河北門二の門 橋爪門 金沢城 言葉って恐ろしい

最近は失敗ばかりで、注意力も集中力も欠落。

前日からの体調不良をその理由にすることはできません。

私の反省についての聞き役は奥方ですがいつもの「バッカじゃねぇの?」「私なら眠れなくなる・・・」とその失言について大いに指摘されてしまいました。

 

言葉というものは一度吐いたら修正が利かない恐ろしいものです。

私が何気なく口に出した言葉はいわゆる、禁忌なる語かも知れませんし相手を傷つけたかも知れません。それを吐いた時は何の気なしというのも今考えるとバカ丸出し。

特にこちらで各々しかじかとは記せませんが・・・。

 

しかし体調不良のくせに口だけは回って余計なことまでおしゃべりする愚の骨頂。奥方は私の反省の弁を聞いて呆れ果てていました。

これは私が死しても治らない病気ですね。どれだけ他者を傷つけ時に追い詰めながらのうのうと生き恥をさらすのでしょう。

不思議ですが、それでもめげない図々しさよ。

 

昨日は忙しい一日でした。

昼過ぎに夕刻から焼津方面で通夜を承っている息子が立ち寄り、本堂お内陣の中型須弥壇を堂外への移動作業の手伝いをしてくれました。

まぁその来訪を待ちわびていたのでしたが。

襖や障子を外しての3人がかりの大仕事でしたが、無事に移動完了。

この冬の「温室育ち」の如くの私の筋力は果てしなく低下、先日ぶん回した刈り払い機の件もあって体中筋肉痛の嵐です。

それとも風邪によるもの?

 

午後からは史跡調査会の定例会。

あまりにも暖かい境内の陽だまりで、お茶をすすりながらの時間。そのうちの1人が「凄かった」とため息交じりの遅刻での登場。平田寺の特別拝観に寄ってきたそう。

史料館の長谷川氏が門前にて人を捌きながら「2時間待ち」を宣告されたと。それでも行列に並んできたとのこと。

私も日曜午後にでも・・・とは思ったもののそれを聞いて諦めた次第。そんな体力ナシ。

 

メディアの力はスゴイ。いたるところでその記事を拝見しました。

そのついでということで拙寺にもいつもの見知らぬ方々が流れて来られたよう。

できるだけお声をかけさせていただくことにしていますが、あるご夫婦は一泊で神奈川県の海老名からと。

私ども家族みんな神奈川うまれで~す。と会話に花が。

 

また浜松から来られた女性は地区の歴史教室のメンバーとのことで、拙寺の門を入ってスグの石碑、成瀬藤蔵の妻「禄」の標を見て「まさかこちらで成瀬藤蔵の名を見かけるとは・・・」と感動されていました。

藤蔵正義の妻と彼の末息子が入寺してその息子が拙寺三代目になりました・・・と紹介すると私と息子を並ばせて「15代と16代のツーショット」と撮影されていきました。

 

「見ず知らず」とは言ってもみんな歴史好き。話せば気が合うこと間違いなし。会話って楽しいが難しい。

 

さて、昨日の続き。二つの門と石垣をどうぞ。

復元修復そして地震。また修復・・・大変な事です。

文化財の維持は。

 

長谷川氏は平田寺のあとは西山寺へ向かったそう。

調査会の雑談で「かれは一体何時休んでるんだ?」の疑問が飛び交っていました。

相変わらず忙しすぎのようです。

これからもっと忙しくなるはずです。