鷺山城道三碑と礎石の伝承 ポスト近くの不審サイン

天のお達し(首都圏降雪予報)は寒いながらもただの雨という恵となりました。

冷や冷やさせられましたが、息子は何とか印旛沼近くの法要(通夜)に「余裕で間に合った」よう。

お弔いの方も滞りなく勤修して無事浜松へ帰還してもらいたいものです。

 

節分寒波とかいうそうですが寒いですね。

数日前に奥方と門前のポストがある木戸を開けて、買い込んだ灯油のポリタンクの搬入を行っていると奥方より「コレは御前の仕業か?」と。

はっと見れば、幾筋かの縦線とその上に文字のような記号のような印がありました。

同様の素材、薄墨のようなスグ消せるようなもので記されていました。

しばらくたって見れば見えなくなっていましたので奥方に聞けば「ブチ消してやったわ・・・」と勝ち誇っていました。

 

ひょっとすると闇の世界(強盗、窃盗、空き巣)の暗号伝達記号である可能性もあったわけで。私は画像を撮影しようと考えていましたので、「早まったことを・・・」とだけ。

どのような情報を伝達したかったのか分かりませんが、とにかく注意するにこしたことがありません。

一応は選択肢、ターゲットにされたということを念頭に置かなくては。

 

いますぐご自宅ポスト周辺をチェックしましょう。

記号、文字等心当たりのない「しるし」に気づいた場合、注意に注意を重ねることが肝要です。

ドアにアラーム、家屋周辺にセンサーライト、カメラを設置しましょう。割安になったトレイルカメラもあれば安心。

特に、心配な方はまずは警察に相談してみましょう。

私は五感頼りに早期察知して、運試しの抵抗を試みることにします。まだまだ強がりは言えますから。

 

扨、黒野城は秀吉時代に作られた城で、当初入った加藤氏は元はといえば斎藤龍興の家臣。

岐阜と言えば金華山という大きな山城とスケールは小さいながらも対岸の小山、美濃の歴史からすれば土岐頼芸、道三、龍興の名があるの鷺山城の方が腑に落ちるところですが、黒野に平城を構えさせたのでした。

 

鷺山城は道三滅亡とともに廃城になっていますが、城址南の神社側の斜面から大きめな石塊が発掘されたといいます。

地元には鷺山城の礎石との表示がありました。

廃城となって礎石等、転用材として各移動することがありますが、一つだけ発見されても確証を得られませんね。

他所、移動先など同様のものが見つかっていれば検証できるというものですが・・・

ということはたまたま地中から出てきた石・・・という域に納まってしまいます。

 

今後、新発見史料の何かが出てくるかも知れません。

歴史というものは時間の経過で何かの発見が「あるかも知れない」と期待を持ちつつ放置しておく忍耐も肝要。

わからないから面白い・・・。