織田信雄 巡り巡って宇陀へ 信雄五輪塔 室生寺

爽やかな梅雨入り前の侯。本堂内の空気のことですが昨日は朝早めの時間帯は陽光が注いでいましたが昼前頃には曇が広がり出して2時前にはぽつぽつ。

午前は法事がありましたがその雨降りの怪しくなった頃、吉田の墓園での納骨の勤行がありましたので「タノム~」の気持ちで少々早め現地に向かいました。

すると雨は消えてうまいことお勤めは終了。

ありがたいことです。

その後も予報に反して大きな降りはありませんでした。

 

息子は久々横浜での法務に向かっていました。

横浜辺りの縁が切れないで続けさせていただいていることは有難いことですが、東名高速往復料金+燃料費+走行のリスクについて勘案すると「ちょっとね・・・」というところ。

そして息子の浮かれた話。

先般神奈川県内の法務でご縁のあった御家の施主さんから「是非とも次も今井先生を」なるご指名があった・・・と。

奥方と「じょうだんじゃぁない」と吹き出しましたが、煽てられて天狗の図。何せ27歳の小僧ですからね。

どうしてそうなってこうなったのか親としても理解不能ですが、私自身はその「先生」付けの尊称が大嫌い。

そんな呼ばれ方をされた時はいちいち「それヤメテ!!」などと注文を付けるところです。半分コケにされているようでもあり・・・

「先生」とは当流で言う「善知識」のことですから、その言葉を歓んでいれば救いようのないバカということかも知れません。

ただのバカ(愚-悪人)というのが一番になごみますからね。それだけはゴメンです。

 

私も息子もおエライさん、センセーでは無いのです。皆さんと同じですからね。

またその称を歓ぶ類とは違うからです。

私どもの歓ぶ称といえばただ一つ「南無阿弥陀仏」の称名です。

学校の先生には勿論、本当の敬う気持ちがありますのでその「先生」を付けて呼びますがね。

 

扨、室生寺の桂昌院五輪塔のあるエリアとは違う段になりますがやはり五輪塔が並ぶ場所があります。

そちらの真ん中の大きい五輪塔が織田信雄の墓。

彼の墓も御多分に漏れず他所にも存在しますが、こちらには分骨とはいえ遺骨があるようです②③。

 

やはり「どうしてそうなってこうなった」のか、彼の不運かタイミングの悪さか時の流れか、はたまた世にいう無能の武将だったのかわかりませんが、流転して宇陀という地に収まったのでした。やはり室生寺にとって「有徳なる人」だったのでしょう。

詳細はWikipediaでも開いていただければと。

まぁ豊臣親子の滅亡のことを考えればつまるところ「うまいことやった」の目出度しの感。

生きて残って最期の寿命を迎えることほど仕合せはありませんね。