生きているからこそボヤく 国宝千本釈迦堂本堂

数日前に電話で「今月末にて店を閉めます」とのご挨拶。

私ども家族がお世話になった小田原の鮮魚店からです。

父母だけでなく私も半世紀以上のお付き合いをさせていただきました。

そちらは母親の友人稼業ということで私と妹の成長を優しく見守ってくれた魚屋さんでした。

1月末で閉店された相良の魚才さんの件もありますが、鮮魚店という業態は大手の市中浸潤によってその居所が無くなってしまったようですね。

 

その母の友人のKさんは、私が沖縄に住んでいた頃、わざわざ沖縄まで来られたことがありました。

よって南部の戦跡を案内して廻った想い出があります。

もっともその来沖はその方の父上が南方で戦死したことによるその思いが増幅してのことだったようでしたが、当時であっても様々なボヤキを囁かれていました。

 

勿論それは、無意味な戦争で亡くなった人たちへの思いと「父親が不遇の死を迎えてなお、のうのうと生き延びている上官たちがいる」という感情の爆発だったような。

痛烈な言でしたが、涙を流していたこと、殊に印象的でした。

コーラと「柿の種」が好きな方で私がコーラの味を知ったのもその方から。もう亡くなって20年近くなります。

 

日蓮宗の本堂葬儀でしたが、妹と参列しました。

私は当流の道中着で参列したのでしたが導師から「こちらへ」と導師の隣の席を指示されました。

そういう時は「こちらで結構です」と謝意を示しながらお断りするという流れになるのですがその時は未だその「了解」について知らず、のこのこと導師の脇に着座した次第。

勿論チンプンカンプンですから私は沈黙の時間でした。

ただし心の中で「南無阿弥陀仏」。

 

すべてのことが昔話になりました。

私の存在もきっと懐かしき・・・という時が訪れましょう。

しかし懐かしがってくれる人がいるだけ仕合わせなこと。

果たして・・・

 

夕刻のメディテーション~拙寺のマインドフルネス~の締めに語ったのが、毎日いろいろなことが起こってあたふたしていること。何例が挙げていました。

そしてボヤくことができることこそまさに生きていることだと。

ボヤキまくろう、有り難く。

 

扨、画像は息子に連れられて迷いつつ訪れた千本釈迦堂

正式には大報恩寺という名称が。

本堂は安貞元年(1227)の上棟が棟札からわかっていますが、それが「洛中で一番古い木造建築物」たる理由です。

私の縁者不在(大谷祖廟にはたくさんいます!!) 、かつインバウンドの数多と京都愛に満ちた人たちのボヤキの声が最近殊に大きくなった感ありますが、このお寺には今一度顔を出してもいいかもと思いました。

800年を経た木造本堂へ。

まぁ、穴場といっていいでしょうね。