駿府浅間神社関わり各々 我が無知を知る 「踟」 

予報はおかげさまで外れ気味。

それほど天気は悪くならないような。そうであったら有難いことです。

昨日もいいお天気。私は殆どエアコンの効いた室内に滞留、外気の夏の様とは隔絶されていました。

 

幾度かその辺りのことを記していますが、齢を重ねてあるべき姿というもの、持論を記せば「聞いて話して、できれば書く」を厚く心がけその習慣に自らを浸すことが肝要と考えていますが、それには基本、外に出て人の中に身を置く事が一番に手っ取り早いところ。

 

ところが外にも出られない事情にタイミングもあるワケですから、自宅にてでもその習慣を維持したいもの。

その聞く事と書くことは何とか独りで可能なことですが話すことは難しいものです。

 

話すとは思考しながら発声することですが、それを単独で行うことに最適なのが仏間での仏との対話ですね。

私は声を出しての正信偈の拝読を推奨しているワケですがまぁ何も経典の拝読だけでなく、好きな歌など口づさむことでもOKでしょう。

ある御門徒さんでは「カラオケ命」のような趣味生活をされている方がいらっしゃいますが、それも価値ある暢気生活ですね。

それによって唾の飲み込みの訓練にもなって誤嚥性肺炎の予防にも繋がるのですから、声出しは特にリタイア後の不可欠習慣。

 

扨、一昨日昨日と静岡市内の葬儀会場にお邪魔していました。

故人は相良出身の方で浅間社関りの活動で大いに動き回っていた方です。

私は以前その方から「木遣り」について語られていたことを思い出しましたがその何たるかについてまったく存じ上げませんでした。

昨日初めて知ったことですが故人はその浅間さんの木遣りの会の会長さんだったわけで、その団体組織の皆さんがおそろいの法被を着けてホールに登場、出棺の際その見送りに30人ほどの皆さんの合唱がホール内で響いたのでした。

繰り上げ初七日の法要までもいらっしゃったということです。最近ではあまり目にできない光景でとた。

 

その会は年配者方々の集合体でしたが、これこそリタイア後の「積極の姿」であると感じた次第。故人はそれを纏めかつ組織を大きくしていったといいます。

 

また「踟」の字について初めて出会いました。

「行きつもどりつする」・・・から「ねり」?

 

当流では二河白道を前にして「行け」と「来い」の声があってその躊躇はあり得ませんからね。易行道なるが故・・・信じて渡るのみ。

 

まったく別世界に入り込んだような式でした。

今回、私の知り得たことは「私の知らないこと たくさん」。

 

 

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コメント: 2
  • #1

    お祭り大好き (土曜日, 15 6月 2024 07:25)

    Y.Yさんが相良出身であることを本ブログではじめて知りました。 永く木遣りを務め東嘉会・北辰会以外でしたが、晩年は静岡市内の木遣り保存会団体の総まとめに携わっていたと思います。昨日のある方のブログの同級生の逝去とようやく一致しました。 ご冥福を祈ります。

  • #2

    今井一光 (土曜日, 15 6月 2024)

    ありがとうございます。
    氏は辛い闘病生活から脱すべく明るく希望を捨てずに一所懸命の姿を周囲に見せていたといいます。
    しかし無常の風は突然にその歩みを終了させてしまいました。
    人間の抱えている四苦の件は承知していても突然その試練を突き付けられるのはあまりにも酷な事。
    氏の遺志が今後の会の活動に生き続けますますの繁栄を願うばかりです。