乾元二年(1303)建立摩尼輪塔 談山神社参道 

先日、突然の電話があって「明日草むしりの仕事を」という方の件記しましたが(その際は途中降雨のため3時間で終了)、昨日も朝6時に電話があり「これから行く」と。

こちらの都合も聞かずイキナリでした。

それだけ困っているのだろうとは思いましたがその日は昼前から総代会があり、またネットの予報では10時過ぎから雨の示唆。よって私は「またの機会に」と告げました。

すると彼は自身が聞いた予報では降雨は夕刻からであり「もう着替えちゃったから」と意味不明の理由を告げられました。

 

まぁ彼はこれまでそのような理屈を前面にして人生を送ってきたのだなぁ・・・と思わされましたが・・・。

天気予報もそうですが、時間的に私の都合が合わないこと、無理なものは無理ですからねぇ。

その理を了解してもらうのに時間を要してしまいました。

この寺の雑務をもってその日の賃金を得たとしてもその後のことはどうするのでしょうね。

 

扨、昨日の十三重石塔の小山を降りて右に折れれば①②の景色となりますが、そのT字路を左に曲がれば神社入口。

その反対、右に折れれば③の如くの参道になります。

向かって右側にあたかも堀の如くに境界をつくる小さな川の流れがあります。

50mほど下るとその川を背にして④いわゆる談山神社摩尼輪塔、重要文化財指定(高さ315㎝)の遺構が姿を現します。

 

昨日も記した「日本石造美術」の絶賛評価の記述を。

「八角柱の塔身に生けこんだ形になる。

その正面上方に宝珠形の大月輪を厚く彫出する意匠は実に秀抜である。月輪面には五点具足の胎蔵界大日の種子をあらわす。

刷毛書の雄渾な梵字で薬研彫の効果も十分である。方形の笠は大きい気宇を示し、鎌倉後期様式の軒反りが美しい。頂上に路盤を作り出し、その上に伏鉢・請花・宝珠を飾り、見事なおさまりを見せる。多角柱であるから石幢のようであるが、石幢のように八面を使わず、仏を正面だけに奉安しているので笠塔婆に分類する。塔身正面に達筆の字で『妙覚究竟摩尼輪 乾元二年(1303)癸卯五月日立之』と刻む。妙覚究竟摩尼輪は仏果の終極の位をあらわす。」

 

失礼ながら私にはその形状、昔の郵便ポストのようにも見えました。

 

 

 

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (火曜日, 08 10月 2024 09:01)

    この参道は通りましたが、学が無いためそのまま素通りしました。
    今度はじっくりと見させてもらいます。有難うございました。
    学が無ければないで、私なりにそれなりに楽しんでいるからいいですが。

  • #2

    今井一光 (火曜日, 08 10月 2024 19:54)

    ありがとうございます。
    私も基本興味本位でぶらぶら歩いていますが、各歴史的遺構の遭遇は格別です。
    それにしても奈良が好きで東海地区在住での方、各お聞きますが、強烈に著名な寺社
    並み居る中、こちら妙楽寺・・談山神社について「あの時は~」などと語り合える人は
    そうはいないような。
    東大寺、興福寺、法隆寺・・・・でさえ一度行ったきりどちらかわからなくなるような方が
    多いものです。ましてこちらに「次に行ったとき」などとの声はあまり聞こえません。
    私はこの寺(神社)は結構にお気に入りです。何時かはお寺の遠足に入れたいと思っていますが近くには石舞台-橘寺など周囲にたくさんの見どころもありますね。