七尾城 遊佐氏ライバル温井氏屋敷跡から二ノ丸へ

昨日の法縁は午後からの開式でしたが、堂内お勤め終了時はその日一番の降りになっていました

墓園に向かうにあたり、奥方に「車に傘載ってた?」と確認したほど。

出立前は案外とやみつつありましたが現地の墓前に立った時、雨はすっかりあがっていて、まさに仕合わせ感充満、良き気分で帰宅した次第。

それから気温は低下、首都圏には再びの雪予想が出ていました。

その後は温かくなるといいますが・・・いい加減、低温はこのくらいでカンベンして欲しいものです。

施主とは雪道走行時のかつての難儀、危機的状況について談笑、お互い生きていて良かった・・・

 

ところで拙寺の「納骨バス遠足」について今年はパスすることにしました。

その事情の一番が叔母の様態の不安定さ。

現状は危機的状況は脱し、食物も喉を通るようになったようですが携帯電話への外線着信のたびにビクビクさせられるレベルです。

 

先般も榛原の施設から藤枝の病院までの救急搬送に呼び出されてのドタバタを記したわけでしたが、昨年も深夜に榛原病院に搬送され朝まで叔母に付き添ったことがありました。

 

施設や病院としては「ヤバそう(救急事案)になったら(家族を)呼ぶ」のは当然なことです。施術に対しての許諾書面が必要だからですね。叔母だけで何枚の書面を提出した事か・・・

いずれの場合も(胆石悶絶と脳梗塞 その前でしたら大腿骨骨折に手術それから転倒の数々)医師の見立ては「いつ再発するかわからない」との見立て。

たまたま私どもがノー天気にバスツアーなど向かっていたとすればその対応は不可能ですからね。

せめて安定した状態が維持できていないと・・・とはいえ90歳の叔母に何を望むというのでしょう。

 

そして第2の躊躇の件といえば勿論ツアー代金の高騰です。

本山の何かの召集でさえ「安宿を紹介する」くらいの文言を見ましたが、何から何まで・・・といった具合に以前の如くの価格など夢の如し。まったく「お気楽」とは程遠いほどに収まらなくなってしまいました。

大阪万博で「ラーメン一杯2000円」という浮世離れした金額には言葉が出ませんでしたが、やはり旅行会社のおまかせツアーとなれば全てがドンブリ勘定のバカ高。

 

人間我慢が大切(忍辱)とは言いますが、それも限界に近づいています。まぁ私は万博などの人混みは縁遠い場所ですし、大阪方面に行くとすればハカ・テラ・シロの私のテーマパークは山ほどありますからね。

 

いずれにしろ遠足再開は来年以降。

各高騰に拍車がかかれば尚見送ることになるでしょう。

拙寺のバス遠足に「クラブツーリズム」級のセレブツアーを企画してもムリ。

叔父は遠足の内容はそれに匹敵すると褒めてくれましたが・・・

 

しかし叔母の様態について何時呼び出しがあるか「わからない」とはいいますが、当流風にいえば、それはとんだお調子者の弁としか・・・

「手前はどうなんだ!!」ですね。

順番通りにいくと思ったら大間違いというところですが「その時」にならないと「わからない」というのがその錯覚のもと。

元気健勝順風の時はそんな否定的思考には至らず受け入れることは難しいものです。

その件を知る、そして限界があるからこそ今を・・・精一杯生きたい。私など毎度ダメ元、おまかせですがね。

 

扨、七尾城。この城は広大ということもありますが奥が深い。いや深すぎる・・・

私がざっと歩いたところ、掲示板に記されている曲輪などのみではホントの把握はムリでしょうね。

私などたったの1回の登城。それも車で・・・。

足で大手道を歩いたワケではありません。

 

また発掘調査も山全域にわたって行われているワケではありませんし、何せ調査には資金と人材が不可欠。

今の七尾城はまずは修復から・・・のレベルでしょうから、新たな何かに手を施すことは無理。

まだまだ未知なる遺構は山谷の中に埋もれているはずです。

そういった新発見が今後突然出てくるなど想像すると楽しみが広がります。

 

画像は昨日記した桜馬場曲輪から二の丸方面に向かって。

途中には遊佐氏のライバルともいえる実力者、温井氏の屋敷跡があります。温井氏は一向衆勢力との協調もあったといいますから個人的には親しみを憶えた名。

 

そして二ノ丸跡へ。

比較的他の城とは格段に広さというものを感じる二ノ丸。

雑木が遮りますがかつては本丸同様景色絶妙の地。