午前の法要は老若男女、最近では比較的多くの参拝者が集まりいつもより一層熱気がこもった感。
法要後の墓参の時の雰囲気ですが、直射日光下にはできるだけ「居たくない」よう。みなさん木陰の下を求めていました。
木陰にいれば蚊の餌食になるよ~と伝えると「もう喰われた~」。
こういったコンディションの墓地ですからこの時期の墓参りの方は少ないのでしょうね。
法要後庫裏にて昼食休憩をしてから境内作業を少々。
その後すぐ浜岡まで散歩に出向きました。天気も上々、私の事情、タイミングとしてもベストでした。
奥方はそこのショッピングセンターへ車で向かいますから時間調整をします。
私が1時過ぎに寺を出て、御前崎の市民プール「ぷるる」通過時にlineを入れてイオン浜岡で合流する算段。
15時すぎに到着、いつもは食品売り場の超クールの空調に悲鳴をあげて「車で待ってる」と主張する私ですが久しぶりに明るい光を受けたせいかその冷却感は抜群の心地でした。
この散歩は奥方には不評。
「行くならその辺をぐるぐる歩いておけ」とその「回収」について一言二言の罵りを発しますが、私のそれには「目先が変わる」ことに意義を感じていますので。ぐるぐると景色が変わって・・・そっちのが楽しい。
まぁ何かの発想を得るか、新しい発見があるかを期待しての時間です。
時に本山では夏の「安居」なる時節。
それは「寺にひき籠る頃」・・・ということから始まって、各宗派によって意味は変わるものの要は安座して教義研鑽する時間、「勉強会」のことですね。
私のそれはその真逆、この時節の私の安居は外に出ることでしょうか。
本来は雨季(生命活発な時)に「外を出歩くな」・・・托鉢に歩き回られるのは(生き物たちに)迷惑ということから始まったそうですが、この地の天気は異常なほどのドP感続きですからね。
それはともかくとしてその日の私の出会いについて。
相良から須々木経由、比木から浜岡を目指す①のはいつもの通り。ウグイスとコゲラの「作業音」といつものヒグラシの声を味わいながら「ぷるる」②前。
そこから少々新野川の橋は渡らず川沿いを南下③。
すると桜ケ池への登り途に当たります④。
そしてその橋の名を記す銘板の前で立ちすくみました。
「うたればし」⑤と。
これまで何となくその橋を通過したものの気が付きませんでした。
そこでかつての父親の言が思い起こされました。
この橋を渡ったところ辺りで「銃撃を受けた」とのことでしたが、それは子供のBS銃、オモチャのことです。
その時私は「どうしてその小僧らを取っ捕まえてそれをへし折ってやらなかったのだ」と言ったことを思いだしました。
昔の父は結構寛容、私はカリカリしていました。
今はそういう子たちを見かけること希少ですがね。
そしてその「うたればし」。
当然にどういった漢字があてられているのか知りたくなりますがそれが「雨垂」⑥と。
ショパンの「雨だれ」ではあるまいし・・・
コレは後世に付けたキラキラネームだと私は了解。
橋の名称は古い地名を継承していることをしばしば拙ブログで記していますが、この文言は「討たれ」と受け取るのが常套では・・・と考えます。
何故ならばその桜ケ池から東へ辿る坂道が渥美源五郎勝吉の「首切り坂」ですからね。
このルートのさらに西には病院坂の「血洗池」がありました。
首切りと血洗いの中間にある橋の名としてはまさにそれでしょう。
また、同地「桜」の法ノ沢にも「雨垂」の地名がありますから、ひょっとしするとそちらも・・・と連想した次第。
これら街道の更に相良寄りには先日記した了見寺があります。
⑦は父親が「撃たれた」付近から見た橋と桜ケ池方向。
尚、その橋にはライブカメラが設置されています。
橋の名前は面白い。良き出会いでした。
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