七尾城 安寧寺から本丸へ 桜の馬場下

もう少しばかり晴れ間があって暑くなるのかと思いきや、雲多め陽のあたらない場所などは冷たく感じました。

まぁ、ぼちぼちということで。

来週は真冬の寒さが戻るとのことですが・・・

 

雨があがったということで石屋さんが私のバカバカしいミスから始まった尻ぬぐい、墓石の修繕作業に来られていました。

これで一応の安寧をいただいたわけですが申し訳なし。

「サービス」と代金不要と告げられましたたが、ヘマをやらかしたのは私ですからね。ただの反省だけでは済まないような。

 

石屋さんと小一時間ほどおしゃぺりしたあと、午後からはもう一つの私の宿題、叔母のいる藤枝の病院へ。毎度面会時間は14時以降です。

先週行った時は、受付後「(ベッドは搬送時と)同じ場所」との指示がありましたが昨日は指示なし。

ガラス張りのナースステーションのまっ隣でドアが開放された部屋です。

よって私はいつものように叔母のベッド脇へ。

 

そこに立つや「おい! 寝てないで起きろ! おい!」といつもの調子で声を掛けました。刺激が必要と心得ていますので。

耳が聞こえずらいということもあって、声は大きめです。

すると後に続いていた奥方が「叔母さんじゃあ、ない」との

指摘。はっと気づいて廊下に出ると慌てて数人のナースがやって来て「すみませ~ん こちらで~す」でした。

 

よく考えると齢は叔母と同じくらいの見ず知らずの男性だったのですが、私は奥方に「ヤケに頭が禿げ上がって髪が抜けるものなんだな、そしてそれほどまでに容貌が変わるとは・・・こんなになっちゃうのか・・・」でした。

勝手知ったるでズカズカ病室に入ってしまったわけですが、ナースステーションのスグ隣ということは緊急性があるということで、その方はたくさんの機械に繋がっていました。

 

本当にバカというかマヌケというか、またも奥方に白い目で見られてしまいました。

肝心の叔母の容態は安定し、翌日には点滴が外れるといいます。

「飯喰わないと死ぬぞ」と私が切り出すと、以前と同様「まだ早い!!」とまで。何とか反応してくれました。

そのフレーズは「100まで生きる」という叔母の以前からの常套句で奥方と爆笑した次第。今のところしぶとさを発揮しているようで。

 

奥方は「それにしても病室が変わったのならそれを伝えるのが受付の仕事だろ・・・」と私のそのバカバカしいミスをフォローしてくれていました。

持つべきものは良き妻ですね。おバカな住職の尻ぬぐいの主たる者は奥方でした。

石屋さんもこう言っていました。

坊さんがその奥方を邪険にしたとすれば「檀家に寺を追い出されるよ~」と。

 

扨、七尾城も折り返し、山は降りず山頂の駐車場に戻らなくてはなりません。

上杉謙信による攻城は支城の富木・熊木・穴水・正院などが陥落後七尾城単独籠城によって耐えていたのですが、若き城主の春王丸が死したことから(城郭大系では「流行性疾病」と)、家臣団の箍が緩んで瓦解しました。その疾病とは水源の汚染というのが通説になるでしょうね。

水は豊富だったはずです。

尾根下の谷間にはたくさんの流れ(東から鍛冶屋川・木落川・谷内川・大谷川)がありました。水だけでも籠城はある程度可能なのですが。

 

その安寧寺跡からの道すがら①、②の如く井戸跡らしき水場も見えます。

また、寺屋敷なるエリアも。

「寺」の名があるだけに何かの遺構など・・・と周辺散策するもただの原っぱの様。

やはり本丸に向かう桜馬場下の石垣はこの城の絶なる「妙」で見とれていました。

立ち去るにあたり、そうはお目にかかれない代物で名残り惜しさ倍増でした。