本巣市文殊 文殊山善永寺 本願寺派

当家ネット回線の不通は昨日の昼前には復旧しました。

午前の早い時間は叔母の施設退所と入院の付き添い。

一応は一日だけの検査入院ということでそれで退院できれば再入所ができるとのこと。手続き上その段取りとなるそうです。

 

そもそもそのネット不通に慌てさせられたのは以前に会館工事の足場設置業者から「電話線が今後の工事の際に邪魔になる」との指摘を受け来月初旬に配線を移す工事予約をしていましたことがありました。

よってブレーカーが落ちていた時間が長かったことに加えてそのケーブル切断の件が頭によぎったからです。

どちらかといえばそちらの方を疑って懐中電灯を持ち出したくらいでした。

しかし電話機の受話器をあげてみれば・・・問題なし。断線していないということですからね。早く気づけば良かった。

 

まぁ暗闇ではどうにも確認は難しく諦めるが肝要、ブログの更新はサラッと携帯端末で行った次第。奥方からは「そんなもの放っとけ」と嫌味をいただきましたが。

プロバイダー側での信号チェックと指示された通りにルーターの電源抜き差し(一昨日も行ったが改善されず)により復旧しました。

「最悪復旧まで1日くらいかかるかも」と言われましたが、1分後には接続できました。最初からプロに聞けばカンタンなものをいじくり回すから迷宮に入るのですね。まぁ夜間は営業していませんでしたから。

 

扨、先日の産業祭にて多くの地域からの参加があったわけですが、私が唯一購入したのがお米。

岐阜県本巣市のみなさんが何故にしてこちらに・・・とは思ったものの、狙っていた柿は売り切れ、「さて・・・」と選んだのがあのおコメでした。

裏側の表示にある販売者の名が「もとすファーム」。

「本巣市文殊」の番地名がありました。

その地名は文殊山なる山の名からですね。

私があの時のブログで「本巣は比較的身近な地」と記した理由は山号が文殊山の善永寺があるからです。

本願寺派で「南無阿弥陀仏」のお寺であることは勿論、その云われは門前の掲示板の通り大坂(石山)本願寺で信長と交戦していたこと。拙寺開祖と「同じ釜の飯」の時期があったことが推察されるからですね。顕如への帰依の件も同じ。

天正八年(1580)の寺の創建とありますから顕如が本願寺を放棄したタイミングで大坂から離れていたということでしょう。

 

私はそのタイミングこそ何かの画策に走ったのでは・・・と自分なりに感じたものです。

私の思い入れのあるお寺の所在地ということ、あのブースに引き寄せられたのでした。

①背後が文殊山。

奥方と放っつき歩いた山周辺。いいお天気でした。