宝達志水町(ほうだつしみずちょう)にピンポイントで発令された「顕著な大雪に関する気象情報」について記しましたが、一夜明けてその豪雪情報は能登半島全域となっていました。
私など「どうにもならないことは放っておけ」がいつもの言葉ですが、雪下ろしをしないと家が潰れてしまいますからね。
外部にそれを依頼すると「5万円は覚悟しなくてはならない」そうですが、それを今シーズン何度も行ってるお宅も。
私どもの更なるボヤキは「今シーズンの光熱燃料費は一体・・・」というところですが豪雪地帯に住まう人々の忍耐力はまさに別次元を思います。
扨、画像は史跡調査会の小澤氏が持ち寄った掛川報徳社所有の駿府城図。
大小の図があったそうですがその小さい方になります。
大きい方に宝暦九(1759)年とあったということから同等の時期としての判断。
ということで田沼意次が相良城建設にあたっての参考資料にしたあるいは、意次がその図面を製作させた可能性について指摘されていました。
図には当時再建された東御門が記されていること(そののち崩落)、西面の堀には橋が無いこと、北東方面に横内川のへ流れを表すところが見られます。
その川が駿府城内へ結ぶ水路(運河)でその城内との水路接点の地名が今も残る「水落」ですね。
七尾城りの木落改め蹴落川について記しましたが(昨日)「落」とは上から下にの落差のことよりも「流れる」方のイメージが強いかも。
本丸の件
「此内御天守䑓御本丸二ノ丸御屋形御番所アリ略之」。
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