天正伊賀の乱 蹂躙された伊賀名張 再び弥勒寺

蚊対策をして境内作業少々。継続的にはヤル気がおきないような空気と蚊。

対策と言っても蚊取線香と防虫スプレーの塗布くらいで服装は半袖軽装。長袖など着る気にはなれません。

蚊どもから絶対に逃れることはできませんね。結構ヤラれました。靴下をもう少し長めのものにすれば良かったか、反省点。

奥方は法事用の生花のセッティングを本堂脇の水場で汗だくになって苦闘していたようですが、一時気が付けば10匹近い蚊が手足に取っついていたと。

 

蚊への耐性は結構強いようで天晴、文句を言うことは暑さのことだけ。

一番イラつくのは「生花のもちが悪い」ことだそうです。

スグしおれる・・・と。

 

私は境内で本堂正面左のメタセコイアの枝払い。数年ぶりの仕事でした。

本堂側に突出して屋根に接触している枝葉を取り除きました。

風が吹けば本堂の雨どいを壊しそうでした。

メタセは材が柔らかく伐りやすいこと、幹からの枝が段々と生えるためハシゴ要らずというのがイイですね。

私の腰ほどの高さで植木鉢にあったのが20年ほど前、成長が早いのもスゴイ。

 

午後、メールにて「中日新聞見た~」と。

息子が横浜にて法事があるとのことで寺に立ち寄ることになっていましたのでそれを購入してくるよう頼みました。

そこで初めてあの取材撮影がコレだったということを気が付いた次第。

2023ミスユニバースの宮崎莉緒氏が牧之原市を案内するという企画でした。滅多にないことですので寺の掲示板にしばらくの間、貼り付けておきます。

 

扨、先日記した名張の弥勒寺

実は気の早い話ですが、その寺には友人の「奥の墓道」氏だけでなく来年のお寺の遠足のメインイベントにしたらどうかと検討しているところです。

ちなみに今年の目玉は奈良興福寺の南円堂の不空羂索観音ですが。

 

そこで、寺の近隣見回して「これじゃあ境内の駐車場まで観光バスが入れない・・・」と奥方が。

私は「適当に降りてあのくらい歩いてもらおう」と①。どうにかなりそう。

 

名張周辺には無数の城址があるというのが知られていますが、ツアーでそういった城を紹介することは絶対パス。

これまで戦国系の城・・・安土城・一乗谷・大坂城などの有名どころを回っていますが御一同の反応はイマイチで「むしろ辛い」の声もちらほら。

南禅寺の山門も、東本願寺の御影堂門も「下で待ってます」という声があがるほど。

しかしこのお寺なら歩いたとしても大した距離も高低差もなし。問題は堂内に興味を持っていただけるかですね。

 

名張に戦国期の城塞が比較的多いのは伊勢特有の群雄割拠の時代を経ていたからで、大きな大名の支配がなく、それでいて大小国人領主による均衡支配があったからなのでしょうが、その平穏は信長の台頭によって崩れ去る事になります。

われら真宗門徒たちの伊勢長島はじめ本願寺の対信長抗戦と同様でその支配を嫌った伊勢の旧領主と農民が反信長の旗印を掲げ立ち上がったのでした。

 

それを時期によって第一次から第三次の「天正伊賀の乱」と呼ばれているのですが、その当時の人々にとって伊勢そして名張は大層な悲惨な目に遭っていたのでした。

よってこの地区では信長を討ち取ってくれた明智光秀を讃えるという風習があったというくらいです。

 

そういうところからも私がこの地に興味を魅かれる理由になっていますが・・・。

 

再び弥勒寺本堂の外からの図。

②の概略図「西田原イラストマップ」には前回記したように春日神社の中心上から墓域を東西に分けていることがわかります。

⑦⑧は春日神社神殿になりますが、⑦の大きな石は古墳の天井を連想します。

古墳の材を神社に持ち込む例は散見できますからね。

⑩り石塔は新しめ、オリジナルでしょう。

⑪おそらくカヤの木か。堂前中央に屹立しています。