十三重石塔 藤原不比等 淡海公墓塔?

おそらく私の人生「キャリアハイ」初めてのことでしょうね。そんなこと・・・昨日(10月6日)の午後、「い~ら」の山の森からツクツクボウシの声が聞こえてきました。

まさか・・・がずっと続いています。何があっても驚くのをもうヤメにしましょう・・・

秋雨がやたらと長く感じるこの季節、朝から青空が広がってくれました。

私は拙寺にて多くの来訪者への対応があり、準備(搬入と搬出)のみのお手伝いとなりましたが昨日のい~らでは恒例の「芸能発表会」が。

そちらで史跡調査会が考案した意次せんべいの棚店の出店がありました。

そのイベントの賑やかさに圧倒されました。私が午後の片づけに赴いた頃は殆どカラオケ大会の様相。そして最後の演目がフラダンス。怖いもの見たさでおそるおそる・・・

やはり年配者が多く見えましたが何か目標を持つということは元気のもとであること、よ~く理解させていただきました。

情けないことですが何れもそのステージに上がること・・・私にはムリ。

 

扨、昨日の多武峰第1駐車場から談山神社に向かって階段を降り切ると、右側④の看板~十三重塔石塔~の案内板が目に入ります。その先の木々が茂る森の中にいわゆる「談山神社十三重塔」が立っています。

藤原不比等―淡海公の墓と伝わる石塔です。

あれだけの高さの塔とあって幾度かの倒壊を経験しているようで所々に痛々しい痕跡を残していますが建立は基礎に刻まれた「永仁六(1298)」と鎌倉後期でありその時期の石塔としては希少な遺物。

場所的に「放置」に近い地を思いますので、さりげなさという点では好感が持てますが、少々石塔の立場からすれば地味な扱いが過ぎる感。

 

所重軸部には金剛界四仏の種子が薬研彫。

基礎は「永仁六戊戌三 勧進六八願衆」「大工井行元」(鎌倉後期に活動した伊派石工の一)

「弥陀の四十八願に因む六八願衆と名づけた阿弥陀信仰の人たちの結衆が、多くの人たちから寄付を募って造立したものである」(日本石造美術辞典-川勝政太郎)