七尾城 菊田一夫の句碑 忘却 御前崎暖気

好天につき大工仕事。

午後からは浜岡方面の所要、あまりの陽気に誘われて御前崎の先端経由の遠回り①②。寒さを忘れさせてくれました。

車の中はポカポカで暖房スイッチをOFFにして窓も少々開けて走ると将に爽快。

 

先の日曜のNHK「臨界世界 女性兵士 絶望の戦場」を視聴しました。

「男がいなくなった」ので志願、兵士となったということなのでしょうが、ことに彼女らは士気というものが高い。

その世界に入るということは並々ならぬ覚悟というものがあるのでしょうが、それにしてもその死と隣り合わせの血と泥と不衛生、寒さの激務、それをこなしていく彼女らの気概には驚かされます。

ドローン攻撃をされて顔面血だらけ、「指の本数を数えた」ほどの負傷をした女性兵士が破片が突き刺さった自らの顔をネット上にアップして国民を鼓舞、加療後1週間で戦地に戻るところなど言葉が出ません。

しかしながら、その強い女も多くの戦友たちを亡くして、「戦争なんて大嫌い」と嗚咽する様は殊に印象的でした。

 

一昨日も浜松駅前でのウクライナの方たちによる「ウクライナを忘れないで」の支援アピールの様子が地元ニュースで放映されていましたが、別世界では侵略側のロシア、プーチンとアメリカ、トランプが「ディール」のニュース。

彼らにとってはこの世は闇。

まさに不条理の闇夜を彷徨うが如くです。

また戦争はそちらだけではありませんから・・・世界は真っ暗なのか・・・「自分たちだけ~」(自国第一)が戦争の原点でしょう。

 

日本でもその不条理についていえば真っ先に思うところは震災でしょうか。

そういったことが私のちっぽけな記憶の中でさえ複数あがってきます。

そして被災した人たち、亡くなった方たちの縁者はこぞって「忘れないで」と。

しかしどうでしょう、その件関連の薄い人たちはまず大抵、日々の煩忙の中に忘却していくものです。

 

「忘れる」ことは「執着から離れる」という意味で精神衛生上不可欠なことでしょうし、「忘れるな」といわれても人は忘れるものですから致し方ないのですが。

しかし、他者の悲痛に耳を傾けて、頭の中にその声を残していくことは大切です。

 

当流では東日本震災以来、「勿忘の鐘」というカタチで例年梵鐘を撞いて「再認識」しようというイベントが各寺で催されていますが、今年は戦後80年、拙寺では終戦の日に鐘撞きを行う予定です。

たくさんの人為、自然問わずの不条理を時に味わうことになる私たち。

未来に生かすためにそれらを忘れぬよう努力しなくては。

 

扨、七尾城展望台から、まずは目についた、「何かあった」を思わせるちょっとした削平されたエリアへ進入。

そもそも森の中を独りでぶらつくことは大好きですから、まずは手始めということで。

まぁ、春先にこういった場所にノー天気で歩き回るものですから、今、大流行りになったマダニにヤラれるというわけで。

暖かくなってこの1カ月、どっと出てくるはずです。

 

⑥の石碑は能登の観光地として売り出したきっかけとなったといわれる映画「忘却の花びら」の演出家、菊田一夫の句碑。

私の生まれる前の事ですからこれは忘却以前の問題。

奥方に「知っているか?」と質すと「勿論」との返事。

奥方の本邦演劇関係の知識にはかないません。