヤメた方がイイ」と再考を促していました。

今は受け入れしかないと心得ています。

 

また先日は他宗派の方(存じ上げている方)が墓じまいを前提で「私のその時」に拙寺で葬儀をしてもらえるか・・・と打診を受けました。

その方と菩提寺の関係について何か心情的な行き違いが存在するようでしたが、人間同士の問題、どちらでもあることでしょう(当然に私にも存在する件)から私のスタンス「入るも出るも自由」「お気に召すままに」の通り、「息子と坊守(奥方)に伝えます」とすべて了承しました。そういった墓じまいもあるということですね。

一から真宗の宗旨を伝えていくことはなかなか良き機縁であること。私は前向きです。

 

別れ際に先方お寺の「檀家数が少ない」件が出ましたが、その方は「檀家数の多寡は私たちの責任ではない」と。

寺として檀家さんの存在こそ寺の継続にかかわるところですが、その「維持」の面を強く強調し、寺からの主張をしつづけていればいずれその江戸時代から残存している流れ(檀家制度)は大きく瓦解するでしょうね。既にそれは始まっているのかも。

 

寺としての生き残り・・・淘汰されないよう継続性というものを指向するならば・・・行政の手腕に頼りつつ(人口増)、檀家数を増やすこと以外なし。

こればっかりは商売ではありませんので強くコマーシャルすることは控えたいですしそれこそ胡散臭い。

「御利益」なる非化学を主体に強調すれば猶更ですからね。

 

たまたま親鸞さんとの出逢いは案外と今風、皆さんの考えにマッチしているのでは・・・

私としては淡々と日々真宗の宗旨をご門徒に伝えていくこと、それしかありませんね。

私はその流れに流されつつそれを結構ポジティブに生きています。というか生かされています。

ちなみに来週も1件墓じまいがありますがね。

 

①~③は昨日の地代の墓地。

②、③はある日すべての墓のステンレス製焼香トレーとグレーチングが無くなっていたという図。

よって各墓地にある焼香トレーは100円ショップの陶器製のもの(砂利等を敷いて使用)に変わっていました。

 

しかし何処のどいつが始めたかこの不届き者の仕業は勝手すぎて酷過ぎます。

買い取り業者がいるからこの罰当たりが出てくることは必定。

くだらない規制ばかりでその買い取りに関してフリーなんて。

アホらしい。何とかしていただきたいですね。

 

墓地の備品ドロもそうですがグレーチングの方は、通行者や車の「最悪の事態」を無視しているところに猶更腹が立ちます。

たった数千円のカネのために。きっと地獄に堕ちるでしょう。

地獄にはいろいろありますからね~。

私にはわかるのですよ、ホントに。

 

最後の画像二枚は以前記した1本足のヤマバトと闘争関係にならないやはり足が悪く、くちばしの根本にできものがあるヤマバト。

2個体とも障がいがありますが、私どもに慣れ、餌を要求してきます。後者の方は私が玄関から出るやそれを待ち受けていて頭上50㎝くらいまで舞い降りて存在をアピール。

そのために私どもはハト用のエサを用意しています。

自然界では淘汰されてしまうのかもしれない彼らですからね。

 

ヤマバトは番いの行動が多く、ペアは他のヤマバトに対して威嚇の鳴き声をしながら襲い掛かります。

もっと仲良くできないものか・・・決して平和な生き物とはいえないような。

 

 

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2024年

10月

14日

虚栄心は人を醜悪にする 増賀堂跡 妙楽寺談山神社 

昨日は午前、午後と法要のダブルヘッダー。

盛夏でしたら相当バテたでしょうが気温も23℃の本堂お内陣、まだ衣が腕に纏わりつきますが、大分快適方向に向かっています。

午前は波津在住の皆さんが集まりましたが、午後は仙台からのお参りでした。

 

滅多なことでお会いできない方々で興味本位で「何時に自宅を・・・」と尋ねれば「6時すぎ」とのこと。

東京に出てからレンタカーを借りてからご長男の運転で相良まで。

連休の中日とあって各所渋滞が発生し、13時30頃着の予定が14時すぎになっていました。

話も弾んで、すべて終了したのが1700前になっていました。

御父母の法要でしたが、片浜出身の母親の実家にも立ち寄るとのことでした。

墓参の際に「まだ~?」の催促の電話が施主に入っていました。

久しぶりの相良とあって思いはたくさん、鐘楼を指さして「テレビで見て、いつかは・・・」とのことを仰ったので、それなら・・・と皆さんそれぞれで鐘撞きをしていただきました。

17時の時鐘をむりやり。

 

法要二件ともそのお話の中に先般新聞紙上にあったカフカ断片集の言葉から。

そのさらに断片「虚栄心は人を醜悪にする~」を。

 

『虚栄心は人を「醜悪」にするから本来「押し殺さなければならない」もの・・・、だが虚栄心は押し殺されることなく・・・傷つくだけだ。

 

世間体や他人からの評価をたえず気にかけつつ他者と較べて自分が優っていれば悦に入る。

ほんのわずかでも分が悪いと凹み傷つくという、

この執拗なまでの鬩ぎあいが人格なるものの核にあるのか。』

でした。

 

そのカフカの断片と日本の浄土教系の善知識たる師三名(源信・法然・親鸞)の名をあげて師たちのその核となる思想の一貫こそ

が自己の深堀であり人とは何ぞやの、いわゆる宗教というよりも哲学的発想がそこにあったということ、また彼らにはその虚栄心とやらは微塵もなかったということに繋ぎ合わせました。

そして南無&帰命・・・「Let It Go」を。

 

扨、「源平藤橘」なる言葉があります。

歴史上名だたる名家であり、日本人で自分の家のルーツをそのどちらかを確信している方はとかく多いものです。

ただしその四つの氏について特に思うのは橘氏の歴史世界登場頻度の少なさですね。

 

他の三家には派生する家が強く出て圧倒されている感ありますが、要は鎌倉以降にその系の「武」の者が現れなかったということかもしれません。

平安中期に橘恒平という人が公卿に列せられていますが、その人が亡くなってからはその家から公卿などの要職から離れています。

 

その人の息子といわれる増賀(蔵賀 多武峰先徳)は比叡山良源のもと天台僧となって多武峰(妙楽寺 今の談山神社)に入ります。

妙楽寺のある「多武峰」は多くの戦乱の場となった地で混乱の歴史を伝えるが如くの名称ですが増賀は「武」ではなく僧としてこの地を人生最期の地として棲むことになります。

そして、まさに人の、また歴史に登場する者たちの「虚栄心」はまったくなかった人でした。

 

画像は増賀堂跡。

昨日記した石灯籠のある参道を神社に入らず、西に進めば進行方向右側にその地はあります。

やはり石垣に囲まれている空間。上段に四角い土台、おそらくそちらに増賀の庵があったのでしょう。

 

今は人もあまり通らない林の中。妙楽寺中興の祖ともいわれる増賀さん、今の有様、神社に衣替えしていますよ~。

死した後も尚失望・絶望するような事案で・・・

何とも気の毒な一所懸命でした。

彼が死したのは1003年のこと。1000年以上も経ってしまいましたがその後に続けなかったことは致し方がないのかも・・・

未来永劫などない。

 

 

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2024年

10月

13日

元徳三年(1331)銘 重文石灯籠 伝後醍醐天皇

前日たぬきの家族とお目にかかっただけに朝の「開店準備」~と言っても閂を外して開き戸をオープンするだけです~、本堂周辺をおそるおそる見回していました。堂内の状況も彼らは勿論ネコにも侵入された気配はなく安堵しました。

これまで、ネコ突破防止の対策を重ねてきて、そのすべてに失望させられきています。もはやお手上げの感あり夜間閉鎖というカタチになったのですがひと手間ふた手間ありますがこれにて対策は終了ということにしました。

 

扨、復習します。

十三重塔(淡海公)を出て右に折れればスグにあのT字路にぶつかります。その道が旧妙楽寺、談山神社の参道でそちらを右方向に下ればあの摩尼輪塔があります。

そしてT字路を左に曲がれば談山神社の入口。

左手には私のおススメ「豆大福」の声掛けをするお店がありますが、その店の向かいに鎮座するのが元徳三(1331)の銘のある重要文化財指定の石灯籠。後醍醐天皇寄進と掲示板にありますが・・・

美的センス高く川勝政太郎氏(日本石造美術辞典)の絶賛の記述があります。

 

「灯籠は六角型。基礎側面は二区格狭間。

上部の反花は見事な複弁で、中央竿受けの円座も蓮実式にした丁重な作りである。竿は円柱で、中節の四方に蓮花文を刻出して装飾し、火袋の六面の一方は火口、背面は小蓮弁をめぐらせる円窓。残る四面には蓮座を薄肉彫し、その上の線刻の月輪内に四天王種子が薬研彫される。上区は二区横連子、下区は二区格狭間。竿に『元徳三年(1331)二月日 大工利弘』の刻字

 

店頭で声をかけまくる店員さんの目の前に立つ重文石灯籠はちょっとした柵の中にあります。

よって大きい声では言えませんがその結界を跨いで石灯籠の裏側を拝見させていただくためにお店の開店前に訪問したのでした。

こうも思いました。

店で豆大福を購入し、「ちょっと目を瞑っていて・・・」と一言断ってからというのもいいかとは思いました。

 

やはり誰にも文句を言われそうもない時間帯が一番に手っ取り早い。

そういう発想しかできないというのがお寒いというかバカなのでしょうね。鉄道写真を撮るために問題を起こす若者と同じでしょう。

そしてまた、やはり明るい陽の下が一番イイ。

 

最後の画像2つが、昨日の拙寺開店前と開店後の図。開店早々あの「黄色白」(私はそう呼んでいます)が現れました。

 

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2024年

10月

12日

妙楽寺-談山神社の石垣 たぬき親子と対面

まずは「ノーベル平和賞」受賞の報せ、おめでとうございます。

 

夜間の室内の温度は27℃。外気の22、3℃とは違って夏の雰囲気をいまだ保っています。

深夜となると26℃を割ってきますのでその自然のエアコンの冷やしすぎに対応するために今季初めて薄手の長袖トレーナーを着用して就寝しました。

 

先月25日に気合を入れて行った銀杏掃除によって発症したかぶれと痒みで夜中に起きることがありましたが(2週間続きました)、数日前からは天井を歩く謎の物体の物音で目が覚めます。

枕元に置いてある長刀の鞘ごと天井を叩くなどして対応していますが、抜本的改善策はなし。

古い家はいたるところにその生物の入出路はありますからね。

 

本堂の障子を破いて堂内に夜間入るネコは鳴き声を出しますからまず彼女ではないと踏んでいました。

ネコは8月末の台風時期に風雨を逃れるためか、その障子破りを覚えたのでしたが、そのために当方の対策として障子の外部露出部に板を張り付けるなど改変が進みました。しかし彼女には高さは関係なし。運動神経は抜群ですからね。

上部の障子を突破してきましたので板張りは諦め現状は夜間、板戸を閉めて閂で対応することにしました。

 

よってかなり面倒なことになりましたので正面だけ朝オープン。17時過ぎに「閉店」という形態にしてしまいました。

防犯上、本来はこうあるべきでしょうね。

⑥画像は昨日の「閉店前」の図。

少々遅めの閉店でしたが、これまで出遇ったことも無いような生物の影4つ。衝撃的でした。

30年以上前に境内でイタチと遭遇した際の激臭の思い出は強く残りますがまさかたぬきとは・・・それが人慣れしていて私どもを前にして平然としているのでした。

おそらく家族、親2匹+子2匹でしたがまさか屋根裏の騒ぎの下手人はお前らでは・・・と閃いた次第。

しかし彼らではないでしょう

あのふっくら具合で屋根裏を歩くとすれば・・・私の感じているそれとはまったく違うでしょうね。彼らは家族の絆が強いでしょうから家族全員で天井裏に上がれば相当無茶苦茶な騒ぎになるはずです。

 

最近はイソヒヨドリの声が聞こえなくなった・・・とその棲息について奥方と話題になっていましたが、まさかこんな生き物が登場するとは・・・

ネコが本堂に入るのは彼らを恐れての事かもしれませんね。

④⑤はヤマバトのために私が撒いた餌の残りを漁るたぬきたち。

 

扨、先日は談山神社参道の石垣をさらっと記しましが、あの寺(現神社)をブラついて「コレは・・・」と思わない城好きはいないでしょうね。

まぁ「ココは城であった、コレは城壁である・・・」と。

 

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2024年

10月

11日

御門徒さんの愛着 寺のメッセージ 無碍一道

朝から穏やかな秋晴れ。丸一日続いてくれました。

昨日記しました通り、朝から早々に無理やりですがイラストを完成させてグッズ(綿製エコバック)の発注をしました。

出来上がった品を来年、拙寺境内に訪れた方へ、お寺のオリジナル土産として販売しようという魂胆です。

別にその皮算用が外れたとしてもまったくOK。

ダメでもともと、どこかのタイミングでご門徒さんに配ってしまうというのもアリですから。

年末の除夕鐘のイベントでデビューしようと思量中です。

そしてまた、今一つ「相良土産」「寺土産」として名乗りをあげる何かを思案中。

 

拙寺駐車場に大型バスは入るか?などの心配の声が時としてありますが、それは観光バスで寺に乗り付けて来られるツアーがある・・・という前提によるもの。

その件、私の知ったことではありませんが、それなりに大河ドラマ初登場の田沼意次(渡辺謙氏)の極渋の演技でのブレークをあてこんだツアー会社による企画立ち上げの件「無くはない」ようですから。あるかも知れない・・・

 

相良にとっても拙寺にとっても「悪くない」ご縁をいただくわけですからね。

しかしそのようなことが本当に実現するものか・・・疑心暗鬼でもあり。

 

その時、そうなった時では遅すぎますからね。

戦闘準備にはもう少々・・・用意は周到にいきたいものです。

要はなんでもかんでもダメ元でイイ。

失望などいつものことですからまずはやってみよう・・・です。

あるかないかもわからないその「宴」の後の閑散もまたヨシ。

奥方への借金は膨らむばかりですがね。

 

先日は世話人会日程の伝達のついでに、ご門徒さま宅のお内仏でこ焼香をさせていただきました。

89歳になる奥様で数年前に夫を亡くしています。

マスク装着の私が「大澤寺~」と名乗るとスグに了解してくださいました。

私が雑談の中で「最近目の具合が悪くて・・・」をボヤくとその方は「目も耳も苦になっていない」との談。

そしてこのミシンを動かして裁縫していると。

それを拝見すれば、かつて私が幼き頃、小田原の家で母が使用していた足踏み式のブラザーが。

その方が菊川から嫁いできた時に持参して、以来ずっと使用しているとのこと。

脇には新し目のミシンもありましたが、断然そのブラザーが使いやすいといいます。

ちなみに拙寺のそのメーカーのものといえばプリンター。

世の流れですが、ミシンのノウハウがそこへ転回したということでしょうね。うまいことやってます。

 

そもそもまた裁縫は目がハッキリと見えていなくては出来ない仕事です。針の穴に糸を通すことすらままならない私ですからそれには感服させられました。

よく年配者が仰る「腰と膝」の痛みについても問題なしといいます。

しかし私は別れ際に「転ばないでね~」と。

まぁそりは私が一番にあやしいものがありますが。

 

「あやしい」といえば昨夕、先般奈良の山を走ったせいで泥にまみれた車を洗車場に持ち込みました。

コイン洗車場ですが、小銭が無かったために同じ施設のスタンドの若者に「洗車場に両替機とかナイよねぇ~」とやんわり。

すると(両替機は)「無いですぅ」。

そこであらためて両替はしてもらえるかどうかを尋ねれば、一呼吸置いて「できますよぉ~」。

 

ハナから私が両替を依頼していれば良かったのですが、彼も相手の質問に確りと答えてくれる性質のよう・・・私ならそんな客が現れたとしたらイキナリ「ハイ両替ですね」ですが。

それが何より手っ取り早い。

そして彼は私の差し出した1000円札を受け取るや、表裏をまじまじと確認していました。表→裏→表と・・・

あやしいニセ札犯との認定だったのでしょうかね。

決して片言でしゃべったワケでは無かったのですが。

 

①は半世紀以上そのお宅にあってなおも現役の「機械」。

子供さんは「捨てちゃえ・・・」と言う様です。

②はこの二日間悩んだ挙句、「コレ」と決めたエコバックのデザイン。

勝手に思いついた文言の羅列ですが、解釈も各、お好きなように。阿弥陀さんとネコの可愛さも、また寺としての意義も一応併せ持っていると・・・これも勝手に歓んでいます。

 

「無碍の一道」は歎異抄七条から。当流の神髄ですね。

奥方から「カナを振った方がイイ」とのご指摘がありました。

息子の力を借りて完成できましたので彼に報告すると「いいじゃん」と承認いただけました。

 

 

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2024年

10月

10日

千載一遇の好機「どうする相良」 相良民は疑心暗鬼

昨日は朝から小雨。

滅多にやらないPCを使ってのちょっとしたイラストの修正と画像の再構成に没頭していました。

特別なソフトを駆使しての仕事ではありませんが、結局「何だっていい」という開き直りを以って完成。

これは来年のイベント用、境内に設営する棚店に置く賑やかし。オリジナルグッズに記すデザインです。

まぁ私の勝手な思いを図画にしたものですが(元画像は息子に頼みました)グッズが出来上がったらこちらでも紹介したいと思います。

 

「何もしないより失望した方がマシ」の彼の言葉の通り(「ものすごくうるさくて ありえないほど近い」)今回も失望してやろうと動いています。

世話人会のサブタイトルが「どうする相良」。

春先の世話人会以来、ずっと何か出し物を・・・と呼びかけています。

話半分でいいから聞いてください・・・と前置きしつつ、「もし、もしも来年の大河ドラマで・・・」の架空話。

「相良」への来訪者が多く来られたら・・・その時どうする?ですね。ご門徒皆さまに声を掛けているところでした。

 

相良土産の一つでも何かあるかという自問はどなたでも抱えている課題ですが史跡調査会の小澤氏が考案した日本酒「田沼意次」もそうですが、やはり調査会一同で製作した「意次せんべ」など、その放映による反応をポジティブに考えているところです。

 

そこでそれらとは別に拙寺のオリジナル品として牧之原茶「無量寿」にもう一品とばかりに考えたのが今回のグッズというワケです。

今回ばかりは・・・と「攻め」を奥方に主張、予算ギリギリの中その品の手配をしているところです。

 

これまで歴史の中での相良のウェイトは低く、田沼意次もどちらかといえば地味な存在。喩え番組中に田沼や相良城の名が出てきたとしても世間様からは何らの響きも与えることなく、また少々の反応があったとしても一過性で終了してしまうなど当然に覚悟はしています。

かといって何もその時の用意をしないで、傍観しているだけではつまらない。私は「千載一遇のチャンス」と皆さんを大いに煽りまくってはいますが、現状相良住民は至ってクール。

 

資金不足の牧之原市はその観光客対応として新しいちらし、案内を製作するという方向にあまり舵を切れていないようですし。

どういうカタチで相良に来られる皆さん(それも相良民は疑心暗鬼)をご接待し感動と満足をもってお帰りいただけるのか・・・

 

あっという間に来年の1月5日(放映開始)を迎えることになります。

私どももそれに合わせて突貫工事、外トイレの完成に向けて奮闘していただいているのですからね。

来年はより一層楽しくすごせるものと期待しています。

 

扨、午後からは雨があがって夕刻前には晴れ間が出ていました。

昼過ぎに、「うどんでも」ということになり浜岡の「宮内(地名です)うどん」へ。

数度にわたってこちらを訪れていますが昨日も空振りでした。

こちらの休業日は基本月曜と火曜ですが時に水曜も休みにするよう。私は一度もそちらのうどんを食していません。

 

画像②③は以前のうどん屋前の空き地の図。彼らの存在はまさに牧歌的を思います。

画像①は息子が送ってきた夕食時の食卓の図。

今の私の心境は①の彼の如し。千載一遇。

勿論彼のチャレンジは失敗に終わっていますが。

 

 

 

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2024年

10月

09日

参道摩尼輪塔②再再訪を思う 倒産5000件超え

昨日は世話人会召集の案内状の手配りポストインを2日かけてですが、すべて完了させました。勿論郵便局の手は一切借りず・・・です。

車両利用をしての高だか2000円弱の節約でしたが世の「値上」コールに対して少しは抗う気を持ちたいものですからね。

さすがに遠方のご門徒さんへの告知はそのシステムに頼らなくてはなりませんが。

うまいこと立ち回っていかなくてはこの世の流れに淘汰されてしまいます。

 

この値上げ値上げの不景気風が吹く中、昨日は「倒産10年ぶり5000件超 4〜9月、物価上昇が退場促す」という見出しが日経新聞にありました。

「物価上昇によるコスト増加が経営不振の中堅・中小企業の退場を加速させている。2024年度上半期(4〜9月)の企業倒産件数は半期として10年ぶりに5000件を超えた。コスト上昇分を販売価格に転嫁できずに破綻・・・」とのこと。

「スタートアップなど新設法人の設立数は高水準で推移しており、転職の増加によって成長産業への人員シフトも進みつつある」といいますから、国の方としてはその淘汰もむしろ経済の新陳代謝の促進くらいのことしか考えていないのでしょうね。

中小企業ではダメ「寄らば大樹~」的発想も若者たちに根付いて地方と東京の格差色々はますます進んでいくのでしょう。

一部の人たちのみの幸福を目標とするならばよく政治家が並べ立てる「経済」などの語、クソ喰らえなどと思うことしきり。

あとイスラエルの無茶を黙認し何も解法を得ていない国際社会の無能も同じ。

 

扨、昨日のブログ画像の再掲追加。画像のピックアップ等、掲示板の掲載も、また塔の柱部の図も忘れていました。

ましてや画像が暗く、今一度の訪問が必要と考えた次第。

今年の冬にでも行けたら・・・命があれば行きたいところいっぱい。晴れた日の昼頃に・・・

 

画像は参道にて。石垣の様は恰も城郭です。

 

 

 

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2024年

10月

08日

乾元二年(1303)建立摩尼輪塔 談山神社参道 

先日、突然の電話があって「明日草むしりの仕事を」という方の件記しましたが(その際は途中降雨のため3時間で終了)、昨日も朝6時に電話があり「これから行く」と。

こちらの都合も聞かずイキナリでした。

それだけ困っているのだろうとは思いましたがその日は昼前から総代会があり、またネットの予報では10時過ぎから雨の示唆。よって私は「またの機会に」と告げました。

すると彼は自身が聞いた予報では降雨は夕刻からであり「もう着替えちゃったから」と意味不明の理由を告げられました。

 

まぁ彼はこれまでそのような理屈を前面にして人生を送ってきたのだなぁ・・・と思わされましたが・・・。

天気予報もそうですが、時間的に私の都合が合わないこと、無理なものは無理ですからねぇ。

その理を了解してもらうのに時間を要してしまいました。

この寺の雑務をもってその日の賃金を得たとしてもその後のことはどうするのでしょうね。

 

扨、昨日の十三重石塔の小山を降りて右に折れれば①②の景色となりますが、そのT字路を左に曲がれば神社入口。

その反対、右に折れれば③の如くの参道になります。

向かって右側にあたかも堀の如くに境界をつくる小さな川の流れがあります。

50mほど下るとその川を背にして④いわゆる談山神社摩尼輪塔、重要文化財指定(高さ315㎝)の遺構が姿を現します。

 

昨日も記した「日本石造美術」の絶賛評価の記述を。

「八角柱の塔身に生けこんだ形になる。

その正面上方に宝珠形の大月輪を厚く彫出する意匠は実に秀抜である。月輪面には五点具足の胎蔵界大日の種子をあらわす。

刷毛書の雄渾な梵字で薬研彫の効果も十分である。方形の笠は大きい気宇を示し、鎌倉後期様式の軒反りが美しい。頂上に路盤を作り出し、その上に伏鉢・請花・宝珠を飾り、見事なおさまりを見せる。多角柱であるから石幢のようであるが、石幢のように八面を使わず、仏を正面だけに奉安しているので笠塔婆に分類する。塔身正面に達筆の字で『妙覚究竟摩尼輪 乾元二年(1303)癸卯五月日立之』と刻む。妙覚究竟摩尼輪は仏果の終極の位をあらわす。」

 

失礼ながら私にはその形状、昔の郵便ポストのようにも見えました。

 

 

 

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2024年

10月

07日

十三重石塔 藤原不比等 淡海公墓塔?

おそらく私の人生「キャリアハイ」初めてのことでしょうね。そんなこと・・・昨日(10月6日)の午後、「い~ら」の山の森からツクツクボウシの声が聞こえてきました。

まさか・・・がずっと続いています。何があっても驚くのをもうヤメにしましょう・・・

秋雨がやたらと長く感じるこの季節、朝から青空が広がってくれました。

私は拙寺にて多くの来訪者への対応があり、準備(搬入と搬出)のみのお手伝いとなりましたが昨日のい~らでは恒例の「芸能発表会」が。

そちらで史跡調査会が考案した意次せんべいの棚店の出店がありました。

そのイベントの賑やかさに圧倒されました。私が午後の片づけに赴いた頃は殆どカラオケ大会の様相。そして最後の演目がフラダンス。怖いもの見たさでおそるおそる・・・

やはり年配者が多く見えましたが何か目標を持つということは元気のもとであること、よ~く理解させていただきました。

情けないことですが何れもそのステージに上がること・・・私にはムリ。

 

扨、昨日の多武峰第1駐車場から談山神社に向かって階段を降り切ると、右側④の看板~十三重塔石塔~の案内板が目に入ります。その先の木々が茂る森の中にいわゆる「談山神社十三重塔」が立っています。

藤原不比等―淡海公の墓と伝わる石塔です。

あれだけの高さの塔とあって幾度かの倒壊を経験しているようで所々に痛々しい痕跡を残していますが建立は基礎に刻まれた「永仁六(1298)」と鎌倉後期でありその時期の石塔としては希少な遺物。

場所的に「放置」に近い地を思いますので、さりげなさという点では好感が持てますが、少々石塔の立場からすれば地味な扱いが過ぎる感。

 

所重軸部には金剛界四仏の種子が薬研彫。

基礎は「永仁六戊戌三 勧進六八願衆」「大工井行元」(鎌倉後期に活動した伊派石工の一)

「弥陀の四十八願に因む六八願衆と名づけた阿弥陀信仰の人たちの結衆が、多くの人たちから寄付を募って造立したものである」(日本石造美術辞典-川勝政太郎)

 

 

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2024年

10月

06日

タダか500円か(11月1000円)相方を怒らせないために

昨日の法要は久しぶりに午前と午後の2件。

雨が心配でしたが、何とか強い降りの時間は回避できました。

ただし夜になって結構強めの降り。各地警報が出ていました。

22時すぎには雨はようやくあがりました。

 

またこの時期に本堂で扇風機がフル回転というのは・・・

先週、ご門徒さんのご自宅での日にち指定のお取越に赴きましたが、一昔前のこの日には「火鉢を出した」と。

扇風機と火鉢・・・その中間の季節はどうなった?

 

ご門徒さんの最近の話題について昨日は「全身麻酔か局部麻酔か」について記しました。経年摩耗した足腰の骨の「復元」手術の際のそれについてのものですが、また最近私がよく耳にするのが「透析かギリ透析寸前か」の話題も。

それは糖尿病に関わる腎症への対応ですね。

決して軽くはない糖尿病などの維持療法でしょうが、そのボーダーラインたるその時の数値がその会話の中に出てきます。

私にはチンプンカンプンですが。

「もうそろそろヤバイ」などの言があった方。前回お会いした時から比べて絶不調を思わす体調の様でした。

もう一方も以前と比べて一見して見紛うほど痩せてしまっていました。

 

以前のデータにありましたが、その透析施術に入るとそれをしない人と比べて余命生存率が50%となってまうといいますから、そのボーダーラインを超えたくないというのは当たり前の心情。

透析をしなかったらスグにで危篤状態に陥るということでしょうね。

何よりもその「透析」という施術に要する時間の浪費にその経費は老後の安楽、特に家計の切迫要因となりますからね。

よってそのボーダーラインに満たない、現状まだ大丈夫というところにこのうえない安堵を得るわけです。

そのために数値維持のための食事療法と投薬をもってその定期検査に臨むとのこと。

それでいて皆さん、その時の覚悟はある程度できているような・・・

 

つい数日前にお会いした方はやはり透析入りへの警戒を抱えている中、高血圧の症状もあって医師より強めの降圧を期待して薬を処方してもらっていたそうですが、あまりの血圧低下によって「くらくらして歩行にも難儀」したといいます。

結局は「130」という数値目標でコントロールしてもらったとのこと。

高血圧に糖尿病に透析・・・いずれも齢を重ねて発生しやすい病とその療法ですが私は今のところそれへの対応に関しては何とかなっています。

しかし老・病・死というものは微妙に関係しあっていて、「朝には紅顔、夕には白骨」の身ということあって「大丈夫」ということは言い切れません。

どうあがいたとしてもその試練はいずれ・・・ある。

まずは「まかせるだけ」ですがね。

 

扨、談山神社に向かうに奥方と向かった際は山の上の多武峰第1駐車場に車を。こちらへの駐車はタダです。

今時タダ(無料)というのは有難い。

ところがそちらからだと談山神社の入口までは少々の下りの距離が・・・当然に帰り途は登りということになります。

よって案の定「何故に・・・」と奥方からその疑問が投げかけられるわけで・・・「ケチケチしやがって・・・」です。

 

掲示板の通り、門近くの第5駐車時用の料金は500円。11月は紅葉の季節だからか1000円とのことですがその時は桜の季節。

その500円をケチるのではなかったと後悔したものです。

私は歩けば新しい発見もある、そもそも健康にイイ。感謝されるべきであると説明しましたが・・・却って不穏な空気に。

 

 

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2024年

10月

05日

いいね 十三重塔はやはりウリ 談山神社

雨は夕刻前にはあがりましたが殆ど一日中の感、まるで梅雨のよう。

昼過ぎからは県の観光協会の皆さんが来られていましたが対応は長谷川氏に全おまかせ。

私は庫裏にて大谷祖廟へのお参り用の事前資料の作成をしていました。

その後は本堂正面引き戸の不具合の修正にかかりましたが、思わぬ気温上昇と高湿度にかなりイラついていました。

 

法務以外の時間を境内の建屋や植栽のメンテに充てるのは私の役目ですが、それについてつくづくと思うようになりました。

その何となく一日すごせるおかげさまを。

その気概とある意味自己満足がいつまで続くかは分かりませんが、この仕事だけはリタイアがない、エンドレスだということをも思います。没頭する趣味など今更見出すことなどできませんね。

時間を見つけて奈良辺りをほっつき歩くには絶妙の季節になりますが、私にはその程度。

そして境内での雑務が多すぎてなかなかそのタイミングが掴めません。

 

今年は山野にクマの好む果実の成りが極めて少ないようで彼らが人里に下りる頻度が高くなるかもしれない・・・と。

彼らの冬眠期をそれを信じて山歩きすることがありますが、今年~来年はかなりヤバイような気がしますね。

そもそも温暖化で冬眠をしない個体の存在も耳にしていますので。

もしかして腹を空かせてやはりイラついた熊どもと同じフィールドに私があることなど・・・想像するだけで恐ろしい。

 

午前はずっと雨でしたがあるご門徒さんと石屋さんが。

そこで話題になったのが「全身麻酔」か「局所麻酔」の件。

幸いにして私は前者の経験はありませんが、お二方とも両方の経験が。

そのお二人のうち一人は膝軟骨×2、もう一方は股関節手術での全身麻酔、そして次回はもう片方の施術の予定について。

やっちゃえば快方に向かうことはわかっていてもその全身麻酔だけは辛いとのことでした。意識があるのかしらねぇ・・・

もっとも手術をしなければ歩行困難で寝たきりになると医師より脅されている(股関節の方)のでなんとかあと10年を快適に過ごせること、楽しくすごせれば・・・とのことでした。ちなみにその方は74歳です。

 

私のその話題参加は頸椎の件。手術についてその全身麻酔と術そのものに怖ろしさを感じて病院から「敵前逃亡」した旨をお話しました。

人生「逃げること」も一考。岐路遭遇の選択肢として。

 

先日取っ捕まった強盗傷害の若者は「闇バイト」の招集に応じてなるべくしてそうなったのでしたが、発案招集したボスは「逃げるな!!」なる言葉を発したといいますね。

私どもはある目標に向かって準備した共同作戦から「逃げる」ことは他に迷惑をかけますし卑怯なことと教わっています。よってその語は叱咤激励のイメージ。

 

しかしそのシチュエーションは年寄をブン殴って縛ってカネを奪う酷悪犯罪です。

道理もヘチマまありはしませんからね。

そういう場合はさっさと「逃げて」警察へGO!!するというのが常道で正解。

ちょっとの失策(闇バイトに引っかかった)をしてしまったけれども真っ当な人生を再び歩むのか強盗傷害の罪状をもってすべてを晒されて収監、大いな人生の時間の浪費をするのか・・・

0-100で結論出ています。闇バイト主幹者の「殺すぞ」などの脅しには「やってみやがれ」の啖呵を。

そもそも真っ当な「逃げるな、投げるな」の言葉をこれまで聞こうとしなかったクセに何故にしてその手の輩の「逃げるな」に合点するのでしょうねぇ~。わからない。

 

扨、談山神社やはり絵になるのは十三重塔。

廃仏毀釈でも生き残ったのは・・・壊すには惜しいから・・・それに尽きるでしょう。

 

 

 

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2024年

10月

04日

談山神社正面鳥居と階段 あの植物には快適な季節

昨夕刻からはまとまった雨がありました。

浜松では竜巻の被害があり以後当地の状況を見守りましたがそれによる変化は幸いにしてありませんでした。

 

東南アジア、台湾を襲った台風にしろアメリカで死者190人を出したというハリケーンもそのパワーの源泉は間違いなく温暖化による海水温の上昇でしょう。

最近のニュースで驚愕したのが伊豆のサンゴの白化現象。

その如実を聞いて海水温上昇にもはや疑念の余地はないと思ったのでした。サンゴの成長の北限も上がってきていることもしかり。

 

最後の画像は毎度記している月下美人の蕾。昨日の図です。

1週間後には「咲くぜ~」のアピールは当家の鉢植えのそれをざっと数えて15個以上。

蕾の位置が近すぎると干渉しあって自然淘汰、どこかで変色して落下することになりますのですべてが咲いてくれるとは思いませんが彼らの成長具合は申し合わせたかの如く殆ど一斉開花。

タイミング、どんぴしゃで開花すればさぞかし玄関は賑やかになるでしょうね。

彼らの謳歌繁盛はやはり気候のせいでしょう。

 

一昨日、久しぶりに以前もお願いしていた方から「明日何か仕事を・・・」という依頼の連絡がありました。5年振りくらいでしょうか。

草刈りをサボっていたこともあり「それではよろしく」と電話を切りましたが・・・

昨日は午前11時すぎから雨が降りだしてその作業は3時間弱で終了することになりました。

時給1000円で昼食付きという事前了解でしたので、金3000円とカップ麺+少々のお菓子を渡しました。

「また仕事をしたい」とのこと。「お天気の様子を見て連絡してね~・・・」。

家の事情と体調が芳しくないという彼。

ハードな仕事は頼めそうもありませんので、仕事の内容について配慮しなくてはならないのが難点。

何しろその方に作業依頼したとして、私がその処理に地頭方まで走らなくてはなりませんので、案外と私の時間が制限されてしまいます。

 

彼の談によれば色々な場所で仕事を断られ続けて最後に拙寺に来られたとのことですが、世にいう闇バイトの短慮の者はこういう地道な就業でもっておカネを得ることを見習った方がイイ。

ちなみに彼は私より一回り以上歳が若いです。

オトナに対して仕事の対価が3000円というのは申し訳ないことですし、受け取る方としても屈辱を感じているかも知れません。

 

「傘を貸してほしい」ということで別れましたが、徒歩で御前崎まで帰宅したかもしれません。

先日拙寺に「何か食べ物を」と訪れた際は藤枝の仕事先から徒歩で帰宅途中とのことでしたから。

 

画像①~④は先日と同じ明るい時間帯の談山神社門前と階段の図。

 

 

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2024年

10月

03日

南東側の要害性 布引原側の脆弱性 勝間田城大堀切

若衆の短慮、呆れるばかり。首都圏でまたも流行り出した「闇バイト」とかいう強盗団の件です。

この街区防犯カメラだらけの中、「ようやるよ・・・」の感。

そもそも報酬-大金の誘惑があるのでしょうが、それをゲットできる確証などあるはずもなく。きっとそのおカネなど貰えないでしょうね・・・

そもそもゲットされちゃうのは軽はずみにそのバイトに応した者たちなのですから。

何故にその短絡発想に陥って身を滅ぼすのか・・・まったく意味不明です。

 

悲しきかな地道に仕事をすることを教えてくれる人が居なかったのでしょうか。

また、それほど泡銭が欲しくて強盗をしたいのだったら一人住まいの爺さん婆さん狙いではなくて「強い者」・・・特に永田町あたりでその泡銭を懐に入れた「裏金ギイン」の衆でしたら国民のうちその気概に納得し共感できる人は少なからずいるでしょうに。

年寄をブン殴って縛り上げてカネをむしり取る・・・刑務所に入ってからボコボコにされあるいは親、兄弟親戚までも後ろ指を指されるのがオチですよ。

 

昨日は午前の法務が終わって午後から軽トラのウォッシャーポンプ、タンクの不具合の修正を再チャレンジ。

息子に注文してもらったバンパークリップが届きましたので。

タンクの横腹には穴が開き尚またフロントガラス全面からは水が出てこないという症状です。

中古も新品もポンプ代替品は5000~6000円ということで一旦は諦めましたがしつこくも今一度試行した次第。

タンク横腹の穴の下には水が溜まります。よって底部に残った水が噴出してもいいのですが、それが出てこないということは・・・目詰まりを想定。

割れた破片がポンプの入路に詰まっていたとしてそれを除去できればと

 

フロントバンパーを外してからタンクを外し(10mmのボルト3本)内部を幾度か水洗いしました(最後の画像赤丸がポンプ 穴を塞いだ黄色いテープが見えます)。

テープで穴を塞いでから装着。水を注入しましたが、その辺に転がっていたガムテープの類ではダメ。激しく漏れていましたが肝心のウォシャーの方は確りと水を噴出してくれました。

当分は水の注入の頻度は高くなるものの「まぁ、これでOK」と勝手に納得しながら終了しました。

いずれまたまともな修繕を試みましょう・・・

 

 

 

扨、一昨日勝間田地区の私の時間は久々勝間田城を歩こうとその山を登りました。

あの件事に赴く前にその時間のことを奥方に話しましたが「その恰好で行くのか?」と問われました。

私は「たれもいやしねぇや」と捨て台詞。

案の定その城跡には人影はまったくなし。

蛇が一匹案内を買って出てくれはしましたが・・・

以前最後に歩いた勝間田城は冬の図でしたのでそちらと比較できると思いますが、今は草ぼうぼう。大きい声では言えませんがあまり手が入っているようには見えませんでした。

 

よく榛原は勝間田城勝間田氏、相良は相良城田沼意次に二分されて双方あまり相手のウリについて感心を持たないといった声もよく聞くところ。

勝間田のみなさんはその管理に奔走しているから・・・とはいうもののあのボサボサを見て、「ふ~ん」。

まぁ広い城域の管理は難しいことですからね。厳冬期に来るしかない・・・と感じました。

しかし①のポストの中にあるはずのパンフは一つも無し。

管理するとは言っても私と同じ、やり切れるものではありませんから同情します。

しかし折角遠方から来られた方がいらしたとしたら・・・がっかりですね。その不作為。

 

肝心の着眼点はやはり「大堀切」。

二の曲輪と東尾根曲輪の自然の地形のそれ、谷間を「堀切」とすれば、これほど大規模なモノは他にそうはありません。

⑤⑥の堀切の延長となる南側が➆~⑩にあたります。

あり得ないほどの高低差ですが、その地形について事前に承知していたとして東南側からの攻城は無謀です。

おそらく堀底大手道といった感じになるのでしょう。この谷を降りきれば勝間田川になりますので川を外堀にした頑強な防御性を発揮していたと想像します。

 

それに反して西側の防御性はかなり脆弱。

舌状台地の東側にある勝間田城は台地の西に広がるフラットな地(布引原-牧之原大茶園)を背後にしていますので寄せ手からすれば勝間田川方向から攻めあがることは愚の骨頂でしょう。

布引原から攻め降りれば本丸は近くて難なく落とすことができるような地形を感じます。

対東側の勢力(今川)を意識している造りを感じますが、そうであったとしても裏に回り込まれることは考慮しなくてはね。

 

 

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2024年

10月

02日

大谷じゃなくて大ケ谷 勝間田の横穴古墳群

「国民に寄りそう」といった政治家の発言をよく耳にしますがそれはあくまでも口上でしょう。遠い存在の方々がそうは言ってもまったくピンときませんし。むしろ気持ちが悪い・・・

その言葉自体が漠然としていますが、時に我ら坊さんも悲しみに沈めるその空気(葬儀式)の中で「そうあるべき」とは言われます。

しかしやはりその通りにできたのかといえばかなり疑わしい。

私としては真宗宗旨に沿った法縁を淡々とあるがままにお勤めするだけですね。

 

その「寄り添う」とは「違うだろ・・・」と思ったのが今年の4月から訪問介護の基本報酬が引き下げらたこと。

今朝のNHKのニュースで扱っていましたがヘルパーさんなど人材確保がままならず、地方型の中小規模の訪問介護事業者の経営が深刻度が増して倒産件数も増えているとのこと。

 

ニュースではある施設の経営者の方は月給8万円。自身も高齢に付き「やめたい」との談でしたが、後継者として従業員を指名することも酷な事と。

それは施設経営側だけでなく、受ける側、高齢者、要介護者にとっても不都合なことです。

 

これは厚労省の施策ですがピントがボケているとしか言いようがありませんね。

実は国民を「突き放している」ことがわかっていないのかも。

それはそれは、おカネが十分にあって施設、窓口も多く集まる都会の皆さん方には介護にあぶれる心配などあるわけもなく。

まったく末端の事など分かっちゃあいないね。

 

昨日は独り暮らしのご門徒さんが亡くなったことを記しました。

自宅にて持病の突発出現により発見が遅れたのでしたが、そういった地区のチェック機能といえば殆どボランティアー民生委員さんの仕事になりますね。

この国は末端の悲痛や現状苦難に対して、民の力に期待しすぎの感があります。

石川の地震でもボランティアの受け入れ云々についてあれこれと囁かれていましたが救助・救援・資材・資金投入含めて本来、まず最初に国が動くべきことでしょうに。

 

また自治体の避難住宅の設置地選定の件はお粗末。

浸水リスクのある場所に住居を建造することなど呆れたものです。

 

それを口上で「寄り添った」などとは片腹痛い。

要はその時、見捨てられるということ。

災害対策は「生きること」が第一義ではありますがそのあと「見捨てられた際」をどう生きるかが大事になりますね。

そういうものだとして考えるべきです。

過度に期待すれば失望することになりましょう。そういう国なのですから。

 

扨、昨日は榛原の火葬場へ。

棺を納めたあと、収骨まで時間がありますので勝間田地区を黒衣に足袋と草履ながらちょろちょろと。

入り組んだ台地と谷が交錯する地です。

その山を降りて県道沿いに山からの流れのある小さな川のある南向きの斜面が大ケ谷の横穴古墳群。①②の先を少々散策。

草ぼうぼうでその横穴の存在は判明しにくい。

そこで勝間田小学校の生徒を捕まえてインタビュー。

今、私服で「声掛け」すると時に「ヤバイ人」扱いされて通報されますが僧形は案外受け入れられ易かったので安堵。

 

ストレートにコレ(看板を指して)知ってる?と聞けば「ごめん、わからない」と。

学校でも教えてもらってないようです。

学校の先生は地元の人とは限りませんのでそうかも知れませんが、もうちょっとばかりうまいこと管理できないものかと。

近くの方にもインタビュー。

「子供の頃にその周辺で遊んだが・・・」と中年の女性。

40基近くの横穴古墳、その様が目にできれば壮観でしょうね。

 

看板からすれば勝間田小学校辺りが集落跡との推測。

むしろ勝間田川に近く低地ですから昔から水害と付き合っていたのでしょうね。

 

墓域らしく川沿いのヒガンバナの奥がその崖(場所はこちら)。

アゲハ蝶はその花がお好きの様。

⑤画像には3個体が写りました。

猛暑ではない夏日、10月1日の勝間田の午後、青空の下に元気に鳴くツクツクボウシの声には驚かされました。

 

 

 

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2024年

10月

01日

談山神社 懸造拝殿 回廊+高欄+銅灯籠下部に石灯籠 

「信じられないくらい」と月並みな表現しかできませんが、もう10月入り。

「光陰矢の如し」の件「知らなかったの?」と自問するもまったくそれを考えている隙もないほどです。まぁ一言「阿呆」とその自分のあり様にケリをつけて淡々とあとの2か月を送るのでしょう。

そしていつか「その時」を迎えるのでしょうが実はそれはそれほど悠長なことを言っていられる話ではなく「明日かも知れない」ことだけは頭に入れておきます。

 

今私が抱えている法縁のその故人は世に言われる孤独死。

発見まで3週間を要してしまったそう。

通夜なしで火葬場直行ということになりました。それまでは警察署の霊安室にて安置となりますが致し方ないことです。

その方のお姉さんが施主となります。公共の手で火葬・埋葬するかを打診されたそうですが、それは固辞し、せめて自分の手で葬儀を・・・といことで忙しく各手続きに動いていました。

火葬後に葬儀の日取りを決めてしっかりと送りたいと。

 

先日は、山梨県から来られた参拝者より信玄餅のお土産を頂戴したのでしたが、それを食してから咳が止まりません。

拙ブログでは最近の不調、肺と喉の不具合について記していましたが今回はいわゆる誤嚥性というヤツでしょう、がっついて信玄餅を口に放り込んだため気管支にきなこが入ってしまったというワケで。

 

ホコリもそうですが微粒子は怖い。

奥方はそれをジジイ化と言って私の咳に厄介者扱い、うるさがります。

父もよく咳をしていましたが、そういった指摘をされると必ず「出物腫物(~ところ選ばず)」と開き直って反論していましたが、私にはその元気はナシ。

当時父のそれを厄介者扱いしたのは私ですからまったくその父への対応が跳ね返って来た感。

齢をかさねて初めてわかること多多ありますね。

 

扨、談山神社の拝殿。

山系の寺院に多くみられる崖の如くの斜面に作る懸造のカタチの拝殿は回廊を歩けてまた見晴らしがいい。

特に銅の灯籠がズラリと並んだ様は見事です。

この建造物は1500年代に造られたといいますがよくもまぁその耐力が続いている・・・と。 

 

 

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2024年

9月

30日

談山神社 杉と桜とカリンと折口信夫

先日の少々気合を入れて行った境内清掃作業の翌日から顔と左右の腕に湿疹状の痒みが現れ瞼の下側が腫れていました。

強烈な痒みで掻きむしりたくなりましたが何とかその衝動を抑えつつ家中の虫刺されかゆみ止めの類を総動員して塗りたくっていましたが、昨日「そういえば」とその原因が判明しました。まず間違いない!!と。

 

私は当初、ホコリを吸った際に何か悪い虫にでもヤラれたか奥方が刈り込んだと思っていたうるし科の類の枝葉の散らかしていたものを私が拾い集めたことだと考えていましたがそれらはその私の忘れていた行為を思い出したことにより一掃されています。

 

そもそも奥方はそのうるしは伐っていないとのことでした。

あの時の私の仕事は各ありましたが、その原因はまず銀杏の実だったということで。

水屋後方に強烈に堆積し、例の臭いを放ちだしたそれを箒で奥の藪に掃きよせ、あるいは箕に集めていましたが、勿体ないの気持ちが起こり、20粒ほど実の大きいものを集めました。

そして表皮部分を直接指で剥くなどの処理をしました。

あとから食してやろうとの魂胆でしたが、まぁその強烈な痒みと湿疹の原因はそれでしょう。

 

20数年以上前にそれと同じことをしたことがありましたが、その時は平チャラでした。やはり加齢のせいでしょうね。免疫力が低下したということでしょう。ああ息子にやらせばよかった・・・

当初奥方にその責任(うるし)を擦り付けたことなど反省しなくてはなりませんね。

自身のポカ・やらかしを他者に転嫁するところも明らかに老化しているということ。

 

扨、昨日の談山神社のカリンですが今一つ境内の違う場所にもあります。それだけ所縁のある樹木だということですね。

それに関して釈迢空(しゃく ちょうくう  折口信夫)の詞が刻まれていました。

彼の「死者の書」は私が二上山の當麻寺にハマっていた頃に拝読させていただきましたが、彼が如何に古代奈良に心を向けていたかがわかります。ちなみにその法名は真宗の僧侶に付けてもらったようで彼もお気に入りだったよう。

 

そしてこの談山神社のある談山は杉の大木が各所に存在しその愛すべき自然にも私もハマってしまっています。

サクラの季節ならば猶更ですね。

 

 

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2024年

9月

29日

花梨アンラ樹 多武峰曼荼羅 天誅・・・ 談山神社

昨日午前、お内仏開扉式がありましたがそれは新築のお宅の内覧会のようなものでした。

色々な新しくて機能的な品々に驚かされながら興味津々で質問をぶつける私がいました。

 

自分の希望、イイもの、利便性を追求したいと深く思えば思うほど出費は嵩むというのが「やはり」と思うところで、結局は妥協の連続になるようです。

当初施主家では流行りの太陽光発電を屋根上に設置することを検討していたそうですが諦めたそうです。勿論予算オーバーの件。

あと蓄電システムも・・・上を向いて理想を追いかけるのは楽しいことですがキリがありませんからね。

私が一番に驚いたのは電気自動車用の給電用でしょうが「将来の為に」と設計士側から推奨された200Vのコンセントです。

圧巻の配慮ですが私はエンジン世代ですから電動は肌に合いませんからね。というか維持コストが突出するような気がして。

 

扨、人とは色々な課題を抱えて日々生活しているのですが、その解法を潜在的に抱きつつ忘れて何かしら動いている中、ふとしたことからその目的達成のための示唆らしきものを感じたりします。

どこかでも記した「ユングの共時性」というか偶然というかこじつけというかそれを強く主張すれば時にインチキ宗教、もっと強く言えばオカルト、自然に考えて「不思議」という感じの事象。人によって感じ方に違いはあるでしょうが私はとかくいろいろ「こじつける」のが好きですね。

それは「南無阿弥陀仏」で生かされていることを意識しているからかも知れません(「南無」=「おまかせする」でつまるところすべての事象が阿弥陀の提示であると心得るから)。

 

私は何年か前に片付けた土蔵内の古文書整理以来、悪いモノを吸い込んだか肺への負担が祟ってホコリや微粒子には滅法弱くなりました。

夜中に咳が出だすと眠れなくなることもありします。

 

仕事上咳や喉の炎症には気をつかう生活を送りつつ「何とか十分なケアを」と考えていますが、そのことを忘れて放っつき歩いている時、談山神社でその「木と案内」を見たわけです。

「そうだ花梨を育てよう・・・」などと閃いたわけですが、それを奥方に伝えれば「それならカリン入りの飴でも舐めろ」と。

まぁ樹木好きの私は秋に実をつけるというその種子を頂戴しにそちらへ再訪したくなりました。育てることは楽しくまたその果実の成りを頂くことは格別です。

勿論豆大福も。

 

そして談山神社の宝物に多武峰曼荼羅ありますが、そちらにあの「天誅」なる語を拝見しました。

身勝手とも思える殺人正当を主張する言葉でしょうか。

「勝てば官軍」と同じような言葉のようにもとれますね。

 

 

まぁ、その天に恨みを買ったのでは・・・と思わせられるような出来事「ひょっとして・・・そうだ」と思わせられるような不思議で奇怪その後に大いなるその人の悪辣が発覚するきっかけとでもいうべきことが起こりましたね。

 

悪いことをしたら「罰が当たる」とは子供の頃から昔から言い聞かされていたことでした。

またその逆、酷い目にあったということはそれを罰として日ごろの我が身の悪き心を懺悔せよ・・・ということ?

 

画像⑧は入鹿の首がはねられている図ですが、死んでしまったら反省というものなどできませんね。

天誅とは反省する時間の利益が与えられないということなのでしょうか。

 

⑨画像が私が昨日感心した200Vのコンセント。

 

 

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2024年

9月

28日

鎌倉期の鐘と鎌足木造 念誦崛(ねずき)の語 談山神社

一日オフの日。

午前は11時まで軽トラいじり。

昨日記したメーターパネル。どうせならと、メーター部分を取っ払おうという感じ。今空洞にしてサイケな出で立ちになりました。

そこでまた問題発見。

ウィンドウォッシャー液が出ない現象。

通常そういう場合は水を補給すれば・・・と考えるところですが、タンクを見れば横穴が開いていて水を入れてもダダ洩れの様。

もうあの車屋に連絡はせず、何とか自分の手で、とその型のウォッシャータンクを検索。

新品で7000円以上、中古で送料入れて5000円以上のバカバカしさ。

息子の意見と私の考えは同じでした。

「ウォッシャー いらね」。

 

また気づいたところ。

フロントバンパーを外さないとそのポンプは出現しませんが、その際に5つのバンパークリップで留められているものがサイドの1つが欠落していました。

再び奥方から「安物買いの・・・」の小言を頂戴したところ。

クリップを取り寄せたいものの種類が多すぎて面倒すぎ。

 

11時からはMLB。ドジャースの地区優勝が決まってクラブハウスの大騒ぎまで視聴させていただきました。

テレビ小僧終了後は菊川方面に奥方とパネルの無い軽トラで買い物。

走りには今のところ問題はないようなのですが。

 

扨、談山神社のあの襖絵コピーのある空間には如何にも仏教的と思えるアイテムが目に付きます。

入ってスグ「梵鐘」がありました。この大きさからすれば「喚鐘」と思うところですがそれら背景にあの襖絵が見えます。

鐘は鐘身約68㎝、口径約53㎝、厚さ約6mmとのこと。

「大聖院新熊野 鐘 元享三年(1323)六月日 鋳改之願主幸尊」そして室町期の応永二十三年(1416)の追銘も。

元は「念誦崛(ねずき)」という多武峰奥の院紫蓋寺(しがいじ)あるいは周辺の僧房から運ばれてきたとあります。

お隣には十三重塔。

 

そして藤原鎌足の木造の存在。

こちらは定慧和尚が白鳳八年(679)に父鎌足供養のために建立した妙楽寺の講堂だからですね。

 

最後の画像は昨日の拙寺工事現場。

これから基礎のコンクリが入ることになります。それはお天気次第。

 

 

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2024年

9月

27日

メーターパネル交換 ウォホールとリキテンスタイン

午後から某メディアによる取材陣が来訪。

ざっと撮影が済んでから不調メーターパネルの交換に軽トラの販売店まで赴きました。

こんなテキトーでいいのか、それで了承して帰って来ていいのか・・・などなど大いなる疑問が湧きましたが、「まぁいいか」。

 

それが①の走行距離が最後にたまたま点灯した際の既存のパネルの図ですがそれが28553㎞。車検時の走行距離もそれに近い数字でした。

ところが、交換してもらったメーターパメルの可動は正常で不具合ナシですが、よく見ると78000㎞オバーと目が点になりました。5万㎞も余計に走っていることになりますからね。軽トラならそろそろ廃車の頃。

 

オーナーに問えば「コレでタノム」と。

次売る際や車検時は古いメーターパネルに付け替えて・・・とのこと。そちらは時々忘れた頃に数字が表れますからね。

掲示しなかったら車検は通りませんが。

 

奥方は任意保険のことを指摘。その走行距離では「(金額的に)ぶっ飛ぶ」と心配顔でした。「1年に5万キロは走りすぎ・・・」

とりあえず「いちいち実走行を計算して報告すればいいじゃん」とは言ったもののいろいろとかなり面倒。

さんざん走りまくって古いパネルに交換すれば走行距離の少ないお買い得車のできあがりにもなります。あくどいヤツです。

 

なるほどね、世の中古車の走行距離のあてにないところ理解できたような気がしました。

メーターパネルの故障交換の場合は通常は以前のものの走行距離を踏襲させなくてはオカシイことです。実際のところはどうなっているのでしょうかね。

 

私はそちら、簡単に交換が可能ですから、以前の物に戻したくなりました。

スピードメーターの不動などはどうでもいいのですが、問題は燃料計です。それが不正確、不表示ではちょっとばかり困ります。満タンにしたら古いパネル、そろそろ給油かな?と思ったら、まともなパネルに・・・いやそれもまたバカバカしい。

スピードメーターパネルの二台持ち?・・・

 

扨、数日前吉祥寺の叔父から連絡が。

30年くらい前から見向きもしないで箱に入ったままの、そして掛ける場所も無いという代物2件、「お寺でどう?」とのことでした。

というわけでそれを怖いもの見たさで受け入れたというところ。

玄関の脇の名号軸の下に置きましたがやはり違和感があります。

まぁ「お寺だからこうである」の拘りはよろしくありませんからね。

とにかく「何でもアリ」「まぁいいか」というのが私の方向。

まぁ私の辿っている方向など無茶苦茶ということでしょう。

 

 

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2024年

9月

26日

大英博物館の秋冬花鳥図コピー 談山神社妙楽寺

朝から境内に山ほど残った課題を少々着手。

今回は先般息子が向かった法要のあと週末に神奈川県内の友人に会うということで拙寺に滞留していましたので大いに動いてもらいました。

 

先日は拙寺工事現場から出た石垣の石を記しましたがあれからまた2個出現しています。それらは境内舗装路上にゴロっと転がしていましがそういった重量物の移動・整理には彼の存在は不可欠です。地頭方の処理場にも走ってもらいました。

 

扨、昨朝NHKのニュースにあの青森県中泊町の宮越家当主と所

蔵するふすま絵が登場していました。

要はその宮越家のふすまが大英博物館の秋冬花鳥図との対であ

るという正式発表がなされたということですね。

私の思いはただ一つ、先般記した通り、廃仏毀釈のマヌケ・・・やれやれ感。本来のあるべき場所に無くて遠方に売り払われたことの口惜しさよ。

 

宮越家ではそのふすまの公開をするそうですが、青森までは余程の事がなければ行けません。

イギリスはもっと遠すぎますし・・・

またネット上では「宮越家 ふすま」で検索していただければその記事が多くヒットしますのでどうぞ。

 

最後の画像3つは昨日の拙寺工事現場。

 

 

 

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2024年

9月

25日

陽光の談山神社妙楽寺 豆大福は欠かせない

前夜から風が強く雨戸が一晩中ガタガタと鳴っていました。

まるで冬にでもなったかのような雰囲気、気温も一頃よりぐっと下がってエアコン、扇風機の助けは不要でした。

前日から息子が藤枝で葬儀があるというので泊まっていましたが朝から奥方はてんやわんや。

 

7時30分すぎに息子を見送ったあと、しばらくして「忘れ物がある」と息子から連絡がありました。

奥方は「ふざけんな!!」といいながらそれを現場に届けに走っていました。帰ってきたら「昼飯を奢らせる」と。

まぁ私も同じことをやらかしていますのでニヤニヤしながら傍観しているだけ。

まぁ彼の場合、現着が開式1時間前というのが習慣になっていること、コレは天晴れ。よって何かと対応が可能というわけで。

 

昼間は境内作業。ずっと風が吹きまくって植木鉢が倒れまくってイライラ。ツクツクボウシのあまりにもか細い声が夏の本当の終わりを告げていました。

 

扨、奈良行脚の奥方同行版。見たい行きたいをコントロールされるものですから、何度も訪れることになりますね。

サクラが咲く候の談山神社妙楽寺は絶妙でした。

先般は私独りでこちらの門前を通ったのでしたが、通常時は門前に並ぶ土産屋さんからの掛け声に圧倒されるところ。さすがにあの時間はシャッターが閉まっていました。

 

実はその土産店の掛け声は豆大福売り。

さらっとこの山を廻ってから(さらっとでないと奥方から叱られます)、境内の石仏のある店の外でうどんとコーヒーのセットを所望しました。やはり奥方同行時はそういう時間も配慮しないとイケません。

そして門前に出て豆大福を2個購入。

その場で一つ立ち食いして天理のホテルでもう一つ。

再た談山神社をほっつき歩きに行きたい。

豆大福を買いに。タッパーを持参して。

ちなみに奥方は餡は好みません。

 

 

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2024年

9月

24日

問題ネコ捕獲と根負けの放猫 清水での法縁

石川県内の被災状況を脇におくことの不謹慎、他者の苦痛の存在を承知の上で、ノー天気なあれこれを記させていただきます。

 

「やってくれた感」がありました。

昨朝NHK、MLB中継の件です。

MLBといえば日本から渡った選手たちの活躍は何もオオタニサンに限ったことではありませんのでドジャース戦以外の試合を放送することは結構な事ですがさすがに昨日の試合に関しての放映の選択はNHKとしても後悔しているでしょうね。

 

今年たくさんの「劇的」試合を視聴拝見させて頂いていますが、昨日の試合はそのうちのベスト3に入るのではと思えるくらい。モニターにガチガブリ寄りたくなるような試合でした。

 

ところが本放送はその試合ではなくダルビッシュが投げたとはいえドジャースの尻に火をつけるが如く迫っているパドレスの勝ち試合の放送でした。

当初同時間帯のドジャースは山本が早い時間に打ち込まれて(相手は最下位ローキーズ)の0-4とかなりの劣勢でした。

時折他球場情報で断片的にドジャースの追い上げの様が伝わっていましたが、当番組の解説は陸上長距離の増田明美氏を彷彿とさせる長谷川氏ののんびりおしゃべりが継続、当方のイライラは増すばかり。

よってネットでのライブ情報をチェックしながら朝の法要の準備を進めていました。

 

昨日は静岡市清水区での自宅法要で8時30分の出立でしたが自宅を出る前にオオタニサンが同点HR、続いてベッツがサヨナラHRと絶対に負けられない一戦を奇跡的にモのにしていました。

そのライブ放送を目にしていたらさぞかし絶妙な一日を送ることができたでしょうね。

しかし、そのあとは車内テレビで放映されるそれらのシーンを眺めつつ気持ちよく法要を勤修することができました。

 

扨、例の私の悩みの種の野良猫は餌を仕掛けたケージに誘い込んで捕獲が成功していました。21日の深夜でした。

週明けに獣医の元に引き連れて避妊手術をしてもらう予定でしたが、翌朝一番にネコを放しました。

それは狂気の如く泣き叫びケージの中で暴れ狂っての一晩、玄関内に置きましたが、恰も「ものすごくうるさくて、ありえないほど・・・暴れる」。

そのおかげで自宅のネコたちがその異様な雰囲気にのまれて、餌を摂らなくなったこと、大音声の鳴き声によってほとほと気が滅入ってきたこと、法要を前にしてその声の響きはどうにも止められなかったのでした。

奥方がこの調子で数カ月以上付き合える覚悟があるのか・・・と念押しそれてやむなく諦めたということ。

私には野良の成ネコの保護など到底できないことだとわかりました。

息子には呆れられて失望されてしまいましたが、根性レスの私には無理な生き物でした。

 

生まれた時から親ネコに「人間はヤバい」と摺りこまれて生きてきたのでしょう。人慣れしたネコが仕合わせに生きられるのに・・・、まぁ致し方ないことです。

教育とはいかに子の人生を左右するか・・・人も同じ。

しかしあれだけ狂って暴れていたくせに翌朝、彼女はひょっこりと境内に姿を現していました。

 

先日の中国のダブルスタンダードの推測を思いだしましたね。

国民には統制維持のために反日感情と敵対心を教え込み、それでいて日本との商売を維持したい国の方向性。

またネコつながりで鄧小平の「白猫黒猫論」を思いだします。

トランプの「犬喰うネコ喰う論」もね。

 

そして②は昨日伺ったご自宅で対面したデコピン、否「ジャックラッセルテリア」。慣れっこくてかわいいワンコロでした。

 

法要の帰路、鉄舟寺の前を通過。恐縮ながらちょっとばかり被害の様を拝見させていただきました。

先般の豪雨で被災したことが伝えられていましたので。

 

墓地参道には入ることはできませんでしたが遠目からでも手の付けようがないくらいの様を目の当たりに。

寺院管理者はもとより、各墓碑所有の皆さんの心情たるや・・・

⑧は150号線を走っていれば目に入ってくる久能山下のイチゴのハウスの崩落現場。

 

斜面は怖い。しかし日本全国どちらにでも見られる景色です。

ただただ南無阿弥陀仏。

「すべてありのままに受け入れる」というのが人として生まれた者のお約束かもしれません。ただし差別被差別を除いて。

 

 

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2024年

9月

23日

渉成園秋灯り 藤枝郷土博物館 焼津歴史民俗資料館

石川県の豪雨による被災は目を覆わんばかりの様ですが、当地相良はこれまでの天気予報に反して降雨無し。

時折スマホに配信されてくる雨雲情報がありましたが、すべて雨は降りませんでした。

午前中の法事に関してそれまでの予報から「一体どうなるんだ」と思わなかった人は一人もなし。それでいてその時間は青空まで広がっていました。

ここまで予報が外れるのですから、スーパーコンピューターの解析とやらもかなり不正確を感じます。

スマホの雨雲通過予報もハズしていました。まぁ出何処は同じでしょうから。

 

まぁ良き方向に予報が外れたのですから文句はありませんが、私は大雨予報を信じて一昨日から境内鉢植えへの水やりを行っていませんでした。

ところが雨は降らず昨日夕方には葉っぱがしおれだしてしまったほど。

仕方なく夕刻に水やりを行いました。

 

一昨日はNHK報道報道番組「ミャンマー軍を支える巨大な闇」を視聴しました。

まさに人間の闇、日本経済の闇、政府の闇でもありましょう。

 

現実は「そんなものでしょうね」「闇夜だね」といった諦めムードが漂いますがこれはクーデター後のミャンマー軍が民間人への殺戮を続けている中、日本政府は表向きODA(政府開発援助)を「打ち切ります」と内外に表明していたもののしっかりとこっそりとミャンマー軍にカネが流れていたことを明らかにした番組。キレイごとの裏というヤツ。

 

ミグ戦闘機や武器の購入に充てられていることが示唆されていましたが、要は日本政府がミャンマー民間人殺しに中国とともに加担していたのでした。

 

ミグ用のジェット燃料を運搬するタンカーの経路を追いかけて発信先を突き止めるところなどさすがの調査力。視聴料を支払っていた甲斐があるというものです。

へ~え・・・と思ったのが日本企業の名称がズバリ公言されていたことです。

それが「横川ブリッジ」。カネの流れの一端が暴かれていました。日本企業の儲け主義の暗部ですね。

知らないふりをして人殺しの片棒を担ぐなんて。

 

コレはバチがあたりますね。

それをすすめていたエライ人も当然に同罪。

闇で儲けたカネは迂回して懐に入るというのも先例です。

悪い奴らは・・・因果の法則の輪廻に堕ちる? 私は知りませんけど。少なからず恨みは買いますね。

それは巡ってくるものと聞いたものです。

 

扨、いよいよ秋らしい空気に覆われるといいます。

シベリア高気圧の勢力下にはいるということです。

京都の本山東本願寺の飛び地、渉成園では「秋の夜間特別拝観」が催されます。

11月16日(土)~12月15日(日)の1730~2130(受付は21時まで)

施設維持費懇志として1000円(中高生500円)

 

拙寺のバス遠足の日にちと合わないのは残念。ただし12月中旬は私の脳内では「秋」ではありませんが。

 

②は藤枝市郷土博物館の特別展の案内。

③④は焼津市歴史民俗資料館。しずおか遺産認定記念特別展とのこと。

 

 

 

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2024年

9月

22日

思うようにいくこと いかないこと 資料館のパネル

当地のNHKローカルで「東海・北陸」という語がありますが、その日本列島の胴体の太平洋側と日本海側でこうも天気が違うとは・・・

日本海側冬場の雪景色の湿潤に対して晴れ間の多い乾期のイメージ、太平洋側との差はいつもの理解で収まりますが、あの異常な豪雨と災害には驚かされます。

まして、石川県は年初の震災による復興のさなか。

中には「(被災状況は)地震より酷い」なる声があったほどで、何とも言葉がありません。

立ち直って元通りに・・・の願いも空しく、再び同じ地域に天災が及ぶとは・・・

自然のこととはいえ、真に惨いお達しです、

専門家の談ではその地震との因果関係について示唆していましたがやはり長期的な被災想定をし続けるべきであったということでしょうか。

毎度グズモタの政府の救援活動ですが、今回こそ早急に動いていただきたいものです。そのスタートを仕切る御仁はアメリカへの任期最後の旅の移動中だとのこと。 

今回の台風14号とその進路が大陸上陸の直前に直角に近く転進したことが原因でしょうが、飛行機も反転させて石川へ向かうといった選択の発想はナイということでしょうか。

まぁ国内国民の苦難よりも「大切な事」があるのでしょう。

全ての予定をキャンセルしてドカジャンと長靴に履き替える力量があればきっと支持率があがるでしょう。

 

さて、北陸とは違い雲が多いながら安定した天気の当地。

私は14時からの史跡調査会以外、自分なりの時間をすごしていましたが、まず朝は本堂ネコ対策のチェックから。

散々に時間をかけさせられた障子下部の板張り化ですが、野良ネコという自然界の生き物とのイタチごっこは既に障子の6段目まで積み上がり・・・。1段目2段目から遂に一昨日で6枚まで積まれています。

 

コレ以上積み上げたら見た目のバランスが悪そうで奥方とは「これまで」ということで了解していたところ。

朝、まず第一に確認する場所は本堂正面②。

してやったり。ネコも7段目キャリアハイはさすがに「前猫未踏」だろうとほくそ笑みながら北側に廻ると・・・③④

なんと7段目からの侵入済みの様。それも9段目に手が掛かっていることが判明しました。

 

これにてネコ対策としての板張り作戦は終了します。

違う方法を検討しなくては。雨戸を閉めておこうか・・・

人智を超えているというか私如きのお頭ではあの小動物の頭脳に太刀打ちできないということか。

 

午前中は軽トラのパネル非表示の件の打開策として一旦バッテリーを外すチャレンジを。

すると一瞬にして復活。

ここでもしてやったり・・・とパネル注文の件、連休前までにキャンセルの連絡を入れなくては・・・とエンジンを切ると再び表示なしに。物事は私の思うようにはまずうまいこと運びませんね。

石川の皆さんほどの嘆きとは100-0くらいの差がありますが。

 

⑤~⑨は本当にしてやったりだった図。

スズキの軽トラには「シガーライターソケットがない」ということに気づかされて少々。おそらく今の新車のそれには最初から装着されているのでしょうが一昔前の軽トラにはシガーライターソケットが無く、おそらくそれはオプションの装備だったのでしょうね。

 

アレが無いのは今時相当な不都合アリ。

スマホの充電に車内ワイハイ機器、各機材の電源取りに無くてはならないもの。

これまでそれはどの車にも当然にある物と理解していましたから最初にそのナイということを知った時、呆然とさせられました。⑤はそれが在るべき場所にキャップが装着されている様。

 

メーターパネルの不具合の件は、何とか改善の目処がたっていますので私はそのオプションパーツを部品屋さんから調達しました。

配送料込みで1620円で価格的にもまぁまぁ⑥⑦。

キャップ⑤を外すと中から配線がスグに見えます⑧。

いつでも装着できるようにそこまで配線されているということですね。

 

⑦本体の黒いプラスチック(パネル本体へのジョイント部分)をソケットから一旦外してそれを先にパネルの穴に差し込んでおくとスムーズ。

ケーブルをソケットのオスに差し込んでからソケットをその黒プラスチックに嵌めこんでおしまい。

 

⑨これでストレスない軽トラの運用ができるというものです。

しかしまだメーターと走行距離、燃料残量が分からない。

 

①は昨日見た史料館のパネル。日本放送協会の名が・・・

 

 

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2024年

9月

21日

ハードル高すぎ ダメ元マンゴー 人は惑わされる

昨日は早い時間からMLB。

最近はプレイボールが午前11時(勿論日本時間)頃とあってそれを視聴していれば一日が終わってしまう感ありましたから、その時間帯の開始は非常に有難い。

そして昨日のその内容といえば見たこともないような記録と景色のオンパレードでした。

 

大谷さんが6打数6安打3HR10打点。

騒がれていた「50-50」を難なくクリアして記録更新。

朝から笑いが止まらない状況となったのでした。

そしてまた思いだしました、例の人気取りの「国民栄誉賞」などいう愚かなアイディア、ヤメにしてくだされ。

どうせ一蹴されるでしょうけどね・・・。

またグッズの便乗商売が賑やかですが、私は載せられませんね。

 

おかげで気分よく連日の作業の続き、障子の板張り改変作業に入ることができました。

夕刻のニュースでのんびりテレビ画面から静岡の気温は39℃オーバーと。

昼食をとる時間を惜しみ暑い本堂にて没頭していましたが幾度か冷蔵庫のドアを開け閉め、やたらと水分を欲する日でした。

 

境内は落ちて堆積しているギンナンの匂いが漂っています。

それら落下した果肉に猛暑は発酵を促しているようで・・・

それらを放置すると芽が出てきます。

それはそれで気の毒なような・・・

 

気の毒といえば中国駐在日本人に帯同する児童の命が奪われた件。以前にも同じような事件がありました。

一部中国で「日本語を話すことが憚られる」といった声も聞こえています。

これはとてもデリケートな事案でしょうね。

中国参入の日本企業もそれを後押しする日本政府は「商売のため」あまり強いことは言えないでしょうし中国側としてもただでさえ経済が低迷している中、最悪撤退などされたら大いに困る。

せめてその行為に及んだ犯人の主張なり理由(真相究明・・・)というものを中国側捜査機関に明示していただきたいというのは当然の流れでしょうが、このほど発せられたその事件の概要について中国側は一言「どこの国でもありうる単独犯行、偶発的なもの」でした。

 

そして昨日になって「中国政府が福島第1原発の処理水放出を理由に禁輸措置を講じた日本産水産物について、輸入を段階的に進めると発表した。」というニュースが。

 

総理大臣が自分の手柄のようなニュアンスでその件胸を張って話していましたが私の感覚では、「あの亡くなった子供がそうさせた」と。

いくら何でも少々ヤバいとでも思ったか中国政府がそう動いたというところかもね。

「真相究明」などいう政府関係者の発言も対国民へのリップサービス。

お互い突っ込みナシで手打ちにしたいというところが見えています。

そういう点からもより一層亡くなった子供と家族に対して気の毒と感じたのでした。

 

当初、凶行が行われた日にち(9月18日)についての意味深について示唆するものがありました。

それが日本の侵略戦争のスタート満州事変です。

1931(昭和六)年9月18日、満鉄爆破の自作自演で関東軍が軍事行動を開始した日。 

要は一部中国人の思っているだろうネガティブで屈辱的な記念日です。

 

しかしその殆ど一世紀も経ようとする事案(歴史)について怒りを惹起させてしまう心情の醸成はやはり中国の教育方針でしょうね。

日本人と日本に対する憤怒反日思想は学校でしょう。

それは国民が内政に干渉する機会を減らすため。怒りというものを外部に向けさせるという手法です。

 

日本政府が、やはり北朝鮮のミサイルだの中国の人権無視と領海領空侵犯を事細かに論うというところも自らの限界から目をそらそうというところが同じ。

外部に悪役がいれば内なる衆人をまとめやすい。

今、外部の脅威を殊更主張する輩がいますがその本質を見極めること肝要です。

特に軍事産業、ドンブリ勘定に裏金はつきものですから。

プロパガンダに載せられない、踊らされない、惑わされないこと大事。

 

画像①左は8月初旬、食したあと水に浸けていたマンゴの種から発芽したもの。②③は昨日の様。

当初発芽した葉を落としてこの葉が成長中。

①の右の鉢がパイナップル。こちらは食したあと挿木にしたものです。

両植栽とも低温は超苦手。

ハイビスカスやブーゲンクラスの耐寒性(5℃)はありません。

奥方から「どうすんだよ~」。

自分の首を絞めて楽しいか?」。

できるだけのことはやりますが、失望も勉強です。

ちなみにパイナップルは20年前に一度チャレンジしていますが失敗。暖冬を期待して再チャレンジになります。

 

 

 

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2024年

9月

20日

文殊山の「武備」なる地 法住寺跡

昨日も朝から本堂障子のお工作。

午後、木材の不足に気づき再度の購入に走らなくてはならなくなりましたが、まずは地頭方の処理場へ。

4袋まで溜まった花ガラの処理ですがこれは軽トラのあれこれ不具合の時間があったから。

するとやはりあの件・・・、メーターパネルの液晶の不調(掲示しない)が発生しました。スピードメーターも動かない。

そもそも「走ればなおる」~たまたまなおって~「ほらね・・・」じゃねぇってこと。

以後エンジンのON-OFFを繰り返しましたがダメ。

やむなくあの片言の日本語を話す彼に電話をすれば「ブツ(中古品パネル)を探して取り寄せるのでまた連絡する」とのこと。

まぁ早いところ解放されたいものです。

 

扨、先日は本巣の文殊山周辺をブラついたことを記しましたがそちらに武備なる地があることに気づきました①。

この山には規模の違う城砦が複数伝わっていますのでそれらに関わる名称がその名残として遺っているのでしょう。

また法住寺なる禅寺の跡が。

1600年代後半に高橋志郎兵衛なる人が願主として再建されたとのことですが現状廃寺後の更地になっています。

 

一つの寺を預かる住職たる身の私ですが、テラ行脚にはつきものとはいえこういう図は儚き気分漂います。

「廃寺」の語があれば特に。

 

その奥の山、森の先には円墳があるとの掲示。

おそらく堂のウラ側にあたるのでしょう、歴代の卵塔と石塔。

高橋姓の墓碑が見られます。家紋が二つ引き・・・詳細不明です。

 

最後の画像は昨夜の拙寺玄関内の月下美人。

⓾が20時前、大きくなった蕾が開きだしたところ。

⑪20時30分過ぎにはこの様子ですが完全には開ききっていません。

咲きだすと早いですね。

 

 

 

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9月

19日

名古屋市博物館から月僊図録と是旃陀羅~ぜせんだら~

猛暑継続中ながら風が本堂と庫裏の間を吹き抜けて案外と心地よく感じました。14時からの法要でした。

施主の経営する店舗では多くの従業員(20人弱)を抱えているとのことで、私はその経営の妙について「何から何まで大変な世になりました」と伺いました。

 

というのは人件費の高騰、また物品の販売とサービスはネットと大手資本の力ずくに押されて、個人経営における継続性将来に大いなる疑義が生まれつつ世であると感じているからです。お寺もそうですからね。

 

今年は県内の新聞社数社の夕刊の配達が休止になる旨のお達しがありましたが、そこで考えるのは「配達の方はどうなるのだろう・・・」です。

就労が喪失するということですから、仕事を新たに探さねばならない人が増えるということでしょう。仕事などそうは見つかりませんからね。

新聞配達といえば年配の方たちの就労が思いあたるところですが、その件を考えればやるせない気持ちでいっぱいです。

ネット全盛の時代、新聞の読者が減っていることは察していますが・・・。

 

昨日も一昨日の朝刊一面をアップしましたが、あの手の政治屋の方向性から今の不合理のすべてが理解できるわけで。

その手の事を挙げていれば枚挙に暇がありませんが、ETCが出た時は「便利になった」とは思ったものの、「料金所のおじさん」はどうなるのだろう・・・ファミレスでは端末で注文、ネコロボットが給仕~・・・セルフ給油所が増えメカは不在~・・・無人新幹線ができて~・・・と人を使わないでイイといったシステムが大きく「躍進」してきました。

「新幹線の運転手になりたい」などいう子供がいたことを記憶にしていますがそれはもうナイということなのですね。

 

人を雇わなくていいのですから経営者側からすれば人件費は不要であり、利益はUp。配慮すべきは機械のメンテだけ。機械は文句を言いませんからね。

政治は「給与を上げよ」と態のイイ旗を振りますが、会社経営側は「それなら人減らし」に走ろうとするのは当然の流れでしょう。

 

そんな中、私から最近のエピソードを一つお示ししました。

先般軽トラの中古車を新たに求めたことを記していましたが、その軽トラにて本堂障子用の材木を吉田方面に購入に走りました。そのついでに「スペアキーを」と奥方より提案があり私も合点。

 

その窓口に行くと専門らしき若い従業員が登場したのでしたが最初にまずマニュアル本らしき書籍を一読し例の如くのグラインダーでキーを切削。

20分ほど「長いなぁ~」と奥方と顔を見合わせて待ちました。すると一応「車まで」とドアとエンジン始動をチェックに同行。

ところがエンジンどころかドアも開きません。

それから10分以上再挑戦されていましたが、失敗。元キーは「2本しか在庫がない」ということで双方無駄な時間となったわけです。

 

そこで奥方に提案、相良本通りには鍵の専門店(旧長野金物店)がある・・・でした。

そちらは店主の弟が私と中学の同級で当時はちょくちょく出入りした家です。

というワケでそちらにお邪魔すると難なく1分で仕上げていました。それでいて料金はたったの500円也。まさに熟練の妙でした。

 

何でもかんでも揃う量販店ですが、多くの店員を配しているものの、技量のある熟練の店員はいなかったということ。ハナから自宅に近いそちらにお願いしていれば・・・

 

エキスパート、ロートルの類は人件費カットと邪魔者扱いの流れから職からあぶれているのが現状。

私が居た東急ハンズなどは接客販売、アドバイス、コーチングがウリで各部門の熟練者揃いでしたがこのご時世その形態は難しく身売りになってしまいましたね。

 

そして今回の時間の浪費に多大な不便と、大いなる気づきをいただきました。

そういった流れを「AI資本主義」なる言葉で語る方がいらっしゃいます。要はAIによって末端の人々はいよいよ貧困化し、社会全体が弱体化していくと。

 

私もそのAIが幅を利かせる世の中はちょっねぇ・・・。

経済、儲け第一主義、人のことはそのあと・・・それを国力などとは言えません。

 

扨、昨日は色々な方からのお便りがありました。そのうち資料をお送りいただいた方が2件。

その一つが先日いらした名古屋市博物館の学芸員の横尾拓真氏

からです。

横尾氏は丸尾月嶂の師匠の月僊の研究者と簡単に記しましたが数年前に月僊の展覧会を名古屋市博物館で開催したとのこと。

その際の図録をお送りいただきました。

リップサービスとして受けますが拙寺の丸尾月嶂の襖絵のご評価は光栄なことです。

「堂々たる大作で月嶂の力量が十分にわかる作例」と。

 

2つ目の資料が西尾市一色の安休寺ご住職雲英真人師から届いた書。

安休寺については何度か拙ブログで記しています(  

)がその寺の歴史もさることながら三河真宗教団では一目を置かれるお歴々を輩する寺でもあります。

今回の書籍は真宗全体でその問題について論議する機会が各地で催されている内容でした(是旃陀羅~ぜせんだら)。

 

是旃陀羅~ぜせんだら~などいう語はおそらく当地のご門徒の殆どの方は知らない語でしょうが、それは差別用語。

当流三大経典のうちの観無量寿経の冒頭に出てくる語で「知る人ぞ知る」その差別語によって多くの人々を傷つけて来た歴史があったといいます。

私の無知、その件知らなかっただけですが。

 

その送られてきた資料に上記の雲英真人師の造語という「AI資

本主義」があったのでした。

AIはまわりまわって差別を生む・・・なるほど。機械的に人を選別することが。

 

 

③の壁の型枠が取れて一気に整地④~➆。昨日の工事現場。

基礎の造成にかかるのでしょう。

⑧は正面中央の昨日朝の図。雨戸の堂内側から障子を突き破って出入りしたようで・・・トホホです。

サイドの障子から入って、そちらから出てくれればいいのに。わざわざ・・・

全ての自然の結末(野良ネコも)は阿弥陀の意思。

また奮闘させていただきます。

 

 

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2024年

9月

18日

野良ネコとのイタチごっこと朝刊一面のへ~え・・・

ハリウッド俳優の真田広之の「SHOGUN」エミー賞18部門受賞の衝撃、いずれその作品は視聴できるはずでしょうが、私はHDに入っていた「ラストサムライ」を流し視聴しました。

時代背景が明治初期とあって私のあまり好きではない時代ではありますが。

渡辺謙の渋さは当然ですが真田広之もなかなか良かったです。

尚、最近司馬遼太郎の「坂の上の雲」が再放送されだしましたが

そちらは興味の外。

 

ここ2~3週間、私の板っ切れを集め、また購入に走ってのDIYあれこれはネコ対策でした。

ある晩本堂でネコ(当家では「キイロシロ」と呼んでいます)と出くわしました。

大雨と雷の日でした。

 

当初は北側の障子を破いて侵入していましたが、その破損個所を修繕していくに従って侵入箇所は移動。夜間の安眠はココとばかりに定着が進んでいるよう・・・

修繕すれば破かれ―修繕してまた破き・・・というまさにイタチごっこの様。

数日前に遂に本堂正面右側を突破されたため、裏側より板を貼っり準備が整うまで保留にしていました③。

北側の障子に新たにヤラれた箇所がありましたので「そちらからどうぞ」の勝手にしやがれ・・・です。

 

ところが昨日の朝、正面を見ると⑤の如く酷い有様に。

これにはまったく卒倒しそうになりました。

というのは午前11時の約束で静岡の案内誌の撮影があったからです。

⑤の図をそのまま画像とすることはどうしても許容できませんでした。

方策としてとりあえず障子を切り貼りして誤魔化すか一気に板を貼るかというところでしたが後者を選択。

 

9時前からサイズ通りに切った板を貼り付けて塗装。

突貫工事により午前中でヘロヘロになりましたが、取材の時間には何とかギリセーフでした。

奥方も相当疲労したよう。「とっ捕まえて開きにしろ!!」

 

⑥はとりあえずの様ですがネコにとっては大した障害でないかも。足が掛かりますのでその上部の障子部分が心配です。

もう少しばかり板部分を上部に積むことも思量中ですが。

正面中央⑦は夜間当分の間は閉めておくことにします。

 

現在、来年の大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」に登場する「田沼意次・意知(おきとも)・意致(おきむね)」に関わる当地相良にスポットが当たることはもはや必至とばかりに史料館を通して拙寺へのメディア取材や直接来訪される一般の参拝者が増えつつあります。

千載一遇の町おこしと周囲も盛り上がりが見えてきました。

どう転ぶかわかりませんがうまいことやっていきたいですね。

 

最後の画像は昨日朝刊のトップ。

うやむやになった感があるそれですが・・・「へぇ~ そうだったのね」。

 

 

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2024年

9月

17日

本巣の文殊山 八幡宮のシイの大木を見上げる

ハリウッドで活躍している真田広之の「SHOGUN」がエミー賞 最多18部門受賞の件、天晴れなことでした。

私もそれを視てみたいと「奥の墓道」氏に尋ねれば彼の場合はJ.COMだとのことで楽勝で視聴できると

とにかくどちらかの配信会社と契約をしなくては無理の様。

まぁ当分大人しくしていることにしましょう。

 

作品はフィクションですが一応はモデルがあって主役は徳川家康がモデル。ウィリアム・アダムスやら細川ガラシャを推定される役も。

ガラシャモデルの女優も主演女優賞を受賞していました。

 

昨日ブログではガラシャ(「たま」)の母親「明智の妻」の生きざまについて「月さびよ」と謳った芭蕉の句碑を記しましがその「たま」の運命はより一層壮絶を感じました。

 

扨、先日は大桑小学校校長先生からの情報を記しましたが、そちら方向に私がかつて向かった地について漏れがありましたので追記します。

それが法雲寺の土岐頼芸の墓でした。

越前大野へ辿る国道(酷道)157号線沿い、ここから大野寄りに有名な根尾谷淡墨桜があります。ここを大野に向かいたいというのが以前からの夢になっていますが、タイミングが悪く実現できていません。スグに通行止めになりますから。

その季節を外せば殆ど意味を成しませんのでお目にかかったことはありませんが、その「分かれ」の名を名のる桜については各地でお目にかかっています(こちらまたはこちら)。

 

そしてその157号線と平行に走るのが根尾川と樽見鉄道樽見線になります。

その下流方向に最近になって新設された織部駅や本巣駅がありますがそちらの東側に山が連なり、それを広く通称「文殊山」と。

駅名の織部と耳にして思うのが古田織部ですが、その人を意識して名づけられたものでしょう。

地縁的にも当然ながら土岐家の配下にあった家でありこちらの文殊山を本拠としていたとのこと。

 

織部駅は昨年の一日辺り乗車人員が13人といいますから至って長閑な地であることがわかります。

私が文殊山周辺をブラついた際、立ち寄ったのが八幡宮の巨木シイです。シイには会うが人とはまったく遭遇せず。

シイに関しては私の知る限り朽ちて枝の落下を多く見ていますがこの木は凛々しく健康的でした(場所はこちら)。

 

 

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2024年

9月

16日

心温まるお土産 絢理のSHEEPとえんまん 月さび

昨日の法縁は午前と午後の2件。

朝の法要の前に以前「丸尾月嶂の世界」展でお世話になった御前崎の「丸尾氏」が名古屋市博物館の学芸員の横尾さんをお連れして来訪。

横尾さんは丸尾月嶂の師匠の月僊について研究しているとのことでした。

以前の丸尾月嶂展・・・拙寺の襖8枚はさすがに展示協力はできませんでしたが・・・あれから既に14年、今一度何か盛り上げを期している旨伝えました。

 

月嶂・月僊と「月」を思えばやはり中秋の名月。

日本では古くからそれを愛でるというのがならいですね。

今年のそれは9月17日で翌日18日が満月といいます。

私が結構にうまいこと巡るもんだと感心しているのは月下美人の開花の件。

まぁその開花についてはテキトーを思うことがありますが、昨日拙ブログにて記しましたようにその頃を見計らうが如く3つほどの蕾が大きくなりつつあります。

 

沖縄では初夏の大潮の晩に一斉にサンゴが産卵することは知っていますが、自然の営みというものへの理解は私の頭では到底追いつけませんね。本当に彼らは中秋の満月に合わせて開花させるのか・・・ただの偶然とは思えない・・・

 

昨日夕刻には「お祭り大好き」さんがその一鉢を取りに来られましたが、相当に気合が入っていました。

これまで植栽にはまったく興味がなく「どうしていいかわからない」と仰っていましたがあの植物の管理についてのご指導は「いい加減」。テキトーです。

花芽がポロリと衝撃で落ちやすいところはありますが。

 

ビデオのバッテリーをフル充電させて開花前にその鉢を玄関に引き入れて開花の状況を撮影するとのこと。

毎度開花させて楽しんでいる私ですが、開花の状況など見たことも無くその撮影成功の際にはDVDを1枚所望することにしましょう。

 

扨、月といえば叔母さんの名が月子。繁忙のあまり施設に入れている叔母さんの誕生日(9/12)祝いのうな重をすっぽかして後ろめたい思いですが今考えるとその名はやはりその名月の候から取ったと思うばかり。

 

また、昨日は大桑城について記したワケですが、そちらに行けば思い起すのは明智光秀の事。そしてその月がらみといえばあの有名な芭蕉の句「月さびよ~」です。

画像③④⑤は以前拙ブログでアップ済ですが近江西教寺の光秀の妻熈子の墓と芭蕉の句碑。

 

「 月さびよ 明智が妻の 咄(はなし)せむ 」

夫思いのベストな妻、黒髪を切っておカネに替え、献身的に夫に仕えて夫の病を看病し続けた挙句、疲労困憊(もしかしてその感染も)して亡くなったと、芭蕉は月を愛でて感じるものがあったのでしょうね。

 

①②は昨日午前の法要で東京から来られた絢理(じゅり)さんから頂いたニュージーランドのお土産。

御門徒のお孫さんですが、ニュージーランドにミニ留学が決まったということを聞き、それなら・・・ということで「波さんの御持仏さん」を渡してもらっていたのでした。

そのお返しと無事に行ってきたとの丁重なるご挨拶。

いい歳こいて・・・と嗤われることは覚悟、そのニュージーランド生まれのSHEEPちゃんをupさせていただきました。

 

尚、絢理さんの「絢」に注目。絢爛豪華の「けん」でもありますし物凄く複雑で奥が深い・・・その理・・・という意味があるのでしょうね。

どなたが銘々したの?と窺えばお母さんでした。

キラキラネームではないイカしたセンスにここでも感服させられました。

次の法要の時は彼女は20歳とのことですが、その時は海外に行っちゃうかも・・・とお婆さんが。

 

その画像の奥にあるのが昨日の午後の法要のお土産です。やはり東京からのお参りでした。

「えんまん」とありますが、やはり満月に見えます。

その語もよろしき言葉ですね。

 

 

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2024年

9月

15日

大桑城 山県市大桑小学校校長先生からのお便り

昨日法要後に新軽トラのガスタンクへ先日旧軽トラから抜き取っていたポリ容器のガソリンを移し替え。

一昨日は燃料計・走行計の不具合の当方の指摘に「走ればなおる」なる意味不明の言葉に唖然とさせられていたのでしたが、一夜明けて何事もなくそれらが表示されていました。

信じられない展開がまたも。

しばらくして先方から電話のフォローがありましたがまぁそれには「なかなか良心的」を感じました。

 

奥方が対応していましたが、メーター数値が掲示されていることを伝えると「ほらね 言ったとおりでしょ・・・」と。

今、浜松圏の中古自動車屋はブラジル系の方が多いのでその気安さは国民性でしょう、致し方なし。

1つの課題はクリアできましたが、問題はそのあとですね。

 

扨、昨日は岐阜の山県市の大桑小学校(場所はこちら)の杉山校長先生から電話にてお便りがありました。

現状子供たちに「地元の歴史」を伝えていこうと活動を継続中。

このほど越前一乗谷の一乗小学校の皆さんを迎えての交流会が催されるとのこと。

そのため地元の他の小学生含めて、まずわかりやすいパネルを子供たちに製作してもらいながら、広く紹介していきたいとのこと。

そういった地元と他の地域の歴史的関係をトータルに学び紹介していくという試行はすばらしいことてす。

歴史というものが立体的に頭に入ってくるのでは・・・。

 

校長先生によるとテーマとしては特に学校の背後に鎮座する大桑城古城山の別名「金鶏山」の名から金の鶏のイメージを膨らませもらい皆でそのデザインを考案・工作したり、土岐頼芸がその金鶏を投げ入れたと伝わる「切井戸」を紹介していきたいとのことでした。

 

しかしその大桑城行脚はなかなかの難所(関係ブログ          ) 。

気軽に遠足という感覚で子供たちを引率するというのは大変な事でしょうね。

とにかく現状「熊が出る」とのこと。

そりゃヤバい。

大桑城は私の好みの城。タイミング次第では「奥の墓道」氏と再びひょいという具合に登っても不思議のない城ですからその地元の旬な情報におそれおののいた次第。

最近は真冬でも熊の出没情報が出ていますので、奥深い山城は特に注意しなくてはなりませんし、独りで山に向かうことには緊張します。

 

最後④は一夜で蘇った計量メーターパネル。キツネに摘ままれたような気分。

⑤一画像が昨日の花芽が育つ月下美人の様。

あと数日で開花しますが、「お祭り大好き」さん(昨日ブログのコメントより)がその香りと開花美形の姿にご興味がありましたら一株さしあげます。

ご都合がよろしければお寺までどうぞ。咲いた後と咲く前の見すぼらしさが開花した瞬間に雰囲気が変わります。

 

 

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2024年

9月

14日

二村氏 八橋大和守レポート 軽トラ搬入搬出

朝から境内、本堂でDIY。木材の切削やら塗装でおおわらわ。

植木鉢のいろいろも更新・剪定をしたいところですが、ずっと後回しになっています。なんとかしてやりたいという焦りもでてきました。

 

境内で外仕事をしていると人の気配がないのにやたらと物音がするのは銀杏ポロ、ポロっと落ちる音。

水屋や箒かけの屋根に当たると大きく響きます。

今年の銀杏の成りは格別の様で水屋の裏は落ちた銀杏だらけ。

昨年あたりの実生のそれらも各生命力を発揮してくれて大きくなりつつあります。

「どうするんだよ~」のお手上げ、自然に任せるだけ。

銀杏は食することができますが、そうバクバクとイケるものではありませんからね。三つほど串に通すあの鮮やかな緑は悪くないのですが。

 

日野で街路樹落下のニュースの衝撃。

イチョウが上部の枝から連鎖的に折れて落下したと。通行中の方が亡くなっていました。

私が日頃台風の襲来に毎度ビビっているのは暴風の脅威ですが、

その枝の落下の件、「イチョウはこの時期実を付けるためその重さで枝が折れやすくなる」・・・といった理由がありましたが、そのような話は初めて。

 

横浜の県庁近くにはイチョウ並木があって当時金沢区に居た時休みの日に家族でその辺りをうろうろ、その木に登って銀杏落しに励んだことがありましたが、実の重量で枝が折れるなどの話は聞いたことがありませんでした。

 

拙寺境内には隣家と離れていない場所に大き目の樹木が建っていますので台風の襲来には特に怯えているわけですが、最近はケアが行き届かずに枝葉が伸び放題。

日野のニュースは体の動きが悪くなった私にとって強烈なインパクトがありました。

先日、チラ見して知らないフリを決め込んだ静波墓園の草ぼうぼう、本堂北側の荒れ放題、どれもこれも手の付けようがない・・・。もうすべてブン投げちまいたいくらい。

 

すると午後になって依頼していた軽トラを納車するという連絡が。予定よりかなり早くて驚かされましたが、前日に廃車のガスを抜いていたことは幸いでした。

尚、牽引してオンボロ軽を榛原の買い取り屋に持ち込む算段でしたが息子を浜松から呼び寄せることと、リスクを考えればその業者についでに引き取っていただいた方が無難であると判断、搬入に来た車載車に載せて左様なら・・・。

 

車検取得の際は点いていたそうですが燃料計と走行メーターの液晶が点灯せず。その不具合に立ち会ってもらいその件告げるも「走ればなおる・・・」。ホントかよぉ・・・

安物買いの銭失い・・・か。

1カ月の補償期間がありますので厳しく追及していく(奥方)つもりです。

 

車屋の彼とは言葉が通じにくいというところもあって難儀。

私は時間を見てまずヒューズBOXをチェックしてみようか・・・。法要がありますから奥方にその辺を走ってもらうことにしましょう。まぁ、それで「なおる」ワケがない。

まったく低レベルな件山積。

 

毎度ボヤキ連発の昨今ですが、蒲郡の二村氏よりお便りが。

「さんえん」8月31日号が同封、二村氏の「八橋大和守」レポートが目につきましたので転載させていただきました。

なかなか突っ込んだ内容です。

 

⑤は昨日の工事現場。東側の壁の型枠が完成。

週明けには再びコンクリミキサー車の手配をするとのこと。

⑥は昨晩1つだけ開花した月下美人。良き香りが広がりました。あの小さな鉢を更新してあげなくては・・・

 

 

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2024年

9月

13日

軽トラ処分の段 発掘石材の隔離確保

先般の不運絶頂の事案、軽トラ路上故障のドタバタの後、その処分と次期軽トラの手配を依頼するに至りましたが、その件の端緒がガソリンスタンドでのバッテリーあがりからでした。

当然にそちら(横須賀)で満タンにしていたわけですが、浜松を往復(帰途の1/3はエンジン不動)しただけでまだまだタンクにはガソリンが残っていました。

 

というワケで朝から手製ポンプの出動。

初めてそのような「ケチ臭いこと」(奥方)をしたかといえば燃料代の高騰があるから。如何にもそのまま廃車にすることは勿体ないですから。

効率の悪い手製ポンプにイラつきながらそれでも23ℓほど回収できました。18ℓ満タンと10ℓポリタンクの半分、4000円弱でしょうか。

やむなく灯油用のポリタンクを使用しましたが次の軽トラが納められたらそれに即投入。

 

②は昨日の壁地盤へのコンクリ投入完了後の図ですが、そちらを掘削した段階で③の石が出現。それが一昨日の画像③の状況でした。

古い時代の拙寺の離れの境界線にそれらが積まれていたのでしょうね。以前の会館建設工事の際に撤去され、その残材が出てきたというところか。

「貴方はどちらから?」とこの石たちにお伺いできればいいのですが、それは無理。

まぁ、相良城破却の際、城の石垣は周辺民間に払い下げされていますのでおそらく出所としてそう考えるのが妥当な線。

相良界隈、掘れば出てくる石垣の残材ですがどちらでもその出現は砕石用に処分されるという流れは致し方ないところ。

今の建築手法にその利用価値はなかなか見いだせませんから。

またも余計な仕事を「楽しいか?」・・・と奥方に皮肉られましたが私はいずれの機会に西側境界に積むべく、とりあえず工事現場から隔離。そして長い間の地中生活を労って水洗い。

 

それらの移動もそうですが、現状花ガラが2袋が目いっぱい。

軽トラが居ないことは不便ですね。失うとわかります。

月曜日には到着するといいますので、火曜日には地頭方処理場に向かえると思いますが。まぁそれが無難に使えるかどうか不安ですが。

 

 

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2024年

9月

12日

他者の欠点を嗤うな 好天を歓べ 存在有難さに気づく

世間様、暑い暑いと相変わらず騒ぎ立てている今日この頃。

青空を見渡すと浮かんでいる雲は秋の雲は追いやられ「まだまだ夏」を主張するかの如く入道雲がぽっかりと浮いている時間が。

 

有難いと思わなくてはね。特に東海から関東に住まう者は。

蝉の鳴き声は微かにツクツクの声が聞こえる程度とは変化していますがあたかも7月頃?を思わせるこの天候は何より太平洋高気圧が元気だということに他なりません。

 

その元気の様は私たちに恩恵をもたらします。

昇格したての台風13号の進路予想図を見ていただければ一目瞭然、高気圧のへりを通らざるを得ない13号は東シナ海から東に進路を変えられず今回も大陸を目指している様。

10号によって意外な遠隔地での面倒いろいろはありましたがスーパー台風の11号は中国やベトナムの被害が甚大で目も当てられないくらいの状況でした。

それら台風の迷走に我ら東海地区への直撃が免れたのはすべてその強い高気圧のおかげです。

よってその恵みである高気圧のもたらす暑い空気に文句など言えるワケもなく・・・罰が当たります。

スーパー台風の直撃を受ければ、今の安泰など儚きことになるかもしれず。太平洋高気圧、しばらく居座って・・・。温暖化にはそれなりのメリットも見出さなくては。

 

扨、アメリカ大統領候補のテレビ討論会が終わりました。

ハリスの笑顔に生き生きとした言葉は印象的。

一方トランプは相変わらずの渋ちんな表情と相手を捻り潰さんばかりの口調。

「犬を喰った 猫を喰った」の荒唐無稽な発言も意味不明でした。選ぶのはアメリカ国民ですが次期大統領はハリスというのが私の感覚。ハリスの笑顔がイイですね。温和が一番ですよ。

 

ハリス登場前にバイデンのことを「老いぼれ」呼ばわりし、あの銃撃事件以来一瞬優位に立ったかと思われたトランプでしたが、今どう見てもその彼のバイデンバッシングの言葉がそのまま彼に跳ね返ってきた感があります。

以前にも記しましたが「ハリスではトランプに勝てない」など

の弁を吐き、トランプ詣でに勤しむ姿を見せつけていた日本のおエライさん・・・。

みなさん方が信奉する78歳、かなりヤバいのでは・・・

 

無党派層・若年層に絶大な人気のあるテイラー・スウィフトもハリス支持を表明していましたね。それってかなりハリス優位に動くのでは・・・

 

まぁ齢がどうのと年齢について他者を貶め、罵倒すれば結局は自身に跳ねかえってくるのです。

「若さ」といった視点からもどう見てもハリスですからね。

老いぼれとなったのはトランプ自身。

いずれにしろ、何事もお調子にのって他者を罵倒すれば結局まわりまわって自身の足元を掬われることコレ必定。

 

⑥昨日は新しいバッテリーが届きましたので早速装着してエンジンを始動。バッチリでした。

やはり今回の取り寄せた物は韓国製で1万円と少々の品。

大きさの割に格安でした。同じ容量のそれを近くの量販店で購入すれば殆ど倍近い価格になりますからね。

ディーラー純正品でしたら4~5万。

身分相応の品ということで。

 

装着時にバッテリーのトレーに以前のバッテリーの液漏れを確認。

液漏れの存在は取り外したバッテリーを置いた玄関に染みができていたことから気付いていましたが、トレーのその量は「少ない」とはいえないくらい。

まぁその液体は希硫酸でしょうから慎重に外して、水洗い。

何故にしてそれが洩れるのか、意味不明に陥りますがそれはもはや無視。

好天のおかげで何から何まで仕事が捗りました。

当分車は動かしませんので端子を外して終了。

 

冬場の車両不稼働時に備えて今ある古いものから少々大き目のバッテリーチャージャーを所望したいところです。

3~4日をおいてチャージしていれば劣化の進行を抑えられると踏んでいます。

ケアしていないでの放置があとあとのリスクに繋がるということを今回大いに学びましたので。

 

それにしてもこうして日々過ごすことができること、何より有り難いことです。ボヤキながらも。

 

①~⑤は昨日の工事現場。

東側隣地境界の壁を工作中。①②は隣地側から。

浄化槽も入りましたが、大き目の物を設置しなければならないようで。

 

 

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2024年

9月

11日

談山神社 元はといえば多武峯(とうのみね)「妙楽寺」

先日のニュース報道で以下のような話題が盛り上がりましたが興味深く心に留められた方もいらしたことと思います。

その件、元京都国立博物館の狩野派研究者たちが調査にあたったと言います。

 

それが青森県中泊町の旧家「宮越家」所蔵のふすま絵がロンドンの大英博物館が所蔵するふすま絵と対の作品である可能性が高いというものでした。

 

大英博物館には狩野派の絵師が描いた「秋冬花鳥図」が所蔵されているとのことで、その「宮越家」の9代目当主が1920年に建てた離れの「詩夢庵」に春夏を表している花鳥図(桜やキジの親子の絵柄)があり、大英博物館の秋冬花鳥図との対だとの判定。

 

イギリスと青森の旧家にそれがどういう経緯で流れたのか。

また宮越家には安土桃山から江戸時代初期に描かれた18面のふすま絵があり、そのうちの4面がそれだとのこと。

そしてシアトル美術館には秋冬花鳥図の裏面に描かれていたと伝わる絵が所蔵されているとのこと。

 

私はその対となる狩野派の屏風(ふすま)の一方がイギリスやアメリカに分散しその片われが青森に、という離れ離れの不思議にはピンとくるものがあります。

それが明治初年の廃仏毀釈のドサクサです。

仏教とその遺物宝物の存在と維持の労に対してまさに闇の時代です。

大英博物館もそうですがボストン美術館など日本の文化財の宝庫となっているのもそれですね。

 

管理者が寺→神社へと変わる中、一時的に正当な責任者というものの不在があって出鱈目なほどに海外や国内に散逸していったのでした。

まぁ買い手があり尚海外から来た知者、国内地方の富裕層たちに小遣い銭を散らつかされて誰かがこっそりと持ち出させたというところでしょう。

 

しかし逆にそれであったからこそ戦火による焼失を免れたという指摘もありますから何が良くて何が悪いのか・・・果たして。

 

私がその神仏分離、廃仏毀釈を連想するに奈良という地が特に思い浮かぶわけですが、そちらの各大寺社の中でも談山神社は筆頭でしょう。

何しろ名称が「寺が神社」と激変しているからですね。

談山神社の名称は明治二年からですがそれまでの名称は多武峯(とうのみね)「妙楽寺」でした。

 

スゴイのは坊さんはクビか神職に衣替え。

本堂講堂等お寺に関わる建造物は神殿に変わり釈迦の仏舎利塔である十三重塔など「神廟」なる名称に変わりました。

それでもそういう場合、十三重塔は破却されてしまうというのも当時の流行りごと、こちらの場合はたまたま助かったのでしょうね。

一貫性の無い思い付きで物事が動いたのが明治時代の政治。

まぁ最近でもそんな政治がまかり通っていましたが。

 

呆れるのは本尊の阿弥陀三尊が安倍文殊院に払い下げられたのかそちらでも釈迦三尊として名称が変わっていること。

その一連、無茶苦茶のイメージしかありません。

毎度の事ですが明治維新のそれ・・・まさに記しているだけでバカバカしくなりますね。仏の名称まで変更するなどアホらしさの極みです。

 

昨日記した林道経由今井谷に下りるコースのスタートは談山神社からでした。

勿論早朝から入門できるはずは有りませんからその前を通るだけ。目的は別途ありましたからね。

その門には看板が掲げられていました。

台風10号のために閉鎖していたのですね。

 

最後の画像は昨日の拙寺の工事現場。

土砂の搬入は一昨日の土壌改良(砕石パイル)に続いての嵩上げ工事のため。排水を考慮して少々高めにし勾配をつける作戦。

 

 

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2024年

9月

10日

今井谷の北山川の辻堂橋へ下る 地盤改良は砕石工法

先日の法要でマスクを装着し、声のトーンにいつもと違った弱さを感じたご夫婦が。

コロナに罹ってともに39度の高熱+肺炎による療養となった件、「まいった」の風で話されていました。

子は婚姻、別居し奥さんと奥さんのお母さんの3人住まいですが孫を預かって症状が出たとのこと。

どうやら孫の居る施設から孫が持ち帰ったものをそれぞれ体内に分散して増殖していったのでしょうね。

 

50代夫婦は39度+肺炎という「強烈」ながら義母さんは大した症状にならなかったようです。その件は良かったことですが町のお医者さんからは、「この肺炎はご自宅で」ということで入院には至らなかったとのこと。

やはりマスクは不可欠とは思うものの「トロイの木馬」の如く子や孫の体内に潜むそれにはどうにも対抗できませんね。

若い体で増殖、パワーアップしたそれをまともに受け入れればまずそれから逃げられるワケはありません。子供・・・怖い・・・

 

扨、先日の今回の多難の始まり(奈良天理のドタバタ)の前日は遠足前日の子供の如く、殆ど寝付けずに夜中の12時過ぎに出立

目的地付近(桜井市になります)で夜明けまで過ごそうとの魂胆でした。

その地はやはり以前奥方と訪れていますが、ロクに歩きまわることができなかったために今回は単独で再訪しました。

その方がまったくもって気がラクです。

もっともその行き当たりばったりのテラ・ハカ・シロをうろうろと歩き回ることに付き合うのは「たまったもんじゃない」。

 

その寺社の裏山にハカがあることを地元の掲示板で知り急きょそちらに赴くことにしたのでした。

結構に深い山の中腹。

そこに車を停めて目的を達したあと、来た道を戻ることをヤメてそのままその先の道を進むことにしました。

「ショートカットができる」との思いの判断、いつもの楽観です。道はそれほど酷すぎず、いわゆる林道でしたがやはり途中不安はよぎり内心「来るんじゃなかった」の気持ちも沸きましたが森の中の下り道を過ぎて明るくなった場所の地名を見ると「今井谷」と。

無事に平地に下りて来られたことの嬉しさがありましたが、より親しみを感じました(このあたり)。

 

こんな山の途中でもし、その翌朝の如くのトラブルが発生したら・・・と思うと・・・今一度その装備を点検する必要があるかと。

 

画像④~は昨日の拙寺工事現場の様子。

地盤改良、砕石工法~エコジオ工法~。

これで地盤改良機等の機材を搬入④。

それは液状化と耐震に効果があるようです。勿論安価な工法。

尚、従来のコンクリートパイル打ち込みの場合、建物撤去時に相当な経費が嵩むとのこと。

 

 

 

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2024年

9月

09日

一難去ってまた 多難 3日で4回目 共時性ならぬ同時性

昨日の午前の法事が済んで浜松へ。

本日も続けてバカ話を。

息子が冷蔵庫を新調したとのことでその古い冷蔵庫とネコ用ゲージを回収に奥方を助手席に乗せて軽トラで出動です。

この軽トラはあまり稼働が無く、使用は花ガラ等の搬出程度。

 

御門徒さんの手配で以前の軽トラからこちらに変更していましたので浜松となると初めての遠乗りになります。

途中掛川横須賀辺りのスタンドで給油に立ち寄りましたが、何故かまたこの軽トラまでもバッテリーあがり。

私のエクストレール、息子のチェイサー、そしてこの軽トラですから何かがオカシイ。

これだけつづくのはやはり「レアケース」とは思いますが、長雨と酷暑が原因なのかたまたま私に関わる車が立て続けにバッテリーが死んだのか・・・クラクションまで鳴らないくらい。

 

今回はスタンドのお兄ちゃんが二人押しかけを手伝ってくれたため簡単に再起動しました。よって余裕の躰で途中浜松市内のDIY店でバッテリーを購入(4980+消費税)して載せ替え、息子の家まで。

明るいうちに冷蔵庫を降ろすべくさっさと帰路につきました。

途中大東のスーパーで飲料水を購入に立ち寄り出発時にエンジンをかけると力の弱いセルモーターの音。

「なんじゃこりゃー」と愕然となるも一応エンジンが始動したため浜岡・相良方面へ向かいましたが走り出して間もなく、エンジンそのものが回転しなくなり、ストップしていまいました。

最初はハザードランプも点いていましたが、再びクラクションもならないほどにバッテリーも死んでいました。

 

日もどっぷり暮れて、「さぁどうする」になりましたが、ロードサービスのレッカー手配は荷台に冷蔵庫が載っているため却下されること間違いなしと踏みました。

よってタクシーを呼んで一旦自宅まで帰り、奥方の軽自家用車でロープにて牽引するという荒業を提案。

その提案の通り、タクシー会社の電話をすると20時すぎになっていたため1社目と2社目は「今日はおしまいです」と断られてしまいました。さすが田舎の日曜日と感心しながら次の3社目に掛けると場所の説明に多少時間がかかりましたが「15分で行きます」の了解を得ました。

タクシー料金は6000円弱でしたが、車内の涼しいこと、まさに救われた気分でした。

 

奥方は「これからが更に嫌な感じがする」と不安を吐露していましたが、奥方の軽にロープを数本積み込んで再び現場へ向かいました。

途中、軽トラのランプはまったく点かないというヤバイ状況、都合3回ロープが切れるなどしましたが11時に到着。

軽トラは外の駐車場に放置です。無事に帰ってこられただけまぁいいか・・・

 

ユングの心理学で共時性「シンクロニシティ」なる言葉がありました。「鷲が舞い降りた」でドイツ軍大佐がその語を使って作戦進行の決断の後押し、示唆的なエピソードを重ねていましたが私は今回の連続した事案はその共時性ならぬ「同時性」・・・と自虐的なほくそ笑みを浮かべていました。

まぁそれは殆ど偶然、こじつけあるいはオカルトといってもいいとは思いますが・・・

ちょっとカンベンしてもらいたい・・・

バッテリー、機械等が消耗して機能を果たさなくなることは経年の必然。自然ということで。

自然でしたら如来にまかせるべきもの。

 

軽トラを引っ張った軽自動車の負担は想像できますので当家に唯一残ったその車が動かなくなればそれこそピンチ。

尚、軽自動車後部に牽引用フックなどありませんので車体の後部車輪のシャフトに繋いで走らせました。また軽トラは間違いなくオシャカです。

奥方が引っ張る方、私が引っ張られる方、いつもと同じ。

後ろの方が相当怖いですよ。

 

一言で車の維持費は嵩むもの・・・自身納得させる必要がありました。

①②③までは災難続きながら調子が良かったのですが・・・

④は軽を放置してのタクシー待ち。大東の千浜の野。

4回続けてバッテリーが死んで最後はエンジンが死ぬ。私や奥方が死ななくて良かった。今回も助かりました・・・

 

 

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2024年

9月

08日

消火栓とホース格納庫と放水銃 室生寺と長谷寺

朝の外気は一時のあの「亜熱帯感」は収まりつつあるものの

本堂内陣での読経タイムの過酷は台風10号通過以前とさほど変わりがありません。

外陣の参拝参列の皆さんもラクではないでしょうね。

まぁボヤいてばかりではキリがない。

あの台風11号は案の定中国大陸に上陸して暴れまくっているよう。他人ごとではありませんよ。たまたまこちらに来なかっただけ。くわばら~。

 

こうやって数日の自宅安泰を過ごしていると奈良ドハマリ趣向の私は、「そろそろまた奈良に」などど口にして「ふざけるな!!」と罵られているわけですが、奥方は奈良がお好きではない様子。案外と坊守は坊主より忙しいですからね。

つまるところどうのこうのあっても奈良、私にはハッピーな場所なのです。

まぁその機縁いつまで続くかはわかりませんが。

 

以前奥方と大和郡山城に行った際、「もう一歩も動かない」と言い放ち一人車の助手席で2時間近く過ごしていたことがありました。

その前に朝からいろいろ寺社(室生寺・長谷寺等)のアップダウンを付き合ってもらっていたため致し方なしとは思いますがテラならばまだしもシロに関しては特に拒絶される傾向がありますね。

「ここで待ってる・・・」。

男だの女だのその性別に関して何か指摘すると怒られる世ですが「面倒くささ」を感じるのはそんな時。

まぁジンクスとして私が出かけると複雑なテーマの一報があるという主張です。それもこじつけ。

 

「バッテリーが付いていない車で行ってこい・・・」の嫌味を受けたため早速ネットでそれを注文したところ。

しかしこのバッテリーというもの、なかなかピンキリで程度の格差あって粗悪品も出回っているよう。

昨日記したが如くディーラーという選択肢の件があったこと記しましたが、純製品を所望すればあの手の車の場合4~5万円の出費を覚悟しなくてはならないよう。

まぁあの時はそれをも覚悟をしていたわけでしたが、こうやって喉元過ぎたあたりで冷静に思うことは輸入品の安価のもので十分・・・という余裕が出てくるワケで。

 

ベトナム人を名のる中古バッテリー(7~8千円)業者に騙されたこともありますが(振込後連絡途絶)前回は韓国製の品(1.2万程度)を取り寄せて使用していました。

結果今回の顛末となったわけですが、バッテリーは如何にも車には肝心なものながら、しかしどうしてもバッテリーあがりはつきものなのです。

 

高価な純正品を装着したとしても、ちょっとしたうっかりミス(放電)でのパーもありますし長期にわたって車を動かさないでいればどんどん劣化します。

「人間と同じである」とも昨日記しましたが、消耗も突然死も普通にあるわけで・・・

よって長寿命を売り物にしている品などナンセンス。

その手の高価なものよりも短命だとしてもその覚悟いろいろが使用者にあればそれでヨシ。

よって、私は再び安価な品(1.2万円)で手を打ったのでした。

 

今回は冬前でバッテリーあがりが十分に想定しうる時期を迎えますので「また替えれば・・・」。

日頃できるだけ車を乗り回していればその心配はなくなるのですが。すべて運次第、タイミング次第、おまかせ。

尚、車を所有していない「奥の墓道」氏は車のリスク全般そしてバッテリーの不具合頻度の高さについて理解が浅いようで。

彼は今回のことを「レアケースだろ」と言っていましたので、「滅多に貴殿と車でふらつくことはないがこれまで都合3回、バッテリー関係で右往左往したこと助手席で見ていただろ・・・」と。振り返ってみるとスゴイ頻度。

 

扨、私の願いは境内、あるいはその近くに消火栓、ホース格納庫、放水銃の設置。

住宅街にあって「火」、そればっかりは一番おそろしいことですからね。

何故か相良の街区にはその設置が少ない。不思議。

よって大火事が相良に多いのでは・・・

 

拙寺とは雲泥の差、文化財豊富の大寺院ですが室生寺①と長谷寺②~④のその設備を。

 

水道管の大口径管を引っ張ってこなくてはならないのでしょうね。

 

 

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2024年

9月

07日

天理の仏か 好印象降臨の白装束 ロードサービス

奈良天理市のホテルで受けた訃報の件、どちらにしろその翌日には帰路に就く予定でしたが、折角の奈良ですのでフルに時間をとれればと行き先を2、3検討していました。

そのあとのこと、のらりくらりと書き記させていただきましょう。

 

6時30からの朝食を済ませ、身支度を整えて7時過ぎにチェックアウト。

目的地選定のため、ナビをチェックすべくエンジンキーを回すとセルモーターはビクとも動きませんでした。

心当たりとしては前日、エンジンが始動しにくかったことがありましたが、そのあとあれだけ(400キロ近く)走っておきながらイキナリバッテリーがあがる・・・そんなことあるものか・・・の呆然自失。前日の「山の中」よりはいいや・・・の安堵も交錯。

 

ジャンプコードは常時搭載していますのでホテルからチェックアウトしてくる客を捉まえて電気を分けてもらおうと待ち構えました。

ボンネットをオープンして、「あの車の隣に・・・」と丁重にお願いするわけですが、その日は朝から色々と勉強させていただきました。

意外な事でしたが7件チャレンジ中、けんもほろろタイプの方が4件あったこと。

「3分ほど時間をいただければ・・・」と殆ど懇願の躰であったにもかかわらず、理由は「急いでいる」「忙しい」ということで拒絶。

 

これまで私は何度かそういたシチュエーションに出くわしていますが、目いっぱい出来る限りヘルプに応じた記憶があります。「まぁ世の中とはそんなもんだろう」と思いつつ「私の場合はたとえ通夜葬儀の時間が迫っていようがその3分は絶対に付き合おう」と心に決めたのでした。

そしてあと2件は「バッテリーの場所がわからない」「助手席の下だろうが開けられない」でした。まぁ態のいいお断りだったのでしょう。

私がその助手席の部分を手を突っ込んでまさぐるわけにもいかず諦めましたが自身の所有する自家用車であってもバッテリーの在処がわからないというのもスゴイことでした。

 

そして最後の1件。普通自家用車の方でしたが、気軽にOKをいただいて難なくコードを装着しましたが私の車はジーゼルエンジンでそのバッテリー容量はかなり大きい(「110」)ことからその自家用車のパワーでは復活に至りませんでした。

ダメだったにしろ拒絶率高い、厳しいお達し続きの中、気軽に私の願いに応じてくれたことを感謝しました。

そしてその方も恐縮して「頑張ってください」と。辛い心境ながら一気に心が晴れました。

 

すべて拒絶されるとは限らない。気持ちのいい人も現れる、捨てたもんじゃあない・・・です。

私は車を動かすためにここで待っていても仕方ないだろうと8時前から天理の町を歩き出しました。

歩を進めつつ思いつくカー用品大手の名を検索しても天理にはナシ。

ガソリンスタンドにカーディーラーうまくいけば中古のバッテリー屋にぶつかるかもとの楽観です。車検屋さんも多く点在しているようでした。

 

たまげたのは天理の街区ときたら天理教関係の大きな建物か居並び研修道場の如く宿泊詰所ばかりだったこと。

ガソリンスタンドもカーディーラーも私の目に留まることはありませんでした。あとは病院に警察署・・・

だいたいの街の雰囲気はわかりましたがそればかりは無駄な歩きでしたね。

歩きながら検索ヒットしたバッテリー取り扱いがありそうな店に電話を掛けまくりましたが何せ時間が早すぎてどちらも開店前の音声テープばかりだったこと。

 

近くの車検工場の開店を待って飛び込むとメカの方が一応在庫を調べてくれて「同等バッテリーの在庫は無い。車がここにあればチャージ等の対応はできる」とのことでした。

そもそもそれは無理なこと、腹の中「車が動けばここには来ないぜ」と心に思いつつ「すぐそこのホテルで3分もかからない場所です」と短時間でちゃっと終わる旨、強調すれば「上司に聞いてくる」とその場を離れてしばらく「お昼まで待って」との回答をいただきました。

彼らはそれぞれの決まったシフトで動いているワケでバッテリーの新品の販売に繋がるわけでもない一見さんのバッテリーチャージなら「お前のお昼休みにでもやってやれ~」と上役(女性でした)に突っ込まれたのでしょうね。

メカの方は通りを渡った私に向かって申し訳なさそうに頭を下げていました。

「いいんですよ~」と手を振りながらまたも嬉しくなっている私がありました。

 

私としても3時間はさすがに待てませんのでタクシーを拾って隣の大和郡山にあるカーショップに買い出しに行こうと覚悟を決め再び街区を歩き始めました。

すると携帯電話カバーの中に「そういえば・・・」とハッとさせられる紙片が目に入りました。どうして気が付かなかったのだろう・・・

それは20年ほど前に入ったクレジットカードの付帯サービスで「ロードサービス」が受けられるというもの。

カードの維持費は無料ですがオプションのロードサービスの年会費は750円程度だったかと。

それについて奥方からは「無意味につき さっさとヤメろ」と毎度罵しられていたものでした。

まぁ任意保険のサービスもあるにはありましたからね。

 

「ここにかけろ」と言わんばかりに電話番号がモロに目にはいってきましたのでダメ元でかけてみました。

すると10回ほど「しばらくお待ちください」のアナウンスを聞かされたあと、おそらく東京でしょう集約センターの担当者が出ました。

私の本人確認が済んで車の現状を話すと「30分以内に手配します」とこれまでとは信じられないような展開が。

 

10分程度待つと近くのレッカー屋さんから直電があって今から出るので「10分ほどお待ちください」となりました。

信じられない思いで待っていると白いツナギを来た好青年がニッコリ笑顔で現れて、コレなら楽勝とばかりにあっという間にエンジン始動。

自力には限界があることをここで再認識。

「おかげさま」を思いました。

御礼のことばを述べると「そんなに喜んでくれるとは嬉しいです・・・これに懲りずにまた天理に遊びに来てください」と。私の腹の中をすべて承知しているが如く。

 

9時50分にすべて解決。

10時までが正式なチェックアウト時間。それから新たに駐車場料金が発生しますからね。

ホテルフロント担当のご配慮でレッカー屋さんの入場料金をサービスしていただきました。

 

10時に出立し午後1時30分には相良着。

エンスト即地獄が想定できましたのでMT車でクセになっていた2速発進を封印、清々しい思いでエンジンノンストップ走行で逃げるように自宅へ。

ちなみに車庫に入ってエンジンを止め、再びセルを回してみると・・・思った通り微動だにせず。よってその場でバッテリーを降ろした次第。

もしどこかでエンストしていたら?

過ぎた事のタラレバを考えてもね。

そういえば「どこかでバッテリーを交換してからお帰りを・・・」とは彼が注進していました。

しかしニヤニヤしながらそれを聞き流して突っ走った私です。

 

昨日息子がやってきて(島田で通夜とのこと)隣の車庫の彼のチェイサーを始動するも何故か同様、バッテリーあがり。

彼のバッテリーは比較的新しく軽自動車からの接続で復活しましたが・・・。

 

長雨とそれぞれ1カ月以上も走らせていなかったことがイケなかったのでしょうか。寒冷へのダメージのイメージがあるそれですが猛暑も苦手なのでしょうかね。

バッテリーの生き死にもそれぞれあります。走ってもチャージしてもダメなものはダメ・・・。人間と同じか・・・

 

画像は失礼とは思いつつも彼の勇士をアップ。

あの時の私にとって降臨した仏のような方といっても過言無し。

将に天理の仏です。天理は「神」のイメージでしたが・・・

お仕事とはいえ、すこぶる好印象、気持ちのイイ来迎でした。

色々ありましたがこれですべてヨシの奈良に。

①はその前日の駐車場。

 

 

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2024年

9月

06日

「なな」は怪訝な顔で送る 深夜に奈良に向かう

台風10号の残存低圧帯に吹き込む暖かい空気の影響でしばらくの間、不安定な天気が続きました。

台風が過ぎたあとは「荒天一転好天」となるというのが私の常識でしたが今回はその予想も裏切りました。

 

その次に発生した台風11号は沖縄の鼻先を通過して大陸へ向かっています。

そうは簡単に言ってもその11号・・・信じられないくらい、呆れるほどに勢力が増大しているようです。

905hpなどの予想も出ているくらいですから。

香港辺りへ上陸することは間違いないのでしょうが、被害は半端ナイのでは・・・と予想するところ。

そして、こっちでなくて良かった・・・といつもの単純で勝手な思いもありました。

 

 

扨、拙寺檀家さんが神妙な顔で「実は・・・」と縁者の「その時」についての寺への承諾というか段取り、筋道について確認を来られること多々あります。

私としては一瞬の衝撃を受けますがその心の中は「いつものことである」「しょうがない」・・・といっても過言ではありません。

「そろそろ危ない」「危篤」と言った言葉が混じりますが、私はただ淡々とお聞きし、できることと推奨する動きについて思うことをお話しするだけです。

 

「危篤」という言葉は良く耳にする語ですが、仏教的に言えば

基本「危ないのは私である」を本とします。

私の承ったその「そろそろ」の件、最長で1年以上命が繋がったこともあるくらいで、要は「わからない」ことです。

その一つの生命の終焉―寿命―は縁者といえどもどうにもならないそして必然のことですから。

とは言っても、その切実は事務的(寺務的)な対応ながら親身な姿勢であることは欠かせません。

 

そしてまた「そろそろ」と伝えられて1年以上存命した方の件、縁者に向かってこちらから「如何・・・」の如く問い合わせができる筈もなく。

ただそれには一切触れずに過ごすだけですね。

ということで「危篤」情報は承るものの私の生活スタンスはいつもと一緒。何も変わることはありません。

言い換えれば「その時」は誰もが迎える人生のイベントでありそれは皆同じことです。

 

扨、台風シーズンに入って、このタイミングしかないだろうと私は数日前の深夜に奈良へ向かいました。

機(まず天気予報)を見て感じて瞬時に決めるというのがいつものこと。

一方、私が遠方に向かうとどなたかの訃報が入るというのがジンクスになっていますが、その件頭にはありましたが、それに拘れば何も動くことはできません。すべての今ある命が「危篤」なのですから。

最近では私のやるべきことに「息子がいるさ」というお気楽気分も発生していますが、その奈良を歩きまくった夜、宿泊先の部屋で訃報が入りました。

その際に息子の方も法務がたまたま入っていたようですが帰宅しての流れを計算して「どうにかなる」と踏んでいました。

 

昨日のブログは奈良で記しましたが今は自坊にて。

今回の奈良は一日だけの限定となりましたが通夜・葬儀の件、おかげさまでうまいこと段取りが付きました。

その一日でも色々な事、いろいろな出逢いがありましたからヨシとしましょう。

 

画像は最近の奈良での定宿となった、建てられて新しい天理の東横イン。まさに天理駅の真ん前になります。

天理は意外に奈良のベース基地としてもってこいの地。

天理自体にはこれといった私の趣向に合う場所はありませんがそれほど混みあわないところがイイ。

 

禁煙ルーム(低層階)シングル一泊朝食付き、駐車料金あわせて7000円。

①はカメラ片手に深夜の出立前の「なな」の怪訝な睨み顔。

「行くな!!」と言っているように感じましたが・・・

④帰宅すると工事が本格的に始まっていました。

いよいよです。

 

また「いよいよ」と言えば、報道で「来年の大河ドラマに登場

田沼意次の名前付けた地酒を寺に献上」そして「藤井七冠人気 1日で満席 牧之原トークショー」の相良ネタが踊っていました。

 

 

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2024年

9月

05日

水も大切、菌にも感謝 「菌塚」 七賢

先日発生した宮崎県沖の地震の際、専門家より「南海トラフ」の大地震を示唆されて一部それに関わる地区に住まわれる人々の生活、そして企業活動に制約のストレスがかかったのでしたが、その際、真っ当な人たちが考えたことはといえば「水の確保」だったとのこと。皆さんそれを求めて走っていましたね。

それはこれまでの震災体験で「一番困ったこと」が水といいますのでその確保の件、正解なのでしょうが、それでも動くのが遅すぎはしないかい?といった意見がありました。

 

もし地震が実際に発生すればまず、その水は各お店の棚から完全に姿を消すそうです。よってその真っ当な動きとは現実の問題への対処にはなっていず、つまるところ日頃の準備ができていないということの証左であるわけで。

まぁ、蛇口を開けば無尽蔵に水が溢れてくる時は気が付かないのでしょうが、それをひねっても一滴さえ出て来ないことを想像すればいいだけ。

いずれ来るであろう給水車にヘルプをタノムという策もありますが、まぁ何時になるかなどわかったものではありません。

水の確保とはそのヘルプが来る前、行列を作って並ぶ前に思量すべきことというのが、一般的に言う事前調達です。

家族の多い家庭は大変でしょうが、その発生の時に何とか食い繋いでいくには「水こそ」が一番なのでした。

夏の暑い盛りに植木鉢の植物に1日でも水やりを怠れば枯れてしまいます。人間も彼らと同じ生き物なのですからね。

 

ただし、その水必需の件、基本的に「私こそ生き残る」の意であり裏を返せば「私は死なない」の傲慢発想だといいます。

となると・・・水は必要ではあるが、本当に大切なことは地震の際の「私の生き残るための試行」なのでした。

 

どう動くか、動かないか・・・たとえば「火を消す」ことは肝心ですがデータによるといつもは2階家の2階に寝起きしているところ地震発生に驚き、慌てて階下に降りてきて1階が崩壊し2階部分の建屋によって圧死するパターンが意外に多いとのこと。

火の心配、津波の心配がない場合は2階が比較的安全。

 

扨、水と言えば昨日の白州、商品名で言えば南アルプスの天然水など思い浮かびます。

昨日の画像の「七賢」酒造は一部工場店舗部分を見学することができます。

こういった地域は水は美味しいし、それが喪失することなど考えられないでしょうね。そもそも地震などからは縁遠い場所ではないでしょうか。

まぁ何事も「100%ナイ」とは言い切れませんが。

 

こちらではそのご商売に一番必要なもの・・・水を祀りそして「菌」たちへの報謝を忘れまいということでしょう「菌塚」が建っていました。

 

ショップにはたくさんのお酒が並んでいましたが・・・いつもの如く私は手出し無用。

 

 

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2024年

9月

04日

旧甲州街道 白州町は北杜市

晴れのち曇りそして土砂降りタイムありの一日。

先日来の豪雨、雷雨で避難先を求めたか最近来ている野良ネコが障子を破って本堂を出入りいる図を目撃。

そのネコはこれまでその手の悪さをしたことがありませんでしたが、さすがにあの雷と豪雨は床下に隠れている気分になれなかったのでしょうね。

しかしいくら何でも本堂はダメ。

ということで破られた箇所の修繕をしました。

先日来貼替えの障子ではなかったことは救いですが、障子紙ではあの爪で破られてしまいますので木の板を障子の升目に差し込む作戦を。

どちらにしろその箇所は障子の開け閉めの際、隙間が殆どなくなっているため障子紙が擦れて劣化が激しい箇所です。

よって昨日は数枚の板を切り貼りしました。

奥方は「全部ヤレ」と。上部はさすがにヤラれることはないでしょうが、まぁ様子を見ながら。

 

扨、甲州信玄堤(またはこちら)がある釜無川沿いに北上すれば白州の蒸留所や「目には青葉」の道の駅はくしゅうに至るわけですが、釜無川に尾白川が合流するあたり、旧甲州街道に分岐する道に入りました。

 

東海道に準ずる古来からの大動脈、甲州街道―学生時代の新宿周辺をうろちょろした人間にとって大いに聞き覚えのある道ですが―今はその古き時代の遺物を探すこと難儀します。

こちら白州町(北杜市)にはその古の面影を所々に見ることができます(こちら)。

 

 

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2024年

9月

03日

大井夫人墓域 天文二十一壬子年五月七日 長禅寺

平田寺で行われるはずだった例の将棋の対局が消滅したのでしたが、昨年同様藤井さんは相良に来訪、代替の「トークショー」が開催されるとのこと。

史跡研究会の小澤氏が企画している大吟醸「田沼意次」のお披露目はそのお流れとなった対局の観戦会場に行われる予定でしたがそれはトークショーの日にちに変更することになります。それも予定でした。

 

今回の物品販売について頭が痛いのが酒というところです。

一般人には販売できない代物ですね。

詳細不勉強でよく知りませんが、酒屋さんの販売であっても認可されている店舗ではない出張店舗の場合は事前に税務署へ申請しなくてはならないというお約束があるとのことでした。

ところがそのイベントを当初担っていただく酒屋さんが申請した指定の日が将棋の対局日のみだったとのこと。

今回決まった9月9日はその期日に入っていずスライド申請する必要があるワケですね。

しかしその税務署のお約束は「10日前までに申請」という添付条項があり、「9日です」と言われても、すでに遅し。

これでお披露目販売の機会もおじゃんになったとのことでした。

 

酒という特殊な品物のため1クッション入れなければお話が進んでいかないということ、如何にもまどろっこしい。

企画を進めている小澤氏としても税務署とのその辺りの関りについての知識はありませんし、その申請不可によってイキナリ販促の出鼻を挫かれてしまったこと、気の毒なことです。

私は「お役人の旧態依然のお役所仕事だから・・・」と苦笑するだけでしたが。

言い出せばキリがありませんがその10日シバリの意味って何?。

面倒くさいことばかりで・・・

私にはその件、関りがなくて良かった。

 

扨、三重塔五重塔、京都や奈良にでもワープしたような佇まいを表する長禅寺。

こちらの墓域は人の気配は皆無、草木生い茂る様でしたが、奥の上段は信玄の母、大井の方の墓域となっています。

歴代の僧たちの卵塔に囲まれるようにその石塔は建ちますがその側面に記された年月日、天文二十一(1552)年五月七日をつい検索する私がありました。

③はそちらウイキペディアでお目にかかった画像。

 

 

 

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2024年

9月

02日

甲府城天守台からも 長禅寺五重塔の威容

ようやく迷走の台風10号は熱帯低気圧に衰え日本海に抜けようとしています。

久々清々しい晴れというものを享受したいところですが、まだ少々の怪しさが漂っていますね。

 

先日のお寺の寄合の休憩時間に、外の土砂降りの様に私が「雨漏りが心配」と親しくしていただいているお寺の住職が本堂背後の山が心配だと仰っていました。以前三河の等順寺(またはこちら こちら)にお邪魔した際にお聞きしましたがかつて裏山が崩れて本堂ほか被害があったと。

私は以前から山の中のお寺の静寂と自然の環境に「良きもの」といった認識がありましたが、その自然が牙を剥いてくることもありその立地の有難さというもの「今生かされている私の一所懸命」を思ったわけで。

 

昨日の静岡の台風被災のニュースの件。

台風の進路について特に西側を進む時など「南東斜面に気を付けろ」ということをよく聞きます。

反時計回りの低圧空気の渦の強いヤツが台風ですが、雨を降らす原資というものは南から供給される湿った空気。それらが供給し続けられて山系に当てってドカ雨を降らすというのがそれです。

 

そのニュースで久能山の南側と東側での斜面崩落があったと伝えていました。

山頂にはあの久能山城(東照宮)があってその南側斜面の字名が「根古屋」です。

今はイチゴ農家が点在しますが、その畑とハウスが斜面崩壊によって流されていました。

そして久能の東側の斜面も崩落してあの鉄舟寺の墓域が崩れている様も視聴。

台風(空気のいたずら)とはいえやはり不条理を思いますね。

その鬱憤を晴らせることはなかなかできないでしょう。

 

不条理と言えばまた昨日、横浜駅前のビルから飛び降りた高校生が下を歩く通行人に衝突してお二方とも亡くなっていました。

下を歩いていた方はその唐突に訪れた自らの死というものを一体どうやって認識するのでしょう。

時々起こるその巻き添え「殺人」―飛び降りた人にはその意志というものは無いのでしょうが刑法的には「未必の故意」というものがありますし。

精神状態として特に不安定、正気ではなかったからという弁護も成り立つものでしょうが(責任能力の有無)何れにせよ甚だしい不条理というものを感じました。

確率のことをここに記すのは、おかしな話ですが、私どもも横浜駅前のあの辺りは「人生でこれまで5回ほど」通ったことがある・・・という会話をしていました。

横浜の「奥の墓道」氏の場合などそれどころの回数ではないくらい頻繁に通行する場所ですからね。

 

「どうするんだよ~」と。

飛び降りて自死するに値する絶望への対応がその十数年の経験から培われたとすればやはりその学校・友人そして親が大いに反省する他はありませんね。

民事の損害賠償の件、当然に伴ってくるでしょうがそれはまず

未成年者の加害は「親」が弁済するということになります。

二重の不条理を親に提示するなんて・・・逃げられるものなら逃げたくなります。

このご時節、親というものは子に「死に方」まで日頃教えておかなくてはならなくなったというのでしょうか。

何という末世。

それを続けさせてはいイケない。

文科省も何とかせい。

 

扨、画像は昨日の三重塔に続いて同じ長禅寺の敷地にある五重塔。甲府城の天守台からも見られるアレです。

甲府府中の広大な敷地の古刹、三重塔と五重塔の二つの塔が建つお寺があるなんて・・・唖然です。

圧倒させられて言葉はなし。

 

夜9時からはNHK「MEGAQUAKE」を視聴。やはり言葉も無し。軟弱地盤の脅威。ビル、杭基礎の崩壊・・・強烈に恐ろしい。

同じ軟弱地盤のトーキョーにはニョキニョキと高層ビルが建ちまくっていますが・・・トーキョー関東は「揺れやすさマップ」の色が赤色だらけ。首都直下地震が来たらどうなるのだろう・・・

スケールが大きすぎて全ての「備え」というものが水泡に・・・

私など自分の事で精一杯ですが。

目の当たりにする現実、不条理というものは耐えがたい。

 

 

 

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2024年

9月

01日

甲府長禅寺の三重塔 五重塔もあるけど

ひきつづき面倒くさい天気が続きます。

朝は晴れていてイキナリ土砂降り。

やんだかな?と思えばまた土砂降りのローテーションの終日。

そしてその締めが夕刻の雷付きで「まさか落ちやしないだろうな~」の不安もありました。

私もこの9月入りにはもうちっとばかり「何とかならないのかよ~」のもやもやな気持ちでいましたのできっと世の子供たちは折角の夏休み後半が水の泡にもなって、これから新学期の学校に対してストレスが溜まるのみではないかと心配。

 

大丈夫ですよ、行きたくなければ行かなきゃいいのだから。

どうにかなります。

正気を保つことができなくなって爆発しそうになったら良きオトナに相談しましょう。

話を聞いてくれる人は幾らでもいますから。

 

午前の法要開始時間は晴れ、法要の途中からしばらくの時間が豪雨となりやむなく墓参は中止にし、代わりに再度本堂で焼香をいただいたほどの激変ぶり。

皆さんは傘の持参などありませんでした。よって私が自家用車で駐車場まで各ドライバーを運びそれぞれの車を境内に入れて対応していました。

 

一昨日は焼津で50台の水没車両があったといいますが、全国だとどれくらいの車が傷んだことでしょう。神奈川西部も酷かった。

何故か羨ましくなるような凛々しき車ばかりで・・・水没とは気の毒なことです。

エンジンさえかけなければ一応は何とかなりそうですが。

これから秋口にかけてそれらが中古車市場に出てくることでしょうから購入には各吟味検討が必要でしょうね。

 

この台風10号、それに関わる色々が従来の台風とはまったく性格を異にしていて滅法驚かされました。

まぁ「何から何まで」といった感じで予想が付きにくいところが・・・私の如く常時楽観的に生きている人間にとっては「学び」ばかりでした。まさに常識というものが覆されましたね。

ただ私の住まう海岸近くの地に水に関する被害はありませんでしたが。

 

洪水に低地の家屋浸水、道路の冠水被害というものは概して同じ地域で発生します。

ということは毎度同じ場所、同じ地域内での被災があるわけで

これはどう考えても行政がそのことを学んでいないということでしょう。学ばないというか承知ていてトボけているのかも。

低地でしたら嵩上げや排水の配慮、毎度氾濫する河川ならば定期的な浚渫に防水堤の完備に排水への配慮、急傾斜地擁壁の造作などは不可欠です。

地域ポランティアの皆さんに避難施設管理の責任を投げるかの如く毎度毎度「避難所へ逃げて~」「高い場所に上がって~」のメッセージ発信の「やった感」。

これから毎年の悶絶台風対策としてこれでいいの?といった単純なギモンが浮かびます。

 

扨、画像は甲府長禅寺門前と三重塔。

こちらのお寺は甲府五山のうち最も広大なスケールを誇るというお寺です。

よそ者の私としては入口に迷い迷って背後の強烈な細道に入り込み右往左往の難儀をしましたが(場所はこちら)・・・。

何故にしてそんなことになってしまったのか・・・

甲府中心部、甲府城からも近し。

甲府城天守台から東を見た画像からも見えました(そちらに写っているのは五重塔ですが)。

 

 

 

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2024年

8月

31日

勝他・利養・名聞 3つのもとどり 帰敬式おかみそり

雨続きでくさくさ、割り切りが必要とは思っていました。

しかし何故か午前中は太陽が顔を出してくれて、避難していた植木鉢数鉢を日の下に移動するなど。

予想通り夕刻には再び土砂降り。

まったく面倒くさい天気が続きます。

 

お盆明けに時間が出来たら自然の中に独りいてのんびり思索を・・・などと期待を膨らませていましたが、すべてオジャン。

まさかこれほど悪天候が続くとは思いもしませんでしたね。

まぁ別段の被害がないということが有難いことですが。

昨晩の予報では、関東南にさらなる熱帯低気圧が発生していましたから今後関東地方は油断がおけない時間が続くかも。

しかし他人事ではありません。

 

静岡市内の河川増水による被害状況がテレビから流れていました。長靴を履いて水が溢れた道路を歩く下向姿?の小学生にインタビューするシーンが流れていましたが、学校はこの日を休みにしていなかったということか・・・

あいも変わらず臨機応変というものがないようです。

「洪水で溢れた道を学童に歩かせるな」。

 

扨、以前「法名をもらう」の本山ポスターの件を記しましたが、2025年より本山には「帰敬式相談窓口」が開設されます。

どちらの大谷派のお寺でもその受式は可能ですが、受式場所を本山に指定することもできますので、参拝や観光の流れの中でそれを受けることができます。良き思い出とすることができるというワケです。

以前はお寺の遠足といえば、大谷祖廟の納骨と本山での帰敬式がセットだったこともあって案外と(生前)法名を頂いている方がいらしたものですが、今は私の誤った?方向性からか少なくなっています。

なかなか元に戻そうとしてもうまく行きませんね。まぁゼロからその告知をしていかなくてはなりません。

 

因みに得度式と帰敬式とは似て非なるものですから一言。

夏休みに必ずと言って報道される本山東本願寺で催される得度式。

帰敬式同様、仏弟子の名のりをする式ではありますが得度式はまずは坊さんの予備軍。寺族子弟ということになりますね。

息子も小学校5年で上山しました。

また東本願寺の得度式は表に出てくることが多いのですがお西の方はさにあらず。それは両派の考え方の違い。

大谷派(東本願寺)は親鸞さんの得度の時にこだわって「9歳になったら」というルールがあるからです。私がそれを受けたのは大学卒業時、あまりにもタイミングが悪すぎました。

まぁ親の感覚の違いで私はその時期になったのでしたが相当なるわだかまりがありました。

それでいてお西の場合の基準は「成人」(確か18歳?)となっていますので夏休みの黒衣の子供のいがぐり頭の情景は東本願寺でのみ見られるということで。

親鸞と阿弥陀の教えは同じ、似ているようでまた違いもちょくちょく見られる東西の本願寺。それはそれでOKOK。

 

2025年からの東本願寺の帰敬式の変更点として「法名の取り扱いが変わる」との告知がありました。

1.男性には「釋〇〇」、女性には「釋〇〇」の法名授与を基本  

 としつつ受式者の願い出に応じて「釋〇〇」もしくは、「釋尼 

 〇〇」を選択いただけます。

 なお、選択事由の説明は必要としません。

2.帰敬式受式後において「釋〇〇」もしくは「釋〇〇」の名告 

 りの変更に伴い、「変更後の法名紙の交付」を希望する場合は

 所定の届出書の提出をもって新たに法名紙を授与いたしま 

 す

 

上記は今の社会の情勢、感覚を鑑み変更されたもの。

要は「どちらでもイイ」「男子も女子も区別はナイ」ということですね。

 

しかしながら得度式で男子はいがぐり坊主、女子はカタチだけ・・・というのはオカシイ・・・といった意見もアリ。

女子に剃髪を強要するのも何ですから、それなら男子もヤメちまおうという意か。

また先日の会合で得度式で男子が「釋〇〇」を選択した場合、「剃髪しなくていいの?」といった質問がありましたが・・・

何分、難しい世の中になりました。

 

表記の「勝他・利養・名聞」のはからいに生きている私というものの象徴を「髻」(もとどり)として形容したものです。

それらをここで剃り落とすことによって仏門に入る宣誓とその自覚を持つ機縁にしようというもの。

 

 

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2024年

8月

30日

強雨の中掛川圓満寺にて 堂内空調の心地よさよ

雨時々土砂降り。

午前は本堂で大吟醸「田沼意次」の販売について地区の酒屋さん3社を集めての説明会。

といっても拙寺はその会場(本堂)を提供しただけで私の参加はありません。主導は史跡調査会会長の小澤氏です。

それによると販売価格は720ml箱入りで3300円に統一するとのことでした。

牧之原市からもその品に力を入れるとのお墨付きを頂いているそうで小澤氏もこれで一安心、スタートが切れると。

残念なのは私にはその味がわからないということ。

平田寺の「田沼意次」奉納式にはそれ一本で行くとのことでした。

 

午後は掛川の圓満寺にて定例の会合。

テーマが多様にあって18時前までかかりました。

帰宅時は水たまりにハンドルを取られて恐怖を感じつつ。

内心この会合は順延願いたいところでしたが、致し方なし。

うるさ型の坊さん、沈思する坊さん、おバカな坊さん(私です!!)

それぞれあってうまいこと収まりませんね。

まぁ人それぞれあっていいのですが・・・

 

途中外は無茶苦茶な降りがあって(東海道新幹線全線不通)、私は庫裏や本堂に雨漏りがありはしないか「それどころではない」といった感じでそわそわ。

後に大事ないことがわかりましたが・・・。

 

こちらのお寺の本堂に入るのは初めて。以前は庫裏での会合でした。

すると靴入れが無いので「靴はどちらで脱げば・・・」と伺えば「そのままお入りください」でした。

ズカズカと他のお寺の本堂に入ること、躊躇のない私ですが、靴を脱がずに入ることは慣れていませんので相当どぎまぎとさせられました。

 

ガッチリとサッシドア、密閉度高い本堂でエアコンの効きがすこぶる良きこと・・・

「コレだな」と入口近くにツインで聳える見た事も無い空調機を確認しました。外側には本堂裏側の室外機に延びるパイプが少々見えるだけ。

快適な空間の提供に「これいくら?」と聞いてしまうのが私の失礼。

2台で200万円弱とのことでしたが、羨ましいということはさておいて、拙寺木造+畳の本堂では効率が悪すぎて無理でしょうね。

その快適を諦めること、さして時間はかかりませんでした。

 

尚、帰宅後、メールにて9月1日の法要中止順延の連絡がありました。当日は静岡市内のご自宅法要と近くの墓園参りの予定でしたが、私としては9月1日なら「何とかなるだろう」と高をくくっていました。

何故ならば台風10号は一昨日の935hpから985hpに急速に勢力を落していることそして「陸の上」の進行ということですね。

陸上では彼のスタミナの供給源は喪失し浪費するのみ。

要はその頃は熱帯低気圧→前線を伴った低気圧程度に・・・というところですがこれまで降りまくった雨量もあって地盤軟弱地の土砂崩れの発生も考えられるわけで。東名高速等幹線道がストップすることも。

中止していただいたことによって余計な心配は不要になりました。まぁ、ボヤキはありますがすべておまかせしています。

 

 

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2024年

8月

29日

トカ子・竹ノ谷・不相・蒲方・片原 浅野文庫古城図三川

「おめでとう」だけど「ざんねん」。

今節の王位戦第五戦で藤井王位が勝利してタイトル防衛が決まりました。

これで相良での対戦は昨年に続いてお流れ、お祭り気分の盛り上がりはナシとなりました。準備のために動いた方たちからすれば一気に力が抜けたことでしょう。

まぁ、タイトル戦は「4勝」で決まるところ相良は「六戦目」の会場とあって内心今年も難しいとは思っていましたがね。

勝負のこと、こればっかしはどうにも仕方がないことですがその順番がいつも同じというのは不公平。ガチャにすればいいのに・・・

 

そんなノー天気な話題はともかくとして、あの台風10号のノロノロ進行と変進、そして発達の具合は一言でスゴイ。

台風発生時には990hpだったものが昨晩の鹿児島南西海上沖にあって935hpですからね。日々ますますのパワーアップの様を見せつけらました。

台風のコースもそれも大概のお決まりがあってまずは沖縄近海を通過しますし勢力のupはその沖縄辺りでピークアウトするものですからね。

それもこれも海水温がやたらと高いことからとの説明がされていますが、要は温暖化現象。

どちらかの島国からは海水面の上昇からの危機を訴える声が出ていますが、私はこの相良に夏を過ごして、あらためて「本州の亜熱帯化」を感じていました。

 

以前も記したことがありますが、私が沖縄で体験したそのスケールの台風といえば、まさに死というものを感じさせるものでした。

台風が過ぎたあと、鉄筋入りの電柱がポキポキと倒れ、国道に漁船がうちあげられている図は異様な光景でした。

あと「指飛んだ」のニュースは必ずありました(強風で閉まるドアのために)ね。車のドア開け閉めも特に注意。

まぁあの勢力で本州に向かう台風などこれまでそうは無かったですからね。たかが空気の流れではあるもののそいつは無慈悲かつ圧倒的な力で物を破壊し生命を奪います。

人の都合などお構いなし、すべての計画を練り直していただきたい。

 

昨晩は蒲郡の竹ノ谷で土砂崩れの報がありました。

ノロノロで降雨の時間帯が多く、背後に山を抱えた家や低地の河川近くに住まわれる方々、御油断召されるな。

当地は風よりも雨のリスクが大。昨晩から勝間田で避難指示が発せられていました。

 

扨、以前「浅野文庫蔵諸国古城之図」について記していましたがそのあと室城のところでそこから転記した通り何とか入手することができていました。

その書籍には非カラーではないページが多いながら三河の城の数は他を圧倒して掲載があります。

 

アレのページを捲って「何それ・・・」という城の名称に目が留まりますがそれがその「トカ子」です。「トカ子城」でもなくただの「トカ子」。

その城は拙ブログにて既に記していますがそれが登屋ヶ根城(またはこちら こちら)。

その城の呼び名として推測すれば漢字はあて字というのが通例ですのでその「トカ子(ネ)」が正解とすればどちらかの段階で 

「トカネ」が「トヤガネ」と変化したのではないかと。

 

「此城昔ヨリ有之ト云トカ子ノ城関口ノ城トモ云  粕屋善兵衛 小原藤市城ヲ守由」と。

 

この城に関してはカラーというのもいい。

画像④~⑧は最近記した竹ノ谷城不相城蒲方城片原城

 

 

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2024年

8月

28日

甲府駅前北口1-4 武田通り 突当りが躑躅ケ崎

例の将棋の王位戦第五戦が始まりました(27日28日)。

藤井王位の3勝1敗で今節が始まったわけですが今回藤井さんが勝てば決着・・・これまで!。

対する渡辺九段が勝って六戦目に持ち込むことができればその会場が当地相良の平田寺ということになりますから、関係者御一同のやきもきが手に取るようにわかります。

 

公募で昼食やおやつを提供すべく奮闘考案した皆さんは勿論、それぞれの各準備に奔走した御担当の労が水泡に帰する・・・などといったら少々大袈裟か。

 

まぁ藤井さんが勝ち、王位戦終了となったとしても実は彼を招いてのトークショーが相良で行われることにはなってはいますが・・・。

外部からその対戦を観戦するお客さんを招いての2日間のみっちり・・・からすれば時間限定、地元主体のトークショーのみというのでは雲泥の差でしょうがね。

 

先日は日本酒の新ブランド「田沼意次」について記しました。正式販売は来年の大河ドラマにあわせてではありますが、そのプレ販売というかデビューの計画がその第六戦の観戦会場(い~ら)の予定にありました。

その件について別途平田寺にてそのお酒の奉納の式典を行いたいといった提案が出てきたそう。

また大きくお披露目するためにそちらにはメディア(新聞社)を招くとも聞きました。

 

その際、その大吟醸「田沼意次」とは別に以前当地のイベントで販売した(別の醸造所)「相良城」なるお酒を一緒に平田寺の式典に並べるかも・・・という提案もあったといいます。

 

私はその「相良城」なる名称について以前拙寺の緑茶「無量寿」の商標を取る際に多くの名をピックアップして吟味したことがありましたがその際一応その名も見回したことがありました。

 

商標権については「類似」か「非類似」かの争点をよく言われますがその判断の一つとして「購入者が品物の出所について混同を招く可能性」があると「類似」の判断がされるウェイトが高くなるといいます。

 

緑茶についての判断はやってみなくてはわからない・・・といったものですが(勿論その名称は検討しませんでした)その「相良城」のカテゴリーはお酒になりますね。

見回してみると「相良〇×」なる酒造会社があってその「相良~」を記した(焼酎)名称は既に登録済みでした。

 

また、この「相良城」なる名称を特許庁のリストで調べてみると登録はありませんでした。

ということでその地元のイベント何やらでそれを販売したことは・・・非継続のゲリラ的販売、ヒットエンドランの如くのもの(売り逃げ)かと感じました。

ところがその酒を今一度世間に出して(メディアの取材対象にするなど)大きく公表した場合、全国に大バレとなって先取権利者の「対抗」(差し止め・損害賠償)というものが思い浮かぶわけで。

そのための権利保護と他者の排除を目的とするものですから。

 

まさかそのような無知(知らなかった~)はないかと思いますし私の杞憂であればそれでいいのですが(商標権利者の了解済等)、最悪、大河ドラマにも牧之原市にも平田寺にも泥を被らせることになるやもしれず。

私の経験浅薄では結論が出ませんが、それは「類似」であると思いますがね。

 

尚、私はその件一切関与していませんし、余計な事を指摘してケチを付けていると思われるのも嫌ですので静観を決め込むばかり。

またまさかそれを判っていて陳列販売などするワケはないでしょう。出したとしたら何らかの手はずを整えているということでしょうね。

奉納式に出られる小澤さんには一応「ヤバいかも・・・」とは告げていますが。

大吟醸「田沼意次」のみに関わっていればOK!!と。

「相良城」を販売するかしないかは自由ですからね。

ただその後の事は関知せず。

 

扨、甲府について何回か記してきましたが(一昨日)、甲府駅北口の交差点「北口1-4」を(場所はこちら)。信号待ちの図。

前方が東。少々行って右(南)に折れれば甲府城、県庁方向になりますが、この北口から北に上がる道が今の「信玄通り」。

突き当たったところに躑躅ケ崎屋形跡-武田神社が。

将に「君子南面」のカタチになります。

その道すがら円光院に向かう道を折れればまた色々名所がありました。

以前は柳沢吉保の龍崋山永慶寺跡を記しましたがその近くに庚申塚が。どちらにもある大して珍しいものではありませんが・・・

 

 

 

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2024年

8月

27日

九州真宗の源流-福岡 親鸞と東北の念仏-仙台

当地は安定した好天、青空が広がっていました。

折角ですから軽トラの荷台の植木鉢を太陽光が目いっぱい浴びられる位置に移しかつ数鉢を下しました。

海からは波濤の様を耳のみで感じる程度で風すらありませんでした。22時前には降雨がありましたが・・・。

 

尚、限りなく西に進路を変える台風予10号の件、昨日私は950hpで「死人が出る」と記しましたが2019年の千葉のゴルフ練習場の鉄柱が付近の住宅を壊したあの台風の勢力は965hpでした。

その程度までの発達は十分にありそうですから・・・ご配慮を。

 

昨日は「火山防災の日」とのことでした。その研究としては地震の研究から比べて「30年遅れ」ているとのこと。

予算は1/4で学者は6割と。案外火山リスクについての認知度が低いことがわかりました。

 

私どもとしては富士山という火山が目の前にありますが、日頃「その時」についての住民への自治体からの働きかけはあまりないような。

まぁ目の前とはいうものの溶岩流も火砕流も噴石もまず届かない距離ですしそもそもその火山からは西に住まうということが

ちょっとした対火山へのお気楽観に繋がっているのですが・・・

火山に近い場所にある自治体はその手の危機感をお持ちなのでしょうかね。特に富士山は「そろそろ来る・・・」と言われていますので。

大概のところは地震とセットとも、やはりそういった生き地獄の様は見たくありませんね。

この期に及んでさらなる絶望を味合うのはゴメンですよ。

 

しかしもし先日の地震情報の発令の如く事前に富士山噴火情報などが出たとしたら・・・首都圏を巻き込んで相当なパニックになるでしょう。

その麓には東海道の大動脈が走っていますからね。

 

最近のプチ米騒動、店頭から米が姿を消してしまった件もそうですが、メディアの報道の仕方というものも罪が深い。

どちらもそれをこぞって報道したことによって集団心理に拍車がかかり阿呆の如く米を買いだめしたのでした。

人々は踊り踊らされるもの。フェイクとは言いませんが、報道は一方向に偏った行動規範のベースとなるということも認識していただきたいですね。

 

買いだめに走ることは「阿呆です!!」とくらい言い放ちその無意味に警鐘を鳴らすなどした方がイイのかも・・・大衆というものは愚かで一方的に動くものですから。時に無慈悲にも陥ります。

一番に気を付けなくてはならないのは「お前だ!!」と奥方・・・。はい私です。

 

22時からはNHK 「日米プロパガンダ戦」を視聴。

何かを「利用」してのニセ「報道」・・・世論操作。扇動なんてお手のものでしょう。不都合真実の削除もね。

 

「東京ローズ」の1人、アイバ氏の件(アメリカで有罪判決 投獄)、そして米政府の『「Kill the Jap」こそ「正義」・「今日は何人日本人を殺した?」』の語は特に印象的でした。

 

画像は福岡市博物館の「九州真宗の源流親鸞」と仙台市博物館の「東北の念仏」 特別展の御案内。

①如来さんの像もいいですが③光明本尊のカタチは初めて見る構図。アニメチックにも思えますし阿弥陀仏2トップの図?

両特別展とも近場でないのが残念。

 

 

 

 

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2024年

8月

26日

手の凝った石垣の整然 大小矢穴 甲府城

警戒の声をあげ続けたせいなのか(そんなワケはない・・・) 、台風10号のコースは当初の最悪想定東海地方よりもさらにさらに西寄りになっていました。私としてはニンマリで、早々に対策を「解除」など思い浮かんだところですが・・・

まぁミッドウェー海戦の件(情報錯綜に振り回されて後手を踏む愚)も思い描くところですのでしばらく静観します。

 

10号は950hpくらいの発達も言われていますが、それであると死者が出ても不思議がナイくらい。

各対策を立ててうまいことやり過ごしていただくほかは有りません。まぁ外を出歩かないことが真っ当な策なのですがね。

予報を注視して当該地域の学校も会社も「その日は休日にします」といった判断ができるか否か、その組織というものの良し悪しが分かるところ。

管理者次第で他者の生き死が左右されるかも・・・といったシチュエーション。さぁ、どうする。

 

というワケで当地は朝から良好な天気。

私はここ数日奥方に梅の干し担当の指名を受けていましたので、雨に降られることだけは避けたいところでした。

その網籠を外に出した際など雲の動きについて敏感になり午前の法要前には取り込んむなどして対応していましたが午後に入ってもずっと晴れていました。

そして軽トラの荷台の鉢植えたちに水やりをと境内に車を移そうかどうか考えている間にザ~っと降りがありました。

私の思うが如く事が進んで結果OKOKの仕合わせといった一日でした。

 

扨、甲府城またの名を舞鶴城。

粋な名前ですが、その石垣についてはその数寄者(石垣好き)にとっては捨てておけない遺構といいます。

その「粋」とは戦国期末期の城とはいうものの当地の盟主だった「武田家」とは一切関係なし。

そもそも近隣の「躑躅ケ崎」の館の土塁と堀で囲ったそれとはまったく違った雰囲気となります。

あの余計な棒っキレの無粋もありますが私はやはり土塁の方が好みですし、崩れかけた野面積みの方が趣を感じます。

 

各時代支配者を経て今の石垣の成立となっています。

「山梨県の歴史」より

徳川家康(城代 平岩親吉) 天正十~十八

羽柴秀勝         天正十八~十九

加藤光奏         天正十九~文禄二

浅野長政・幸長        文禄二~慶長五

徳川家康(城代 平岩親吉) 慶長五~八

徳川義直(城代 平岩親吉) 慶長八~十二 

幕府直轄 甲府城番    慶長十二~元和ニ

徳川忠長         元和ニ~寛永九

幕府直轄 甲府城番    寛永九~寛文元

徳川綱重・綱豊        寛文元~宝永元

柳沢吉保・吉里        宝永元~享保九

幕府直轄 甲府勤番支配  享保九~慶應二

幕府直轄 甲府城代     慶應二~明治元

 

「矢穴」とは石材加工のため、特に割り出しのために打つノミやクサビの痕跡のことですがこちらには大小のそれが見受けられます。

城を巡っていれば江戸期の城郭としての「当たり前」に出会うこととなりますが当時の施工石積石垣にはつきものでした。

 

 

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2024年

8月

25日

裏千家の先生が製作依頼した七曜紋黒茶碗 台風対策

昨日あたりの台風10号の予想上陸地点よりもかなり西寄りになった感。

8月24日夜の予報では上陸地点が大阪あたりになっていました。

どちらにしろまだまだ分かりませんが当地にとっては有難いことです。ツイている!!

 

私の方は奥方の手を借りて朝から汗だく。

その対策のために少々時間を割いていました。たまたまこの土曜日は法事ナシでタイミングもヨシ。

空振りは全然OK、こればっかりは開き直らなくてはイケませんからね。最悪を考えれば・・・

毎度この台風対策と言えば本堂南側の雨戸の補強と駐車場物置のシャッター前土嚢置き、そして植木鉢の避難です。

シャッターは風の力でまくりあがってこれまで大層な出費となる例を見てきています。

シャッターは一見頑丈に見えますが風には滅法弱いですからね。

そして植木鉢を載せた軽トラと自家用車をこのシャッター前に並べます。

あとは直前に本堂正面と北側の雨戸をガッチリ固めるだけ。

 

奥方は脇腹の筋肉を捻ったようで「負傷者リスト入り」なる語を発して悶絶していました。「お前のせいだ」と再び罵っていました。齢のくせに・・・。

 

午後からはオオタニサンの40-40を見てから史料館の会合へ。

例の「今年はありそう」の件が「やはりなさそう」になったこと。

平田寺にて開催予定の王位戦六戦のことですね。

「負けて欲しい」というのも妙なことですし勝負の事と台風の上陸地など事前にわからない。

 

最後の画像2つが史料館で裏千家のお茶の先生が陶芸家に依頼して作った「七曜紋黒茶碗」。

「5万円」とその制作費を聞いて驚きました。「3000円なら買うのに~」と言うと「この世界で5万円なんて・・・」と一笑されてしまいました。

私のお頭はお安く出来ているのですね。尚、桐の箱が5000円と。

 

考えてみれば仏具や坊さんの衣・袈裟などの価格はもっともっと「浮世離れ」(「奥の墓道」氏)しているといいますからね。

お借りして展示してもいいのですが、責任というものが発生しますのでお気軽というわけにはいきません。

東急ハンズの「手づくり教室」にいた頃には陶芸の先生と昵懇にしていて気安く「あれ作って、これ作って」というのが常でしたし。勿論タダでした。それって今流行りのクズですね。

 

 

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2024年

8月

24日

「お元気ですか?」のメッセージLINE 甲府城天守台

台風10号の進路は本土にかかる直前に偏西風によって北東に変える予報。その上陸地点が紀伊半島の潮岬付近。

その通りであったとしたら静岡県内、当地の最悪(浜名湖付近への北上)の件は捨てきれません(←相良最悪コース)。

あとしばらく様子を見て、コースがこのままでしたらできる事は少ないですが、いつも通りの対策をしていくつもりです。

気持ちとしては偏西風ナシ・・・でお願いしたいところですが。

しかしヤツは来る、きっと来る・・・

 

先日の新聞紙上で知りました。

老若男女その連絡の手筋の一つとして頭角を現して来たLINEを使ったサービスの件です。

「安否確認サービス」 (NPO法人「エンリッチ」)というものです。

奥方は毎朝、神奈川県在住の母親にその安否確認のメールをLINEで送ってその返信を受けていますが、それのこと。

但しそれは遠方であったとしても親しき縁者の存在があるということですが。

 

ということでそのサービスとは縁者がいない方が自身安否を第三者に確認してもらうというものになります。

要は孤独へのちょっとした捌け口でもあり同居するペットのためもあって「私の孤独安否」につき早いうちに対応してもらいたいという意思です。

 

登録者が設定した時間に「お元気ですか?」のメッセージが届いき「OK」の返信をするという単純なもの。

そして無反応の場合は直接電話をし、それでも不通ならば事前登録しておいた近親者等の連絡先に伝えるとのこと。

 

私がその件でもっと驚かされたことはこの6年で15歳~105歳まで延べ約14000人が登録したとのことですがそのうち20%が10~30代だとのこと。

 

病んでいるトーキョーのその10~30代の自殺者(2020年23区)数は272人。

若い人たちが絶望する社会とは・・・それだけ孤独を味あわせる社会だということか。

 

扨、甲府城の続き(昨日)。

天守台からの景色(画像は東から南にかけて)は抜群です。

最後の画像が富士山も見えるよ~の図。

 

 

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2024年

8月

23日

甲府城別名舞鶴城 鉄(くろがね)門再

雨の時間はごく僅かでしたが殆ど一日中、天からはゴロゴロの声。夕刻過ぎは東の空でゴロゴロに加えてピカピカも 。

やはり熱帯の渦は台風10号の名のりをあげましね。

海水温が高くまた現状、彼の者は停滞しつつのんびり、うすノロの躰。

ということはますます「現在勢力増勢中」の感じがします。

最接近の予報は27日火曜日の午後とのことですが、勢力は975hp。

許容範囲ですがそれ以上のupはカンベン願いたい。

いつも「まかせる」と言う私の勝手な事ですが、進路はもうちっとばかり西に向かってもらいたいというのが本音です。

それはそれでそちらの皆さんも困るでしょうが。

台風籤、どう出るか・・・

 

「そうはお前の都合通りに行かないぞ!!」の如く、お盆の煩忙が終わって、のんびり、ぼんやりの感盛りあがるこの時節、これからはずっと雨マークが並んでいます。

毎度のこととはいいながら意気消沈、何しろ昨日も記しましたよう、今回のコースは「私」を狙っているようにも・・・あの予想コースはいかにも分が悪いですからね。

本格的な雨が降り出す前に植木鉢の避難に取り掛かろうか・・・あとは籠城のみ。

 

扨、昨日記した甲府城。

その別名は「舞鶴城」とあって当家のクロネコの名と一緒です。そちらは親近感が増します。

あのキレイな「鉄(くろがね)門」は復旧遺構。

明治初年の短慮によって破却されていたところを何とか復旧を成すことができたと。

こちらの門は山梨県としてかなり力が入っているでしょうね。そちらのHPに解説があります。

 

最後の画像は火葬場の収骨室のドア。

担当の方に聞けばマムシは毎年出るが今節、メインスペースに入り込んでとぐろを巻いていたと。

また待合建屋のトイレ前にも出没したといいますが、いずれも時間前の事で早々に箒で追い立てて排除したとのこと。

蛇に蹴躓くほどそそっかしくはありませんが、もしやのこともありますので「私も気を付けよぉ・・・」と。

 

 

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2024年

8月

22日

部外放言失礼 オベリスク 甲府城の違和感

台風9号がどうなったかなど(温帯低気圧となって大陸へ)知りませんが、昨日はヤバそうな位置に台風が発生するとの報(10号)。

北上の予想進路が紀伊半島から静岡あたりになっていましたが、どうやら①上陸の可能性が大で②それも当地より西になること(位置関係として台風通過が「西」がリスクあり)。

これからどう勢力upし、どう進むのかわかりませんが、面倒なことにならなければいい・・・不安がよぎります。

最悪のこと・・・930HPくらいに強烈に発達したそれが当地より西に上陸した場合・・・

当地ばかり「安定」のいい思いをし続けることはできないでしょうから。

今までが良すぎました。

 

昨日は朝から殆ど外。午前中は火葬場に。

「今のところ何もありません・・・」。

先般火葬場職員の待遇改善~「職員用の冷蔵庫くらいあってもイイのでは・・・」の件~人を介してしかるべき部署に連絡していただいていました。

しかしなが現状何かのアクションは無かったよう。

 

彼らもこれより榛原側の原に新設される後継施設の業務から離れる可能性(不採用)もあるといい、半ばあきらめ気味の感。

奥方に中古の冷蔵庫でも持って行こうか・・・と提案しましたが、今後何かの検討があるやも知れず「余計なお世話」とのこと。

まぁ夏は着実に去っていきますが。

 

故人は95歳。

奇特であると感じたのは曾孫の男子たちが棺を担いでいたところ。滅多にない「仕合わせ」を拝見させていただきました。

 

扨、「陳腐で意味不明の構造物」のご紹介。

そういった表現を部外の者がすることは甚だ失礼なことかも知れませんが、それは私のただの勝手な印象ということを付け加えておきます。

地域の特殊性というか、特に近代歴史の流れがそうさせたのでしょうね。これの追加によって城そのものの価値を下げたよう。

 

私は時として城郭散策の楽しみを実践していますが、以前からその城へ向かうに「ちょっとやめておこう」という気持ちが交錯する城がありました。

「以前から~」というのはその近隣の遺構を歩いているからです。そもそもその城郭は県庁所在地にあってそれもその県庁の目と鼻の先。

駅近官庁繁華街で尚また車両駐車の検討もあります。

やはりあの時は駐車場探しで余計な周回を余儀なくされました。

 

その城が甲府城にあるその意味不明の主張・・・オベリスク(方尖柱- ほうせんちゅう-)です。

古代では日時計の針としての使用もあったようですが大抵のそれはモニュメント。

ヒトというものはおカネに余裕ができると高くて無意味な物を作りたがるのでしょうね。

 

こちらのそれには「謝恩碑」なる名称がありました。

水害克服の記念碑といいますが、何もこちらに「オッ立てなくても・・・」と思うのは私だけ?

先般甲府から来られた御門徒様にその件伺ったところ「同意」とのことでしたが。

 

画像①甲府城の南側からの図。鉄門(くろがねもん)とオベリスク。左側が県庁になります(場所はこちら)。

⑤⑥⑦は天守台から西を。

⑧は北側から。石垣と白壁は見事ですが信号機の柱とあの存在は無粋。

 

まぁ甲府盆地に大正期のそれが建ち続けているということは大きな地震が無かったということでしょう。

 

 

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2024年

8月

21日

案外効果あり トイレ窓の遮光 太田コレクション

昨日の朝はこの数週間聞こえなかった雨音から。

大した降りでもなくあまり長い時間のそれではありませんでしたが、気温はそれにより2~3℃低かった感じ。

それでもその後しばらくしていつもの晴れ間が広まったわけで境内に時々現れる墓参の方からはいつもの「暑い」の詞が。

 

天気というものはたまたまの空気の流れによって決まるものですからそれに文句を言うことはできませんし、それが荒天・好天どっちに転ぶかなどわかりません。

私にとってこの猛暑に関しては苦になっていませんが~勿論部屋の中はエアコンかけまくり環境~その太平洋高気圧に覆われた晴れ間続きに思うこと。

 

みなさん「暑い」とは文句タラタラの如く言い放ちますが、ちょいと高気圧の位置が変わって低圧部ができてそこを台風でも通過したらの荒天のことは頭の中から離れてしまうのか・・・とも思います。

丁度広島の土砂災害から10年、各法要が催されたことが報じられていました。

荒天と好天どちらがいいか(おかしな比較ですが・・・)など考えれば好天がイイに決まっていますね。

洪水や土砂災害を考えると良きお天気ほど無難なことはありません。戦時中の「天気の良き日に爆弾が落ちてくる」ということは今となってはまずありませんからね。

よって「暑い」=「天気に恵まれている」事であり「災いから遠ざけられている」証なのですから。

 

暑ければそれに対応していけばいいのですが、土砂崩れや水難で自分や家族の生命財産を失いもはや対応などは不可能に陥ることがあることを忘れてはイケませんね。

「暑い」だ寒いなどと言っていられるだけ仕合わせだということを。

 

現状台風の動きに違和感を持たれる方がいらっしゃると思いますが今、南シナ海を北上中の台風9号の針路は朝鮮半島の根元付近の様。

7月末の台風3号の針路も沖縄をかすめてイキナリ中国大陸直行でした。

通常今の時期ならば本州、特に東海地区を狙ってきても不思議はないのですが、なぜか大陸へ。

これから多くの熱帯低気圧たちが発生し来訪することになるのか見ものですが本州直撃が見られないのはやはり高気圧が元気に本州上に張り出してくれているおかげでしょうね。

 

あの時中国大陸に上陸した台風3号が温帯低気圧化しての大雨となったか北朝鮮はかなりの水害となったというニュースがありました。

さぞかしロシアにミサイルやら爆弾を支援してウクライナ攻勢に一役買っているお国ですし、大陸間弾道弾に最新兵器の開発に暇がないお国がら、自国内治水やら都市計画は万全の事でしょう。よって今度の台風9号の直撃があったとしても平チャラ余裕の躰でしょうね。

 

天候の事はどうにもならずおまかせするばかりですが、私の気持ちとしては当地ばかりは晴れを希望。

晴れ渡る空に水害に土砂崩壊はありませんので。

境内土手が崩れ、木々の倒木も本堂や庫裏の心配もいらない。

 

扨、昨日は夕刻より法要がありましたので、殆どの時間は自宅の居間にて過ごしました。

午前中はその前日に買い求めていた素材を加工してのDIY。

奥方よリクエストされていたトイレの窓の遮光です。

そちらには午後になると強烈な日光が注ぎ日没に至るまでそれが続きます。

よってトイレの中は夕刻過ぎまで灼熱状態になります。

今更ながら、とは思いましたがその注文があってすぐに工事を着手した次第。

 

どんな素材を使って遮光するかは何でもOKですが、私は店で目についたコルクボードの床プレートを使用しました。

効果は抜群、コレならば冬場の寒気も抑えられそう。

 

②は菅山の太田ギャラリー。展示品入れ替えのポスター。

御門徒様の知り合いということで「よろしく~」と。

これまで3回ほどそちらに立ち寄りましたがいつも休館日。

よってまだ一度も顔を出していません。

 

③④は先日貼った本堂内陣北側の障子。

水で剥がし塗装してから障子貼り。本堂正面のそれとは違って板の部分が多くて重い・・・。

 

 

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2024年

8月

20日

我は森の散策が楽しき 富士御殿場蒸留所 

昨日は久々朝から曇天。

殆ど青空は見えませんでした。蝉たちの声も全盛期から比べて1/3以下、特に静寂の時間が多くなった・・・ということは、夏のおしまい。

午前は御前崎の遠州灘を前にする介護施設へ。

ご門徒さんが入所していますが、その息子さんから「しっかりと住職の事を覚えているので行ってみて~」のことでした。

ずっとその機会を伺っていたわけですが丁度時間が空いたためそちらへ。

 

「コンビニのプリンでOK」とのことでしたが、とりあえず今回は手ぶらでアポなし訪問。

すると「親戚縁者以外面会謝絶」。依然「コロナ警戒下」にあるとのことでした。

想定外の処断を受け、もぞもぞしていると職員が「一応聞いてきますね~」と責任者の元へ確認に行ってくれました。

すると「やっぱダメ」ということに。

 

突然「邪魔するよ~」とドアを開けた怪しげな私を招き入れ 施設内感染でも起こしたとなれば地団太モノですからね。

まぁ「邪魔するなら帰って~」というところ。

ご時節がら仕方ないことでしょう・・・

「プリンを買わなくてよかった」と次の境内雑務用の材料を購入してから帰宅しました。

 

扨、私どものドハマリ趣味として20数年前に富士樹海散策というものがありました。

家族で幾度もあの辺りに通っていましたが、ある夏のお盆休みの朝、「女子大生失踪事件」として前日より報道されていたその女の子と遭遇し、その対応をさせていただいたのでした。奥方が隣で「よしな(関わるな)」と忠告していましたが。

やはりその後の事情聴取やら報道対応でお休みが休みでなくなってしまったことは言うまでもないこと。

 

河口湖の宿泊先の民宿まで報道陣が押し掛けてくるなど翌日の各新聞紙上とその日のニュース番組は「全局制覇」 (「奥の墓道」氏)とのことでした。

「横浜市の会社員~」と私の名前が踊っていましたがリポーターたちの襲来は当初の救急や警察の段階で私が告げた携帯番号がリークしていたということですね。

要は一番疑わしい第一発見者の私を洗わすための手段。

それが分かっていても休みが台無しになったことは腹立たしいことでした。

 

しかしその終息は案外と早かったわけで、それはその失踪事件などというセンセーショナルな事件ではなかったことが判明したからです。

休み明けに会社に出社すると「人命救助」として表彰を・・・と打診されましたが、それは固辞しました。

 

その私の富士樹海放浪はあの有名なミズナラの大木に会いに行くというのが第一義でした。

そして森の神秘に触れることと俗世間から逃れて少しでも正気を保ちそれを維持すること。

例によっての無茶、冬の樹海で車がスタックし、そちらへの訪問は自重するように、夏が過ぎ去るが如く熱は冷めて今があります。そして残った趣向が大木好き。

 

その名残が境内テラス前のミズナラと本堂北側のブナですが、どちらもこのような低地の暖地を好む木ではありません。

ミズナラはあの樹海から「種」(人はそれをドングリと呼びます)を持ち帰ったものですが3mほど成長したあと突然立ち枯れしてしまいました。

今あるミズナラはその木の子供で樹海のそれの孫ということになります。

ブナも樹海産ですがそれぞれ耐暖性が付いてきたかとは思います。しかしさすがにこの猛暑はキツかったでしょうね。

ミズナラは今のところ確りとまだ緑色の子たちを枝先に付けています。

ブナの方は本堂の影にありますので順調に大きくなっていますが、屋根に枝葉が触れるようになりましたのでそろそろ剪定が必要になりました。

 

扨、昨日は白州の蒸留所へ奥方の「現在のハマリ」に付き合ったことを記しましたが6月の終わりには富士御殿場蒸留所行きの運転手をしました。

突然それを告げられたわけですが、事前に予約を入れていたようです。

そちらではウイスキーから天然水の工場の説明を若いお嬢さんの案内に付いて(20人程度のグループ)廻りましたが何せチンプンカンプン、その内容は今、記憶からはサッパリ消え失せていました。

 

思いだすことは唯一つ最後にそのお嬢さんに、声のトーンとトークがよどみなく聞きやすかったので最後の「何か質問がございますか」の時間で醸造所とはまったく関係のない質問をしたこと。

 

「プロのトークは天晴れ 何時からこのお仕事を」と問いました。ウィスキーよりそっちかよ~と周囲から見られたとは思いますが「こちとら、そんなものはハナから興味がないわいなぁ」ですからね。

 

すると「4月に入社したばかり・・・」というので仰天させられました。

衆人コントロールとトークの達者は人によって得手不得手があることは分かりますが、それには驚かされましたね。

たった2カ月半ですよ。

蒸溜所の顔でもあるわけで、この会社も彼女の「人」というものを相当吟味したであろうこと推測したのでした。

一流は一流を持ってくる・・・当然か。

 

いつまでたってもすべてが三流の私の収穫物は二個。

建屋の裏の森の散策で見つけた広葉樹の種-最後の画像-がその一つ。

二つとも発芽していましたので自宅に持ち帰ってポットに植えましたが先端が腐食していたようで両方枯れてしまいました。

しかしこれ以上の大木系は境内に植える場所がない。

 

試飲コーナーの私の飲み物は「午後の紅茶」。

ウィスキーっぽい色で、缶が見えないように撮影してもらって各送信しましたがいずれもモロバレでした。

 

ブルーのリボンは事前に申告する運転手の証です。

そのブルーが酒を口にし、運転を確認した場合「通報することになります」とそのお嬢さんから厳しい忠告がありました。

よってほとんどの来訪者は駅から会社手配のマイクロバスでしょうか。

 

 

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2024年

8月

19日

かつての酔狂 冬の白州ウィスキー工場へ

昨日は主に東京からの参拝の方々、午後2時からの法要でした。

読経終了後に「劣悪な環境にようこそ」とあたかもひと風呂浴びてきた~の躰でお内陣から外陣に出てのご挨拶。

「思ったほどの暑さではない」とはフォローしてくださいましたが、今時公共の施設っぽい場所でエアコンの無い空間というものは、そうはありませんからね。

その私の言葉には「申し訳ない」気持ちと自虐の意が込められていたのでした。

 

開式当初に例のイソヒヨドリの美声が私の読経と共演してくれたためその件気づかれたかどうか伺ったところ「アレは読経の際の効果音では・・・? 」と。

そのあといつもの1本足のヤマバトが餌を啄んでいましたので彼も皆さんに紹介。

人間に対する環境は劣悪(扇風機の本堂)ながら、鳥たちにとってはまずまずの居心地を提供しているところを私は声にはしないものの主張させていただきました。

イソヒヨドリも本堂の軒下に止まってその姿をしっかりと皆さんに披露してくれました。ヒヨドリだったらそうは行きません。

 

それにしてもその美声が読経との人為的ハーモニー効果を思わせるとは奇特な自然現象です。

彼らの存在とその気まぐれはこれからますますの楽しみとなります。果たしてずっとこちらに滞留してくれるものか・・・

 

昨日のブログで特攻隊の不条理を記しましたがその隊員選抜にあたり「アンケート」調査というものがあったこと、印象的でしたのであらためて記させていただきます。

そのアンケートとは爆弾を抱えた特攻機に搭乗し敵の艦船に自爆してくれるかを主に学徒・予科練として入った若者たちにその可否を問うたものです。

氏名の頭に空欄があって「望」と「大いに望」の二種が記されていました。殆どは「望」で「否」は有りませんでしたが、あの状況下で「否」と記せない雰囲気が漂っていたことは違いないところ。

 

要は「他者」「上官」 (社会)の目に流されてしまう集団心理が働いたのでしょう。

実際に基地に配属されて「さあ、そろそろ」という頃合いに半狂乱に近くに動揺して周囲に当たり散らしていた者がいたとのこと。

「父母は私を死なすために、大学に入れたのではない・・・」と。

それでもその方は出陣の時、軍歌を歌いながら勇壮に飛行機に搭乗していったとのこと。

きっと私も「奥の墓道」氏もそのアンケートには「望」と記すということで合点。

彼もそう言っていました。我らは流されっぱなしですから。

もっとも成績の方は低レベル、下の下ですから「お前はいらない」となるでしょうが。

しかしそれで命が繋がれば御の字です。

 

当時の特攻機への搭乗員の指名選択について学徒と予科練クラスの20代前後の若者が多く選択されたその原理はその年齢以上の経験者は持ち駒として維持したかったとの思惑があったよう。

そしてその成績上位者は不選抜、保留していたと。

 

「大いに望」を記していても成績が上位ということで選ばれなかった人がいたといいます。

特攻機に搭乗することになる者は「中の上」クラスというわけで、ああ、ここにも道具理論が・・・と思った次第。

私も上等な道工具は使い惜しみし、使い捨てかつ自分の勝手都合での価値というものを重んじます。

 

人を道具として扱う事。

自分以外の他(人)に対して見る目、それこそが劣悪なのです。

 

人間本来の持つ慈悲心の喪失した状況について「戦争だから仕方がない」と冷静を構えること、それは如何にも最悪の自身の落ち着かせ方ですね。

相手もその感情というものを度外視した無慈悲の大鉈(道具)を振るうことになります。その語彙こそが戦争を肯定する言葉でした。

 

人の命を道具としてのみに思わず、死したとて「お国の為」という賛辞を送って終結。

そして上級レベルの者は命を惜しんで生き続ける・・・そういう社会にしていいのでしょうかね。

 

扨、本日も昨日に続いて寒い季節の画像を。

先般は山崎蒸溜所の件、記していましたが実はそのメーカーの人気ブランド白州の工場にも訪問していました。

これは奥方がその山崎工場もそうですが、ウィスキー工場見学にハマり「近場には白州がある」とその見学の予約を入れたのでした。

 

山梨ならば夏に行かないと美味しい果物にはありつけない・・・とは思うものの奥方の口から「外に出向く」ということは珍しいこと。それならば大いに結構とばかりに私は運転手として飛び出したのでした。ついでに私の趣向も成就できれば言うことなしですからね。

 

工場ではウィスキーと天然水のお勉強。

しかし酒を飲まない我らが・・・酔狂なのかやはりバカなのか・・・「奥の墓道」氏が「複雑怪奇の内閣総辞職モノ」 (平沼騏一郎)と首を傾げる私どもの行動がありました。

 

ここでも記しますが私どもは一切合切酒の味はわかりませんし普段一滴たりとも口にしません。というか正真の下戸。

お土産で購入した酒瓶の数本は飾ってありますが・・・ただそれを眺めているだけ。

 

白州工場にはレストランが新しく増築中。

「今度また行こう・・・」と。

その折には再び躑躅ケ崎信玄ミュージアムまで足を延ばそうか・・・またぶどうの美味しいヤツに遇えれば満足。

 

『サイパン戦 発掘 米軍録音記録「最期の1人を殺すまで」』を視聴して本日はおしまい。

時間帯としてはNHK総合のゴールデンタイムでした。

 

 

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2024年

8月

18日

ルッキズム 今ではNG表現 記す人の年代は

「一億特攻への道~隊員4000人 生と死の記録~」を視聴しました。ここにも集団心理の恐ろしさを痛感しました。

あの時「特攻、GOGOGOGO!!」の風潮が社会にあったのでした。

軍部や政治の責任とついつい思いがちな「特攻」ですが国民全体がそれを受けての大絶賛と大いなる後押しがありました。

メディア(新聞・ラジオ)の方向も~軍部からの強い指示~社会全体のその「(華々しく)命を捨てて・・・」の大盛り上がりの雰囲気が蔓延していたのですね。

 

新聞紙上には「勇猛果敢」に「美しき~」・・・・「荒鷲」やら「軍神」等のキラキラした語が亡き人の名の冠に装飾されてました。「敵艦船撃沈」などの戦果も紙面に踊っていましたが実際は鈍重な「練習機」に搭乗して任務を遂行した者たちの数の多き事。

殆どが撃ち落されてしまった「犬死」なのでしょうが。

いやその「成果」については問題ではありません。

死していった者たちには失礼でその語彙を記すことは憚られるところでしょうが、それがあの特攻というものの紛れもない事実です。

先日も道具理論について触れましたが国全体が人間を、国民を取り換え可能の道具として見ていたのでした。

 

「一億総特攻」というキャンペーンを掲げてその高揚した雰囲気でもってその特攻を発案した連中の批判・反論を封じ込めようと画策。

もしかしてそれがスバラシイ作戦「特攻」がこの劣悪な戦局を挽回できると信じ「一撃講和」 (致命的な打撃をひとまず米軍に与えて戦意を喪失させ有利な条件を引き出しながら手打ち~講和~にする)なる意図での無茶で非人道の戦法を続けていたのなら余りにも浅はか。一旦やり出したら止まらない、止められないというアレですね。責任を取ることが怖いから・・・

 

最後の最後まで若者たちを死地に追い込んでしまった軍とそれを謳歌した国民全体が反省すべき悲劇として感じました。

 

扨、本日も昨日に続いて小谷城の涼しげ画像を。

古い図ですから、現状どうなっているのかなどわかりませんが・・・。

そこに立てられた看板⑤について一考。

その意図は大いにわかります。

それは「堅いこと」になりますのでちょいと「おもろいことでも」とお茶目に記したのでしょうが「美人~美しき人~が見ている」の表現には違和感。

 

つっこみどころとしては「非美人」の方が見ていたとしたらゴミを捨ててもいいのか・・・となりますが、そもそもそのカテゴリーはヒジョーに難しい・・・正義、善悪の判断よりも・・・でしょうね。

下手をすれば永遠に・・・判定不能。それもまた個々の感覚ですし。

まぁ「美しき女性」と言いたいのでしょうが。

 

まぁこの「美人」の語を面白おかしく使用するその御年頃としては大体予測がつきます。

大昔に放映されていたダイハツのCM「サイパンじゃ美人~」を思いだしますが~アレは二重に差別的を思うものでした~まずジジィの発想とその言葉でしょう。

 

その語の評価としては現状NGでそれは、いわゆる今言う「ルッキズム」というヤツです。

たくさんの人間の個の評価、差別というものの一つですが他者を外見を以って見る、評するというもの。

見た目第一印象で何かの可否を断ずることです。

 

ついついご当人に向かって「キレイにしてますね・・・」などと軽口を叩いてしまう私もそのジジイの一員でしょうが、この世界に生かされている者としては慎まなくてはならない類の語になりました。

 

女性への評価というものが、たとえ個人的に、あったとして、やはりその目盛りは「人間そのもの」であるべきです。男性もそれは同じでしょう。

よって「いい人」「良き人」の語が重宝なのかも。

そういえば「良き人」といえば御開祖の言う法然さんのことでした。

 

あの「ギインヤメた」のエッフェル塔詐欺師のオバさんが「議員なんかしているより弁護士の方が儲かる」などと嘯いていましたがそれはあまりにも「クズな人」を思います。

検察は在宅起訴の「美しき」手じまい。酷いおはなしですね。

議員として400万円也を国から掠め取って在宅起訴だとか。

 

方や海岸でハマグリ2個で「密漁」(最悪100万円の罰金)の件(先般記しました)どうみてもフェアではありませんね。

上級国民と平民とは最近の語ですがその差・・・これも歴とした「差別」です。

 

そして議員どもがこれ以上の優遇と強権を求めるものが「憲法改正」です。

この件、よく思量しておかないと・・・今の刑法で詐欺罪として明記されているハズなのにあのザマなのですからね。

あれ(憲法)を触ってしまうと、なし崩し的に国民の権利は劣化、酷い目に遭うことは目に見えています。

もっともっと上級と平民の優位不利が顕著になることでしょう。

時として詐欺的(フェイク)な方策をもって集団心理を煽りますからね、タチが悪い。

 

続けてテレビ小僧は終戦の2カ月前にあった天皇含めた「終戦工作」についての番組を視聴。

しかし何故にしてそういった番組をEテレの遅い時間帯(23時)に

追いやられたが如く放映されるのだろう・・・単純なギモン。

出来るだけ「人々の目に触れさすな」の意図があったりして。

 

2カ月早く戦争を終わらすことができていたら・・・のタラレバ。

そうあったらどれだけの命が救われたのでしょう。

「(戦争を)やりたい」連中がそのグズ・モタの壁になったことは言うまでもないことです。

そして「ポツダム宣言はアメリカの原爆投下のアリバイだったかも」という説も恐ろしい・・・人殺しの理由づけの講釈だった・・・

 

果たしてそういった事々への反省が今もあるのでしょうかね。

政治屋も私たちも・・・「人」が一番恐ろしい。

 

 

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2024年

8月

17日

バカに拍車の頃 小谷城桜馬場と本丸 浅井家供養塔

台風7号の影響は殆どなし。

午前中は築地塀の塗装、いい加減それも飽きて午後からは息子のいる浜松でうろうろしていましたが、17時頃一雨あったようで有難し。

 

静岡の秋野氏は先日自転車にて市内走行中(道路自転車路側帯)左側の路地から出てきたレクサスに跳ね飛ばされたとのこと。当然に救急搬送とあいなって大変な思いをしてきたそうです。

無事で何よりですが・・・

 

自転車走行時にはヘルメット装着の習慣が身に着いてきたタイミングだとあってしばしばその手の事故の致命的要因となる頭のケガからはそのおかげで免れたとのこと。

不慮のことへの準備が確かでした。

 

氏はお盆時期に催される各地のイベントに顔を出してその記録を継続的にされていますが、通院、保険屋との交渉ですべての時間がパーになったと大きな張りのある元気な声で語っていました。

きっとそれは加害者や保険屋との折衝、医者との会話の中で「その調子なら~」と安心を与えたことでしょう。

私ならば人が悪いというか卑屈なのか「明日死ぬ~」の如くの弱々しさでもって対するかも。

何しろ色々と「腹が立つ」環境ですからね。

 

その前に何より「私が加害者になる」というところ思い浮かびます。

先日も地頭方処理場に向かっている際、150号線で前方右からイキナリ出てきた車が対抗車線を走っていた車の横腹に衝突、私の軽トラにその壊れたウィンカーの破片が当たりました。

処理場の締め切り時間が迫っていたため、「面倒はごめん」とそのまま通過しましたがついつい何となく、走行車を見落としてしまったということでしょう。

 

子供の道路への飛び出し事案と同じこと。

何時まで経っても「子供の動き」は体が覚えているのかも。

まぁ注意力散漫もあるかも知れません。

「明日死ぬ~」もそうですが「今にも殺す~」を、特に車の運転時は念頭に入れておく必要があります。それが社会との関わりというものでしょう。

 

秋野氏はgoodラック!!

加害者も肝を冷やしたとは思いますがそれもまたツイいてますね。

タラレバですが子供やノーヘルメットの人への衝突となれば、命を奪ったとしても不思議はありませんからね。

 

扨、奥方が「いい加減、暑苦しいことはよせ」とPC前に鎮座してこれを記す私に苦言を。

ということで「こんな画像は?」とこちらの図を見せると「それならよろしい 今スグにでも行きたい」といいますので、即貼り付けました。

 

近江浅井、小谷城の図で桜馬場と本丸の図になります。

かなり前の図ですが、一昔前の私は「バカに拍車」で行きたいと思えば遮二無二突き進むという感。例によって「折角来たのだから」の中止できない論理。

 

昨日記しましたが「戦争をやりたい」バカが政治の主体になれば国民全体が大迷惑するのですが、それとも同じようなもの。

飛び出し、イケイケドンドンは大概の所失策に及ぶこと大です。

「せっかく軍備拡張したのだから・・・」

 

何度か登城している小谷城ですが、この時は私のファーストコンタクトでした。

気も急いて普段着、雪対策ナシで登城しました。

 

山城は真夏と雪がある場所は真冬はヤメておけ・・・というのが今となっての持論となっていますが、それは大変な労力で登攀しても、雪の中の遺構の様は何もわからないというのがその理由。

礎石に土塁に各位置関係、積雪のせいでチンプンカンプンです。

 

雪の足跡は私の物だけ。長靴履きででなくてはね。

勿論私はいつものアディダス。

ただし自然とは仲良しできました。

①は琵琶湖と竹生島が見える図。桜馬場は景色良き曲輪。

登城経験のある方ならそのバカの具合が推察できるかも知れません。

尚、真夏にもこちらを歩いていますが、それもなかなか・・・

 

その「拍車」が取れつつある私は「真夏と真冬はヨセ」。

というか真っ当な人はハナから行かないそうです。

 

 

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2024年

8月

16日

本年でおしまい「さがら灯ろう流し」

拙寺のお盆シーズンは実は既に終了しています。

よって築地塀の修繕の続き、柱部の塗装準備のための養生テープ貼りをしていると「今日はようやく会えました」とため息をつきながら二名の年配の方が訪れました。

そう言えば私が外部に出ている時に限って来られていたようで、タイミングの悪さを以前電話で嘆かれていました。

 

来訪の件、私は大した仕事はしていませんが、お参りを兼ね、かつての法縁の御礼をとのことでした。

「お気遣い御無用」とは申すものの、「こちらの方が気が済まない」と仰られ恐縮至極。

お話があるというので超暑い本堂にお招き。扇風機で対応しましたが。

 

それは身の上話が主体です。

「恥も外聞もない話だが聞いてもらいたい・・・」でした。

私は災難や病気、辛いこと、人間関係に「まさかの坂」は珍しいことでもなくてごく普通に皆さんが抱えている事ですよ~・・・とはいつもの如く話すものの、辛い話は、話すことと聞く者がいるというのが肝心、ひたすら聞き役に徹しました。

 

するとそのうちの一つですが、自宅介護をしているご主人が、「お前とは離縁する」「慰謝料はやらん」と言い出して大いに呆れたとのこと。

一瞬、今、流行りの熟年離婚かと思いきや、それではないよう。

奥さんは3度の食事と介護いろいろを日々こなしていますが、「はいはい、そんじゃあご飯は自分でどうぞ」と言うと「そりゃあ困る」・・・。

 

失礼な言い方ですが「昭和の男」というものの末路を感じたのでした。私も昭和のそれですからもうしばらくすると自由が利かなくなった腹いせに奥方に無茶を言うものなのか・・・とも。

認知症初期であったとしたら「いちいち真に受けていたら身がもちませんよ」。

丁度お昼丁度、境内には七つの鐘の音が響いていました。三人で黙祷。

 

扨、今年の8月は「NHK恒例の戦時特集番組が少なくなった」と「奥の墓道」氏が指摘していました。

私は来年の戦後80年に向けて資料収集しているのでは・・・と返していましたが、その手の番組の製作に圧力がかかっているのかも・・・と彼は疑っていました。

 

そんな中、昨晩は地上波でNHKスペシャルがありました。その昭和のことですね。

内容は当時戦時下の日記・手記に沿って構成。サイパン・中国・特攻回転・中島飛行機工場へのB29による爆撃・・・

何時観てもこういった番組に命の軽さと歯がゆさそして軍部、政治家指導者の間抜け振りを確認。

ただただ「戦争なんかやりやがって・・・バカヤロー」。

1941年に近衛内閣が設置した「総力戦研究所」によれば、日本が米国と戦った場合「必敗」と分析していたといいます。

それでも「やりたい」という指導者(東条)が出ると国民がそれに付き合わなければイケなくなる社会。

やっぱり憲法を変えることはイケません。為政者のシバリを自らの手で緩めようとする動き、警戒します。

 

集団疎開の新資料の発見について紹介が少々ありました。

これからもう少し探究が進んでいくかも知れません。

受信料を取るNHKの使命、どんな圧力があったとしても跳ね返してその手の番組を作り続けて欲しいものです。

そうでないと後世にその悲惨を伝えきれません。反省のない社会は未来に同じ轍を踏みます。

 

画像は昨日午後6時から催された「さがら灯ろう流し」の準備風景。これが今年で最後となりますが寂しいことです。

折角相良高校生たちがこういったイベントに協力していこうという気概を見せてくれているのに・・・それが一番に残念。

 

台風7号は相良は関係なし。

これまでこのイベントは雨に見舞われる事、多々ありましたが昨日は穏やかな萩間川周辺。

寺に帰って「どうせ雨なんか降りゃしねぇ~」と憎い言葉で水やりを行いました。

海岸からは複雑な波の音が聞こえていました。

 

 

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2024年

8月

15日

地頭方の墓場の前の海へ 天気晴朗海にして穏やか

築地塀前の朽ちかけた犬走の縁木の修復作業。

通行中のお婆さんや前の墓地の草取りをするシルバーさんの休憩の腰かけに丁度いいのか、そのために無様な躰となってきます。椅子の仕立てにはなっていませんからね。

もう何回も壊れては修繕・・・の繰り返し。昼頃にかけては良き日陰を提供しますからこの時期は。

壊れて中の砂利がこぼれている様を見て腹というものが立ちますが、お婆さんやシルバーさんたちがそこで一息ついているところに割って入って「NG」を言い放つ勇気は到底ありません。

 

しかしずっと放置していたその修繕を昨日着手完成させました。大した仕事ではありませんが、少々の段取りと行程の多さがあります。

塗装はスロープの塗料と同じですから残りのそれで対応します。

夜はBS12「たそがれ清兵衛」を視聴しながらこれを記しています。もう何度目でしょうか・・・日本映画でも私もお好みのものはあります。彼もハリウッドスターです。

 

扨、外仕事がひと段落ついて、帰省できなくなった「奥の墓道」氏と寄ることになっていた地頭方の海の見える墓地へ車で向かいました。150号御前崎に向かう道すがらにそれはあります。

この墓地は「鯱岩の死人川」(しゃっちゃのしびとがわ)の近くにある墓地ですが、私どもの友人S君が日々この海を眺めています①②③。

拙ブログでも何度か記していますがエホバに入信した彼の妻と教団(菅山)との軋轢を苦にして自死を遂げています。

 

以来この墓地に適宜顔を出すというのが習慣となり特にお盆の時節には彼の自宅にて線香を1本というのも。

母上殿からはいつもの如く大層喜んでいただき毎度「来た甲斐があった」と満足しながらそちらを後にするのでした。

ただしコレは「ただの自己満足かも・・・」という気持ちも心に滞留します。「彼は死んで私は生きている」。

 

帰りに地頭方の海岸を散策。

この海も以前とはずっと寂しくなっていました。

まぁ一昨日に続いて人のいない自然の中に浸る時間とは良きものです。

静岡の海はキレイとの評がありますが、その通りです。

ここでも記したくなりましたが、人混みに身を投じることなど

難しいことです。

人との会話は重大な人生の事案ですが、不特定多数の人々の交錯する場などそれは苦悶以外の何物でもありませんね。

 

④画像はブログにて幾度かアップしている地頭方港東側の突堤

です。突堤の奥の手摺のある場所はかつて中高生の夏のたまり場、飛び込んだり投げ込んだり歓声が絶えない場所でした。

私も息子もそこから飛び込んだものです。

「クズグズするな、早く飛べ」などいう時代を経ながら彼もここで成長したのでした。

彼にもこの画像を送りましたが「人がいない」との指摘。

 

台風7号が北上ということもあってその海の姿を目にしようとこちらに来ましたが、地頭方の海は至って静か。

これなら遊べるのに・・・私も飛び込みたくなる衝動に・・・

 

先日、相良海岸から保安庁の船を目にしてそのお仕事の「厳しい追及」について記しましたが、一昨日の夕刊に藤沢の海岸でハマグリ(2個)を「収穫」しバックに収めたところ、保安庁職員に御用となったと。陸から監視の例です。

罪状は漁業法違反(密漁)。

最高刑は100万円の罰金といいますから、高いハマグリになりました。

みなさんお気楽すぎです。

保安庁の怖さを知らなすぎる。まぁ違法行為ですからぐうの音も出ませんね。

 

尚、ハマグリは絶滅危惧種に指定されていて漁業関係者がそれを将来にわたって維持しようと躍起になって努力していることを知っておかなくてはなりません。

以前は当地でも密漁について「海に返せば目をつぶる」という時代がありましたが、今となっては相当のペナルティが待っているようです。

罰金だけでは済まず、新聞にでも掲載されたとしたら社会的にも排除されかねません。

 

「奥の墓道」氏は私のシュノーケルでサザエを収穫したらの件「サザエのつぼ焼きとビール 最高だぁ」と語っていましたが皆さんお気楽すぎ。それは「密漁」です。海岸に平行してあるテトラには多くのその生息が見えますが、罪は罪。

 

海を常時監視しているのが保安庁の仕事。

それほど食べたければ「なぶら市場で買ってくる」。

それが一番安あがりなのですがね。

 

そして台風7号は当地相良はセーフでしょうね。

ずっと東に・・・希望です。

 

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2024年

8月

14日

感じる季節の変化 新野原から池新田へ ひまわり園

朝一番の蝉の一声はクマゼミではなくミンミンゼミに。

遠くの方ではクマゼミの声が微かに聞こえてきますが時間が経っても境内のあの騒音は消えつつあります。

そして10時過ぎの休憩時間(無音の空間)も長くなったよう。

これで台風の襲来があれば、ガラっと空気の色が変わるのでしょうね。

週末にかけて台風7号の警戒について言われていますが、現状

コースが当地より東より、勢力990hpについては私は「台風対策不要」と高をくくっています。

まぁ状況が変われば15日辺りに軽トラの荷台に植木鉢を積み込んで外の車庫前に退避させますが・・・

 

昨日の私は今年2度目のMy安居。

コースは車の通りが少ない道を選択。

そして復路については「バスで帰って来い」とのお達しがあったため、バス停のある道を。

また前回は比木から浜岡に向かっていたため昨日は「い~ら」から鬼女にあがって塩買坂を目指しました。

途中、この時節バスの運行がないことを知って「どうにでもなれ」と適当に歩を進めていました。

 

結局塩買坂の手前新野原の先で左折、坂を下りて新野へ。

奥方に頼み込んでイオンタウン近くで回収してもらいました。

当初「新野佐馬助の墓」とメールをしていましたが、「忙しい」とのこと。

「干からびちまえ・・・」の罵りの言葉もいただきました。

よって前回とはかなり余計に歩いたわけで4時間で23000歩。久々の歩数になりました。

 

今回都合によって帰省しなかった「奥の墓道」氏と適宜交信していましたがその歩きの「意味」について問われました。

それについて私は・・・「自身に問うこと」と「新しい発想・方向性の発見」であると妙にカッコいいことを言い放っていました。つまるところそれが楽しいかどうかですがね。

 

すれ違う人は皆無、原から新野、そして新野川沿いの土手を自分の足で歩くことができるその仕合わせを実感した次第。

バス代のこともありましたから小銭は多めに持参、途中販売機で3度の水分補給をしました。

 

アディダスの靴底が途中で半分剥がれたのは想定外。

ペタペタと音を出しつつ左足を普段より高く上げて歩かなくてはなりませんでした。

また首から下げていた携帯電話と小銭入れの入ったポーチ状のものの紐が切れた事も。

 

歩きは両手がフリーであることが一義。

そのことによってそれを持つ右手が塞がったことは疲労度アップの要因でした。

尚、そこで思うのが最近若者が使用するようになったハンディ「熱風機」の件、私にはありえない代物です。

何を持とうが、何を為すか為さないかそれは個々の自由ですがね。

 

久し振りに新野の地に足を踏み入れましたがあの多数の城がある地域、案内板が拡充されていたような。

 

①のバス停で「不通」を知りましたが、どうせ時間の設定に無理があってタイミングがいいワケがない。

 

②新野原の交差点。そこから塩買坂方向に向かいましたが、途中で新野地区に下りました③④。この辺りで拾ってもらおうとの算段でしたが・・・

 

⑤は旧新野小学校の入口、そこに入ると⑥の看板があります。

20年近く前にこの看板の裏側辺りから当家家族と「奥の墓道」氏で登城した記憶が。

⑨は新野川の土手上から池新田方向を見たところ。

田によっては稲刈が始まっていました。

 

ひまわり畑は毎年恒例の姿。池新田から相良方面、比木の地に見えます。

驚いた事にGoogleマップには「比木のひまわり畑」なる名称が。かなりメジャーになりました。

 

八幡平城についてはこちらこちら、そしてこちら

新野についてはこちらこちらこちらこちら

こちら、⑦⑧こちらこちら。そして医者墓様

 

 

 

 

 

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