叔母の希望は鰻 「田沼意次物語」オーディション

早朝は依然龍神さん(昨日)が去ったあとのおどろおどろしい空気が流れていましたがしばらくしてお日様と青空が顔を出してくれました。その件は予想通りでした。

伊豆方面ではその豪雨で大層ヤラれたとニュースがありましたが当地は、少なくとも私の周辺での被害はなかったよう。

 

3月以来「鰻喰わせろ」と、ことあるごとに叔母の伝言を聞かされていた私どもでしたが、月曜日に火曜の土砂降りが明けるとの予報を信じ翌水曜の叔母の外出を施設に予約していました。

 

毎度記せば叔母(父の妹)は本年90歳。

軍医・皇宮警察だった夫の遺族年金+自らの年金によってその施設に入所しています。

永田町の大層なオエライ議員さんから「早く死んでくれ」風の嫌味を言われているその世代一員ですが、ぱっと見、なかなか元気でしぶとさ強烈。

一時酷かった痴呆の症状も完全に一掃されています。

信じられないことばかり。

 

鰻など高価かつカロリーのある食べ物は控えたいというのが最近の私どもの心情です。

「次回、お誕生日にはハンバーグか別のお肉などにしよう?」と奥方が打診しました。

ファミレスで誤魔化す作戦を進めようという魂胆ですが「誕生日(9月)までには時間が空きすぎ」という指摘とその際は必ず鰻でなくてはダメとの注文でした。奥方と苦笑いするだけ。

鰻はその店の普通サイズを注文し、あっという間に平らげていました。

 

お隣には3人組の年配者(明らかに叔母より年少)が自家用車で訪れていましたが、叔母の所望したものと同様のサイズながらいずれも「ご飯は少なめにして・・・」と店員さんに。

叔母はメニューを見回してから「肝焼きも食べたい~」と言い出しましたがいくら何でも・・・と心配になりそれを制止したくらいです。

 

当人は「100まで生きる」と相変わらずの化け物的弁舌。

このような高カロリーのものを毎度食するのを付き合っていたらこっちが先に逝っちまう。

ちなみに「奥の墓道」氏は「鰻はここ数年食べてない」と。

 

尚、施設からは入所者から「何を食べて来た?」と聞かれたとき「鰻」といわないよう釘を刺されているとのこと。

私に「何といえば・・・」と叔母が問うので「焼きそば」とでも・・・と。

入所者の皆さんも鰻は羨望の食べ物なのでしょうね。叔母も肉は時々出て来るが鰻は出ないと。

家族が一緒に外出させての時間を持つということもそうはないでしょうし。

 

これは叔母のお頭がハッキリしつづけているが故できる事。

私と奥方の名をあげて「鰻はまだか」とそれは絶対に忘れることなく、ややもすれば「電話機を貸せ」と暴れんばかりの様。

おそらくその鰻こそが生きる希望になっているのかと。

痴呆になれば食べたい物も外出の件も口に出さなくなるでしょうから。ましてや私どもの名など言えるはずがありません。

 

その勢いを見倣って私どももそのあとに続けるよう気合を入れなくては。そうあれば仕合せ。

かつて幾度か記していますが、ご長寿により国からガッツリと年金をできるだけ長く積み上げて奪取してやりましょう。

政治屋さんでそれを心配する輩が時々出てきますが、何より先ず自分が死してそれをお示しいただくこと、見せて欲しい。

叔母はまさに「ダイ・ハード」婆です。

 

扨、昨日午後は史料館から長谷川氏が掛川からのお客さんを連れて来訪。本堂の見学が主旨ですが、掲示板用ポスターを持参されました。

先日掛川のホールで今井信郎の演劇についてのポスターを紹介しましたが、そのグループらしき団体の演劇の件。

相良のホール「い~ら」にて来年1月19日公演の演劇「田沼意次物語」の出演者オーディション(20名)を開催するとのこと。

地元から素人さんを集めて劇を作る・・・悪くない企画です。

 

②③④は叔母を送っての帰路の景色。

榛原から原に上がって平田寺に抜ける道を選択しました。

①は西の空②は東、駿河湾と伊豆半島が見えます。

③は南。今季刈り込んだ茶畑の左奥に2年ほど放置されている「茶林」、その左奥に5~6年かそれ以上放置されているであろう「茶森」の図。

各所で茶畑が茶林→茶森に変化(へんげ)しています。恐ろしい。