好天に恵まれて朝から16時ころまで境内作業。
それほど気張って動いたという感覚はなくとも夕刻には「足腰にきている」感が発現しました。
運動不足の件、痛いほど気にかけてはいるもののこの段階で何かしようと僅かでも体を動かそうとすれば「ピシッ」という具合に反動があってとてもイヤな感じになります。
それらをのり越えて運動を習慣としていかなくてはならないのですが・・・こうやって怠けながら漫然とすごし「その時」が突然やってくるのでしょうね。
「その時」に意識があったとすればきっと後悔するのだと思います。・・・わかっていても動かない。何と情けないことか。
扨、このほど叔父の在籍する吉祥寺の古文書会の素材として「石山退去録」が決まったとのこと。
比較的安易な文書で古文書会の皆さんには物足りなさがあるとのことで、適宜大澤寺の古文書を登場させるそうです。
退去録は物語的要素の強いものですが歴史と文書を同時に学ぶことができるという企画ですね。
大澤寺縁起の石川県立歴史博物館所蔵の鎧具足の顕如上人の画像(1700年代製作)には顕如の檄文ほか人名と寺院名が記してありましたがそちらも参考として皆さんに紹介するよう。
ブログでは既に記していた檄文の書き下し文に加えて叔父が氏名と寺院名をこのほど活字化していました。
寺院の所在地は推測もありますが、まぁまちがいないところでしょう。
顕如檄文
「抑 此日城ハ小国タリトイへ共大乗相応ノ地ナルカ故ニ 阿弥陀妙教流通ノ為ニ来生シ給フ五濁悪事悪世界ノ中 決定シテ无上覚ヲ即得ヌ豈悦サランヤ 密ニ以(オモンミ)レハ此石山ハ往古ヨリ如何成約束有ケルニヤ 去ル明応第五ノ暦信証院殿建立以来今ニ於テ退転ナク繁昌セシムル条聖人ノ御本意ニ足ヌヘキ者カ爰ニ将軍当山ノ勝地ヲ所望ノ所ニ所存有之ニ因テ相 決シ難キ由申之セハ将軍甚タ𠹤ヲ成シ一戦ノ旨趣聞ユ爾レハ当山一大事也各々 今度懇志ヲ励ミ一筋ニ籠城タルヘク候者誠ニ有カタク頼母敷キ次第タルヘク候就中 珎シカラス候へ共法義談合候テ安心決定ノ上ニハ矗油断無之可候不信之面々者 片時モ蚤ク信ヲ得ラレ候者可難有候穴賢々々
惣坊主衆中 元亀元年七月廿七日
釋顕如御判 惣門徒中」
御方武士
鈴木飛騨守
下間出羽守
本多土佐守
野島主水正
鈴木伊賀守
島田河内守
三林周防守
山田新助
鈴木孫市
鈴木豊若
島与四郎
佐々木将監
今井権七
荒井久蔵
野坂一学
下村右近
野里三右衛門
川島水之助
御方寺
興正寺御門跡
顕尊上人・・・・顕如次男
端之坊・・・・・・興正寺末寺頭 仏光寺派
東之坊・・・・・・興正寺末寺頭 長浜大通寺
上宮寺・・・・・・愛知県岡崎市上佐々木町
佐々木御坊 三河一向一揆の中核寺院 阿弥陀寺・・・・興正寺末寺頭
勝願寺・・・・・・茨城県古河市
無量寿寺・・・・・・茨城県鉾田市
如来寺・・・・・・大阪府池田市
枕石寺・・・・・・茨城県常陸太田市
常弘寺・・・・・・茨城県常陸大宮市
法光寺・・・・・・京都市下京区 仏光寺派
妙安寺・・・・・・茨城県猿島郡境町一ノ谷
願専寺・・・・・・大阪府堺市
報恩寺・・・・・・福井県鯖江市
常称寺・・・・・・茨木市中総持寺町
光善寺・・・・・・大阪府枚方市
顕証寺・・・・・・大阪府八尾市 久宝寺御坊
毫称寺・・・・・・兵庫県宝塚市小浜 小浜御坊
本尊寺
西光寺・・・・・・大阪府堺市北区金田
正興寺
瑞泉寺・・・・・・富山県南砺市 井波御坊
越中一向一揆の中心寺院
本宗寺・・・・・・愛知県岡崎市福岡町 呂御坊
三河一向一揆の中心寺院
本能寺
専幸寺・・・・・・当寺開基は近江源氏とされ山科專之助と
源光明なる両者の武家石山本願寺に帰依
光教寺・・・・・・一乗谷光教寺
真宗寺・・・・・・福井県鯖江市
光行寺・・・・・・広島県福山市
真徳寺・・・・・・京都市中京区西ノ京南円町
願徳寺・・・・・・大阪府門真市御堂町
超正寺・・・・・・兵庫県姫路市
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