島原藩主深溝松平家墓所 本光寺東御廟

先週末の土曜日に史跡研究会の会合がありました。

史料館2階のホールで「静波太鼓」なる披露があったようで、いつもとは全く違う空気が漂っていました。

聞けば恒例の中国国際交流、100人弱のそちらからのお客さんがいるとのこと。その書道作品の展示会があったよう。

それだけの人達を中国発の飛行機で捌けなかったのか、数人のお偉いさん方は静岡空港、残りの大部分はセントレアだといいますから、結構な不便を思います。

 

まぁそれとは別に、歓迎会、お土産屋(ドラッグストアは欠かせないそう)宿泊先、その大挙によって潤う企業があったようです。

牧之原市にカネを落してもらう、大いに結構ですが、殆どの市民には関係なし。

まぁ大河ドラマで田沼がクローズアップされたとしても「どうでもイイ」・・・なる方々、大勢の如く、何事も「無関心」はつきものです。

以前から言われていますが旧榛原町と旧相良町の方たちの思考濃淡の件もしかり。その田沼の件、旧榛原町の人達は「まったく関係なし」のスタンスであること微妙に感じますね。

 

10万人の受入れ(市長)を目論む役所上層部の思い入れとは裏腹に末端職員には伝わっていないよう。職員とはいっても派遣の方もたくさんいるようで。

 

観光客受け入れのために役所の駐車場を空けさせるため頭を痛めていることは聞いています。

退去したスルガ銀行の跡地を代替地に・・・という案もあったそうですが「遠すぎる」との役場職員の反対の声が出たと。

そりゃそうでしょう遅刻ギリ、1分2分を争ってすっ飛んで来る輩(昨日)からすればたまったものではないでしょうね。

そういう皆さんからは「大河大迷惑、イラネ!!」の心境も少なからずあるようで

そういうこともあって前哨戦ながら今一つ盛り上がりに欠けると感じさせるのですね。

まぁ、折角のチャンスなのですから、あとから後悔しないよう楽しみたいものです。一部の人達を除いて・・・ですが。

 

扨、本光寺には西御廟と東御廟との2カ所に墓域がありますが、これまで拙ブログにて記してきたのが西御廟。

そしてその東御廟には他の島原藩主深溝松平家代々藩主たちの墓が揃います。

 

数基のそのタイプの墓標が西御廟にも見られましたが東御廟はまさに特異なあのカタチが勢ぞろい。

そしてまた島原、江戸で没した藩主を船で三河湾経由で搬送、こちらの先祖同族の集まる地に埋葬したという代々固く守られていた掟の如く決まり事は天晴。

仕事量かつ、経費莫大出費の歴史を感じます。現在であってもそれはできないことですからね。

 

墓域前には何故かオーソドックスな五輪塔が。

天妙院殿十三代夫人に俊光院殿十五代夫人とあります。

 

こちらへの途上、山門が設けられていますが曹洞宗のお寺らしく毎度恒例、結界の石標(不許葷酒入山門)が「お前は入るな!!」を主張していました。