談山神社 元はといえば多武峯(とうのみね)「妙楽寺」

先日のニュース報道で以下のような話題が盛り上がりましたが興味深く心に留められた方もいらしたことと思います。

その件、元京都国立博物館の狩野派研究者たちが調査にあたったと言います。

 

それが青森県中泊町の旧家「宮越家」所蔵のふすま絵がロンドンの大英博物館が所蔵するふすま絵と対の作品である可能性が高いというものでした。

 

大英博物館には狩野派の絵師が描いた「秋冬花鳥図」が所蔵されているとのことで、その「宮越家」の9代目当主が1920年に建てた離れの「詩夢庵」に春夏を表している花鳥図(桜やキジの親子の絵柄)があり、大英博物館の秋冬花鳥図との対だとの判定。

 

イギリスと青森の旧家にそれがどういう経緯で流れたのか。

また宮越家には安土桃山から江戸時代初期に描かれた18面のふすま絵があり、そのうちの4面がそれだとのこと。

そしてシアトル美術館には秋冬花鳥図の裏面に描かれていたと伝わる絵が所蔵されているとのこと。

 

私はその対となる狩野派の屏風(ふすま)の一方がイギリスやアメリカに分散しその片われが青森に、という離れ離れの不思議にはピンとくるものがあります。

それが明治初年の廃仏毀釈のドサクサです。

仏教とその遺物宝物の存在と維持の労に対してまさに闇の時代です。

大英博物館もそうですがボストン美術館など日本の文化財の宝庫となっているのもそれですね。

 

管理者が寺→神社へと変わる中、一時的に正当な責任者というものの不在があって出鱈目なほどに海外や国内に散逸していったのでした。

まぁ買い手があり尚海外から来た知者、国内地方の富裕層たちに小遣い銭を散らつかされて誰かがこっそりと持ち出させたというところでしょう。

 

しかし逆にそれであったからこそ戦火による焼失を免れたという指摘もありますから何が良くて何が悪いのか・・・果たして。

 

私がその神仏分離、廃仏毀釈を連想するに奈良という地が特に思い浮かぶわけですが、そちらの各大寺社の中でも談山神社は筆頭でしょう。

何しろ名称が「寺が神社」と激変しているからですね。

談山神社の名称は明治二年からですがそれまでの名称は多武峯(とうのみね)「妙楽寺」でした。

 

スゴイのは坊さんはクビか神職に衣替え。

本堂講堂等お寺に関わる建造物は神殿に変わり釈迦の仏舎利塔である十三重塔など「神廟」なる名称に変わりました。

それでもそういう場合、十三重塔は破却されてしまうというのも当時の流行りごと、こちらの場合はたまたま助かったのでしょうね。

一貫性の無い思い付きで物事が動いたのが明治時代の政治。

まぁ最近でもそんな政治がまかり通っていましたが。

 

呆れるのは本尊の阿弥陀三尊が安倍文殊院に払い下げられたのかそちらでも釈迦三尊として名称が変わっていること。

その一連、無茶苦茶のイメージしかありません。

毎度の事ですが明治維新のそれ・・・まさに記しているだけでバカバカしくなりますね。仏の名称まで変更するなどアホらしさの極みです。

 

昨日記した林道経由今井谷に下りるコースのスタートは談山神社からでした。

勿論早朝から入門できるはずは有りませんからその前を通るだけ。目的は別途ありましたからね。

その門には看板が掲げられていました。

台風10号のために閉鎖していたのですね。

 

最後の画像は昨日の拙寺の工事現場。

土砂の搬入は一昨日の土壌改良(砕石パイル)に続いての嵩上げ工事のため。排水を考慮して少々高めにし勾配をつける作戦。