7月8日は当家勝手に「那覇の日」。
語呂合わせですがハッピーディ、心身とも前向きとなる日。
昨日は朝から相良海岸の海の家へ。
昨日の法縁は相良仏教会御一同が揃う海難供養の日でそれ一つきりでした。
気楽なものですがさらに気分を良くしたのは、天気良好、静かにそして青く広がる駿河湾と微風。
思わず「サイコー サイコー」と沖縄の若者たちがはしゃぐように心の中で・・・
帰宅してしばらく御門徒さまより鰹の差し入れが。
勿論「はつがつを」。奥方と1本まるごとにも関わらず例の台詞「鰹は半分もらったよ」。
先般、「道の駅はくしゅう」の山口素堂の歌碑を記しましたが
これで本年の「初夏」の代表が揃いました。今といえば殆ど盛夏の感がありますが・・・
尚、ホトトギスは夜更かしして外で耳を澄ませば聞こえてきますし、朝の境内でその青葉は目に入ります。
そして夜間のテレビ番組、『大追跡グローバルヒストリー』は初見の事で楽しく視聴。少々お笑いを混ぜ込んでうざったいところがありますが。
ガスパル・フェルナンデスと福地蔵人(ルイス・デ・エンシオ)
ハンデ・パエスなるメキシコの人の名を知りましたが、前2者は日本人です。
特にフェルナンデスについては驚きでした。
彼のことを記す文書がメキシコに残っているということ。
そもそも彼は豊後生まれだったそう。
天正10年(信長の死)以降、一時的に戦乱状態に陥ったその地で村が襲われ、幼少の彼は誘拐され長崎の奴隷市場で売られたと。
それを仲介したのがイエズス会の神父だったというからこれまた驚きでした。
洗礼を受けさせスペイン系の名前に変更、彼を買った主とメキシコへ行ったというところまで。
彼がメキシコでどういう暮らしをしたかは不詳ですが、イエズス会はやはりヤバかった。
信長はその宗教を優遇しましたが、秀吉は毛嫌いし、家康は完全排除。
政治家が自らの利権の為にそれを活用すれば庶民が酷い目に堕ちることになりますね。
明智光秀、そして殿(家康)、感謝しても感謝しきれない。
日本人はバラバラになって世界中に散っていったかも。
もし信長が生き続けていれば、日本の農村、弱者は奴隷貿易の商材として海外に送られたことが継続していたかも知れません。
キリスト教を拒絶(禁教令)した江戸期の政策は一部に悲劇の歴史をもたらしましたが、ここで改めてそれに感謝しなくてはなりません。悪くなかったと。
イエズス会は洗礼とはいいながら人身売買によっての収益と彼らの国益に絡んでいたということ。おそろしや・・・
尚、福地蔵人は支倉常長の使節団の一員でメキシコで船を降りた
とのこと。
扨、昨日の弥勒寺の弥勒如来。その手前には重文指定の聖観音菩薩像があります。
高さは180㎝でスリム。平安後期の作と。
衣の彫りもリアルですが額の白毫は水晶が嵌め込まれています。やはり台座は後補です。
そのお隣が無指定ながら増長天像。
この大きいとはいえない堂内に大き目仏像が「一堂に会する」図は見事。
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