黒野城残存遺構② 盛者必衰 驕れる人も久しからず

昨日も続けて無風で温かな日。

お弔いがありましたが、11時からの開式でした。

お勤めのあとに火葬場へとの流れ、ありがちな早朝からではなく日が昇ってからの行動となり血の廻りは十分でした。

どうやら火葬場が混みあっているようですね。

 

発声もまずまずでおかげさま。

その「声」の件ですが、これは第一声を発してみて初めて調子がわかるというもの。

時に劣悪を思う時がありますからね。

かすれる、息継ぎが苦しい、声が出ない、などなど。その日のコンディション、やってみなくちゃわからない。

なぜなら・・・ジジーになったから。

 

当流の葬儀式次第は本山指定の流れにはありますが、耳にした感覚は「お寺によって、人によって違う」というのが当然のところで、それぞれ僧侶が培ってきた音程・発声方法で進めていきますから。

よってお寺、読経する者によって微妙に違うのです。そしてまた違っていてそれでOKというのが当流の感覚。要は坊さんも力量通りのありのまま。

聞いている方が「違う!!」を思うことがあるでしょうが、当方はまったくお構いなしというのがその発想ですね。

まぁ私の声明など「甚だギモン」と感じられる事は多々あるかとは思いますが。

 

先代、先々代と私とでは音程その他まったく違うことは私でも分かりますし、次代の息子ともかなり違います。

調声がやりにくいといえばそうかも知れませんが、それこそ当流ならでは「違っていてそれでイイ・・・」というヤツですね。

 

棒読み系ではなく、音程の変化、スピードの違い(これは結構ランダム)が各あることからこそ、そうなるのでしょうがそれは当流ならではなのかも知れません。

聞いている方も違いが分かるだけスゴイことですが。

 

故人は数えの95歳でした。

ここ5~6年お顔を拝見することがなくなってしまったのでしたが内心「100歳くらいは・・・」などと思いだすたびにその数字が出てきたものでした。

私からすればその95という数字だけでも畏れ多く感じますが、女性の場合、案外90超えを見ることはできます。

ところが男性の場合はその数字は結構に難しいものがありますね。最近の私の感じるところでは80の壁というか70代での逝去が多いようにも思います。

その違いについて諸説ありますが、ここではそれには触れないでおきましょう。皆さんのお考えの通りですから。

 

話が飛びますがアメリカであのトランプが大統領に再選されました。その70代後半で、任期中にその80の壁を超えるという御仁です。

現状、年齢による衰えのようなものを微塵も感じさせないパワーを見せつけていますが、傍観する私としては「どうなることやら」といった感じ。

また日本の文化・仏教的感覚(無常観)に浸っている私としてはやはりコレが思い浮かびます。「春の夜の夢」を。

 

「祇園精舍の鐘の声 諸行無常の響きあり

娑羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす

驕れる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし

猛き者もつひにはほろびぬ ひとへに風の前の塵に同じ」

 

4年間、のんびり見物させていただきます。4年は長い。

続くものなのかどうなのか?

私であってもこの先どうなるかなどわからないのに。

 

扨、黒野城残存遺構の2回目。

本丸を囲む大土塁上を散策。