阪神大震災から30年。地震番組いろいろ。
これから30年の間の地震発生確率が70%→80%にアップというのもありました。
それらを視聴していて「気分が悪くなった」という方はたくさんあったのではないでしょうか。
気分が悪くなっても殆どの方は「その時はその時~」とペロっと舌を出しての余裕のスタンスでいるのでしょうが・・・
しかしどうしても「その時」の悲惨の中に自身投入されたこと考えてしまいます。
このほどのニュースで南海トラフ想定域で「避難所不足53万人」とありました。
たまたま生きながらえて家が潰れて外に放り出されることになったとしても、まともな避難所には入れずあぶれ出てしまうということですね。
また「避難所」には国際基準なるものがあってその面積の件、8割がその基準未満だといいます。
避難所に入れたとしても狭いスペースのノープライぺイト空間に押し込まれることになるということですから、「車の中」が選択肢となって血栓症を起こして亡くなるパターンが増えるということ。
政府は庶民に「準備しておけ」とは言うものの、お国はその手の国民の命を守るための施設であっても、経済活動とは直接関わらないというイメージがそうさせるのか、まったく準備不足の躰です。
震災はいつもの「自己責任」とでもいうのでしょうかね。
稼ぎの良さそうな、華やかなイベントには湯水のごとくカネを使いまくりますが。
辛いことです。「その時」のことを考えるのは・・・
扨、洞泉寺境内の病没娼妓石橋屋の墓碑後方に土塁が見えましたが(①の突き当り)そちらには洞泉寺裏池外濠跡なる名称で土塁と石垣が残存しています(場所はこちら)。
大和郡山城の外堀にあたりますが、そういった城郭遺構であっても主郭から離れると市街宅地化はやむを得ないところでなかなかその手の遺物に遭遇することはできません。
たまたまこの墓地に隣接してスーパーマーケットの広大な敷地があり、その境界線として石垣と土塁を見ることが出来ました。
②の消防団分団庫の脇から石垣がスタート③④。そしてスーパーの敷地に。
⑩の突き当りが洞泉寺の墓地になります。
近隣の郡山児童公園からも眺めることができました。
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