談山神社 懸造拝殿 回廊+高欄+銅灯籠下部に石灯籠 

「信じられないくらい」と月並みな表現しかできませんが、もう10月入り。

「光陰矢の如し」の件「知らなかったの?」と自問するもまったくそれを考えている隙もないほどです。まぁ一言「阿呆」とその自分のあり様にケリをつけて淡々とあとの2か月を送るのでしょう。

そしていつか「その時」を迎えるのでしょうが実はそれはそれほど悠長なことを言っていられる話ではなく「明日かも知れない」ことだけは頭に入れておきます。

 

今私が抱えている法縁のその故人は世に言われる孤独死。

発見まで3週間を要してしまったそう。

通夜なしで火葬場直行ということになりました。それまでは警察署の霊安室にて安置となりますが致し方ないことです。

その方のお姉さんが施主となります。公共の手で火葬・埋葬するかを打診されたそうですが、それは固辞し、せめて自分の手で葬儀を・・・といことで忙しく各手続きに動いていました。

火葬後に葬儀の日取りを決めてしっかりと送りたいと。

 

先日は、山梨県から来られた参拝者より信玄餅のお土産を頂戴したのでしたが、それを食してから咳が止まりません。

拙ブログでは最近の不調、肺と喉の不具合について記していましたが今回はいわゆる誤嚥性というヤツでしょう、がっついて信玄餅を口に放り込んだため気管支にきなこが入ってしまったというワケで。

 

ホコリもそうですが微粒子は怖い。

奥方はそれをジジイ化と言って私の咳に厄介者扱い、うるさがります。

父もよく咳をしていましたが、そういった指摘をされると必ず「出物腫物(~ところ選ばず)」と開き直って反論していましたが、私にはその元気はナシ。

当時父のそれを厄介者扱いしたのは私ですからまったくその父への対応が跳ね返って来た感。

齢をかさねて初めてわかること多多ありますね。

 

扨、談山神社の拝殿。

山系の寺院に多くみられる崖の如くの斜面に作る懸造のカタチの拝殿は回廊を歩けてまた見晴らしがいい。

特に銅の灯籠がズラリと並んだ様は見事です。

この建造物は1500年代に造られたといいますがよくもまぁその耐力が続いている・・・と。