盂蘭盆シーズン突入で昨日も法要がありました。
午後になってから気温上昇、奥方が「気分が悪い」と言い出しました。
拙寺の庫裏は午後から夕方にかけて直射を浴びますので家の中が30℃を超えることはいつものこと。
退避所として居間のエアコンをオンにしていますが、本堂やら家の中を忙しく動いていれば脳みそが沸騰することもあるでしょう。頭痛の痛み止めを飲んでぶっ倒れていました。
熱中症になった?のは、私が寒いから、と言いながらエアコンのスイッチをOFFにしたことが原因とのこと。
私は午後は境内に出て、松の剪定をしていましたが・・・暑さよりも痒さが耐えきれない・・・
昨日はいいニュースがありました。
旧優生保護法のもと不妊手術を強制された方たちの救済の手が確定したこと。
被害者認定がされたということでしょう、憲法違反として最高裁大法廷が国に賠償を命じたというニュース。
あれは無茶苦茶でひど過ぎるデタラメ人権無視の法で、どちらの国から見ても後進国のイメージと大恥を曝すものでしたが、ようやくこれで一件落着。
とはいえ、その法により強制施術された方たちの権利や希望というものは元には戻せません。本当に恥ずかしい法でした。
国会のお偉いさんの声、「老人は早く死んでくれ」の如くの弁があったことを適宜拙ブログで記していますが、基本的にそれと同じ発想でしょう。
その法の大義とは
「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」ですからね、ふざけた法律ですよ。決めたヤツは何様だよ・・・と思いますがそれは議員立法ですから国会議員の発想なのでした。
現状の国会議員こそ「不良な子孫」の方々勢ぞろいがあるのでは・・・
よって国会議員どもは自分らの責任を認めるワケにいかないというプライドからこれまで難癖(時効・・・除斥期間)を付けて被害者救済を拒絶してきたのでした。
一番の問題(恥)はその失策について早々に認めて、謝罪し、補償に対して時効を理由に手をこまねいていたこと。要は政治なのですね。
判決によって首相がここぞとばかりに出てきて謝罪の弁を述べていましたが、腹が立ちますね。「私が主導して・・・」の様でしたし。真面目にやって欲しいものです。
ギインさんたちは裏金と機密費とやらで左うちわの様を謳歌していたのですから。
いずれも「どうせ自分の腹は痛まない・・・」ということ、こうなったら国からしっかりと賠償請求してくださいな。
あと、お国が時効を振りかざしたことに思うこと。
バレたらそれなりの咎(税務署からの指摘、刑事告発)の件覚悟が必要ですが、相続税も贈与税も時効があったはず。各お調べください。
こっそりうまくやり遂げることはできるでしょう。
バレたら「知りませんでした~」でごめんなさい。
川崎重工の脱税についてやはりその発覚のニュースがありましたが、国税庁の追い込みの成果と聞きます。
まぁそちらにターゲットとされればおしまいです。
個人のそれとはスケールがちがいますがね。川重は十数億円。
ただし一応記しますが脱法行為はイケません。
それをヤレとは言っていませんからね。
お国の脱法行為や大企業のインチキに対して「それなら」と物を申しただけでございます。
扨、三河の地について多くの素材(画像)を抱えていますが少々そちらから離れることにします。案外と一般的興味から外れることもありましょう。
もっともこのブログは「フツーで一般的である」とはいえないでしょうが。
基本「ハカ、テラ、シロ」に着目してそれもいわゆる観光的華やかなものを期待するには及びません。
そして今、コロナ療養中の「奥の墓道」氏を次回連れて紹介したいと考えている場があります。
彼ほどになると、フツーのハカ・テラ・シロでは喜んでくれませんので、私の抽斗の中から毎回、コレならばというものを選択するわけです。
あくまでも私のスケジュール重視での計画、時間がとれない場合は毎度「高天神城と小笠山砦」というのはお決まりコースではありますが。
その第一候補が名張の西田原の弥勒寺。奈良方向に向かうならこちらに寄ってから・・・というのも絶妙な場所になります。
彼に以前その「名張」と言えば「あの、毒ブドウ酒事件の?」と返ってきましたがビンゴ!!です。
あの事件も極めて冤罪がプンプン漂うものでした。
それはともかくとして、その弥勒寺は極めて奈良に近い三重県というところ、あまりお気軽な地ではないというところが難点。日帰りとなると勿体ない。
そのまま奈良方向へ・・・という欲も出てくる地ですからね。
決して大きくない真言のお寺ですが彼を連れ出して後悔はさせないに決まっているお楽しみがあります(場所はこちら)。
以前、当家奥方に同行してもらったことがありましたが、あの色々小言の多い奥方からもその印象について〇印を戴いているほどです。
シロとハカとは違ってテラについては「後学心」が働くこともありましょうが。
あの時は朝8時頃の到着で、まだお寺の本堂は閉まっていました。
そもそもこのお寺は「田原氏城」(日本城郭大系 「丘端に見張り台・切込平地が残る」)と同地になりますので、田原氏城館址と言われる③背後の竹藪は「帯同者」の顔色をうかがいながらパス。詰めの城を推測できる寺の背後の山、西田原ふるさと公園を散策することにしました⑥⑦⑧。 ⑥は本堂背後より。
大した高さはありませんが、遠く名張中心部をうかがうことができました。
きっとどちらかに城として機能したであろう遺構があるに違いないとは思いましたが、見たものすべて「こじつけ」に近そうな起伏の数々、確信には至りませんでした。
⑤は本堂に隣接する秋葉神社。
この神社への地元崇敬は厚く、社殿から見た平地を中心に墓地は存在しないとのこと。「穢れ」としたそれを左右の山地に配したといいます。神殿から墓が見えてはイケないというものか。
しかしそれが強く求められた時代以前の墓石たちは境内に集められています。背後の田原氏城址に関わる人たちの墓塔でしょうか。
①は本堂開扉後、拝観料500円を受付にした際、頂戴したもの。
私には不要のものではありますが、拝観者への配慮は満点。
お菓子も頂きました。
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