蒲郡上本町旧字「西廓」蒲形 五濁悪世の世だねぇ

昨日は本堂で新会館施工に携わる業者さんたちが集まり図面を広げて何やら懇談。私はノータッチ。

これによって初めて見積もりが出てくるのでしょうが、それはそれで恐ろしいことです。

 

オリンピックの会式間近というのに首根っこを摘ままれた如く日本に送り返された女子体操選手(19)とサッカーの日本代表の若者(23歳)の逮捕の件(ドイツ1部リーグ移籍もパー)、そして政治家に転身した元スケートの花形選手の話題が俄かにスポーツ界の話題になっています。

つい「五濁悪世の世だねぇ~」と呟いていました。

 

その世界にいて、これまであまり貶されることなくどちらかといえばちやほやと、「素晴らしい」的形容など多く散りばめられた環境で成長してきた人たちの件ですね。最近では「アスリート」などいう特別と思わす人たちの部類。

 

まぁこれまでホントの実力相応の評価がされてきたわけで当人の並々ならぬ努力もあったこととは思います。

引退後政治屋さん世界へ居所を変えてのその野心家と変わった方、それはつまるところ忘れかけていた「政治とカネ」のお話に戻りますので、いつものこととはいいながらアホらしさ溢れるところ。 

アホ政治屋のオヤジの話はどうでもいいことですが前2者の若者たちは見ていて痛いものがありました。復活は並大抵ではないでしょうね。

一言で、月並みな言葉ですが「天狗になっていた」ということでしょう。社会が自身実力を承認してくれたということから「何をやってもイイ」という変ちくりんな錯覚が起こったのか・・・

 

承認してくれたその社会には実は厳密な決まりごと(ただし極、簡単で基本的な)があって自分がその大神輿に担がれていたことを忘れてついつい浮かれてしまったのだろうと思いますが、そういった知識、智慧を得ていなかったことにひどく勿体なさを感じます。

育てる側としても指導が行き届かなかったことを反省していただかなくてはね。親たちも自慢だった子の今回の不始末にガッカリのことでしょう。

 

そういったスポーツ選手の陥りやすい「天狗化」現象は今に始まったことではありませんが彼らの脳内には私ども宗旨の中心思想「他力」だとか「慈悲」についての感覚とは少々違ったところがあるのかも知れません。

今の地位こそ自分自身の類まれな運動能力と努力の賜物であって、「他に代わる者がいない」という自尊自負の血が溢れていたのでしょう。

そういう意味からすれば何とか一人前といえるまで成長した当家息子もどうお調子をこいて失敗するかわかりません。

若さ故、その思考はある程度は許容されるべきですが、結局はそれは大いに間違うのでは・・・と思うところ。

 

各その結果を招いてしまったのは一言で「自業自得」ではあります。

某哲学者の「道具理論」を拝借すれば、人間は他者その他諸物を道具として見るものであり、当然に自分以上に多くある他者の目からは「私も道具」であるということ。

 

先日は、私のヘマばかりの件をブログにて記したのでしたが、それなら「若さん(息子)に自分の葬儀を頼もうか」という私への叱咤激励と確実に成長してきた息子への期待、そして御当人の健康長寿について喜ぶべき言葉を頂戴しました。まさにそれなのです。

要は「スペア」が控えている・・・ということ。

何にでも誰にでも、血縁非血縁関わらず。

(私が消えても)どうにでもなってしまうというところです。

拙寺でいえば息子の代わりには従兄がいますし従妹の子供たちも控えています。いくらでも・・・

 

道具は使えなくなったら捨てられ・・・人間でいえば死のイメージもあり・・・新しいものに交換されるということですね。人で言えば「人材」などともいうではありませんか。

組織運営の「材料」ですね。

 

代表の栄誉を得たそのアスリートの皆さんがよく「日本の為、応援してくれる皆さんの為に」との弁を耳にします。

それはそのための「道具になりましょう」と言っているのと同じですね。

しかしそれはやはり詭弁であって「自分の為」以外の何物でもなかったことが大バレとなってしまったのが今回のこと。

「やりたいことをヤル それは自身勝手自由・・・」。

 

他力に生きた人はその道具理論についてある程度は「なるほど」と承ることがありましょう。

それは極論のスペア論である「我が死」を見据えて今を一所懸命に生きるということでしょうか。

 

法然さん、御開祖親鸞さん他、善知識、先達の皆々さんがそうですが念仏を通してそれら「まことのこころ」が蓄積できればうれしい価値ある人生だったと思えるでしょうね。

それは親鸞さんがおそらく唯円に託したであろうその思想の継承について歎異抄を拝読していて思います。

 

他力本願による称名念仏という「行」により「慈悲」(上記)の心が少~しづつ心の中に、自身気づかぬうちに蓄積されていくこと(金剛の信心を得る)について「阿満利麿」氏が仰っていました。

そこには(私のような)凡夫であっても特に2つの智慧が生まれてくるのだと。

①自他を平等に観る 自分中心の度合いが緩まって相手への

 関心へと心が働くようになる

②人それぞれの違いがわかってくる 他者を尊重する

 

②の場合は他者を道具として見ることは否定(自分の思い通りに動かす)されますのでここですべてにおいての道具理論は通用しないことになります。

要は道具であるのは「私」であって他者に使われ利用されることを楽とし逆に他者は尊重するべきというのが本質的生き方なのかと。

 

尚、「道具」といえば清沢満之が「念仏は阿弥陀仏の慈悲を伝える導きの器(導器)である」と述べたことを阿満氏は紹介していました。

(故人は仏弟子となって)「あとにのこれる人々を導く・・・」という拙寺盂蘭盆会法要の表白の件、まさに合致しています。

 

扨、図は蒲郡市の中心ストリート「上本町」(場所はこちら) 交差点。あの上ノ郷城の真南、不相城との中間地点に位置します。

 

例によって日本城郭大系から。

こちらの城は本編での記述があります。

 

蒲形城 蒲郡市上本町 永正年間(1504~21) 

    鵜殿又三郎長存(ながあり) 

「鵜殿氏は長将(ながまさ)の時に上ノ郷鵜殿氏と下ノ郷鵜殿氏とに分かれ、永正末年に下ノ郷鵜殿氏は又三郎長将を祖としてこの城を構えた。

宗家上ノ郷城の落城後も松平(徳川)氏に属して勢力を保っていたが、又三郎長龍の時に下総国相馬に移った。

その後一時、深溝松平忠利が入ったこともあったが、慶長十七年(1612)に竹谷松平清昌が五千石で入封し、以後明治まで存続した。

城址一帯は学校や住宅地となり、わずかに残る土塁が往時をしのばせるのみである。

しかし、その土塁から考察して、比較的大きな居館城であったものと思われる。」

 

その記述の如く、道路と住宅地となった城址、特に中心地と指摘されている上本町交差点付近にはそれを窺わせるものは確認できませんでした。

ただ2件の「西廓」の字面は目にしました。

通りに面したNTT電柱標識⑤と近くの公民館の名称⑥です。

その二つのアイテムは案外と古い地名を知るにそのヒントとなります。また橋の名などもそうでした。

➆は⑥の近く。勿論住宅街です。