やっぱ石垣オンパレードは尾山 金沢城 鯉喉櫓台

昨日よりは晴れ間の時間が長めにありましたが今一つスカッとしない気分。朝起きてのウグイスの声には癒されますが。

午前は静波-菊川-鬼女と所要で走り回ってから午後は藤枝方面に。奥方の買い物下見の運転手でした。

 

会館1階のブラインドカーテンを検討するそうですが、私は車の運転席で居眠り。

車中はポカポカでこの時期は極快適なものです。

 

昨日聞いた睡眠中に亡くなった方の話。60代といいます。

「朝起きてこない」ことから家族が発見。

その件についてお話しされていた方は「健康そうで信じられない」とあまりにも急な変化に驚いていました。

 

あるのですよ、そういうことが。

本人であっても驚く暇がないくらい、むしろ第三者としては「安楽」の方を感じてしまいますが。

寝ながら死ぬって・・・です。

また、私の「死ぬるとき」・・・その時など分かりっこないですよ。

 

また昨日の石屋さんが。

後継者がまだ確定していないあるお寺の坊さんの話を。以前にも聞いたことがあるような・・・

資産を境内の施設に相当額投入したそうで突然亡くなってしまった件です。

僧籍の無いその方の兄弟が、相続しようと名乗り出て、僧籍を取得するまで代務寺院を手配していたそうですが、檀家さんから拒絶されて、結局本山が選定した新住職が入ったとのこと。

 

前住は私財を大きく投入したもののお寺の建造物・施設・物と化してしまっていたため、縁者は資産回収が不能。地団太を踏んだよう。

良き思いをしたのは配属された坊さんだったといいますが。

 

私には他宗のならいはよく知りませんが、当流では本山から手配してくるなどいうことは依頼でもしない限り無いことと思います。檀家さんからのリクエストもあるかも知れませんが結構に鷹揚です。

直営店の店長・・・ではあるまいし。

しかし要は私の「死ぬる時」を考えておかなくてはならないことは必定。それが本当の「飛ぶ(たつ)鳥あとを~」なのでしょう。

 

まぁ私の場合は奥方と息子が仕切りますから、そう心配することではありませんが。

今、奥方は、せめて大澤寺の歴史について息子のためにまとめておけとしきり。要は先代の纏めた冊子を更新しろとのこと。

 

扨、七尾城の石垣に感動させられたわけですがその近くで「石垣といったら」というか石垣の時代ごとオンパレード(「石垣の博物館」)といえば尾山城(金沢城)。

わざわざ著名な呼び名の方をカッコにしたのはそもそもこちらは真宗の尾山御坊(御山御坊)があった地で、元の地名は「尾山」ですからね。

 

そちらのお城は観光地化して人が多いのと、昨年の能登半島沖地震による崩壊箇所の修復で工事、立入り規制が多くあるでしょうね。

私は震災以降この地に立ち入っていませんが、昨夏に「復旧工事の完了には少なくとも15年程度必要」と報じられていましたのですべてが元に戻って耐震工事が完了の様を拝むことができるのはあと15年生きなくてはならないということ。

15年など「あっという間」ということくらいはわかっていますが、私の脳ミソと筋肉の細胞そして血管の朽ちる方が早いと見るのが妥当でしょう。

 

画像は鯉喉櫓台の看板。何度かこちらについて記していました(こちら  こちら)。