ようやく迷走の台風10号は熱帯低気圧に衰え日本海に抜けようとしています。
久々清々しい晴れというものを享受したいところですが、まだ少々の怪しさが漂っていますね。
先日のお寺の寄合の休憩時間に、外の土砂降りの様に私が「雨漏りが心配」と親しくしていただいているお寺の住職が本堂背後の山が心配だと仰っていました。以前三河の等順寺(またはこちら こちら)にお邪魔した際にお聞きしましたがかつて裏山が崩れて本堂ほか被害があったと。
私は以前から山の中のお寺の静寂と自然の環境に「良きもの」といった認識がありましたが、その自然が牙を剥いてくることもありその立地の有難さというもの「今生かされている私の一所懸命」を思ったわけで。
昨日の静岡の台風被災のニュースの件。
台風の進路について特に西側を進む時など「南東斜面に気を付けろ」ということをよく聞きます。
反時計回りの低圧空気の渦の強いヤツが台風ですが、雨を降らす原資というものは南から供給される湿った空気。それらが供給し続けられて山系に当てってドカ雨を降らすというのがそれです。
そのニュースで久能山の南側と東側での斜面崩落があったと伝えていました。
山頂にはあの久能山城(東照宮)があってその南側斜面の字名が「根古屋」です。
今はイチゴ農家が点在しますが、その畑とハウスが斜面崩壊によって流されていました。
そして久能の東側の斜面も崩落してあの鉄舟寺の墓域が崩れている様も視聴。
台風(空気のいたずら)とはいえやはり不条理を思いますね。
その鬱憤を晴らせることはなかなかできないでしょう。
不条理と言えばまた昨日、横浜駅前のビルから飛び降りた高校生が下を歩く通行人に衝突してお二方とも亡くなっていました。
下を歩いていた方はその唐突に訪れた自らの死というものを一体どうやって認識するのでしょう。
時々起こるその巻き添え「殺人」―飛び降りた人にはその意志というものは無いのでしょうが刑法的には「未必の故意」というものがありますし。
精神状態として特に不安定、正気ではなかったからという弁護も成り立つものでしょうが(責任能力の有無)何れにせよ甚だしい不条理というものを感じました。
確率のことをここに記すのは、おかしな話ですが、私どもも横浜駅前のあの辺りは「人生でこれまで5回ほど」通ったことがある・・・という会話をしていました。
横浜の「奥の墓道」氏の場合などそれどころの回数ではないくらい頻繁に通行する場所ですからね。
「どうするんだよ~」と。
飛び降りて自死するに値する絶望への対応がその十数年の経験から培われたとすればやはりその学校・友人そして親が大いに反省する他はありませんね。
民事の損害賠償の件、当然に伴ってくるでしょうがそれはまず
未成年者の加害は「親」が弁済するということになります。
二重の不条理を親に提示するなんて・・・逃げられるものなら逃げたくなります。
このご時節、親というものは子に「死に方」まで日頃教えておかなくてはならなくなったというのでしょうか。
何という末世。
それを続けさせてはいイケない。
文科省も何とかせい。
扨、画像は昨日の三重塔に続いて同じ長禅寺の敷地にある五重塔。甲府城の天守台からも見られるアレです。
甲府府中の広大な敷地の古刹、三重塔と五重塔の二つの塔が建つお寺があるなんて・・・唖然です。
圧倒させられて言葉はなし。
夜9時からはNHK「MEGAQUAKE」を視聴。やはり言葉も無し。軟弱地盤の脅威。ビル、杭基礎の崩壊・・・強烈に恐ろしい。
同じ軟弱地盤のトーキョーにはニョキニョキと高層ビルが建ちまくっていますが・・・トーキョー関東は「揺れやすさマップ」の色が赤色だらけ。首都直下地震が来たらどうなるのだろう・・・
スケールが大きすぎて全ての「備え」というものが水泡に・・・
私など自分の事で精一杯ですが。
目の当たりにする現実、不条理というものは耐えがたい。
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