人の命の儚さ。
私の思慮の浅さ。
万事、早くするばかりがベストではないことも。
「締め切った」筈の回忌表(一周忌)に追記事案が発生してしまいました。
昨日の午後にでもその掲示替えを行う予定でした。
こればっかりは予期はせぬども、有り得ることでしたね。
勿論回忌表の直近1年は記し直しとなりますが、まだ貼り付けていなかっただけ対応はラクです。
その程度の追加作業につべこべボヤく・・・自身癪に障る。
先方ご家族では思考停止するが如くのその1000倍、1万倍の難儀が発生したということですからね、それもこの時期に・・・
「まさかの坂」のローリングストーン。
それでも施主は私の大晦日のお遊び(除夕鐘)について承知されていて、31を避けて29、30日を打診されました。
いずれにしろ私の境内でのやるべきことについて、どうにか29日昼過ぎまでに「やっつける」ことは無理にしろ、妥協点を探す事になります。
すべてが一つ、「人の思う通りにはいかない」ということをあらためて知らされました。
何度もその辺りの件知り尽くしているつもりなのですが、先の事への期待というものが頭に描かれてから膨らんでくると往々にして瓦解。
「私の予定」などいうものの道筋から外れていくものですね。
まぁそんな私の「道」など大したモノではありませんし、私の命が続いていさえすれば、また元のノー天気に戻ることができるのですから。
また、そのような僅かな希望すら思う通りにいかないこともあります。
とにかく人の命は儚い。
震災、戦争などと縁遠い身であっても。
扨、石山寺のつづき。
先日の経蔵からさらに上がると、違和感満点の宝篋印塔が出現します。
宝篋印塔とは記しましたがやはりその形式とは少々異にしています。三層の三重塔のようでもあり一般的な宝篋印塔の形式とは違ってオカシな形。相輪部分が五輪塔の「風輪」と「空輪」になっていて不思議なる姿。
しかし、こちらは経年後補のパーツ寄せ集めではなく本来の宝篋印塔の笠部と軸部を積み重ねて意図的に三重にしたものだといいます。要は「三重宝篋印塔」。
そこで川勝政太郎氏の石造美術辞典記述から転記。
「初重の軸部四方は舟形にほりくぼめ四方仏を陽刻する。その上の笠と二段目の笠の段型は上二段、下二段で、三重目は上を三段として相輪を失い、代わりに五輪塔の風・空輪をのせる(やはりそこは「寄せ集め」のパーツ取りでした)。
寺ではこの塔を紫式部供養塔といっている。」
川勝氏はきっとこの「紫式部供養塔」の寺側主張には「?」があったのでしょうね。
そのお隣の石柱が芭蕉の句碑。
活動時期に開きがある彼ら、それを並べて顕彰する意図は如何に。
コメントをお書きください