小型ながら優美 自然の中に映える室生寺五重塔

午前8時すぎに拙寺庫裏の呼び鈴が鳴りました。

その手の時間での来訪は「急な要件」というのがこれまでの経験則でしたが、それは違いました。

 

二年ほど前に相良から東北に転居された方の来訪で、午前4時に到着して旧家の片付けをして時間を見て来られたとのこと。

車の運転は息子さんでした。

 

その方は私より3つほど若かったと記憶していますが、先般脳出血で倒れたとのことでした。

一見してまったく変化はなく、意気軒高の感。

その病は死を免れたとしても重篤な後遺症が残ることを承知していますので私も「?」の躰となってその方を再度見上げてしまいました。

「何も不便の様は感じ取れませんが・・・」と窺えば、奇跡的に何事も無く退院できたとのことでした。

思わず私は「よりよきご縁でしたね~」と高いトーンで感服の声をあげていました。そういうこともあるのですね。

 

人生は縁、機縁・・・チャンスとその見逃しの連続。そしてそのベースに宿業(親鸞さんの意は悪業)という「私」の積み重ねた因縁果の複合的組み合わせで今があるといいますが、その健康という果実をたまたま得た奇特を歓びました。

 

そして今は食生活と運動を心がけるように自身変化したそう。

「拾った命」への感謝を強く仰っていました。

 

※歎異抄13 宿業

「善き心のおこるも宿善のもよおすゆえなり

 悪事の思われせらるるも悪業の計らうゆえなり

 故聖人の仰せには『卯毛・羊毛のさきにいる塵ばかりも

 つくる罪の宿業にあらずということなしと知るべし』

 と候いき」

 

先日も「わからない」について記しましたが、まぁ人間世界、すべてのことが「わからない」ことだらけ。

「こうである」が如くの物知り顔の輩は・・・やはり虚仮不実・・・

そう思いますがね・・・

 

扨、室生寺といえば・・・というくらい人々がその歩を向けるのが五重塔ですね。

昨日の灌頂堂のすぐ脇の階段上にあってあたかも「早く上がってこい」と促されているよう。

平安初期800年頃の創建で屋外に建つ、日本で一番小さい五重塔になります。

 

先日は三宝杉の一本が倒れた件を記しましたが、1998年の台風7号での倒木によって破損しています。

木々、それも大木だらけに良き雰囲気を感じる室生寺ですが、それはそれで風が吹けば冷や冷やものとなるわけで。

 

相輪は風鐸付きの九輪、その上に八弁の受け花に乗った水瓶、さらにその上に風鐸付きの八角の天蓋、龍舎、そして宝珠をいただくといったカタチ。他にない特異な形式になるようです。

画像ではよく見えませんが。

 

それにしても800年からこれまでよくもまぁ立ち続けているか、まさに奇特な出会い。勿論国宝指定になります。