本年でおしまい「さがら灯ろう流し」

拙寺のお盆シーズンは実は既に終了しています。

よって築地塀の修繕の続き、柱部の塗装準備のための養生テープ貼りをしていると「今日はようやく会えました」とため息をつきながら二名の年配の方が訪れました。

そう言えば私が外部に出ている時に限って来られていたようで、タイミングの悪さを以前電話で嘆かれていました。

 

来訪の件、私は大した仕事はしていませんが、お参りを兼ね、かつての法縁の御礼をとのことでした。

「お気遣い御無用」とは申すものの、「こちらの方が気が済まない」と仰られ恐縮至極。

お話があるというので超暑い本堂にお招き。扇風機で対応しましたが。

 

それは身の上話が主体です。

「恥も外聞もない話だが聞いてもらいたい・・・」でした。

私は災難や病気、辛いこと、人間関係に「まさかの坂」は珍しいことでもなくてごく普通に皆さんが抱えている事ですよ~・・・とはいつもの如く話すものの、辛い話は、話すことと聞く者がいるというのが肝心、ひたすら聞き役に徹しました。

 

するとそのうちの一つですが、自宅介護をしているご主人が、「お前とは離縁する」「慰謝料はやらん」と言い出して大いに呆れたとのこと。

一瞬、今、流行りの熟年離婚かと思いきや、それではないよう。

奥さんは3度の食事と介護いろいろを日々こなしていますが、「はいはい、そんじゃあご飯は自分でどうぞ」と言うと「そりゃあ困る」・・・。

 

失礼な言い方ですが「昭和の男」というものの末路を感じたのでした。私も昭和のそれですからもうしばらくすると自由が利かなくなった腹いせに奥方に無茶を言うものなのか・・・とも。

認知症初期であったとしたら「いちいち真に受けていたら身がもちませんよ」。

丁度お昼丁度、境内には七つの鐘の音が響いていました。三人で黙祷。

 

扨、今年の8月は「NHK恒例の戦時特集番組が少なくなった」と「奥の墓道」氏が指摘していました。

私は来年の戦後80年に向けて資料収集しているのでは・・・と返していましたが、その手の番組の製作に圧力がかかっているのかも・・・と彼は疑っていました。

 

そんな中、昨晩は地上波でNHKスペシャルがありました。その昭和のことですね。

内容は当時戦時下の日記・手記に沿って構成。サイパン・中国・特攻回転・中島飛行機工場へのB29による爆撃・・・

何時観てもこういった番組に命の軽さと歯がゆさそして軍部、政治家指導者の間抜け振りを確認。

ただただ「戦争なんかやりやがって・・・バカヤロー」。

1941年に近衛内閣が設置した「総力戦研究所」によれば、日本が米国と戦った場合「必敗」と分析していたといいます。

それでも「やりたい」という指導者(東条)が出ると国民がそれに付き合わなければイケなくなる社会。

やっぱり憲法を変えることはイケません。為政者のシバリを自らの手で緩めようとする動き、警戒します。

 

集団疎開の新資料の発見について紹介が少々ありました。

これからもう少し探究が進んでいくかも知れません。

受信料を取るNHKの使命、どんな圧力があったとしても跳ね返してその手の番組を作り続けて欲しいものです。

そうでないと後世にその悲惨を伝えきれません。反省のない社会は未来に同じ轍を踏みます。

 

画像は昨日午後6時から催された「さがら灯ろう流し」の準備風景。これが今年で最後となりますが寂しいことです。

折角相良高校生たちがこういったイベントに協力していこうという気概を見せてくれているのに・・・それが一番に残念。

 

台風7号は相良は関係なし。

これまでこのイベントは雨に見舞われる事、多々ありましたが昨日は穏やかな萩間川周辺。

寺に帰って「どうせ雨なんか降りゃしねぇ~」と憎い言葉で水やりを行いました。

海岸からは複雑な波の音が聞こえていました。