またもや好天。
午前は庫裏にて事務仕事の日。
盂蘭盆法要も近いですからね。
そして会館新築工事の件、最新の図面をお持ちいただいて最終吟味。変更した建築士の方です。
これから業者選定を行って見積額を算出するとのこと。
贅沢品の使用は無いので見積もりで予算オーバーとなったら「面積縮小」で対応するしかないとのことでした。
それもこれも材料費高騰の今までまともに工事進捗がなかったためですからね。腹も立ってきます。
それでいてまともな活動をしていなかった前任の建築士からの請求が大枚であったとしたら・・・ゴネる・・・腹を決めています。
この建設に関しては私はあまり口を出さないようにしていますが、一応この敷地の管理者として解決していかなければならない数々の問題がありました。
まだまだこれからもあるでしょうが。
特に今回の件、ボヤきたくなるほど不満はたくさんありますが、その中で一番にこの世の中のバカバカしくなるほど「無力」を感じずにはいられない事を少々。
それが家屋の新築工事でどなたもがその法令について耳にする「接道義務」(建築基準法)についてです。
コレは建築物には当たり前のことで宅建主任者である私も「そんなことは百も承知」といったところ。
それは「建物は道路に2m以上接していなければならない」という法律です。元は消防車が入れないと困ることからですね。
前任の建築士からも大工さんからもそんな話はまったく指摘はありませんでした(第42条第2項道路のセットバック要件)が今回の会館新築工事はあらためて「できません」とのお達しがありました。
「念のため」と建築士が牧之原市の都市住宅課(住宅政策係長)と静岡県島田土木事務所(建築住宅課)にあたったことから判明したのでした。
「まさか」と愕然とさせられましたが要は拙寺門前の道路は法令上の「道路ではない」ということです(④画像赤い部分)。
その「道路」に門の間口は2m以上接続していますが。
「道路に接していない」を理由に家は建てられないというのがその法令ですが、その道路として認められない主たる理由は、その道は寺と墓地の間の通路であって一般的家屋が不在ということが主たる理由。
それでいて北側斜線規制では墓地であっても考慮しなくてはなりませんからね。
それより幅員狭小の元の樋尻川を覆った北東側の道が「道路」認定されていました。尚、市の避難経路としてその「道路」ではないその赤い道が経路指定されているという変てこな現実もあります。
祖父の代の会館建築の際にラクに通っていたはずのその法令が今回はダメの判断。
古い寺社であり文化財という切り口もそれは本堂が指定されているだけで「境内全体ではない」を理由に却下されました。
奥方は来年の大河ドラマを視た観光客が「大挙する」(市長さん談・・・)ということからその客用外トイレの建築を急がせています。よって「無茶いいやがる!!」と憤懣やるかたなし。
先般も外用トイレが間に合わないことを考えて・・・庫裏の客用トイレを改修したばかりでした。
市のあれこれ協力することなど「ヤル気ナシ」のどうにでもなれ~(ケツをまくってやれ~)の感情も湧きあがりましたが、まぁ史料館教育関係部署と道路都市計画関係者ではそもそも畑違いですからね。
お役人の「ただの嫌がらせ」と解釈し、解決策の採用を受諾しました。
解決策の選択肢2題。
①会館に隣接する他家所有地を一時的に借地登記して道路隣接の件をカムフラージュ。検査通過で元に戻す。
②南西側の道路(緑色)をみなし採用し(そこならできるらしい)
尚且つ土手を50㎝ほど崩す。
両方とも便宜上の「なんちゃって」であってバカらしいことです。
当初②は有り得ない話でした。
土塁上部には大木が林立していますから、それをやったら木が倒れるにきまっています。
するとその土塁は崩さなくてもOKとなりました。理由はわかりません。
しかし石垣を撤去しなくてはならないとのこと。構造物があってはイケないとのことでしたがその面の石垣は約50個。ある方が言うには石は構造物ではないだろうとの指摘がありましたが何を言っても「どうにもならない」を早々に察して一家動員して一旦撤去することで了解しました。
今一つボヤかせていただければその図面緑色の道はそもそも拙寺の敷地であって時効によって相良町に接収されたものです。
とことん矛盾と無茶なる諸所事案に翻弄させられています。
色々な方にその「赤い道」の件問い合わせさせていただきましたが役所は頑として「『道』ではない」とのこと。
それにしても寺に無理難癖をつけるとは。
都市ができる前、田んぼと畑しかない古~い時代からあるものに対して・・・という意味です。
ここにボヤくことで気が済みました。考えると心身に良くないですから忘れましょう。先に進むことにします。
次に頭を抱えるのは金額提示されたとき・・・おそらく卒倒することになるのでしょう。
そんなもの、建てないでうまいこと老後資金に廻せば・・・それも選択肢でした。6月はツイてない(昨日)、その一連のことか。
もう少し辛抱します。
扨、深溝松平には昨日の「島原大変」の松平忠恕以前にも「ツイてない」というような天災その他に祟られた人はいました。
松平忠雄(肥前島原藩の第2代藩主で深溝松平家7代当主)などもそうでしょうね。
そもそも深溝松平家は代数を重ねて家そのものは続きますが、色々頭を悩ませていたようです。
家というものの継続には男子に恵まれることと長生きしてもらうことが肝要ですがそれに恵まれなければ人を「工面」しなくてはなりません。
その件何事もなく順調に進まなければ「天変地異」以上に災いへと繋がる事は必至です。
家が消えることになりますからね。
松平忠利の息、松平忠房に急遽養子入りして家督を相続した松平忠雄は領内の飢饉凶作で藩中経済困難に陥って借金金策。
領主殿様は大変です。
挙句に世継ぎ相続予定の男子が亡くなってヤル気もなくなります。
続いて百姓の逃散、虫害による田畑疲弊、疫癘流行続きで散々な世継ぎだったと。
その急遽婿入りした経緯も松平忠房の長男松平好房が21歳で亡くなりそのまた弟の忠倫は不行跡が元で廃嫡されたといいます。やたらと面倒が重なってしまっていた時期ですね。
その本来の跡継ぎとして熱望されて若くして亡くなった松平好房の廟が本光寺にあります。
「孔子廟」なる名称がありますがそれだけ「礼と孝」の子であってきっと周囲から惜しまれて亡くなったのでしょう。
その彼の弟が「不行状」というのも人間世界いろいろの件わからないところでもあります。
私は礼でも孝にも非ず。やはり後者の方でしょうね。
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小山昭治 (金曜日, 28 6月 2024 08:40)
いやはやお役所仕事というのはわかりませんね。
昔からある寺を後に出来た規則で縛るとは・・・?
あたけてもお役所相手では大変でしょう。
堪忍袋に「バカヤロー」と叫ぶしかありませんね。
今井一光 (金曜日, 28 6月 2024 22:50)
ありがとうございます。
不条理に無常は人生につきものであると伝える身、私も堪えて一所懸命にしぶとく生きたいと思います。