萩間川護岸近く 石材9個救済 早朝の榛原病院の件

昨日午前一時に叔母の入所する施設から連絡がありました。

「血を吐いてベッドの上で悶絶しているのでスグ来てくれ」というものでした。

90歳という高齢で何があっても驚くつもりはありませんが、それにしても「派手な最期・・・」と思いつつ、今後の私のスケジュール表をチェックしてから榛原病院へ。

 

そもそもそのような症状といえぱ「毒でも盛られたか・・・」と連想するところで高齢者にありがちな最期(老衰・・・)とは違います。普通の死とは思えませんでした。

 

救急外来の待合からは4時過ぎで開放されました。

息子と同じくらいの女医さんの見立てによるとCT等での検査一連を行ったが正確な診断には限界ありとのこと。

「緊急的、今スグにといった所見にはないが胃カメラで確認したい」ということで10時30分にそれを予約し、施設に叔母を一旦回収していただいてから帰宅睡眠。

 

私は10時からのお内仏閉扉式の依頼が入っていましたので奥方に病院の立ち合いへ行ってもらいました。

法縁が済んで11時30分に内科の待合で合流、診察後に次のステップ、胃カメラ画像撮影の許諾書への記入をしているところでした。

叔母の様子は数時間前の姿とはうって変わって車椅子に座りピンピンシャキシャキのダイハード振り。

早朝の救急外来では私の持った洗面器に苦しみながらドス黒い血の混ざった胃液を数度にわたって吐いていましたから。

痛み止めが効いているとのことでしたがその際は「これから鰻を喰いに行く」と言い出すくらい。まったく不思議。

胃の撮影が終わってから奥方に託して病院を後にしましたがその結果は胃については問題なしという評価でした。奥方が完全開放されたのは15時すぎでしたから頭があがりません。

報恩講の準備も進捗していませんからね。

 

その原因はわからずじまいということですが、さらなる探求をするとなると胃以外の各臓器たちのチェックになり、施設からは「そうなれば退所が必至」と。

精密検査による処断が必要かどうかという判断というレベルになりましたが、私としては「そこまで調べ上げて対処するべき年齢だろうか・・・」。

医療の力で僅かな期間、存命することに果たして意義があるのか・・・という疑問。

昨日も叔母は「100まで生きる」とは言っていましたが体そのもの各部位の老朽化にも限界があるわけで・・・

私も「ガンガン長生きして国から取れるだけ取ってやれ」とはいうもののこちらの身体の方がもちませんね。

 

扨、私が叔母の胃カメラ撮影と診断立ち合いを奥方を残してパスした理由は突如たまたま見かけた堀りたてホヤホヤの残土石の様子とその行方について気がかりになって工事現場に立ち止まったからです。

大江地区のご門徒さんの転居にあたってのお内仏閉扉式でしたが、その行き帰りに目に入った工事の様。植栽の伐採と整地が主たる工事だったよう。

その現場こそ萩間川に沿った市道脇の家で私がかつて勝手に

古相良城や武田水軍の駿河湾活動拠点と推測している場所でした。

そちらを掘り返した土砂の中にかつて石垣石積みとして使用されたであろう「あのカタチ」が目に入ったのでした。

時代的にこの手の加工は江戸期あるいは室町期でも後期のものなのでしょうが、こちらは川淵でもあり石を積んで擁壁として利用するという発想はあったはず。

そもそも旧相良町内はこの手の石垣用石材が「掘れば出てくる」というのはずっと言われてきたことでそれは相良城廃却の際に市中に払い下げされたからですね。

 

石たちは出てきたらそのまま砕石処分場行という流れになることも最近ではお決まりのパターンです。

 

私がこの石たちを見かけたということは一つの縁であり、石たちが私に「たすけて~」と訴えているように感じました。

よって榛原病院に行く前にそのお宅に寄り道。

その時は「通りがかりの者ですが~」と怪しさを醸し出しながら第一声。にもかかわらず私の希望を快く受け入れていただきました。

「では必ず取りに来てください 回収を断っておく」と本日中の再訪を促されました。

やはり信頼性をあげるに一役買ってくれるのは名刺でした。

その時も例の名刺をお渡しして一旦別れました。

そういうわけで石との出会いの件を奥方に了解いただいてそのお宅へ再び向かったのでした。

全部で9個の石を軽トラに積み込みましたが、「お経だけでなくこんなこともするんだね~」と。

やはり拙寺についてググっていただいたようでした。

 

「来年には積み上げる予定ですから散歩がてらに見に来てくださいね」と別れました。

その方は神奈川県から縁あって奥さんとそちらに転居してきたとのこと。私が東急ハンズ町田店のオープンからいて、彫金コーナーのピンセット売場で100以上(1800ショーケースいっぱい)のそれをディスプレーしたとかつての自慢話をぶち上げるとその方は七宝焼きが趣味でその隣のコーナーによく通ったと。

私がまさに奇遇、「いらっしゃいませ~」と接触していたかも・・・などと思わず昔話に花が咲きました。

 

石と閉扉式が合わせてくれたこのご縁、面白いことがあるものです。

奥方にその件を話すと大晦日の除夕鐘にお誘いすればよかったのに・・・と。神奈川県から牧之原市に移住されたということ奥方にとってもそれは殆ど同じですからね。

 

①はそのお宅の石たち。

②それを積み込み軽トラを拙寺墓地横に付けてから各石ゴロリと仮置きです。

③は早朝の救急外来、あまりにも暇すぎてパシっと撮ったポスター。まぁそういうことです。

 

病院で縁者の救急処置を待つ・・・もうコレで最後にしたいとは思うものの・・・あまりにも長すぎるその時間、いろいろと考えさせられました。

人生というスパンで考えれば「短い」を感じてしまうこと多々あるのに・・・その感覚もまたイイ加減。