台風10号の残存低圧帯に吹き込む暖かい空気の影響でしばらくの間、不安定な天気が続きました。
台風が過ぎたあとは「荒天一転好天」となるというのが私の常識でしたが今回はその予想も裏切りました。
その次に発生した台風11号は沖縄の鼻先を通過して大陸へ向かっています。
そうは簡単に言ってもその11号・・・信じられないくらい、呆れるほどに勢力が増大しているようです。
905hpなどの予想も出ているくらいですから。
香港辺りへ上陸することは間違いないのでしょうが、被害は半端ナイのでは・・・と予想するところ。
そして、こっちでなくて良かった・・・といつもの単純で勝手な思いもありました。
扨、拙寺檀家さんが神妙な顔で「実は・・・」と縁者の「その時」についての寺への承諾というか段取り、筋道について確認を来られること多々あります。
私としては一瞬の衝撃を受けますがその心の中は「いつものことである」「しょうがない」・・・といっても過言ではありません。
「そろそろ危ない」「危篤」と言った言葉が混じりますが、私はただ淡々とお聞きし、できることと推奨する動きについて思うことをお話しするだけです。
「危篤」という言葉は良く耳にする語ですが、仏教的に言えば
基本「危ないのは私である」を本とします。
私の承ったその「そろそろ」の件、最長で1年以上命が繋がったこともあるくらいで、要は「わからない」ことです。
その一つの生命の終焉―寿命―は縁者といえどもどうにもならないそして必然のことですから。
とは言っても、その切実は事務的(寺務的)な対応ながら親身な姿勢であることは欠かせません。
そしてまた「そろそろ」と伝えられて1年以上存命した方の件、縁者に向かってこちらから「如何・・・」の如く問い合わせができる筈もなく。
ただそれには一切触れずに過ごすだけですね。
ということで「危篤」情報は承るものの私の生活スタンスはいつもと一緒。何も変わることはありません。
言い換えれば「その時」は誰もが迎える人生のイベントでありそれは皆同じことです。
扨、台風シーズンに入って、このタイミングしかないだろうと私は数日前の深夜に奈良へ向かいました。
機(まず天気予報)を見て感じて瞬時に決めるというのがいつものこと。
一方、私が遠方に向かうとどなたかの訃報が入るというのがジンクスになっていますが、その件頭にはありましたが、それに拘れば何も動くことはできません。すべての今ある命が「危篤」なのですから。
最近では私のやるべきことに「息子がいるさ」というお気楽気分も発生していますが、その奈良を歩きまくった夜、宿泊先の部屋で訃報が入りました。
その際に息子の方も法務がたまたま入っていたようですが帰宅しての流れを計算して「どうにかなる」と踏んでいました。
昨日のブログは奈良で記しましたが今は自坊にて。
今回の奈良は一日だけの限定となりましたが通夜・葬儀の件、おかげさまでうまいこと段取りが付きました。
その一日でも色々な事、いろいろな出逢いがありましたからヨシとしましょう。
画像は最近の奈良での定宿となった、建てられて新しい天理の東横イン。まさに天理駅の真ん前になります。
天理は意外に奈良のベース基地としてもってこいの地。
天理自体にはこれといった私の趣向に合う場所はありませんがそれほど混みあわないところがイイ。
禁煙ルーム(低層階)シングル一泊朝食付き、駐車料金あわせて7000円。
①はカメラ片手に深夜の出立前の「なな」の怪訝な睨み顔。
「行くな!!」と言っているように感じましたが・・・
④帰宅すると工事が本格的に始まっていました。
いよいよです。
また「いよいよ」と言えば、報道で「来年の大河ドラマに登場
田沼意次の名前付けた地酒を寺に献上」そして「藤井七冠人気 1日で満席 牧之原トークショー」の相良ネタが踊っていました。
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