昨日は午前、午後と法要のダブルヘッダー。
盛夏でしたら相当バテたでしょうが気温も23℃の本堂お内陣、まだ衣が腕に纏わりつきますが、大分快適方向に向かっています。
午前は波津在住の皆さんが集まりましたが、午後は仙台からのお参りでした。
滅多なことでお会いできない方々で興味本位で「何時に自宅を・・・」と尋ねれば「6時すぎ」とのこと。
東京に出てからレンタカーを借りてからご長男の運転で相良まで。
連休の中日とあって各所渋滞が発生し、13時30頃着の予定が14時すぎになっていました。
話も弾んで、すべて終了したのが1700前になっていました。
御父母の法要でしたが、片浜出身の母親の実家にも立ち寄るとのことでした。
墓参の際に「まだ~?」の催促の電話が施主に入っていました。
久しぶりの相良とあって思いはたくさん、鐘楼を指さして「テレビで見て、いつかは・・・」とのことを仰ったので、それなら・・・と皆さんそれぞれで鐘撞きをしていただきました。
17時の時鐘をむりやり。
法要二件ともそのお話の中に先般新聞紙上にあったカフカ断片集の言葉から。
そのさらに断片「虚栄心は人を醜悪にする~」を。
『虚栄心は人を「醜悪」にするから本来「押し殺さなければならない」もの・・・、だが虚栄心は押し殺されることなく・・・傷つくだけだ。
世間体や他人からの評価をたえず気にかけつつ他者と較べて自分が優っていれば悦に入る。
ほんのわずかでも分が悪いと凹み傷つくという、
この執拗なまでの鬩ぎあいが人格なるものの核にあるのか。』
でした。
そのカフカの断片と日本の浄土教系の善知識たる師三名(源信・法然・親鸞)の名をあげて師たちのその核となる思想の一貫こそ
が自己の深堀であり人とは何ぞやの、いわゆる宗教というよりも哲学的発想がそこにあったということ、また彼らにはその虚栄心とやらは微塵もなかったということに繋ぎ合わせました。
そして南無&帰命・・・「Let It Go」を。
扨、「源平藤橘」なる言葉があります。
歴史上名だたる名家であり、日本人で自分の家のルーツをそのどちらかを確信している方はとかく多いものです。
ただしその四つの氏について特に思うのは橘氏の歴史世界登場頻度の少なさですね。
他の三家には派生する家が強く出て圧倒されている感ありますが、要は鎌倉以降にその系の「武」の者が現れなかったということかもしれません。
平安中期に橘恒平という人が公卿に列せられていますが、その人が亡くなってからはその家から公卿などの要職から離れています。
その人の息子といわれる増賀(蔵賀 多武峰先徳)は比叡山良源のもと天台僧となって多武峰(妙楽寺 今の談山神社)に入ります。
妙楽寺のある「多武峰」は多くの戦乱の場となった地で混乱の歴史を伝えるが如くの名称ですが増賀は「武」ではなく僧としてこの地を人生最期の地として棲むことになります。
そして、まさに人の、また歴史に登場する者たちの「虚栄心」はまったくなかった人でした。
画像は増賀堂跡。
昨日記した石灯籠のある参道を神社に入らず、西に進めば進行方向右側にその地はあります。
やはり石垣に囲まれている空間。上段に四角い土台、おそらくそちらに増賀の庵があったのでしょう。
今は人もあまり通らない林の中。妙楽寺中興の祖ともいわれる増賀さん、今の有様、神社に衣替えしていますよ~。
死した後も尚失望・絶望するような事案で・・・
何とも気の毒な一所懸命でした。
彼が死したのは1003年のこと。1000年以上も経ってしまいましたがその後に続けなかったことは致し方がないのかも・・・
未来永劫などない。
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