夜明け前までの強風は弱まったもののやはり冷たい風が吹きまくる境内。
昨日も大工さんから貰った木材残材の回収と整理、そして花ガラゴミ袋スタンドの製作を。
本日はうまいこと完成できましたので、これで4袋が設置できることになりました。
今後、テラスの更なる整理整頓を試みます。
捨てずに溜め込んでいるばかりですからね。
かなり無茶苦茶で、1回入れば3回は躓く難所と化しています。
拙寺本堂がリサイクル材と相良城建築残材で作られていることもありますが、当家は代々「もったいない」が伝承されているのでしょうかね。
逝去された中村肇氏は旧来父と何があったのか存じませんが、拙寺に対してかなり厳しい見立てをしていた印象がありました。
私が入寺して小和田哲男先生をお呼びして講演会を本堂で催すことになった際、尋常ではない様を感じました。
①大澤寺に行って「(小和田氏を)吊るし上げてやる」と周辺に吹聴していたこと
②虫の居所が悪かったのか拙寺で催された史蹟調査会の会計報告会で「全却下」と怒りまくっていたこと
③氏の教室の生徒に大澤寺のリサイクル材と相良城残材での建立は松平定信のお達しがすべてであり「相良城とは関係ない」と氏の持論を展開していたこと等ありました。
①はその件、事前に私の耳に入ったため、別の筋を通して、「大人しく聞いていて・・・」と説得していただいたという次第。
これも氏と仰ぐ教室の生徒たちへの「私はスゴイ」の強がりアピールだったのでしょうが・・・
理由は「お寺の支出で私が招いた講師」でありお寺で講演(制限なし入場無料)をするので「無茶は容認できない」というのが私の主張でした。
③に関しては父が確りと説明していなかったこともありますがあの床下リサイクル材の件も、宮沢氷魚氏来訪の際に見ていただいた史料など、ここ数年くらいの間に私が初めて公開したものですからね。氏は目にしていないのでした。
ある人はその中村氏の論によって大澤寺への消火設備の設置は不要である(文化財遺構として無価値)との方向になったといいます。
その消防設備の充実については今の私どもの課題になっていますが、そのようなフェイク情報を氏は過去に色々なところで展開していたようで、その意が未だ各人の心中に生きていることに驚かされています。
ちなみに中村氏は郷土愛の人で「勝間田氏大好き」。
小和田先生といえば今川氏研究の第一人者です。
まったく関係のない件ですが「今川は勝間田を滅ぼしたので敵である」といった発想だったのでしょうね。
あの時のことは忘れようがありませんか小和田先生には「こうこうしかじか」と事前に説明していました。
すると先生は「そんなの慣れているのでまったく大丈夫!!」と。
そういえば榛原高校の歴史部から発展した郷土史家が戦国期研究で論文多数の教授に太刀打ちできるはずもなく。
却って大恥をかくことになったかも知れませんね。
その時間、氏の動向を見守っていましたが、ずっと大人しくしてお帰りになりました。
私は内心返り討ちにあうところなど視たかったのですが・・・
扨、画像は先日記した黒野別院跡にある本願寺派の光順寺。
山門と鐘楼は別院からの移築とのこと。
山門脇の門柱の「加藤」とは加藤貞泰からなのか?不詳です。
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