まぁいろいろ・・・叔母は晴れて退院 但しテーマ多し

昨日も朝から動き回りました。午前8時40分には藤枝平成病院にて待機。

叔母がこちらに救急搬送されたのが2月27日のこと。

当初は葬儀の覚悟までしたほどでしたが、叔母は昨日何とか退院するという快挙をやり遂げました。

ただし左半身に麻痺が残りますので以前のような自立歩行は無理。

退院後に入所する施設は以前と同様の手配をいただいたことは何より。病院と施設双方のご配慮がありました。

入所日調整のために昨日の退院+施設入所という運びになったのでした。

 

その数日前に院内でコロナが発生したため、もしかすると数日の経過観察が必要か、との懸念があったようですが、それら課題は無事クリアできたとのこと。

退院後の移動は介護タクシーを依頼したのは「自家用車では無理」とのアドバイスがあったからですが、やはり片側の足に力が入らない人というものの重たさが「半端ない」といいます。

チャレンジしてみたいという気持ちはありましたが・・・

 

施設への再入所の手続きがすべて終わったのが11時30分。

それでも新規ではないために省略していただいた書面も。

4名ほどの各専門担当者との面談と説明そして承諾のサインがありました。

生活・リハビリ・食事・排泄・皮膚(褥瘡対策)・再発・以前の手術(股関節)の痛み対策(痛み止め薬6種類投薬中)と説明は多岐にわたりますが今回特に変更のあった点は食事の件。

おかゆよりもさらに柔らかい流動食になって、飲み物も誤飲を防ぐためにとろみをついたものに変更されるそう。

年配者は水や茶でもむせ、肺に入れば誤嚥性肺炎になるといいます。

よって以前のように外出して鰻を食べることなどもはや無理な話。

「ただ生きている」といった叔母を見て、当然に「私のこれから」とオーバーラップさせてしまうのでした。

「食べられる」こと「歩ける」こと「おしゃべりができる」こと等々、「当たり前」のことだと思っていたらお目出度い。

 

叔母の施設を後にしてそのまま直行したのは御門徒さん宅。

以前からの約束がありました。

「桜の咲く頃に墓参りがしたい」という要望を聞いていました。よってそれを叶えるために私どもが手を挙げていたのでしたが、これまでなかなかタイミングが合いませんでした。

 

その方はやはり車椅子での移動限定の方です。

以前は電動車椅子に乗車しヘルパーさん同伴でお参り来られていたのでしたが、転倒したことからそのハイテク機器はやめかつヘルパーさんは月水金午前の「身の回りのこと」のみのお手伝いとなりました。

そして火木土日はデイサービスとのことで日中は不在です。

 

要は「月水金の午後の晴れた日で尚桜が咲いている・・・」それでいて私どもの時間の空いているタイミングですから、なかなかそれは難しかったのでした。

拙寺墓参焼香のあとは「買い物に(大阪屋にフライパンを所望)付き合って・・・」でした。

それは「お安い御用」。また扇屋の「あんぱんが食べたい」と店の前を通過しましたが、水曜定休でそれは諦めていただきました。
何でもいいから気軽にまた電話して・・・と自宅まで送り届けました。

 

そして、例の事案解消のステップ、足場屋さんの足場設営がありました。

夕刻前に電気屋さんの工事についての説明がありましたが、「今一つ枝払いが足りない」とのことで昨日の宿題は追加やり直しに。

雨天予報がありますがどうしようか・・・

 

①は病院入口の注意事項。院内感染は止められるものではありませんね。

②は枝垂れですが一番元気。③ソメイヨシノはもうおしまいに近し。勝間田川沿いほかどちらも満開ピーク、キレイでした。

④サツキが咲いてユリがグングン大きく成長しています。ユリは裏切りませんね。増えまくって私の首を絞めるほどです。

⑤~⑧は足場の状況。南北それぞれトップの部分はまだです。

⑨⑩は大井川渡河中から見た「茶」マークの粟ケ岳。

この山の根本を新東名粟ケ岳トンネルが貫きます。

このトンネル内で事故を起こして島田病院内に搬送されたのち「ひと悶着あった」方の件、報道されていました。

まぁ人様のことはどうでもいいといったところ。

私の周辺忙しすぎ。