相良灯ろう流しは今年8.15でお終い  富士市須津より 

朝は雨。

午前10時からの法要でしたがしはらくして雨は完全に止んで、それだけでなく晴れ間まで広がりました。

とにかく墓参タイミングでの晴れは嬉しいことです。

 

午後からは富士市須津からのお客様。

午前中から平田寺→般若寺と廻ってから拙寺に立ち寄るというもので、史料館の長谷川氏がその三寺の案内人でした。

 

事前にその予定を聞いていたため、私は史跡研究会に新しく入会していただいたお二人に今後のこと(来年の繁忙?対応と会の存続)のために「研修と称して」同行させていただければ・・・と提案させていただいていました。

長谷川氏も了解していただいて当日を迎えたわけですが、お二人に加えて藤枝から会の先達、増田氏もいらしていました。

ただし増田氏は「こんなに暑いならもうムリ・・・」と。

相良はそれだけ晴れて陽射しが強かったということです。

 

来年は田沼意次の退場(大河ドラマ 失脚と城の廃却)が5~6月として・・・

「7月~8月の案内は(依頼は無いかも・・・)キツイのでヤメにしたい」という本音が出ていました。

さすがにツアーの依頼は先方次第ですからね。

番組の脚本もあってどこまで相良が引っ張られるかにもよります。よってどうなるかなど予想もできません。

あの元の神奈川県民としてとても懐かしいバスの装飾デザインを見て遠方からの来訪がわかるというもの。

こんなことが続くとすれば有難いことです。

墓参の御門徒さんから「一体何が始まったのだ・・・」と問われましたが。

 

尚、私は午前の法要の「声出し」でいっぱいいっぱい。

ということで午後の案内同座はパスさせていただきました。

そもそも私の口出しなどは不要ですし・・・

 

扨、恒例相良灯ろう流しの案内ポスターが届けられました。

その件、さすがに驚かされましたが「今年で最後になる」とのことでした。

ここ数年、雨にたたられるなどその苦労話は耳にしていましたが~準備と撤収は当然ながら降雨増水につき灯ろうの川面の設置や回収・・・~それは少々命がけチックであって「若さ」がなければできないこと。そして何より頭数が揃わなくなったといいます。

 

それらすべてが減り続けもはや継続困難と判断となったようです。先般相良高校生のボランティアが出ていてすこぶるその継続性に期待を持たせたのでしたが。

何事も衰微に抗いたくとも「人がいない」では仕方がないのでしょうね。

 

その「人がいない」という語を聞くと蓮如さんの御文を思い出します。

大経の「易往而無人」(往き易くして、人無し)」からですね。

 

御文は二帖七

「大経には易往而無人とこれを説かれたり

この文の意は 安心を取りて弥陀を一向にたのめば 浄土へは参り易けれども 信心をとる人稀なれば 浄土へは往き易くして人なしと言えるは この経文の意なり」

 

信心・・・とは私の「まことのこころ」ですが、あくまでも「私の・・・」である必要があります。

要は他者・・・教祖、エライ人、時に両親・兄弟縁者に強要されるものではないということ。

そしてそれは「(私自身がその思想、教義に) 納得できるかどうか」です。

よって、納得していないレベルで安楽浄土ばかりに目が向いている人が多いということを嘆いている段です。

 

今の変てこ集金宗教による各家庭崩壊の例はその個人を無視した「強制」(カネ出さないと地獄に堕ちる・・・みたいな)に問題があるのですが。

霊だなんだのの自分でも知るはずがないようなバカバカしいとしか思えない大層なヨタ話を並べ立てて老人や子供等気弱な立場の者を脅したてるところ、傍観しているだけで不快にさせます。それに納得できない方たちは早々にその件の悪だくみに気付いていただきたい・・・

私は実際にその不快を親戚から受けて縁を切らせていただきましたがね。関わるとロクなことがないので。

 

昨日は例の一本足のヤマバトがやってきました④。

きっと樹上から私の動向を監視しているのでしょうね。

ハトも昨日の陽射しは有難かったでしょう。

片足で立つのは疲労が激しいのか虫干しを兼ねてコンクリートの上にベタっと。

史跡研究会の皆さんが帰られたあと、彼のために準備してあるコーン主体の穀類を「お待たせ~」といいながら・・・

 

片足のハトなど自然界では淘汰される運命にあるのでしょうが、私は今のところ彼のスポンサーとして名乗りをあげています。