遊客の「花代」各々 名簿も残存 川本桜耐震パーツ

インフルエンザ感染者数がスゴイとのこと。

ここ2日ほど、会う人会う人「風邪ひいちゃって」の語が。

年末から年始にかけて体調を崩した人がまたぞろ。

当家でも息子、奥方ともに40℃の高熱を叩きだしていましたが、

息子は医師の診断でウィルス系有無の判定はゼロでした。

奥方は診療なし。今更行っても・・・と投ヤリ。

 

息子が「経験上アレはコロナだった」と言っていますが当初検査するもインフルやコロナの痕跡はナシ、「大丈夫だよ~」と医師がお墨付きを与えておいてから帰宅。その後悪化していました。

世には同様に様態が変わってから別の医院へ出向いて再検査してもらうと「コロナでした、インフルエンザ〇型でした」などと宣告される例が聞こえてきます。

おそらくPCR検査ではない簡易の抗原検査との違いからそのような差が出てしまうのかも・・・などと首を傾げるところですが、子供のインフルエンザ脳症での重篤、大人のコロナウィルスの心筋浸潤による重症化の例など、何よりも出来るだけ早い対応が必要になりますので、適当に検査されて「大丈夫だよ~」の気休めで帰宅させられるのはゴメンですね。

「大丈夫じゃね~よ」ってところ。

 

数日前お聞きした近隣であった悲劇もそれ。

ご夫婦で超絶不調の年末年始となってたまたま奥さんの回復が早く休日診療に夫を連れて行ったと。

当初はやはりすべての検査が陰性(抗原検査かPCRか知りません)となって帰宅。

要は我ら家族と同様「原因不明の絶不調高熱」だったのでしょう、他の医院に行って再検査するも陰性だったと。

すると歩行困難に陥ったため「おかしい・・・」と医師に訴えると「痛風」を診断されて帰されたとのこと。

見かねた妻は榛原病院に駆け込んで精密検査に至ると「心臓にコロナウィルスが・・・」に。

その時は既に手遅れになっていたと。

数日前に40代で逝去された件です。死因はコロナ感染症。

医療関係者は「滅多にないこと」ととはいいますが結構にその手の話は耳にします。

医師は「どうしてもっと早く来なかったんだ」と。

それも最後のオチ。あまりにも気の毒すぎます。

 

扨、昨日に続いて川本桜。

先ずクイズのこたえから。最後の分厚いガラスの破片がそれですが、床には水槽が設えてあり、中には金魚たちが泳いでいたといいます。

管理が大変そう・・・女子たちのうち特に若い衆の担当だったのでしょうね。「1匹死んだら給金減額」ありそうなペナルティ。

 

大正期に川本桜が建てられたあたりがここ洞泉寺遊郭のピークだったそうですが、そのきっかけは近鉄線がこちらまで伸びたこと。大阪方面からの旦那衆が大挙するようになったとのこと。

 

こちら川本桜は⑧図の如くお寺とお寺の間に建てられました。

⑤⑥⑦は浄慶寺。⑦は川本桜三階から見た鬼瓦。

 

①②はガス灯の痕跡。③④最近の耐震補強、パーツで部材強化の図。

「遊客名簿」の中身が気になりますが、追跡調査などできれば面白いかも。

ただし子孫の協力などはないでしょうね。「やめてくれぇ~」でしょう。

100年以上前の名簿であっても「今」への繋がりがハッキリすると個人情報として扱わなくてはならないでしょうね。

過去帳と同じか・・・