南禅寺塔頭 金地院といえば崇伝 黒衣の宰相

 

「どうせ地震なんて来やしねえ・・・」などと婦人部役員の皆さんの前で・・・。

昨日は10日に催される盂蘭盆会「八月の法要」とその直前の婦人部の皆さんの集まりがありますのでその準備と清掃がありました。

私は強烈にだらしなくみすぼらしい躰を晒していたお内陣北側の障子貼りを完遂し、設置。まぁ糊と障子紙で苦闘していたのは奥方ですが。

 

その地震について私は高をくくっていたのでしたが、この神奈川中部での震度5の発生で一応は気象庁の面子は保ったというところでしょうかね。南海トラフとは無関係といいますがね。

調子をこいているとヤラれるのは私ですから「気を付けろ」とご注進されることでしょうが、そういわれても「一体どうすれば」の感覚。

 

「災難に遭う時節には~」の良寛さんの名言を思い出すところです。阿弥陀さんに「まかせる」の達観です。

以前から拙ブログにて好んでそれを掲げていますが全文はコレです。

「災難に逢う時節には 災難に逢うがよく候 

 死ぬる時節には 死ぬがよく候 

         是はこれ 災難をのがるる妙法にて候」

 

 

尚、先日息子が大和市の義母の家に法事の為に宿泊しましたがその折に息子に頼んでいたことがありました。

テレビ台に置いてあるだけの液晶テレビを壁に固定するための部材を渡して。

その時も「どうせ来やしねぇ」とは言っていましたがその一週間後に地震が来て(テレビの転倒についての効果があったかどうかは知りませんが)、何ごともなかったよう。

奥方が早速に安否連絡をしていましたが「ああ怖かった~」と。

気象庁のアレに敬意を表し風呂桶に水を蓄えておくこととしました。飲料水は十分ありますので。

 

扨、先日は蘭方医、新宮凉庭(鬼國)の医に関する十五則について記しましたが、彼は蘭方医術の門弟を多く育て、医学校を構えています。

それが南禅寺(こちらも)前の「順正書院」。

その建屋は名物の豆腐を食べさせる高級そうな料亭になっていますが、私どもは先日も記したとおり、安直な志津屋のカルネが趣向となっていますので敷居も高いこともありますが、その店への入店は論外。

 

まぁあの辺りをブラつけば色々とお楽しみはありますが、こんなお寺もありました。

「金地院崇伝」の名・・・金地院です(場所はこちら)。

家康の懐刀といわれちょいワルをイメージする坊さんのお寺にも見どころがたくさんあります。

崇伝は黒衣と「腹黒い」の語がイメージ的に重なり将軍の後ろに見え隠れしていればちょい悪以上の「何か」を感じさせる坊さんとして知られるようになったのでしょうね。

あの時は順正書院同様、入山は門周辺だけでパスしました。