弥勒寺本来の本尊 弥勒如来 三重県指定文化財

午前の法要。昨日同様お内陣でのお勤めは体力を消耗しました。外陣で参拝着座の皆さんもさぞかしの苦痛を味わったことでしょう。

障子を開けて空気の流れを作っていましたが、内陣は燈明の関係で、閉鎖空間になります。

法要が終わってしばらくすると、静岡でまた新記録。40℃超えといいます。

一昨年だったかと思いますが、私は浜松でその数字に遭遇していますが、一言この地球はぶっ壊れはじめた感。

もう止まらないのでしょうね。

個人レベルではどうにもならない、後戻り不可に思える世界に突入してしまったのかも知れません。

 

仏たちも「しょうがないねぇ~」と腕組みしながらため息をついているところかも。

要は人間の「自業自得」。

やりたいことを自由にやってきたそのツケを未来の子供たちが支払っていく構図かもね。

 

一昔前には聞いたことも無かった「熱中症」の語が日々飛び交うようになり昨日も午後、境内で植木仕事をしていればお参りの方からその語をもって「お気をつけて・・・」と声を掛けられるようになりました。

私の場合は片手間お気楽仕事ですからそれに関しては別段大したことはありませんが・・・

冷蔵庫の冷茶をがぶのみして「平チャラだよ」などとニヤけていれば「お前が熱中症で死んだとしたら・・・みんなであざ笑う」(熱中症で倒れてみろ・・・)とのこと。

アレばっかりは自己の体調管理、人の忠告もありますがクールダウンする方法はいくらでもあるはず。

年配者と子供はその自己判断がしにくいのでケアは必須ですがね。

 

一昨日は法要不参加の方について伺いましたがやはり熱中症だといいます。その方は若い男性でバイクのライダーですが、炎天下に(鎧の如く)ライダースーツにヘルメットで身を固めてのツーリング。体調異常に陥って家族にヘルプの電話を入れたそう。

バイクは近くのバイクショップに預かって頂いて帰宅、回復を待ったそうですが、今時バイク乗りもまた厳しいでしょうね。

 

私はどんなに蚊にヤラれようが半袖仕事ですが、昨日は蚊の襲来は軽微。思わず仕事が捗りました。

蚊奴らは酷暑が3日も続くと産卵と羽化の環境が急激に悪化するのでしょう。ざまぁみやがれ。花入れの水は熱湯化。

尚生花は1日もちません。奥方はそれに悲鳴をあげていました。

 

扨、弥勒寺の本来の寺の名の旧本尊という「弥勒如来」が昨日の薬師如来の脇にありました。

弥勒といえば兜率天とか弥勒浄土本山御影堂門ほか他所いろいろな出会いを記していますが(最近では室生寺弥勒菩薩)、今度バス遠足で行く興福寺北円堂にも弥勒如来(鎌倉期140㎝)がありました。そちらは国宝指定です。

私も成瀬藤蔵正義の妻の名が「勒」さんだったこともあり親しみというものは湧きますが、その弥勒には一つ疑問が残ります。

散々私が出会ってきた弥勒菩薩、こちらでは「弥勒如来」となっています。

一説に違う仏であるとも言われますが、弥勒菩薩といえば半跏思惟像の姿が御馴染みですが製作年代が奈良時代以前と、いい時代が下って「如来」に昇格しているといった感じ。

弥勒信仰者にとって菩薩→如来は大いにその思入れから名称変更の件、「あとちょっと」・・・大いにわかるような気がします。

詳細は弥勒菩薩でググっていただければ。

 

昨日の薬師如来といいこの弥勒如来といいそもそも台座が後補であり、慌てて移動した感が残ります。

正式に移設するとなれば、以前の須弥壇等、付属物一色を伴うものです。

やはり、信長勢襲来の際、慌てて仏像を逃がしたのかも。

 

こちらも127㎝と旧本尊だった威容を感じます。

仏像の身長の件多少の違いはあるものの今まで馴染んでいて寺の名にもなっている弥勒を脇にし、薬師如来を中央にして本尊とする意味も今一つわからないところ。

大概の弥勒のイメージは菩薩であること、格上の如来の登場で脇に追いやられた・・・などとも考えてしまいます。

 

また建立は平安後期から鎌倉初期ということですが、やはり三重県指定文化財になっています。背後には曼荼羅が掛けられています。

 

薬師如来も弥勒如来も台座や光背の不完全が国の指定にまでに至らない理由になっているのでしょうか。