●時宗にみる日本人の階級意識
鎌倉の日本仏教興隆期に法然、続いて親鸞が出てきますが、同時に南無阿彌陀佛のほうでは一遍(1239~89)がでてきます。
一遍上人、これは非常な巨人だと思います。
ただ惜しいことに自分の文書を死ぬときに皆焼いてしまいました。
ですから「一遍上人法語集」というのがありますが思想はどうであったのよくかわからない人です。
ただ「一遍上人絵巻」とか、いろいろ残っていますから業績はよくわかっています。
一遍上人は松山市の道後あたりの出身で、河野氏という古い大名の家に生まれた名門の出だということは良く知られていますが、それが武士の 身分を捨て、しかも官僧にならず私度僧になり、お念仏を奨励するために一生旅をし、一人も弟子を持たず更に寺も作らず過ごしました。
教団を形成しなかったために、一遍の名は重んじられなくなるわけですが、ただ例外として藤沢に遊行寺という寺があります。
これは一遍上人宗旨のただ一つのお寺と言ってもいい、珍しい古くから形のあるお寺です。
こういうお寺を持つことは一遍の望みでは無く、一遍はただ人の心に念仏を植えて歩くというだけを思っていた人でした。
歓喜踊躍(かんぎゆやく)という言葉を使いましたが、一遍は踊念仏というのを始めました。ほうぼうで踊りを芝居の興行と同じように興行してそして皆で、阿彌陀如来に救われるのが嬉しいということで踊るわけです。
親鸞の関東における弟子である唯円が、「念仏を称えると踊りたくなるような気持ちになるそうですが」と親鸞に聞いたのは、一遍が教えたことが頭にあったからだろうと思います。
一遍も京都、鳥辺山の念仏の商人も、要するに時宗の人でした。当時は時宗が流行り、時宗の人というのは名前でわかりました。
ひとつ文字を上に付けて、それで阿弥陀仏という名前にする、それが時宗の 「クリスチャンネーム」でした。
ですから能の観阿弥(1333~84)世阿弥(1363~1443)は正式に言うと観阿弥陀佛、世阿弥陀佛ですが、時宗の人だったのです。
なぜ彼らが時宗の徒であるかというと、これは日本の浄土思想と社会秩序の問題ですが、彼らは非僧非俗であり阿弥陀仏という名をつけただけで、無階級の人間になれるのです。すばらしいことだと思います。
無階級のことを「方外」といい、そういう人を方外の人といいました。
方外の人になれば、将軍と同座してお能の話とかできるということになるのです。
室町時代の将軍は、銀閣をつくった東山(足利)義政(1436~90)もそうでしたが、義政はお庭をよく造りました。
その庭師はほとんど、「阿彌」が付いていました。あれは将軍と対等というか同じ場所で「石をどうしますか」とか話さなければならない。
それには「阿彌」を付けて方外の人にならないと、お大名でもできないのに将軍と対等に作庭について意見を交換することはできません。
義政は自室に「和光同塵」という扁額をかかげていたといわれます。
「仏の前では自分を含めて衆生はみな平等だ」という仏教語です。
室町時代に成立する重要な思想は、社会秩序の変革と念仏、それにかすかながらも個人が成立します。
~「歎異抄」の中の親鸞の言葉に
「念仏は親鸞自身のためにあるのであって 父母の供養とか皆のためとかにあるのではない」
というのがあることに注目されたい~
義政のこのあたりにもその気配がうかがえます。
義政の思想家としての魅力はみな同じ塵じゃないかといったところにあると思いますが、同時にそう言わせるような雰囲気が室町時代にあったことを思わざるをえません。
いまだに続いている日本人の独特の階級意識と関係があると思います。
時世時節を間違って、「あなたはいま伯爵だけれどももとは・・」というところが日本人にはあります。
関ヶ原であなた方が勝ったから武士で、負けたから私どもは百姓だという意識が、江戸期の庄屋階級にありました。特に江戸期の土佐の庄屋には濃厚でした。
会社の自動車部の人などで、専務が乗ってきても、「専務より社歴は俺のほうが古いんだ」と威張っている人がどの会社にもいます。
日本人は割合と上下感覚のうるさい民族で、私は日本人の少しいやなところはそこだと思っていますが、そのくせに腹のなかには無階級-「和光同塵」-という意識を持っています。
西洋の貴族と普通の民衆の間には、中世の貴族と民衆の関係が継承され、いまだに貴族の家、貴族の意識というものはなかなか壊れないでいます。
そのかわり貴族というのは、身体も庶民と喧嘩しても勝たなければいかんとか、自分自身の体力その他を作り出すのになかなかしっかりしています。
第一次大戦が起こるとケンブリッジの学生は真っ先に志願して兵隊に行くなど
「尊ばれているものはそれだけの義務がある」
とイギリスでよく言われたように、結局貴族は例えばイギリスで言えば、「下町言葉を使っているような連中と自分たちは違うんだ」というようなところがあります。
それは日本にはありません。
日本には、「東大法学部を出たら、本人次第で大蔵次官までは大丈夫」というところがあります。
ところがオックスフォードの法学部を出てもはたして下町のコックニー(ロンドンの労働者階級で話される英語)をしゃべっている家の子が~サッチャー首相の例があるから近頃は違っているかもしれませんが~まだ普通ではないでしょう。
そのように別に階級意識があるから悪いとかいいとかの問題では無く、日本人の猥雑なほどの無階級意識というのはどうも室町時代にできたようです。
室町期でそういう社会的気分を大きく膨らませたのは浄土教だと思います。
浄土教の中でも(浄土真宗は室町期には、まだ初期の段階ですから)特に時宗の徒でした。
それは鳥辺山でも活躍していましたし、能をやっている者、将軍の茶坊主、能役者、造園家など、上下を自在にゆききしていました。
ですから日本人の階級意識をみるのには室町期に、爆発的に広がった時宗の徒の
活躍を見なければなりません。これも浄土思想の社会秩序への作用のひとつとして考えていいと思うのです。