法務もなくて、穏やかな一日。
やりかけの雑務も放置して呆けっと時間を過ごしました。
境内をブラついて墓参の方との立ち話。
その方の子供さんの件。
1年以上「保留」にしていた結婚式の日程が決まったとのこと。目出度い話です。
ハンコ突いて役所に紙切れを提出するだけのことですが、それは離婚の時も同じですよね。
しかし結婚の際には式を挙げるというのが一応の建前の様なものがまだこの社会には残っているのでしょう。
「相手の方(家)が堅い・・・」とのことでした。
葬儀式も人を招かない「家族葬」なる語が流行っていますが結婚式も「挙げない」といった今風もかなり浸透しているのではないでしょうか。
煌びやかな御殿風建築物での豪勢な式などは最早「道化の如し」の感あるのかもしれませんね。好きな人はそれもヨシですが。
よってその手の業界の焦りというものが聞こえてきます。
しかし先日、息子が学生時代の友人の結婚式に招待された・・・と。それが結構に遠隔地でしたからその招待を快く返事をした息子に「へ~ぇ」とばかりに驚かされました。
奥方が「何を着ていくんだろう・・・」と単純な疑問を投げかけていましたが私は「そういう時こそ、簡衣輪袈裟と草履だろ」と。
どうせ寺の息子に決まってる・・・「式」というものに変わりがありませんし・・・
扨、小丸山城。
前田利家が初の城持ち大名として山の上の七尾城ではなく、こちらを選択した理由については①の掲示板と⑮の絵図によって一目瞭然。
谷山尾根の堅牢さをウリにした畠山の七尾城は上杉謙信の手で落とされていますし、なにより不便このうえなし。
整備や維持メンテナンスにも壮大な経費がかかることは目に見えています。
⑮の通り、山は低いながら二つの河川が堀の役目をしていることと七尾湾が目と鼻の先ということが分かります。
京都は遠いですが商行為、人の流れ、物流と何を取ってもベストな選択だったわけです。
面白かったのは⑨。
真宗寺院が排除されたのは一向一揆の前例を嫌ったからでしょうね。
利家の一向宗弾圧の件もあり、私的にはちょっとねぇ・・・という感じ。
城址麓には大きな真宗寺院があるのはその歴史の皮肉か。
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