邑知地溝帯 邑知はおろち? 合議制 畠山七人衆 

寒い寒いと連日のぼやき。

まぁそれも「仕方ない」とは開き直り。

南遠の暖地に住まう身としては・・・この環境の対応にはまだまだ経験を重ねなければなりませんね。

そういううちに温かくなれ・・・よって黙っておこう。

 

昨日午前から石川県の能登半島の付け根、宝達志水町(ほうだつしみずちょう)に「半端ない豪雪」についての情報が出ていました。

その地といえば私が七尾方面に向かう際に通過した地ですがその北側が羽咋市。金沢から海岸線を走ったのち七尾線とともに平行して走る159号線を能登半島を分断するように北東方向へ方向を変えたのでした。

 

何となくナビに従って走りましたがそちらは大きな山系に挟まれた地でいわゆる地溝帯。

その山脈とは南側の「石動山地」と北側の「眉丈山地」ですが、地質学的には断層といいます。

よってその挟まれた地を「地溝帯」と呼ぶわけですがその平らかな場所は「邑知(おうち)平野」の名があります。

この邑知平野こそが七尾畠山家を支えた穀倉地帯ですね。

そしてその南側の石動山地の先端にあるのが七尾城。なんとも「石動」の名が大地の動きを連想しますが。

 

昨年能登地方を襲った地震は能登沖の海の断層が動いたといいますが、こちらの断層も前回の活動から相当の年数を空けているようです。

よくもまぁそんな場所に原発を作ったものだと・・・例の如くの「あとのことはタノム」といった先食いの思想を見た思いです。

 

今回の豪雪(顕著な大雪に関する気象情報)で思ったのは西側へ向いた低地部(邑知平野)の開口部入口へ集め流れ込む雪雲か・・・と。

因みに「邑知」とはそちらの邑知潟(場所はこちら)に出たという「大蛇」(おろち)の転訛とも。

古来よりその手の地名は「大きな自然災害」を後世に伝えようとした名称であるということも頭にチラっと。

⑦⑧「日本の地質百選」から。

 

扨、七尾畠山の外的奮戦と滅亡について記しましたが、守護家七尾畠山氏には大きな内紛もあって、家臣団の統制に苦慮した歴史もありました。

①②は七尾七人衆の連判状ですが、家臣団の合議制があったことが分かります。

合議制といえば態がいいものですが、裏を返せば君臨する殿さまが不在ということに相違ありませんし、横並びの家臣団のうち他を出し抜いて我が身の出世をひたすら志向し暗躍する者が現れることは必定の世界。

まぁ現代でも似たようなことが各所で起こっているような。

 

守護大名畠山氏は滅亡したとはいいますがその名跡は現在も続いています④。この図は現代にかけて詳細に記されていますので最近のものは割愛させていただきました。

 

⑤図は七尾城俯瞰図。昨日の蹴落川が見えます。