私のラッキーJulyはコレにて終了。
特にこの七月はこのうえなく身体絶好調でした。
なんとかこのポジティブコンディションを次の未知なる領域に持ち込んでいきたいと思いますが、それはあくまでも私の勝手な希望です。
何と言っても蓮如さんの御文(5-16)の通り。
「朝(あした)には紅顔あって夕(ゆうべ)には白骨となれる身」
ですから。
いつ死ぬかなどはわからないが「将来のいつか」ではなく「それは今」(かも・・・)というお達し。
嫌味と思われる方はそれでOKですがオリンピックの現場での敗者の弁としてよく耳にする「次の4年後には」の奮起について仰ること、私が受けるその心地はいかにも痛い。
明日をも知らぬ命、どうその4年を長らえその保障があるというのか自問が起こりますしそもそもその第一線にいるアスリートにとってその4年の心身の退化老化は致命的でしょう。
後に譲る、自身「道具として」あることを諦めるという選択も必要。スポーツの世界では「諦めない」という語を頻繁に使用されているのですが、仏教では「諦観」とあるように「あきらかにみる」ことを重んじますから、煩悩だらけの坊主としてはどうしてもそこのところに引っ掛かってしまうのでした。
扨、ブログにて今年の拙寺バス遠足で山崎蒸溜所に皆さんをお連れする事は諦めの結論を出したことを記していましたが、当然ながら事前に下見に行っていました(場所はこちら)。
まぁ、そのバス遠足ですら実現できるかなどは夢の世界かも知れません。それには「お前は、ぬけぬけと・・・」と怒られそう。そこに命があると思っていることがお目出度いことです。
健勝が維持できていることも必須ですし。すべてアテにならない希望ばかり、たまたま偶然に生かされているのにね。
山崎蒸溜所へは勿論事前に予約してのこと。酒を飲まない私は、ご接待試飲カウンターで提供される飲み物の選択は水。
あの時は今ほど水が美味いと感じる季節ではなかったですが。
この敷地内で私の興味を惹いたのはその石碑と覆堂。
入門して歩道を歩くとスグに現れます。
石碑には西観音寺閻魔堂址とあります。
その寺と遺物はやはり「聖武天皇―行基」の宝積寺に移されたとのこと。
尚、そのお寺も大山崎山荘美術館とセットで遠足としては十分に楽しめますがその登攀はクレームの嵐となりましょう。
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