相良仏教会の歓談の中で、私が飛びつきたくなるような話がありました。
あるお寺さんがそのお寺の玄関に入った際、「度肝を抜かされた」と。
「ウチの10年、いやそれ以上の塔婆が積まれていた」と言います。
拙寺には「塔婆」の概念はありませんが、それを見たお寺さんは「どんだけ法事をこなしてるんだ~」と驚愕したそうです。
ところがそれらは「薪として貰い集めた」といいます。
10年ほど前に居間に暖炉を導入したとのことでおかげで冬は暖かく、暖房代は相当額の節約になったとのこと。十分に「元は取った」・・・
私はその暖炉設営についてここのところ「やってみたい」とずっと頭から離れないでいましたのでこれはチャンスとばかりに話を聞き出しました。
その方は「今すぐの導入を勧める」といいます。
煙突の設営に出費はあるが暖炉そのものはそれほど値のはるものではないとの意。
私がやるとなればDIYで煙突工事を行うつもりですが・・・。
ただし火に関することですからなかなか踏ん切りがつかないでいたのでした。
デメリットは2つ。
居間が「煤で汚れる」ことと近所から「洗濯物が焦げ臭い」と時に嫌味を言われるとのこと。無視できるレベルと。
壁から1m以上離して設置することが第一ですが残り火があったとしても炉の中だから平チャラ、安全安心だとのこと。
しかし地震で家が崩れたとすると・・・やはり心配か。
また、塔婆は処理場で受け入れてもらえないそうで、そちらで焚き付け程度とは仰っていましたがお炊き上げすればまさに「濡れ手に粟餅」。
当局のご指導も「煙突さえあれば文句は出ない」との主張でした。ただし焼却炉はNGですね。
扨、能登七尾の件、昨年は地震の翌日に記しましたがあの地震が
あまりにも彼の地の人々を痛めつけて、1年余。私なりに自粛していました。
生命切迫の大困窮の地について遠方の輩のノー天気な歴史話など拒絶どころか反感をも持たれることもあるでしょうし。
あらためて七尾といえばやはり真宗寺院の多い場所です。
門徒坊主の私ですからいつもそこばかりに目が行くところですが、それを差っ引いても門徒寺は多い。
真宗寺院というものは代々血縁で道場(寺)を継承するというのが一般的であり特に苗字を引き継いでいることはご承知の通り。
他流で一般的というのは「本山からの差配ご指名」ですが親鸞さん以来そこだけはどうしても・・・という必須でした。
今はどちらにおいても血縁継承の道を開いているようですが。
そして七尾という地で戦国以来の氏姓を思うにやはり二つ「畠山」と「冨樫」(富樫)でしょうか。
この二つはそれぞれ深い歴史というものがありますが、現在の当地の真宗系寺院にもその名残がありますね。
前年に記した木越山光徳寺は元は今の金沢にあって真宗(一向宗)勢力をまとめた大坊主の四カ寺の一寺(吉藤の専光寺 鳥越の弘願寺 磯部の勝願寺)で長享二1488年には守護冨樫政親を滅ぼして「百姓の持ちたる国」にしてしまった主役。
蓮如さんが吉崎に来られる以前の光徳寺は真言のお寺でその冨樫氏とは遠縁にあたる血筋と。
何より一向一揆の先鋭化は蓮如さんもコントロール不能、一揆全盛期の主たる寺になります。
一旦はこちらに移って焼失の憂き目を見ているそうですがあの本堂の大きさは驚きです。真宗でも古刹を思います。
⑥は本堂から門を見た様ですが、門の外に地震被害が甚大だった一本杉通が見えます。
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