●西洋概念の善人、悪人
浄土思想の思想的な部分にあまり触れずに、社会学的な浄土思想ばかり言ってきましたが要するに浄土思想というのは、輪廻の思想が日本人に合わなかったので、鎌倉期ぐらいでストップした、そして浄土思想に転換したんだろうと考えています。
浄土思想は地理的に西の方に浄土がありそこに行くんだというだけですから輪廻はそこでストップするのです。
輪廻というその場での形質の変転でなく、地理的に~あるいは絶対的に~ゆくのです。
これがずっと江戸期を通じて「いったい浄土はあるのか」というのが教学上の問題でした。
結局、明治に清沢満之のみずみずしい説得力によって、それは、ある、無いは相対的なものだが、絶対的なものなのだから、ある、無いというものではなく、「あるんだ」と要するに絶対論的に説明しましたから、今それは思想的論理的には安定したんですが、同時にそれだけ思弁的になって衰弱したともいえます。
キリスト教において天国はあるか、無いかというようなことは、「あるのに決まっている」というように、どこか想っています。
しかし、日本の浄土仏教は、華南の戦場で越前兵が南無阿彌陀佛を一分隊全部が称えて突撃して行ったという、異様な光景を最後として、戦後大いに衰弱します。
浄土は絶対的なものであって相対的なものじゃないという思弁的な言いくるめをするようになってから衰えたのか、それともその問題を清沢満之というような天才的な知性のみに乗っかからずにその後も知的に発展させて、もっと我々にわかるようにすることを怠ったかどっちかで、浄土信仰というものは大分薄れてきたわけです。
ただ薄れきって無いと言えるのは、京都の社寺観光停止というところに、本願寺は入っていませんし、法然の知恩院も親鸞の本願寺も依然として観光客が、仏さんを見るのにあるいは境内を見るのに、お金を取っていません。
浄土教の財政が信者の上に立っていることは間違いありません。
両本願寺、特に西本願寺は宝物がたくさんありますが、それは見せてもらおう思えば見せてもらえます。
観光でやらなくてもいいというだけの力は、まだ強弩の末らしい力は持っています。
思想史としての浄土思想よりも、浄土思想の社会的な性格にふれてきましたが、最後に一言だけ思想的なことを言いますと、親鸞聖人「歎異抄」の中に
「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」
という有名な言葉があります。
昭和二十三年に私は京都の進駐軍~四条烏丸の当時 ゛大建ビル゛といったビルにありました~に呼ばれて、宗教記者だったものですから、それを説明しろと言うのです。
説明しろといってもキリスト教は倫理宗教ですから倫理的に言って「悪人」と言ったら悪い人間「善人」はむろん倫理的に言っての善人を思っているわけです。
それでこれは違うんだ、仏教にはキリスト教のような倫理というものは無いんだというと、顔色を変えて、倫理の無い宗教というのがありうるのかと言うのです。
ここから説明しても、向こうに仏教についての素教養がないんですから、ちょっと無理なんですが、倫理というのは時世時節によって変わるんだ、仏教は不変のものを
求めているのでそういう時世時節の取り決めは仏教の教義の中にはないんだということを言っても、かすんだような顔してるのです。
要するに悪人というのはどうなんだと、こう言うわけです。
これは結局、私は今もそうですが語学力は当時も無くて、字を書いたりしてまず善人ということから説明していたら、二世の兵隊がやってきて、その人物も仏教を知らなくて、正確に通訳しない。
それで結局進駐軍に「もう帰れ」と言われました。
叡山の僧侶で、非常に秀才で学問があり精神力と体力のある人は解脱できる。これを「善人」と言うんです。
しかし親鸞は、そんな人は絶無かめったにいないと思っている。
いくら学問があり、いくら精神力があっても、解脱できるような人間というのは、これは一千万人に一人です。
禅で悟りとか何とか言いますが、これも一千万人に一人
の天才の道であることは、親鸞はよく知っているわけです。
あり得べからざる人間、それをもって善人としているわけです。
悪人は親鸞自身のことを言っているわけで、どうしても魚が食べたい。
奥さんが欲しい、道を歩いていても、アリをどうしても踏んでしまう。
稲作の害になるイナゴはこれは殺さねば農民は生きてゆけない。
猟師は兎を捕ったり魚を捕ったりして殺生せざるをえない。これ全部悪人なんです。
そのときの用語なんです。
明治以後我々もキリスト教的になり、悪人、善人をクリスチャンでも無いのに西洋概念で見るようになりましたが、親鸞の頃の悪人、善人というのは言語内容が違うのです。
善は今の言葉で言えばとびきり良質の人間、悪は今の言葉で言うと普通の人間という意味です。
さらに言えば、人間は全部、原罪を背負った悪人である。
それに釈迦のような善人が出るが、全員が釈迦にはなれないんだと親鸞は言っているのです。
まことに長い話でした