浜松の息子に葬儀式関係の届け物があったため浜松駅近くで合流しました。奥方はデパ地下に直行しますのでそれについて回って疲労させられました。帰りの運転(150号を選択)は睡魔に襲われましたが目覚ましの休憩を取りながらの帰宅。
浜松と言えば40℃の予報が出ていましたが市内の実際はそこまでの気温には至らなかった感じ。
ただし一昨日の当地よりも空の青さは強く映えていたのが印象的でした。
こういった好天が私が若い頃に続いてくれたらとつくづく思います。梅雨も短かったことも。
人生終盤になってからこれほどの異常な天気を見せつけられるなんて・・・ガキの時分でしたらさぞかし楽しかったろうに・・・。
熱中症などいう語もありませんでした。
サッカー部ではアホなT先輩から「水は飲むな」などと毎度ヒステリックに説教されつつ水場付近で見張られていたにも関わらず体調を崩して倒れた者など皆無でした。
まぁ今そのT氏に出くわしたらその根拠をご教示いただきたいものですが。
「先輩ズラしやがって・・・」とそれ以後ずっと腹の底に半世紀に渡るもやもや感。一時はその自宅まで押しかけてブン殴ってやろうかとも思ったくらいです。
若い頃はバカの上にさらに拍車がかかっていましたからね。
頭の中がショートしているというか・・・。
天気図から見れば、前線の位置が妙ちくりんです。
太平洋にドカーンと高気圧が張り出していてそれでいて前線が距離を置かずに北陸から東北に居座っています。
海水の高温は温暖化によるものでしょうが関東までの太平洋岸はまるで沖縄なみの空気を思います。
雲の白と青空、海のコントラスト、直射日光のヒリヒリ感はそこまではないものの一部亜熱帯化しているのではないかと感じさせられます。
漁労漁獲の魚の種類が変わっていることなどそれを示唆していますね。高温太平洋ということはこれからドデカイ台風が来そうな感じもします。
沖縄では適宜スコールという大地への水分補給があって、かつて私もたびたび物干しの洗濯物や布団が被災しましたが、相良では夕立すらゼロ。
農作物を抱える農家の皆さんは頭が痛いでしょうね。
夜間にでもザーっと降ってもらえれば一手間省くことができますから。
息子には、久々地頭方にでもマスクとフィンを持ち出して、ひょっとしてサンゴやコバルトスズメの繁栄状況(熱帯化を見られるかも・・・)などと誘うも、「行くなら釣り」と断られました。
お盆休みに帰省する「奥の墓道」氏は数年前から「もう無理」と断られ続けていますので・・・
オヤジになると海が遠くなるものか。息子もオヤジ化。
そして「ところてん的」(押し出される)に言ってやはり私はジジイなのか。
テレビでは若くない人が海に出て事故にあうといったニュースを聞きますが、皆さん「自分はまだまだ大丈夫」の気持ち満点で海に出るのでしょう。
体力が衰えていることは忘れてはイケませんね。
まぁ私は「泳ごう」などいう気はさらさらありませんが。
扨、蒲郡の二村氏より地元の情報その他(「八橋茂左衛門」について)をお送りいただきました。
鵜殿氏縁者の方が正行院にお参りしたとありました。
そして「形原・西浦の郷土菓子」のしおりが。
西浦は三河湾に突き出た漁業の町ですね。
この辺りの海はどうなのでしょうね。
そのような地元名物があることも初見でした。かりんとうの如くのものでしょうか。
尚、八橋茂左衛門については少々私の理解、史料紐解きが必要です。
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