一昨日の夕刻は当地でもポツポツ。
携帯には「牧之原市に雨雲がせまっています」の情報があって、それなら水やりは不要とばかりに雨を待ちましたが、一向に夕立風情景は見えずそのポツポツにて御終いでした。
東北地方は前線の通り道となっているようで豪雨と河川氾濫の報が流れていました。
何事も「平均的」というものは有りえず偏りすぎが顕著。
ヤラれる時は徹底的にヤラれる・・・それが自然、人心あれこれについての配慮など自然界にとってまったくお構いなし。
ある意味それもそこに生きる人の有り様といってもいいのでしょう。
安心安全安定を期待してもそもそも人というものは死から逃れることはできませんからね。
対自然も当たり前の事。生きるために振り回されている私たち。
まぁそれが生きている証であって、「いま居る」(私の姓は今井)という現実に喜怒哀楽しながら感謝感激の日々を送ります。
先日は誕生日というものを迎えましたがいよいよ「明日死ぬ、今死ぬ・・・」を思い描くようになりました。
いずれ死ぬ・・・ではなく「今去(イ)ぬ」です。もっともそれは「齢だから」思うものではありませんが。
もっとも若い頃は「ダイ・ハード」(絶対死なない)の勢い(高慢)が強くありました。それが「いずれ死ぬ」の「いずれ・・・」の発想。その件理解はしているが「今ではなく・・・ずっと後」といったもの。それが深層「私は死なない」の心でしょうか。
それを「強い人物」の仮面とすりかえているのがトランプ(昨日)でしょうね。銃弾も耳をかすっただけでしたし。
仏教的に言ってそのような人間には慈悲(仏教の主眼)というものが欠落する傾向があると思います。
そして慈悲の心が芽生えるそのベースとは「己の反省」(懺悔さんげ)からと考えるからですね。
自己の為すことがすべて正義であるとそれを振りかざす・・・そこには他を承認しない毒舌が生まれますから。
自己中というヤツです。
まぁ、私のその考えは親鸞さんの善知識、善導さんからの少々かいつまんだところからですが。
そうは言っても私も内心「今スグ、明日には・・・」のところ了解しているものの「まさか私が・・・」なのですからしょうもない。
その「まさか」の坂はあるとは言っても理論上・・・と誤魔化す我が身。やはり「ダイ・ハード」なのでした。
私だけが味わえる「その時」、その直前にまた考えましょう。
良き人生だったと。
扨、先日オービス(速度取締り装置)が小型化して簡易型、移動設置型のそれが世に溢れ出し当県も各所でその目撃談を聞くようになりました。
「どこでもオービス」という取締り方の新戦力ですね。
それは幹線道路というよりも住宅地、学区の生活道路、抜け道といわれる道路での取締りに威力を発揮します。
30キロ道路などですね。
これまでそのような場所でその戦術が展開されたことのないような場所になりますので、ドライバーとしては意表を突かれてしまいます。当局お役人から御用、ご指導の頂戴。そして減点、過酷な罰則金の支払いとあいなります。
もしその30キロ道路を60キロ以上で走った場合、30キロオーバーで、一発免停、罰金は簡易裁判所に出廷し決定されるもの。25000円以上になるでしょうね。
私も吉田の初倉の東名吉田インターから島田方面に北上する道の裏道、初倉保育園のある住宅地の道で見かけました。
奥方と第一声「なんでこんなところで・・・」でした。
私は前走車があったためセーフでしたが気が小さいものですから、心拍数アップ。
そして、先日御前崎の方が「これまた驚いた」とその体験談をお話しされていました。
場所が御前崎白羽(しろわ)小学校前の道。
「初めて見た」と驚きの声。
そういえば県内通学路の生徒を撒きこむ事故が増えているよう。
おそらく学区通学路での取締りが重点的に行われるようになっているのでしょう。まぁその件ドライバーにとって大いに警告となるでしょうね。
いずれの道ものんびり行くとしましょう。
自分も死ぬが何時人を殺めるかもわからない。
その白羽小学校の先に武田の陣となった白羽神社があります。
武田家安堵状が三通残ることで当相良史蹟調査会の皆さんでお伺いさせていただこうという企画がありましたが、コロナ禍によって消滅。
以後田沼大河が持ち上がって現状その件棚上げされています。
元亀三(1572)の信玄発給文書。
そして天正二(1574) 天正五(1577)と勝頼が出したものですが、いずれも高天神城の包囲の際の地元対応ですね。
やはり武田は相当「海」を意識していたのでしょう。
遠州灘まで目と鼻の先(場所はこちら)。
また境内には横須賀街道についての記述が。堀野新田の了見寺の名が見えます。
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