息子のいたお寺からのメッセージ 私のベスト4

朝起きてから昼前まで庫裏内でデスクワーク。

毎年の事ですがコレを仕上げておかないと年が越せません。

これまでずっと、もぞもぞして進捗がありませんでしたが昨日ここぞとばかりにやっつけて今は一安心。

その仕事とは、2025年の回忌表の作成です。

あとは出力して掲示板に貼り付けておしまい。

「やっつけた」とは不遜な言い回しですが、私から言わせれば謙遜の語。私の仕事など自分自身、毎度自信など持てる代物ではないからですね。

 

とにかくそれさえ完成しておけば「除夕鐘」が終了してからであってもどうにか対応可能ですので、今は「やった感」を満喫。

何せその年回表はお初のお参りの際に大抵の方が見渡していくもの。

それだけに漏れや誤りがあることは避けたいところですが、それを気にしすぎれば、どうにも仕事が進んで行きません。

よってコレには「間違っていたらゴメンなさい」の自身の狡さをも秘めているのでした。

 

拙寺の年回表は大抵のお寺さんが記している五十回忌あるいは百回忌迄ではなく二百回忌、三百回忌、固定して掲示している四百回忌前後まで記していますがその百~三百回忌の抽出が結構に煩雑。

そのため数年前に百五十回忌の掲示をヤメにしたくらいです。

 

イラっとさせられるのは過去帳書式に一貫性がナイということ、それさえ「まぁいいか」と自身了承しさえすれば何とかなります。まぁ何をするにしろ人それぞれですね。

 

とにかくこの年末の仕事は「今は無縁」とも感じられる多くの先達の菩提を「とむらう」 (訪う)という意味でもその名を記すことは私にとって意味大アリなのでした。

 

また、災禍等によって過去帳が喪失しているお寺が多々ある中、数百年に渡って存在する過去帳のあたり障りのない部分を何年かのインターバルを置いて公開するというのは悪くない。

 

今回気づいたこと、百回忌を記していて記憶の片隅にあったお名前が各所にお出まししてること。私も「だいぶ近づいている」といった感じ。

 

扨、息子が以前お世話になっていた横浜のお寺のカレンダーの文言をご紹介。2024年のものですが・・・。

12の標語が掲示されていますがそのうちの私の思うベスト4を並べてみました。

特に①、他者存在の違和感によく使用される締めの諦観がそれ。

「まぁ、いろんな人がいますね」などと自身納得させ、話を打ち切るときに使われることが多いような。

以前、本山の標語にあった「みんな違ってそれでいい」ことは分かっていながら②私の正義感をもとにして他者を断じている傲慢さがありますね。

そういうものすべて③先入観から発するのでしょう。

しかしながらそんな阿呆な私、大ドジ踏んで人も自分も傷ついたとしても④「そんなこともあらぁな 勝手にしやがれ」が私の処世術。

それしかできませんが・・・。