首都圏では雨だ雪だ通行止めだ渋滞だ・・・の声が。
私どもは叔母の入院している藤枝の病院からの連絡があって急きょ大井川を渡りました。
当地は一日中冷たい小雨。傘なしでも何とか・・・といった天気。
首都圏で大騒ぎしているほどの寒さにはありませんでしたが・・・
その病院ではリハビリ開始OKの書面に署名するためです。
面会もしましたが食が細くなっているようで今は様子を見ながら・・・とのこと。
脳梗塞の部位も微妙に広がっているそう。がっかりでした。
まぁ、歳も歳だけにネガティブ所見満載。
血管の映っていない右脳の画像をまじまじ見ていると、それで「どうする?」と医師に顔を見上げられてしまいました。
療養で点滴のみの栄養補給となればいずれそのまま「その時」を迎えることになり、何とか食べることができれば、リハビリ病棟に移動・・・ということですが、「どうする?」とはそのまま藤枝の病院で過ごすのか、榛原病院に転院するのかという判断。
ただし榛原病院は入院待ちでそのタイミングが計れないと。
言い方はエグイですがいわゆる「死に待ち」でしょう。
どなたかが亡くなって空きが出れば叔母が入院、それをまたどなたかが待っている・・・といった構図でしょうか。
私はすべて「まかせるしかない」が榛原病院への転院を選択。
当然でしょう、距離と時間が半分で済みますからね。
因みに叔母は半身不随ながら会話はなんとかできます。
「頑張らなきゃいけない」と言っていましたが何しろ食が元に戻らなければ・・・
私の「ついてないぜ」のボヤキを記させてもらえれば病院と縁が切れないことでしょうかね。
縁者多数、入院した病院と葬儀に関わっていることが殊に多いと思うわけですが(それは被害妄想、錯覚なのかも知れません)、その件どなたでも同じようなものなのでしょうかね。
先般、待合室に長時間滞留していた際、それを思いました。
長男である私と一人っ子である奥方とも父母は勿論、何故か独身の縁者が多いことがあって責任者として「その時」に関わることが多いのでした。
それでいて最近思うことは私自身の「その時」です。
夜中に目が覚めると大抵それです。
火葬場の、い・ろ・はと三基ある釜のどちらに入るかも・・・つまらないことで・・・支離滅裂。
その差配の立場は息子となりますが、「彼らに面倒な思いをさせるのなら・・・」とは親として当然な思い。
しかし「その時」は意図に反して突然やってきますしその「助走段階」の有無も判ったものではありませんね。
助走とは「その時」に向かっての前段階ですが、世に言う、そうありたい「ぴんぴんころり」とは反する、のらりくらりの余計で無駄な時間です。
そんなことは「うまくいかない」ことは承知していますが、私の周囲で一番にその前段階が辛そうと思えるのはどう考えても脳溢血(脳梗塞・脳出血)による後遺症です。
たくさん見てきました。
それらの発症は血管の経年劣化(要は年齢の多さ)が一つの要因ではありますが、食生活がその健全性に大きく左右するということが知られています。
特に塩分コントロールと腹八分が大事といいます。
私は喫煙と飲酒についてはゼロコントロールができていますが
これまで基本、味濃いめ満腹系の食生活が続いていました。
それだけに今その前段階へ突入する脳の血管の不具合の件、考えなければなりませんね。
今年は「脳ドックを受けなさい」の叔母の示唆なのか・・・
扨、画像は一昨日の酷い雨の本堂の小屋裏。
奥方がたまたま堂内天井北側に染みらしきものを見つけて「あれは雨漏りじゃね」と。北側からの吹き込みが激しい時間がありました。
それを見て黙っていられずに電灯持参で屋根裏へ上がりました。
グルっと天を目視するも雨漏りは確認できませんでした。
ありがたや南無阿弥陀仏と口にしながら安堵しながら下界に。
柱の「い・ろ・は~」の墨書きは現代と同じですね。
虫食いの様が目につくもこちらも経年「しゃあない しゃあない」。
この広い空間は何か勿体ないような気もします。
しかし「ここで生活シロ !!」などといわれてもムリですがね。
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小山昭治 (水曜日, 05 3月 2025 08:29)
すごい組み合わせですね。パズルですね。
ばらしたら元に戻せなくなりそう。
「緻密」が正しいのか、「強度」が足りないのか。
「子供に世話をかけない。」今のはやりですね。
世話をかけてもいいと思うけど、世話をかけない考えは好きではないけど、そんなモノですね。
「最後はおまえに任せない」そんなもんです。かわいそうな親が多いです。
そういう私もそうですが、・・・いつからそうなったのかな。
今井一光 (水曜日, 05 3月 2025 19:22)
ありがとうございます。
いずれにしろ、理想を求めたとしてもどうにもならないものはどうにもなりませんね。
私の「その時」は息子も行き当たりばったりでしょう。要は「おまかせ」。
最近の子たちの親への塩対応は特筆的です・・・
私のその時は「萩間川の橋の下に」というのが当家の合言葉になっていますが私としては「そうならないよう頑張ります」・・・です。
頑張ってもどうにもなりませんがね。